Damn'it Company!―畜生集団、或いは― 作:カラルラ
どす黒い瘴気が瞬く間に満ちていく。
悪魔の放つ痛ましい魔力によって、ペントハウスの広大なリビングは完全に現実の理から切り離され、狂気の異界と化していった。外界と隔絶されたために、壁一面の巨大な窓は都市の景色ではなく、底なしの暗闇を映すのみとなっている。部屋のあらゆる隙間からは、ドクドクと脈打つ腫瘍のような気色悪い肉が溢れ出し、空間そのものを侵食していく。
空間を満たす『瘴気』は、空気中に存在する魔力の一種ではあるが、生物の肉体を容赦なく侵食して不安定な変質や変異を引き起こす猛毒だ。それが普通の目でも視認出来てしまうほどの濃さに到達している現状、何の対策もなしでは、数秒触れるだけでたちまち肉体の崩壊と変異が始まってしまうだろう。
「ルシアさん、こっちです! 【退け、不浄】!」
事態の異常性を即座に察知したミケは、ナナの手を強く引いてルシアと合流すると、自らの【言霊】の力を解放した。不可視の力がドーム状に広がり、迫り来る瘴気を弾き返して強固な安全圏を作り出す。
一方、教会側はジェイクの「瘴気対策をしろ」という警告に素早く反応した。取り乱すことなく前衛に出た女騎士が、聖銀の剣を床に突き立て、地面に鋭い剣跡を円形に刻み込む。即座に展開された浄化の結界が、教会の三人を瘴気の波から守り抜いた。
結果として、リビングの中央。
最も瘴気が濃く渦巻く真っ只中で、ジェイク一人が孤立する形となった。
だが、生存に特化したフィジカルアデプトである彼は、そんな絶望的な状況でも一切の焦りを見せない。
「……ッ、ガァアア!」
ジェイクは自身の肉体を躊躇なく変異させた。瘴気に『耐える』のではなく、瘴気に『適応』することで戦闘能力を確保したのだ。
骨格が軋みを上げて伸び、筋肉が爆発的に膨張し、全身を強靭な獣の体毛が覆う。それは生存本能の極致が生み出した、巨大で獰猛な『人狼』の姿であった。
『■■■■■!!(ひれ伏し、そして殺し合え!)』
悪魔と化した元指揮役が、垂れ下がる3枚の舌から不可解なノイズのような音圧——【言霊】を繰り出した。
それは結界の中にいるミケや教会の面々に直接干渉し、彼らを狂乱させようとする悪魔の呪言だった。ジェイク以外の外野を参戦出来ないように言霊の対処に追わせ、その間に孤立したジェイクを自滅させようという魂胆だ。
ミケは直ぐ様自身の【言霊】を使って対抗するが、悪魔の3枚舌が放つ手数と圧力に押され、防戦一方で手一杯になる。
一方、女騎士は日頃から身につける教会の特殊な装備によって精神干渉に強い耐性を持っていた。彼女は呪言の危険性を察知するや否や、率先して背後の勇者と僧侶の耳を容赦なく張り飛ばし、聴覚ごと気絶させる事で発狂による内部崩壊を防いだ。だが、結界の維持を担うはずだった僧侶も気絶してしまった為、女騎士自身が結界の維持に専念するしかなくなってしまう。
同じ【言霊】で対抗出来る存在が居るのは悪魔にとって僅かな誤算だったが、概ね事前の考え通りの盤面推移である。だが、悪魔はすぐに致命的な違和感を覚えた。
最も近くで呪言の直撃を受けているはずのジェイクが、全く意に介する様子もなく、獰猛なステップで肉薄してきたのだ。
(ちっ、言霊が効いた上で俺を敵と見なしたのか? 厄介な主観だ)
『■■■!(動くな!)』
文言を変えての言霊。しかしジェイクは意に介さず、巨大な肉塊を蹴りつけて駆け登る!
(何故だ!? 言霊が効いていない!?)
悪魔がジェイクの仕掛けたカラクリを理解できず戸惑う。
『■■■!(自害しろ!)』
——当然聴かない。
ジェイクは先程の肉体変異の過程で、自らの耳の構造を敢えて作らず、ただの飾りである『騙しの耳』だけをさらけ出していたのだ。音が物理的に聞こえなければ、音を媒介とする言霊の指示など一切の無意味である。
悪魔がその真実に気づくより早く、人狼と化したジェイクの剛腕が閃いた。
「ゴァッ!」
無音の世界で放たれた無慈悲な爪が、悪魔の顔面に深々と突き刺さり、その諸悪の根源である3枚の舌を根元から強引に引き抜いた!
『ギャアアアアアアアッ!?』
声にならぬ絶叫と共に黒い血を撒き散らす悪魔。舌を失ったことで、厄介な【言霊】による広範囲干渉は物理的に完全に封じられた。
(畜生、何故何故なぜなぜ……!!)
苦悶にのたうち回る悪魔。その時、空中に躍り出たジェイクとバッチリ目があった。この畜生は、いつの間にか頭部に耳を1つだけ『馬のもの』に変えてピコピコと揺らし、イタズラが成功したクソガキの様な、腹立たしいドヤ顔の笑みを浮かべていた。
(〜〜〜〜〜〜〜!!!)
ジェイクが自身の聴覚を意図的に喪失させ、さらに自分を徹底的にコケにしている事に気付いた悪魔は、激昂と共に方針を転換する。自身の身体を醜い肉塊から、鈍色の光沢を放つ圧倒的な硬度の『鋼鉄』へと瞬時に変質させて防御を固め、同時に背部から無数の巨大な触腕を生成してジェイクへと一斉に襲い掛かった。
しかし、悪魔の注意と攻撃が完全にジェイクに掛かりきりになった、その決定的な隙を見逃す教会ではない。
「起きろ! 私は合流を目指す! 勇者を叩き起こして着いてこい!」
女騎士は即座に決断し、足元の僧侶を蹴り起こすと、剣を引きずるように床に刻んだ浄化の境界線を強引に前方へと伸ばし、行動範囲を拡張していく。
ミケもこの動きに呼応した。
「ルシア、ナナ! 離れないでくださいよ! 【道を開け】!」
ミケが言霊の結界を維持したまま、教会陣営の結界へと向かって素早く移動を開始する。
分断しておきたい陣営同士に合流され、戦場を自由に駆け回る『浮き駒』を作られたくない悪魔は、身体の上を駆け回るジェイクを攻撃しつつも、何本かの触腕をミケたちの方へ向けて妨害を仕掛けた。
だが、それが致命的な隙となった。
注意が逸れた一瞬、ジェイクは飛来する触腕を軽業師のように掻いくぐり、悪魔の鋼鉄の本体にベタリと張り付いた。
そして、己の能力を用いた『禁じ手』を放つ。
「……!」
ジェイクの精密な魔力が悪魔の身体に直接流し込まれる。それは『他者への肉体変異』。
本来、自分の身体を変える筈の技能で、無理やり相手の肉体構造を書き換え、弱点を人為的に作り出す外法である。
ジェイクの魔力は悪魔の鋼鉄の身体を内側から強引に貫通し、体内に隠されていた魔力臓器の1つを強制的に変異させた。
『ギ、ギィイイイイッ!?』
瞬き1つの間に悪魔の鋼鉄の装甲が一部ボコリと歪に湾曲し、どくどくと脈打つ心臓のような魔力臓器が体表に露出してくる。ジェイクは獣の爪でそれを鷲掴みにし、鋼鉄の装甲ごと力任せにブチィッ! と引っこ抜いた。
想像を絶する苦痛と、重大な魔力リソースの喪失に悪魔が狂い悶える。
ジェイクは引き抜いた臓器を、合流を目指して進んできた女騎士の方へ向けてぶん投げた。
「——はぁッ!」
飛来した臓器を、女騎士が当然のように聖銀の剣で膾切りにする。聖なる力に焼かれた魔力臓器は、あっという間に灰となって消失した。
これにてミケたちと教会陣営が完全に合流。僧侶の平手打ちによって勇者が意識を取り戻した事も手伝い、後方の安全が完全に確保される。結界維持の任から解放された女騎士が、完全に自由な『浮き駒』となり、形勢は一気に逆転した。
「【彼の者に加護を】!」
ミケの言霊によって瘴気から保護された女騎士が、躊躇いなく前線へと進出する。
聖別された剣が閃くたび、浄化の光が悪魔の身体を確実に削り取っていく。
ジェイクは全身を無数のナメクジへと変貌させ、悪魔の鋼鉄の表皮を文字通り高速で這い回りながら、触れた端から『他者への肉体変異』を施して、強固な鋼鉄をただの脆い肉塊へと戻して行く。そこをすかさず女騎士が強襲し、斬り刻むという即席ながら完璧な連携が成立していた。
悪魔は聖別された剣で刻まれ、煙と灰に変えられていく肉体を未だ豊富な魔力で強引に再生させながら、圧倒的質量の触腕と異形の腕を無茶苦茶に振り回して2人を捕まえ、押し潰そうとする。
女騎士は剣を振るい迎撃に専念するが、ジェイクは違う。
体内に隠し持つ昆虫や異形の一部――肉体変異の『触媒』を、出し惜しみせず次々と切り崩して対応していく。
自らの肉体の一部を鋭い刃を持つ羽虫として分裂させ、受容器官を狙って攻撃し囮となるなど、複数に分かれた視覚と感覚を頼りに巧みな誘導を行った。結果、悪魔の振るう巨大な腕と触腕は幾つものジェイクの残像を追って度々空中で激突し、マヌケな同士討ちを繰り返す羽目になる。
『畜生! 何故だ!? 何故お前は俺達と同じ悪魔の業を身に着けている!?』
脳内に直接響く悪魔の念話の叫びに対し、いつの間にか聴覚を再生させていたジェイクは、余裕の笑みを浮かべて煽り返した。
『はっ! テメエが理由を説明しないのに、こっちが理由を説明する義理がある訳ねえだろ! それにしても、悪魔にも練習不足の概念が有るんだなぁ!? 悪魔の社会じゃ競争無しの仲良しこよしなのか? それともテメエが同類から相手にしてもらえないヘナチョコだから、経験も発想も足りてないだけかぁ!?』
『クソったれ! その口を閉じろ!』
ジェイクの容赦ない言葉の猛攻に再び激高した悪魔は、ついに追い詰められ、最後の手段に出た。
外部への一切の攻撃を諦め、残る全ての魔力を分厚い装甲と防御に全振りしたのだ。女騎士の銀剣も、ジェイクの爪も届かない絶対的な防御の殻に引き籠もる。
隔離された異界であるこの空間を良いことに、逃げ場のない超圧縮された魔力爆発を外殻の外で起こし、ペントハウス内の全員を爆殺しようという考えだ。防御の内側で急速に膨れ上がる魔力の胎動に対し、女騎士は完全に打つ手がなくなった。
『はハハハは! なるほどなあ! 専念しちまえば俺とテメエとの力関係は明白だったわけだ!』
勝利を確信した悪魔の念話が響く中、ジェイクは人狼の姿から人間の姿へとスルスルと戻りながら、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「気づくの遅えよ。お前が悪魔じゃなかったら、とっくに6回は死んでるぞ?」
『五月蝿え! 減らず口叩いてんじゃねえ!』
「貴様も合流しろ! 私と僧侶の全魔力で結界を固めて凌ぐ!」
女騎士が決死の覚悟で防御の陣形を敷くよう叫ぶ。だが、それを余所に、ジェイクはおもむろに片手を上げ、人差し指と中指を伸ばし、残りの指で輪を作った。
——先程、決闘で勇者に向けた『魔力収束砲』の構え。
「……で、専念しちまえば力関係は明白だって? その通り。専念しちまえば、肉体強度を無視する収束砲を撃つのは難しくねえんだ。"どうやって当てるか"って問題はあるがな」
爆発の準備に専念し、完全な置き物と化して全く動かなくなった悪魔。それはジェイクにとって、これ以上ない最高の的でしかなかった。
「——消えな」
指先から放たれた極小の、だが極限まで圧縮された魔力の閃光が、悪魔の分厚い防御殻を紙切れのように易々と貫通し、奥深くに隠されていた最後の魔力臓器を正確に撃ち抜いた。
『ガ、ア……!?』
制御を失った莫大な魔力が、悪魔の強固な防御殻の内側で行き場を失い、反響し、暴走する。
悪魔は己の防御の中で起きた魔力暴発を、その身で全て受け止めることとなった。内部から膨張した破壊の光が装甲のひび割れから漏れ出し、次の瞬間、悪魔の巨体は凄まじい音を立てて跡形もなく爆散した。
ドロドロと降り注ぐ肉片と灰を前に、ジェイクは静かに手を下ろす。
「もう少し現代の個人戦闘を勉強してから仕掛けるべきだったな。スペック差やリソース差は大事だが、それだけで勝てないぐらい、高速化と殺意と悪意の先鋭化が進んでるんだ」
『ま、待て……! 俺が知っている、教会内部に潜む同胞の情報を……暗躍の計画を教える! だから……!』
「そうか。でもお前は理由を説明しようとしなかったから俺も聞かない。じゃあ死んでくれ」
床に転がった、頭部らしき一欠片だけになった悪魔の残骸が、見苦しく命乞いを始める。
だが、ジェイクは一切の事情を聞き出すことなく、その欠片を無慈悲に踵で踏み潰し、完全に殺し切った。グチャリ、という湿った音が響き、残骸は完全に動かなくなる。
悪魔の消滅と共に、空間を満たしていた瘴気が嘘のように霧散していく。
異界化していたリビングは、元のペントハウスへと戻り、窓からは都市の穏やかな陽光が差し込み始めた。バキバキに砕け散ったフローリングや、惨劇の爪痕が残る破壊され尽くした惨状だけは、当然のようにそのまま残して。