Damn'it Company!―畜生集団、或いは― 作:カラルラ
バタン!と乱暴にドアを閉めるなり、ナナは声なき絶叫と共に激怒を爆発させた。
ドスッ!バキッ!と、手当たり次第にクッションを壁に叩きつけ、綺麗に整えられていたシーツを引っぺがし、部屋中をめちゃくちゃに暴れ散らかす。ここが自分に割り当てられたミケの私室であることなど、今の彼女の知ったことではない。
あの天上天下唯我独尊の畜生を、絶対に、何が何でも屈服させて『理解(わか)らせて』やらねばならない。ナナは荒い息を吐きながら、暗い炎を宿した黄金の瞳で固く決意した。
そもそも、ナナには己が悪人達に攫われ、下劣で『エロエロ』な行為をされていた頃の記憶が一切ない。自分が人造生命であることも、後から聞かされたに過ぎない。物心ついたときから、彼女の世界にはジェイクしかおらず、彼に介護されながら生きてきたのだ。
けれども、スラムの地下で施された異常な改造による『身体の刺激に対する過敏さ』だけは、確かな実感として残っていた。
そう、この身体は異常なまでに敏感なのだ。ジェイクの治療によって普通に生活出来るレベルにまで調整してもらったとはいえ、根幹は変わっていない。何なら、感覚が常人の数千倍に膨れ上がっていた時期の悍ましい記憶もバッチリ残っているし、何より——ジェイクの両手が生み出す絶妙な快楽が、細胞の隅々にまで深く刻み込まれてしまっている。思い出すだけで、背筋がゾクゾクと疼くほどに。
ミケの教えに従って、ナナは今日までなるべく大人しく淑女に振る舞ってきたつもりだ。しかし、どうにもジェイクに対して効果が出ている気がしない。
あんなにも、ジェイクのマッサージはこちらの身悶えするほど効いていると言うのに。あれは単なる治療の域を超えている。神経や精神の膜を剥き出しにされ、直接、極上に気持ちよく触り撫で回されているような、強烈な感覚なのだ。
(多分、あれが世界で1番『エロエロ』だと思う)
ナナは確信していた。
だが、兎にも角にも、ここまで彼に付いてきて一つだけはっきりしたことがある。
ジェイクはもう、あのマッサージをする気がないのだ。
ナナは、この恐るべき手口をミケとの勉強(という名の偏った知識の伝授)で知っていた。
(……体験版商法……!)
ナナの脳裏に、恐るべき真実が閃く。恐らくあの畜生は、ナナの身体と精神の中でマッサージの価値を吊り上げるだけ吊り上げたあと、突然無料提供を打ち切ったのだ。そして、対価を支払えずに目と股から涙を流してすがりつくナナを見下ろし、ゲラゲラと嘲笑いたいに違いない。
先ほどの『どうにもならなくなったら3食昼寝付きで私の面倒見る』という最低保証宣言も、完全にその布石だ。
では、この悪辣な罠にどう対抗するべきか?
(……札束で叩く……!)
そう、価値の暴力である。
あの畜生を物理的、もとい経済的に跪かせるほどの圧倒的な価値を積み上げ、逆にナナが彼の『スポンサー』になればいいのだ。そして絶対者として命令するのだ。
『一生私の飯を作って、風呂に入れて、風呂上がりのマッサージもしろ』と。
そうだ、これこそが最高の恩返しだ。あの畜生に、この私に跪き、一生世話をする栄誉を与えてやるのである。
私の身体はアイツのもの。アイツの人生は私のもの。なんて完璧で素晴らしきwin-winの関係だろうか!
……そこまで考え至ったところで、ナナの頭はすっかり冷静さを取り戻していた。
ふと我に返ると、部屋の中は先ほどの暴発によって凄惨な嵐が通り過ぎた後のように荒れ果てていたが、まあ良いだろう。ミケの部屋だし。
(でも、どうやって自分に『価値』をつくろう?)
ベッドの端にちょこんと座り直し、ナナは首を傾げた。
『……あー、ナナ嬢? ジェイクの先ほどの発言は確かにコンプライアンス的に問題しか無いんだがな——』
胸元でロールが宥めるように話しかけてくるが、ナナの耳には入っていない。
そこが最大の問題なのだ。ナナはまだ何も成していない。精々が補助付きの歩行訓練を完遂した程度だ。
やはり暴力(戦闘)だろうか? そもそも、あのジェイクがこのリヴァイア・シティの襲撃に自分を連れて来たのだから、全く荒事が出来ないわけでは無いはずだ。だが、自分の力をどうやって確かめれば良いのだろう?
ジェイクに相談するのは絶対に嫌だ。あんな腹の立つ煽られ方をして、すぐに泣きつきに行けるものか。ミケに相談するのも嫌だ。彼女は間違いなく「危ないから」と猛反対するだろう。
誰か、こちらの都合を優先してくれて、手っ取り早く力を引き出してくれる都合の良い相談相手はいないものか……。
(……いた)
『聞いてるか? ナナ嬢? おーい? Attention please?』
無視され続けて文句を垂れるロール。
ナナは直ぐ様、懐から一つの小さな瓶を取り出した。それは地下遺跡で、ロールが怒涛のセールストークの最後に「オマケだ」と押し付けてきた、旧時代の軍用ナノマシン入りカプセルだった。
ナナは瓶の蓋を開けると、ロールが止める間もなく、中に入っていたカプセルを躊躇いなく全て口の中に放り込み、一気に飲み込んでしまった!
『あ! ちょっと!? 一体どういう風の吹き回しだ! 親御さんの同意は?!』
突然の凶行に、電子の亡霊がこれまでにないほどのパニック音を部屋に響かせた。
カプセルを一気飲みするという暴挙から、静寂の中で3分が経過した。
『……まあ、こっちとしては願ったりかなったりの行動だ、とやかくは言わんよ』
荒れ果てた部屋の中央で、己の野望(ジェイクのスポンサーになること)に向けてギラギラと目を輝かせるナナ。その絶対に退かない固い意志を見て取ったロールは、それ以上の制止を諦め、ナナの胃の中でカプセルが完全に溶け、ナノマシンが全身に浸透していくのを静観して待った。
『ふむ……さて』
ロールの機械音が短く鳴った直後、ナナの脳内に直接、ノイズの無いクリアな「声」が響き渡った。
(あーあー、マイクテース、マイクテスト。どうだい、ナナ嬢。聴こえてるならはっきり聞こえてると頭で考えてくれ)
突然頭の中に響いた声にナナはビクッと肩を揺らしたが、すぐに状況を理解し、思考を集中させる。
(聞こえてる)
(OK、感度良好だ。ニューロンとの接続は完璧。それでは諸々の手続きをするとしよう。まずは
ナナは黄金の瞳をスッと細め、脳内で力強く、かつ淀みなく宣言した。
(
『ワーオ、なるほど。彼女は相当本気だな』
あまりにも野心に満ちた、そしてどこかズレている覇道への執念に、歴戦のAIであるロールも思わず現実の音声として感嘆を漏らした。
(OKOK、包括的同意として手続き完了だ! コレにより軍用ナノマシンの様々な身体補助や現実拡張機能がフル解放される! 弱者を強者に並び立てる極悪チートシステム、『RollTool』へようこそ! 先ずは何がしたい? お客様?)
脳内でファンファーレでも鳴らしそうなテンションのロールに対し、ナナは最も切実な願いをぶつける。
(取り敢えず私の考えてる事を読み取って代わりに喋ることは出来る?)
(おお、切実。問題ないね、大得意分野だ。ただ、こっちにもコンプライアンスがある。コチラの口を通して[ズキューン!]とか[バキューン!]な、倫理的にアレな単語を喋らせようとするのは止めてくれよ?)
(分かった)
『分かった』
おお、とナナは目を丸くして感心した。
心に言葉を浮かべるのと、一切のラグを感じさせない完璧な速度で、胸元のロールから可愛らしい「少女の声」が発せられたのだ。生まれつき声を持たないナナにとって、それは魔法のような体験だった。
(それは何の声?)
『体内のナノマシンから読み取った声帯データから作ったボイスサンプルだ。要するに、もし君が喋れたらこんな声だろうっていう、想像上のナナ嬢の声だ。気に入っただろうか?』
(悪くない、やっぱり私って素晴らしい)
『悪くない、やっぱり私って素晴らしい……♪』
ロールが代弁したその声は、無駄にウインクでも飛ばしそうなほどノリノリで、小悪魔的な抑揚がたっぷりとついていた。自分の意図とは明らかに違うふざけたトーンに、ナナはジト目で胸元のペンダントを睨み下ろす。
(……演技については後々協議する必要がありそう)
『ははっ、そこはおいおい詰めていこう。で、次の望みは?』
ナナは窓の外へ視線を向けた。薄闇が迫る中、リヴァイア・シティの摩天楼がギラギラとしたネオンの光を放ち始めている。あの光の海の中に、自分に「価値」をもたらす何かが眠っているはずだ。
ジェイクを屈服させるための、偉大なる第一歩。ナナは胸を張り、脳内で力強く命じた。
(街に出る)
フンス、フンス、と。
2階の階段から、妙に荒い鼻息が聞こえてきた。
ジェイクとミケが会話を止めて見上げると、そこには不自然なほど肩を怒らせ、ノシノシと大股で階段を下りてくるナナの姿があった。
その顔には「私は無敵だ」と言わんばかりの、謎の自信と強気な態度がみなぎっている。先ほどまで2階でナナの今後の扱いについて「あーだこーだ」と話し合っていた2人は、顔を見合わせ、直感的に悟った。
(……こいつ、絶対になにか企んでいるな)
そんな2人の警戒などお構いなしにリビングに降り立ったナナへ、ミケは努めて明るく声をかけた。
「あぁ、ナナちゃん良いところに来ましたねぇ! 実は冷蔵庫の食材が空っぽで無いので、今晩は外食にしよう!って話をしてたんですけど。ナナちゃんはなにか希望は有りますか?」
『ジェイクの手料理が良い』
「ぎゃ゙わ゙い゙い゙っ゙」
突如として部屋に響いた、可憐で愛らしい少女の声。それが「ナナの声を再現したAI産ナナボイス」であると理解した瞬間、ミケは致死量の萌えを浴びて心臓マヒを起こしたかのように、白目を剥いて床に突っ伏した。
一方、そんなミケの惨状を完全にスルーしたジェイクは、腕を組んで冷たく言い放つ。
「俺の手料理は非売品だ。今日は店じまいだよ嬢ちゃん」
『むぅ……!』
ナナは分かりやすく頬を膨らませて不満を露わにした。声帯を持たない彼女にとって、自らの意思が即座に「声」として出力される感覚は、彼女をさらに図に乗らせていた。
しかし、歴戦の荒野の住人であるジェイクの目は誤魔化せない。彼はナナの胸元でドヤ顔を隠そうともしないロールの態度を見て、事の顛末を正確に言い当てた。
「で? ロールのその態度を見るに、あのオマケのナノマシンでも一気飲みしたのか?」
「はぁ!?」
先ほどまで床で死んでいたミケが、ゾンビのように跳ね起きた。
「なんですかそれ! ミケちゃんは許しませんよそんなの!」
「もう飲んでから言っても遅いだろ……」
頭を抱えるジェイクをよそに、ミケは血相を変えてナナに詰め寄る。
『なんで許せないの?』
首を傾げたナナの純粋な疑問に、ミケは血走った目で力説し始めた。
「なんでって……AIが、ナノマシン越しに、ナナちゃんの体内を隅々までセンタリングして感じていることが許せないのは、世界の法で定められた理(ことわり)ですが……?」
「規模がでかすぎるだろ。お前の嫉妬を世界基準にするな」
ジェイクの冷静なツッコミが入る。
そして、ミケのあまりにも偏った変態的な執着に対し、ロールの可憐なボイスフィルターを通したナナの容赦ない一言が突き刺さった。
『きしょい』
ピシャリと言い放たれた冷酷な言葉。しかし、その響きすらもミケにとってはご褒美だったらしい。
「ふふっ……まあ、ナナちゃんボイスで耳が幸せになるので無罪放免と定めましょう! 万歳!」
秒で復活し、両手を挙げて歓喜するミケ。もはやツッコむ気力も失せたジェイクは、手首の端末を操作し、空間に飲食店のホログラムカタログを投影した。
「ほれカタログ。何が食いたい?」
ジェイクが無造作に提示した光の羅列を、ナナは興味深そうに見つめ、ある一点を指差した。
『魚食べてみたい』
「よーし、じゃあこの店にしよう。ほら行くぞー二人ともー」
ジェイクの平坦で業務的な掛け声と共に、ジェイク、ナナ、そして胸元で得意げに揺れるAIのロールは、さっさと玄関を出て行ってしまった。
「……」
嵐のように現れ、言いたいことだけを言って去っていくその後ろ姿。その自由奔放でドライな振る舞いに、残されたミケは苦笑するしかなかった。
「……本当にジェイクさんに似てきましたね、ナナちゃんは」
呆れと、ほんの少しの愛おしさを込めて呟くと、ミケも急いで家の戸締りを済ませ、夜のネオンが輝き始めたリヴァイア・シティの街へと続く玄関を後にした。