Damn'it Company!―畜生集団、或いは― 作:カラルラ
重く湿った潮風と、化学薬品のツンとした刺激臭が混じり合う沿岸地区の一角。巨大なタンカーや無機質な鋼鉄の倉庫群が立ち並ぶコンビナート地帯の中に、巨大生命工学企業メガコーポ「アスクレピオス」が誇る主要製薬工場の一つが存在していた。
「ちょっと用事を済ませてくる。先に店に入ってろ」
二人にそれだけ短く言い残し、ジェイクはこの厳重警戒区域へと単身で乗り込んでいた。
闇夜の空から、工場全体を見下ろす巨大な蒸留塔の鉄骨へ、一羽の黒い鳥が滑り込むように降り立つ。漆黒の羽を休めるその烏(からす)の眼球は、すでに暗視と望遠の機能を備えた特殊な肉体変異を遂げていた。
ジェイクは鳥の視覚を通して、高所から警備の巡回パターン、赤外線センサーの死角、侵入ルート、そして工場周辺の防衛配置を冷徹に脳内へ記憶していく。留まる場所を静かに変えながら、ぐるりと敷地全体を観察し終えると、いよいよ本命の侵入フェーズへと移行した。
狙うは、防犯網の唯一の切れ目となる高所の換気用ダクト。
烏の姿から別の異形へと肉体を変貌させたジェイクは、闇に溶け込みながらコンテナの陰から陰へ、巡回する警備の隙を縫うようにしなやかに移動していく。
アスクレピオスの警備陣は、決してただの案山子ではない。
警備範囲内に不審な影——たとえそれが空を飛ぶ一羽の鳥の影であっても——を検知した瞬間、即座に無線で連携を取り合い、警戒態勢へと移行するよう徹底的に訓練されていた。二酸化炭素の微量な濃度変化を捉える検知装置を装備し、足元には遺伝子操作で嗅覚を極限まで引き上げられた凶暴な訓練犬を連れている。
しかし、ジェイクが潜むわずか2メートル隣を警備兵が通り過ぎたとしても、彼らが異変に気づくことは決してない。
何故か?
結局のところ、彼らの防犯システムは『人間という一つの固形物』を想定して構築されているからだ。
『掻き集めれば人間一人分ほどの質量になる、無数の小蜘蛛の群れ』がコンテナの底の隙間に潜んでいたとして、高度な赤外線や二酸化炭素センサーがそれを「不法侵入者」と認識できるはずもなかった。
こうして、ジェイクが扮した小蜘蛛の群れは、時には密集した黒い集団となり、時には隙間に合わせて分割・分散を繰り返しながら、着実に目標との距離を縮めていく。警備兵にも、凶暴な訓練犬の鋭い鼻にも何ひとつ悟らせないまま、ついに換気ダクトの排気口へと辿り着いた。
壁面を這い上がり、高速回転する金属製のファンを滑り込むようにすり抜ける。そして、排気ダクトの暗がりの中に入った瞬間、無数の蜘蛛たちが一斉に這い集まり、骨が軋み肉が収縮するグロテスクな音と共に、瞬時に一人の男の姿へと再構成された。
通気孔の狭いスペースの中で、ジェイクは首をコキリと鳴らし、首元を緩める。
「……ふう。やっぱり虫の形態は、後で関節が痒くなってかなわねえな」
ボソリと呟いたジェイクの目は、すでに獲物を追い詰めるハンターのそれに切り替わっていた。
ダクトの金属床を殺気もなく無音で這い進む。
今回、ジェイクが単身でここに潜入した理由は二つ。一つは、本丸である最上層のメインタワーに仕掛ける前の、アスクレピオスの現場レベルにおける警備システムとナノマシン管理基準の「生のデータ」を拾うこと。
そしてもう一つは、ナナの改造に使われた薬品の移動、或いは使用データを探すことである。
あとついでに、メガコーポ・アスクレピオスに派手な宣戦布告を叩きつける。できれば社長との一騎打ちまで行きたい所である。組織の長というのは皆、例外無く個の暴力に長けているものなのだ。想像するだけで久々に背筋がゾクゾクとしてくる。
ダクトの隙間から下を見下ろすと、そこは眩いほどの無菌ホワイトに包まれた広大な製薬ラインだった。
完全防護服を着た研究員たちが、機械的な動作で大量の液体カプセルをラインに流し込んでいる。そのカプセルの側面に刻まれていた製造刻印を見て、ジェイクは凶悪な笑みを深めた。
(ビンゴ! ナナから取り出した排出物から割り出した薬品の一つだ。恐らく6〜7ヶ月前に移動させたか、使用したかの記録がここにあるはず)
ジェイクは懐から、旧時代の極小データストレージを取り出した。ここに来る前、ロールに頼んで「良い感じにデータぶっこ抜いて宣戦布告もできる奴よろしく」と雑な注文で作らせた代物である。
ダクトの金属格子を肉体強化でぐにゃりと歪め、スルリと天井の配線スペースへと舞い降りる。
天上裏を巡回する自動防衛ドローンのセンサー領域をあらかじめ頭に叩き込んだルートで完璧にかわし、主制御端末のサーバーラックへと滑り込んだ。
「さて……宣戦布告と行きますか」
端子をスロットに突き刺した瞬間、ストレージが鮮やかな青に発光し、ホログラムディスプレイ上のログが狂ったような速度で流れ始めた。ロールの言う『軍用レベルのサイバーハック』が、内部ネットワークから直接アスクレピオスのセキュリティを侵食していく。
ほんの十秒足らずで、端末に『DATA EXTRACTION COMPLETE(抽出完了)』の文字が躍った。ナナの治療データと、アスクレピオス最上層へのアクセスルートが完全にジェイクの手元へと転送される。
と、同時に。
製薬工場内に設置されたすべての大型モニター、研究員の携帯端末、果ては自動防衛ドローンの音声スピーカーから、爆音でノイズが響き渡った。
『ハロー、アスクレピオスの社畜の皆さん! 夜遅くまで残業ご苦労様! 本日お届けする商品は、あなた方の輝かしい未来を木っ端微塵にする最高級の報復プランです!』
ロール特製の宣戦布告プログラム——深夜のテレビショッピング風のハイテンションな音声と、極彩色のウザいポップ体グラフィックが工場中の画面をジャックした。
研究員たちが「な、なんだ!?」「サイバー攻撃か!?」と大パニックに陥り、甲高い警報音が工場全体に鳴り響く。
「……たく、あいつホントに注文通りやりやがったな」
ジェイクは苦笑しながらも、満足そうに肩をすくめた。
直後、天井のロックが解除され、重装甲を身に纏ったアスクレピオスの強化サイボーグ警備兵と、戦闘用ドローン群がズラリとジェイクを取り囲んだ。
『侵入者発見! 即座に排除——』
警備兵が銃口を向けるより早く、ジェイクの腕がグニャリと歪んだ。
骨が異常発達し、超高密度の黒い外骨格と化す。フィジカルアデプトが誇る「肉体変異の暴力」が解き放たれた。
踏み込んだ一歩で強固な床が砕け散る。
一瞬で距離を詰めたジェイクの右腕——巨大な質量兵器と化した拳が、先頭のサイボーグを装甲ごと粉砕し、後方の防護壁まで吹き飛ばした。
旋風のごとき連続攻撃。ドローンのレーザーを皮膚の金属化で弾き返し、そのまま跳躍してドローンを掴み潰すと、群がる警備兵たちを力任せに薙ぎ払っていく。
「おいおい、社長様はここにはいねえのか? 名代の強いやつを出せよ!」
咆哮と共に、ジェイクは肉体をさらに肥大化させ、主制御サーバーごと壁面を叩き壊した。
爆発と火花が散り、無菌室だった製薬ラインが瞬く間に瓦礫の山へと変貌していく。圧倒的な個の暴力の前に、メガコーポが誇る防衛ラインは赤子同然に破り捨てられていった。
警報と悲鳴が渦巻く工場を背に、ジェイクは崩壊するダクトの穴へと飛び移る。
手に入れたデータストレージをポケットに放り込み、彼はニヤリと惨状を見下ろした。
「ま、ご挨拶としてはこんなもんだろ。ツケは最上層で全部まとめて払ってもらうぜ」
再び烏の姿へと変身したジェイクは、夜風に乗って爆煙あがる工場を悠々と脱出したのだった。
◆ ◆ ◆
「遅い!! 遅いですジェイクさん!!」
リヴァイア・シティの沿岸部にある、大衆向け海鮮レストラン。
煙草の臭いと焼き魚の香ばしい匂いが漂う店内で、ミケがテーブルをバンバンと叩いてジェイクを睨みつけていた。
「『ちょっと用事』って言ってからどれだけ待たせるんですか! ナナちゃんがお腹を減らして、メニューのホログラムを悲しそうな目で見つめ続けてたんですよ!?」
『お腹空いた。ジェイクのバカ』
ナナの胸元から、ロールのスピーカーを介して可憐な「ナナボイス」が冷ややかに響く。ナナ本人は頬を限界まで膨らませ、突き出された魚の塩焼き定食を前にジト目でジェイクを射抜いていた。
「はいはい、悪かったよ。ちょっと途中で害虫駆除のボランティアをしててな」
ジェイクは何食わぬ顔でミケの隣の丸椅子に腰掛け、冷えたお茶をぐっと飲み干した。
その手首の袖口に、微かに焦げた硝煙の匂いが残っているのをミケは見逃さなかったが、呆れ果てて深くため息をつくにとどめた。
「……で、用事は済んだんですか?」
「ああ。上等な土産が手に入った」
ジェイクはポケットの中で、回収したデータストレージを転がしながらニヤリと笑った。
そして、不機嫌そうに魚の身を箸でつっつこうとしているナナの頭を、乱暴にポンポンと撫でる。
「しっかり食っとけよ、ナナ。近いうちに、お前の『本当の価値』をあいつらに教えに行ってやるからな」
ナナは一瞬驚いたように黄金の瞳を大きく見開いたが、すぐにふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
『当然です。私は高いんですから』
代弁された生意気な言葉とは裏腹に、ナナはどこか嬉しそうに、運ばれてきた焼き魚を口へと運ぶのだった。