「くっそ、ユウジの野郎……」
朝の公園で秋空を見上げながらアタシはベンチに座って秋空を見上げる。
新興住宅の中央にある大きな公園。体育館やテニスコートもある。公園を取り囲むように大きな木々が植樹され、住民の憩いの広場的な場所にしようと言う市の目論見らしい。まだこの辺に住んでる奴も少ないんでこの公園を訪れる人はほとんどいない。ジョギングしてるオッサンがたまに通っていくだけだ。
しっかし、あんなぶよぶよの腹揺らして走って何が楽しいのかね。
「ボクは健康に気を使ってますぅ」ってか。バッカじゃねぇの。
「ぷはぁ」アタシは自分の吐いた煙を眺めていた。
ガッコを中退して半年経つけどなんもしてない。
今日はめずらしく早起きしたけど。
いつもは昼過ぎに起きて家の冷蔵庫漁って、パチンコ行って……。
何やってんだろな。アタシ……。
ふと足元にふぁさっと毛の感触があった。
「またオマエかよ。今日はずいぶん早起きだな」
アタシは足元に体を擦り付けてくる野良猫にポケットから煮干を出して食わせてやる。そいつはにちゃにちゃと音を立てて食っていた。
ほぼ毎日この公園の、このベンチにアタシが来るもんだからこいつに覚えられてしまった。
気付けは十匹以上の猫に囲まれていた。アタシは持ってきた煮干を全部放り投げた。うまそうにそいつらは食っていた。
「アタシに寄ってくるのは猫だけかよ」
空を見上げてもう一度煙を吐く。
あんまり頭の良くないアタシが猛勉強してようやくユウジと同じ高校に入ることが出来た。人間やれば出来るもんだ。
ユウジはヘンタイだけど頭はいい。ま、アタシに比べればだけど。
毎日のようにユウジの家に行って受験勉強をしてた。
ユウジは嫌な顔ひとつせずに丁寧に教えてくれた。
ユウジと同じ高校に入れたアタシは正直嬉しかった。
努力が報われたとか、将来のためとか、みんなが行ってるからとかそんなんじゃなくて、ただユウジと一緒に居られることが嬉しかった。
だけど入学式の次の日からアタシは学校に行かなくなった。
入学式の帰りにレイプされた。
人気のない道でワゴン車に無理やり連れ込まれて。
新しい制服もビリビリに破かれて。
ビデオに撮られて。
脅されて。
また人気のない道に捨てられた。
思い出すだけで恐怖と吐き気が襲ってくる。
その日からアタシは家にこもった。
誰にも理由は言わなかった。言えなかった。
何度もユウジが迎えに来てくれたけど、一度も会わなかった。
夜働いている母はアタシに関心がなく、父はいない。
アタシはただ部屋の隅で膝を抱えて夜を過ごし、朝が来ることに怯えていた。
入学して一ヵ月後くらいに高校を中退した。
入学式の日以外、一度も学校へは行ってない。
教師が心配そうな顔で家に来ることはなくなくった。
そしてユウジもアタシを迎えに来ることはなくなった。
誰もこなくなったあの夜、アタシはロープを持って夜の公園に来た。
丁度いい木もあるしね。
鼻歌を歌いながらアタシは丁度いい木の丁度いい枝にロープをかけた。
首にロープを回すと、色んなことが頭を駆け巡った。
ユウジのこと。学校のこと。母親のこと。アタシをレイプした奴らのこと。
「なんか、腹が立ってきた。なんでアタシが死ななきゃなんねぇんだよ」
やめた。馬鹿馬鹿しい。どうせ死ぬならあいつらをぶっ殺してからだ。
「あっ」
足が滑った。首にロープが絡まる。
「やべぇ。死ぬ……」
アタシがそう思った瞬間バキバキと音を立ててロープをかけていた枝が折れた。
そしてアタシは地面に尻餅をついた。
「イテテテ……。いや、アタシ、枝が折れるほど太ってねぇから!」
何故、死の淵から生還しての第一声がそれだったのかはよくわからない。
その後アタシは地面に寝転がり大の字になって星空を眺めていた。
「ん? なんか生暖かい毛の感触……」
野良猫に囲まれていた。何匹いるんだろう。二三十匹くらいはいそうだ。
「あ、さてはオマエらも枝に乗ってたな!」だから折れたのか。
ってことは、アタシはオマエらに命を助けられたってこと?
ふーん……。
さてと、今日は何しますかね。
早朝の公園の木々の隙間から差し込む光を浴びてアタシは猫と一緒に伸びをしながら立ち上がった。
午後六時半。部活を終えた帰り道。日はとっくに沈んで辺りは暗い。
街灯の明かりが綺麗に舗装された道を照らす。
あたしは今まで自分が住んでいた家に立ち止まった。
古い外観。あたしとパパがほんの数ヶ月住んでいた家。
カオリさんの家に引っ越してから六年経ったけど、いまだに空き家のままだ。
人の住んでいない家は寒々しく不気味な雰囲気を醸し出す。
あたしはその家から目を逸らし、今自分が住む隣の家に帰った。
「ただいま」
出迎えてくれる人は誰もいない。いつものことだ。
玄関で靴を脱ぎ家に入る。広い廊下の端には埃が溜まっている。
リビングの引き戸を開けるとビールの空き缶が散乱していて、部屋の隅にはゴミを入れたビニール袋がいくつも置かれていた。
いつものことだ。
階段を昇る。二階の自分の部屋へ行くためにはカオリさんとパパの寝室の前を通らなくてはならない。これがあたしには堪らなく嫌だった。
寝室のドアの前にはピザの箱が何枚も積まれていた。最近じゃトイレとお風呂以外に部屋から出てくることはほとんどない。
「あっあっあ~。い、いいぃぃくぅぅぅ」
またやってる。廊下どころかあたしの部屋にまで聞こえてくる。
別にセックスがいけないことだとは思わないけど、毎日毎日一日中やってるのはどうかと思うの。いや、仲が良いことはいいことだと思うけどね。
パパは会社もやめちゃって、カオリさんのヒモのような生活をしている。
ヒモの娘としては非常に肩身が狭く、この家は居心地が悪い。
あたしは溜息をひとつついて、自分の部屋に入った。自分の部屋と言ってもセルマと共有だ。もちろん他にも部屋はあるのだが、あたしが駄々をこねてセルマと同じ部屋にしてもらったのだ。
「あれ? セルマがいない」
特に部活などはやっていないセルマはあたしより先に帰っているはずだった。
部屋にいないと言うことは……。
あたしは部屋を出て、廊下の奥の部屋へ向かう。二階の一番奥にひとつだけ鍵の付いた部屋がある。
あたしは奥の部屋のドアノブを回す。鍵は掛かっていない。
「セルマ、ここにいるんでしょ」
あたしはその部屋に入った。
オムツをした化け物。まるで爬虫類のような顔と体。
カオリさんの子供のリュウ。
歳はあたしやセルマと同じらしいが、手足が折れ曲がっているせいでかなり小さく見える。リュウはギョロリとした目を閉じて眠っていた。
「セルマ、起きて」
あたしはリュウの隣でリュウのお腹に手を置いて眠っているセルマの肩を揺すった。
「ん……。あ……。サヤカちゃんお帰りなさい……」
眠そうな目を擦りながら、セルマは横になったまま返事をする。
「カオリさんがリュウの世話を放棄しちゃってるから、セルマが世話してることは分かってるけどさ」あたしはちょっと呆れながら言った。
「ん? 世話って何が? わたしはリュウと一緒にお昼寝したりしてるだけだよ」セルマはむくっと起き上がった。
「オムツの交換までやってるじゃん。汚れた体を拭いてあげたりさ。あたしには信じられないよ。なんでそこまで出来るのか」
「リュウはわたしの弟だもん。何とも無いよ。それにリュウはずっとひとりでこの暗い部屋にいたんだよ。ひとりでさみしくてずっと泣いていたんだよ」
あたしはセルマがそんな化け物の汚い汗や排便でその綺麗な手を汚すことが嫌なんだ。
病院なり、施設なりに預けりゃいいじゃない。お金はあるんだからさ。
どうせカオリさんだって今じゃ邪魔に思っているんでしょ。
いっそこの化け物を殺してやろうかと考えたこともある。こいつが死んだところで誰にも責められない……。
いや、セルマに嫌われてしまうだろう。それだけは嫌だ。
例えばあたしがどんな目にあったとしても、セルマに嫌われるよりはずっとマシだと思う。
「それじゃ、あたしも手伝うからさ。セルマだけそんな苦労することないよ」
あたしは仕方なくそう言った。
「サヤカちゃんは毎日部活で帰るのが遅いし、疲れているんだから、いいんだよ。わたしは好きでやっているんだから」
セルマは愛おしそうにリュウを見ている。
そしてそっとリュウのでこぼこの頭を撫でた。
まぁ、仕方ない。セルマが好きだというなら、どんな物だってあたしも好きさ。
あたしは力なく笑った。
「セルマ、ご飯まだでしょ。今日はあたしが作るよ」
「わたしも一緒に手伝うよ。リュウの流動食も作らなきゃ」
「はいはい」
ちょっとあたしはリュウの顔に視線を移した。
ま、可愛いと言えなくもない……。いや、やっぱムリ……。