何故カオリさんはあんな事を言ったのだろう。
何故パパを“女”と言う武器で誘惑したのだろう。
何故あたしを“母”と言う武器で誘惑したのだろう。
あたしはリュウの部屋にいた。
セルマがおかゆをふぅふぅしながらリュウに食べさせていた。
「セルマ……」
あたしが呟くようにセルマの名前を口にした。
セルマは振り向かない。ただリュウの口におかゆを覚まして運んでいる。
セルマの肩が少し震えていた。
あたしは胸が締め付けられる思いがした。
「セルマ……。あたしね、あなたと姉妹じゃなかった。一緒に住んでいるだけの他人だった」あたしは涙声で言った。
「サヤカちゃん……」
セルマはあたしに背を向けたまま搾り出すようにかすれた声を出した。
「わたし達は姉妹よ。もちろんリュウも。生まれた場所も生んだ母親も違うけど、わたしはサヤカちゃんの事を姉妹だと思ってる。掛け替えの無い人だと思ってる」
セルマは振り向いた。大きな青い瞳を真っ赤に潤ませながら。
あたしはセルマを抱きしめて泣いた。今まで流した涙より多くの涙が出た。
セルマを抱きしめたあたしに不思議な感覚があった。
まるで生まれる前からセルマを知っていたかのような。
生まれる前からセルマを愛していたような。
あたしがセルマと出会う事は必然だったような。
あなたさえいればあたしはなにもいらない。
あなたさえいればあたしはなにもこわくない。
こんな気持ちも初めてではないような気がする。
「ユウジのやつ、いきなりあんなことするなんて」
ユウジの家から逃げるように出てきたアタシは秋の夜空を見上げていた。
大きな月の光が夜道を照らしていた。
「ん、なんかポケットに……」
ジャージの後ろのポケットに写真が一枚入っていた。
やばっ……。思わず持って来ちゃった……。
なんとなくアタシは月明かりの下で写真を眺める。
ユウジの好きな黒髪でショートボブの子と金髪の外人の子が写っている写真。
確かに美人だけどさぁー。結構冷たい目をしていると思うよ。アタシは。
こういう子はユウジなんて相手にしないって……。ははは。
しっかし、オカズとか主食とかってなんのこっちゃ。
男の子の考えてることは分かりませんわ。
ま、写真は明日返せばいいか。
アタシはまたジャージのポケットにその写真を突っ込んだ。
何て事をしていたら、すぐに家に着いた。だって隣だもんね。
“お客さん”は帰ったのかな。また追い出されるのやだな。
さすがにもうユウジの所にはいけないよ。
ガチャっと家の玄関のドアノブを回す。
「開いてる」
男物の靴はもう無かった。
「帰ったみたい……。良かった……」
「レオナちゃん、お帰り~」
パタパタと母がアタシを出迎えた。やけに声が弾んでいる。
レオナちゃん? お母さん、熱でもあんの?
母は綺麗に髪をセットしてバッチリとお化粧していた。
お気に入りの赤い服を着ている。
「これからどっか行くの? お母さん」
「う、うん。ちょっとね」
歯切れの悪い母の返事。でもいつも不機嫌な母が今日は機嫌がいい。
それがアタシには少し嬉しかった。
「そうだレオナ、喉渇いてない? サイダー飲む?」
「う、うん」
そういや煮干を食べたり、ラーメンを汁まで飲んだりしたからなぁ。
喉渇いたかも。
母はトクトクとコップに冷蔵庫から取り出したサイダーを注ぐ。
アタシは狭い部屋の座布団にちょこんと座り、テレビを点けた。
母はニコニコしながらサイダーをお茶の間の丸いテーブルの上にのせた。
ちょっと母の化粧が厚すぎるな。と思った。
「コクン」喉が渇いていたアタシは一気に飲み干す。
何故か母はアタシが飲むところをジッと見ていた。
「じゃ、ちょっと出かけて来るから。留守番お願いね」
そう言って母はそそくさと家を出て行った。
「へんなの……」
アタシはつまらないテレビを観ながら大きなアクビをひとつした。
ガチャっと玄関のドアが開く。
「あれ? お母さんもう帰って来たのかな」
アタシが振り向くと部屋には男が二人立っていた。
お相撲さんみたいな体格をした大きな男と、初老の男。
大きな男はグレーのツナギを着ていた。太い腕と脚でツナギがパンパンに膨れている。
初老の男は白い髭を生やし、全身黒ずくめのスーツを着ていて、深く被った黒いハンチングから真っ白な髪の毛が見えていた。
「き………」叫ぼうとするけど声が出ない。
恐怖と混乱がアタシの頭を駆け巡っていた。
ひょいっと大きな男がアタシを抱き上げる。
アタシはもがこうとするが体が思うように動かなかった。
アタシは大きな男に抱きかかえられたまま車の後部座席に乗せられた。
初老の男が運転席に乗り込み、車はどこかへと走り出した。
全く嫌な仕事だ。何でオレがこんな事しなきゃならないんだ。
白い髭を撫でながら俺は黒い高級車を走らす。
後部座席にはさっき拉致した女と相撲取り崩れの若い衆が乗っている。
若い頃から組の中でも武闘派と言われ、オヤジの為に何人も邪魔な連中を消して来たオレだが、これも時代の流れか。もう組では俺みたいな男は必要ないらしい。
組の幹部連中は俺の事が鬱陶しかったらしい。
あいつらはオレを“出世”させた。
オヤジの息子。オレはクソガキでボンボンの付き人になった。
クソガキと言っても三十近いけど。でも頭の中はクソガキのまんまだ。
信号待ちでふとバックミラーを見る。
ケンジがペタペタと女の胸を触っていたのが見えた。ケンジの息が荒い。
女は気を失っているようだ。
「コラケンジ、勝手に触るんじゃない。そいつはボンのお気に入りなんだ。傷ひとつでも付けたらお仕置きするぞ」
「ご、ごごごごめんなさい……」
ケンジは力はあるが頭は空っぽだ。ま、俺の言う事だけは良く聞くから便利な奴ではあるが。なんか猛獣使いの気分だけどな。
でかい家の裏口に車を停める。ボン専用の家だ。部屋は十以上はある。
オヤジも息子には激甘だ。わざわざ建ててやったらしい。
付き人のオレはここで暮らしている。
ケンジに女を抱えさせて、オレとケンジはその家の中へ入っていった。
クソガキの部屋へ。あいつが所望した女を連れて。
全く嫌な仕事だ。何でオレがこんな事しなきゃならないんだ。