せっちゃんが五歳、あたしが九歳の頃。
せっちゃんが高熱を出した。
サラサラのウォーターブルーの髪がびっしょりと汗で濡れていた。
お母さんは泣きそうな顔でせっちゃんの看病をしていた。
せっちゃん……。あたしね、その時思ってしまったの。
顔にも声にも出さなかったけど思ってしまったの。
“そのまま死んでしまえばいい”って。
あなたはあたしのことを“お姉ちゃん”って呼んでくれたね。
たまらなくあなたが可愛かったよ。
いつもあたしの後を付いてきた。
そんなあなたが本当に可愛かった。
だけど可愛いあなたが憎かったの。
お母さんの本当の子供であるあなたが憎かったの。
あなたのせいで僅か九歳のあたしの心の中に悪魔が住み着いてしまったのよ。
別の施設に移されたあたしたちは、せっちゃんが生まれたことをきっかけにヤガミさんが用意してくれたアパートに引っ越していた。
新しい施設でも金色の髪と青い瞳は目立った為だ。
ここでもお母さんが好奇の目に晒される事は避けようが無かった。
勿論お母さんとせっちゃんの為だけにそのアパートの一室は用意されたものだ。
でもお母さんはあたしの手を離さなかった。
獄中からヤガミさんが何かとお母さんとせっちゃんの世話を焼いてくれた。
おかげであたしは生まれて初めての平穏な生活を手に入れた。
お母さんとせっちゃんの“ついで”ではあるけれど。
せっちゃんの熱も少し落ち着いてきて、お母さんは看病疲れの為かうたた寝をしていた。
あたしは小さな丸いテーブルに肘を付いてうたた寝しているお母さんの背中に耳を当てた。
トクトクと心臓の音が聞こえる。
そっと両手でお母さんの背中を抱きしめた。
お母さんの温かい体温があたしの体に伝わってきた。
……お母さん。お願い……あたしだけのお母さんでいて……。
シューっと電気ポットから熱い蒸気が立ち昇っていた。
あたしはそれをぼんやりと見つめる。
…………。
「ぎゃぁぁぁ」
突然せっちゃんはものすごい叫び声をあげた。
お母さんが慌てて飛び起きる。
せっちゃんの顔からシューシューと白い煙があがっていた。
お母さんは唇を震わせながらあたしとせっちゃんの顔を交互に見た。
あたしの腕にはカラになったポットが抱えられていた。
すぐに救急車でせっちゃんは病院へ搬送された。
あんなに取り乱したお母さんを見たのは初めてだった。
あの時あたしを見たお母さんの目が忘れられない。
数週間してせっちゃんは家に帰って来た。
せっちゃんは死ぬことはなかったが……。
焼けただれた顔の皮膚が歪んで固まり、まるで鱗のようになっていた。
火傷は全身に及んでいて両腕が体にへばり付き、引きつった指先も動かすことは出来ないようだった。
可愛かった小さな口は醜く曲がり涎を垂れ流している。
ギョロリとウォータブルーの目だけが動いていた。
まるでせっちゃんは爬虫類のようだった。
お母さんはそれから毎日せっちゃんの体をさすっていた。
愛おしそうにずっと。
あたしは何故か咎められる事は無かった。
以前にも増してお母さんはあたしに優しく接してくれた。
あたしはせっちゃんの体をさするお母さんの隣にちょこんと座った。
「お母さん……」
「なぁに? ゆかり」
「どうしてお母さんはあたしに優しいの?」
「ふふっ。何言ってるのよ。そんなのゆかりの事が好きだからに決まってるでしょ」
「ゆかりの事好きなの?」
「そうよ」
「せっちゃんよりも好き?」
うーんとお母さんは人差し指を唇に当ててちょっと考えた。
「同じくらい好きよ。大好き」
ぎゅっとお母さんはあたしを抱きしめた。
あたしの首筋にポタリとお母さんの涙が落ちた。
何故かここから数日間の記憶が無い。
そこから覚えているのは……。
そう、せっちゃんの火傷の跡が完全に消えていて、元のせっちゃんに戻っていたところだ。
不思議だった。
お母さんに聞いてみた。何度も。
お母さんは困ったような顔で微笑む。
ゆかりは怖い夢を見たんだね。
大丈夫だよ。
そんな事は無かったんだよ。
お母さんはそうあたしに言った。
あれが夢なのか現実なのか今でもあたしにはわからない。
でもあたしは二度とお母さんを悲しませるようなことはしないと心に誓った。
「お母さん、お家に着いたよ」
お母さんを抱きかかえながらようやく家にたどり着いた。
「あれ? ドアが開いてる……」
あたしとお母さんは顔を見合わせた。
「あ~あ。またかよ。ウチに金目のものなんかないっつーの……」
もう怒る気力も無かったお母さんはそう言いながらドアを開けた。
そこにはエラの張った細い目の男が立ってこちらを睨んでいた。
ガギンッ
太いレンチのようなものがお母さんの頭に振り下ろされた。
鈍い音がした。
言葉もなく倒れようとするお母さんをその男は家の中へ引きずり込む。
あまりの事に声が出ない。
目を見開き驚愕するあたしの顔に五本の太い指が襲い掛かった。
そのままあたしも家の中へ引きずり込まれた。
「くそっ。何で帰って来るんだよ。まだ一軒目だぞ。このウチにはろくな物がねぇし」
細い目の男は赤い血の付いたレンチを握ったまま吐き捨てるように言った。
あたしは分厚い手で口を塞がれていた。
ガッチリと太い腕が後ろからあたしの体を捕らえている。
体を捩りながら抵抗するが身動きが出来なかった。
お母さんは床に倒れたまま動かない。
頭からじわじわと血が流れている。
や、やだ……。お母さん……。
「し、死んだかな? フレッド……」
公園で知り合った細い目の男の名はチャン。
おれとチャンはちょっと小銭が稼げればそれで良かった。
まさか帰って来るなんて。
もうコソ泥では済まなくなってしまった。
おれはもう一人の女の口を左手で塞ぎ、右手は体を抱きかかえている。
小さくて柔らかい。
何とかおれの手から逃れようと体を動かすが、その力はか細すぎてむしろ憐れに思えてくる。
レンチを持って震えていたチャンがカチャカチャと自分のベルトを外しズボンを脱ぎだした。
「何やってるんだ?」
「いや、よく見たらこのパツキンすげえ美人だぜ。なんかムラムラしてきた」
ったく。そんな事をしている場合じゃないだろう。
おれがあきれていると指に痛みが走った。
ガブッと小さな歯がおれの指に突き立てられていた。
思わず手を離す。
「お願い。やめて。お母さんに酷いことしないで」
おれが捕らえている小さな女が必死に叫ぶ。
聞き覚えのある声だった。
女が振り向きおれと目が合う。
「あなたは……」
大きく見開いた黒い瞳がおれを睨む。
なんてこった。
いや、薄々そんな気はしてたんだが。
何か見たことのある部屋だと思ったら……。
「どうして? どうしてこんな事するの……? どうして……」
涙でいっぱいの黒い瞳はおれの心を揺り動かす。
「へっ。死んじまったんだったら、温かいうちにヤらねぇとな」
チャンは下半身をむき出しにして金髪の女の長い水色のスカートを捲り上げた。
透明のストッキングをビリビリと破く。
「お願い。助けて……。お母さんを助けて。あたしはどうなったっていいから、お母さんを助けて」
エンジェル……。そんなに悲しそうな顔をしないでくれ。
おれまで悲しくなってくるじゃないか。
わかったよ。ここでキミに助けてもらった恩を返そう。
チャンは金髪の女の下着を剥ぎ取り、裂けそうなほどに女の脚を広げていた。
おれはエンジェルから手を離し、金髪の女の股間を覗き込んでいるチャンの背後に近寄った。
ガシっとチャンの後頭部を掴む。
チャンの動きが止まった。
「な、なんだよ……。フレ……」
ズブズブとチャンの頭におれの指が食い込む。
「な、な、な………。」
ぼきゅっと小さく音がした。
頭蓋骨に穴が開き、おれの指先に柔らかい物が触れた。
そしてチャンはそのまま床に崩れ落ちた。
「お母さん!」
エンジェルが金髪の女に駆け寄る。
だがこの出血。この女はもう助からないだろう。
おれはこの時初めてこの金髪の女の顔をまともに見た。
どこか懐かしい感じがした。