窓には光が差し込んでいた。いつの間にか夜が開けたようだ。
胸と股間の切ない感覚はキレイに無くなっていた。
賢者のような穏やかで澄み切った心。
もうケツも痛くない。いや、やっぱしちょっと痛い。
今俺の心は落ち着いている。
それはこの世界で目覚めてから初めての事だった。
朝の光が少女を照らしている。
赤茶……いや紅か。少女の深紅の髪が逆光でキラキラと輝いている。
薄暗い明かりの下では赤茶色にしか見えなかったが、陽の光に照らされた少女の髪は深い深い紅だった。
ゆるやかにウェーブの掛かった長い髪。
その毛先がふぁさっと俺の腹に触れる。
ブラウンの瞳が俺の顔を上目遣いで覗きこんでいた。
「落ち着きましたか? テツオ様」
表情の無い顔で少女は言った。
うん。落ち着いた。
俺としたことがあんなに取り乱してしまうとは。
……ん? ちょっと待て。今何て言った?
「何で俺の名前を知っている?」
「お忘れですか? わたくしの事を」
血の気が引いた。
俺はがばっと起き上がり尻をベッドのシーツにつけたまま後ずさった。
シーツには赤い染みが広がっていた。
そしてそのまま俺はベッドに両手をついて土下座していた。
あの少女だ。間違いない。俺が犯して殺したあの少女だ。
カチカチと歯が噛み合わない。
許してくれなんて言葉も出てこない。
「どうかしたんですか?」
少女もまたベッドに両手をつけたまま不思議そうに尋ねた。
「俺……俺はあんたのことを首締めて殺し……」
喉がカラカラに渇いて声がかすれる。
「テツオ様がわたくしを殺したんですか?」
「え……。あ……うん。」
「殺してなんていませんよ」
「だって、確かに俺は……。両手でその首を……」
「確かに後ろから首を触られましたが全然力なんて入っていませんでしたよ」
「だって、その後ぐったりとして……」
「お尻が気持ち良すぎて失神していただけです」
「ぼえ?」
そんな馬鹿な。確かに俺は……。
それに俺は今子供なのに何で俺だとわかったんだ?
わからない。何かがおかしい。
いや、この世界そのものがおかしいじゃないか。
でも感謝する。俺をこんな所に飛ばしたのが神か悪魔か知らないが感謝する。
俺が殺したこの少女を生き返らせてくれたのだから。
この少女に謝る機会を与えてくれたのだから。
「あなたはそんな事が出来る人ではありません。本当は優しい人なのですから」
無表情だった少女の顔が少しだけ微笑んだような気がした。
「ははっ優しい? 俺が?」
少女の言葉が俺の心を優しく包み込む。
心の中にある卵の殻が割れた音がした。
俺は泣いていた。肩を震わせて泣いていた。
少女はそっと俺を抱きしめた。
深紅の髪が俺の頬に当たる。少女の香りがした。
端から見るとこれって中学生と幼児が何してんだよって感じだよな。
ははっ。
「でもわたくし……。怒っているんですよ」
少女は俺を抱きしめながらそう言った。
「あなたがわたくしではなく、セルマさんを連れて行ったから」
「え……」
その言葉に驚き、俺は少女から少し体を離す。
少女の白衣の胸の辺りが少しはだけて白い肌が見えていた。
胸には刃物でつけたような無数の傷があった。
もう塞がっているものや、まだ生々しく新しいものもある。
「どうしたんだ? これ」
「…………」
少女は目を伏せたまま何も言わなかった。
バタンと勢いよくドアが開く。
「こんな所にいたのかてめぇ。仕事もしないで何油売ってんだコラぁ」
耳障りなダミ声。
その声の方に振り向くと初老の女がギャンギャンと騒いでいる。
少女は胸元の乱れを直し、パタパタと部屋を出て行く。
そしてドアの前で一度だけ振り返った。
朝の日差しが差し込む広い部屋で俺はまた独りになった。
マギーと少女。
僅か昨日と今日だけで以前の俺を知る人物二人と出逢った。
もしかしたらこの世界にはもっと沢山の人間が飛ばされているのかもしれない。
もしかしたらセルマも。
逢いたいな。セルマに逢いたい。
あいつは俺を嫌っているだろうが俺はお前を……。
だがその前にやらなきゃいけない事がある。
俺は部屋の隅に脱ぎ散らかしてあった麻の服を拾った。
そっと部屋のドアを開け、キョロキョロと周りを見渡す。
どこまでも続く広い廊下。いくつもの部屋のドアが並ぶ。
俺はこそこそと廊下の端を移動する。
廊下の曲がり角で話し声がした。
まずい。ここで見つかるわけにはいかない。
俺は振り返り廊下の反対側へ行こうとした。
ぼむんっ
「んがっ」
俺の顔面が何かにぶつかった。
「あ、足?」
見上げるとさっきの初老の女がすごい形相で俺を見下ろし睨みつけていた。
「鍵を閉め忘れたと思って戻ってみれば、さっそくちょろちょろしやがって……、このクソガキがっ」
初老の女は拳を俺の頭に振り下ろした。
な、殴られるっ
……あれ? 痛くない……。ってか殴られてない……。
女の目が点になっていた。
女の拳は俺の頭上の十センチほどの場所で止まっている。
「ピッピッピーー」
俺の頭の上から笛の音がした。
それを合図に無数の黄色い物体が女目掛けて突撃していった。
「な、何なのよぉコレぇぇぇ」
女の顔中に黄色い物体が張り付いていた。
女は小さく悲鳴をあげ、その場に倒れた。
俺の頭の上で笛を吹いていた奴が俺の手の平にぱたぱたと降りてきた。
そいつは体育教師が使うような笛を体にぶら下げていた。
「ぴ、ぴーちゃん!」
ふと気付くと女にまとわりついていた黄色い物体は消えている。
初老の女は泡を吹いて倒れている。顔には無数の小さな穴が開いていた。
「助けてくれたのか? ぴーちゃん」
俺は再び手の平に顔を向ける。だがそこには何もいなかった。
俺はニヤリと笑う。
……そうか。お前もこの世界に来ていたのか。
ははっ。俺にはもう怖いものなど何もないぞ。
最早俺の心を縛るものなどないのだから。
あの少女が生きていた。
そしてお前も生きていたのだからな。
俺の心の中の卵の殻は完全に割れていた。
無数のひよこが激しく飛び出している。
「俺はこの屋敷を脱出する。もちろんあの少女も助け出す」
まだこの世界の事はわからない事だらけだが、とりあえずやるべき事はわかった。
ついでにあの腹でか男のケツの穴に丸太でも突っ込んでやるか。
あと俺を売り飛ばしやがったマギーもただじゃおかねぇぞ。
二階の廊下の端に辿りついた。
しっかし何と言うでかい家だ。
造りは中世の屋敷のようだ。
ま、行った事も見た事もないけどな。
廊下の端にはもうひとつ階段があった。
辺りに注意を払いながら俺は階段を降りる。
ん……。くんくん……。食い物のニオイがする。肉を焼いたような。
どうやらここは厨房のようだ。戸は開いている。
一階に降りてすぐの部屋。まな板の上を包丁が叩く音。
こそこそと俺は物陰に隠れながら厨房に入った。
コックのような格好をした男が一人。
って言うかコックか。料理を作っているんだからな。
しかしこの屋敷には人が何人いるんだろうな。
出来れば人数を把握しておきたいところだ。
ふぁさっと耳にやわらかい毛の感触。
そいつがそっと俺に耳打ちをする。
……コックがひとり。メイド頭がひとり。こいつはまだ二階の廊下で伸びている。
あとは各階の部屋に使用人が数名。忙しく働いているようだ。
ってか、いつの間に調べたんだよ。ぴーちゃん。
そして一階中央にある大きな部屋に……。
え? 十五人? マジか?
あの腹の出た男と……。深紅の髪の少女もいる……。
あとは使用人……と言うか……。何だこいつら……。
そして黒人の女がひとり……。
……なんだと?
俺は耳を疑った。
でも今なら……。俺だけなら逃げることは出来るな。
……いてっ。つつくなよ。嘘だよ。冗談。わかってるよ。
そんなに怒らなくてもいいだろ。ぴーちゃん。
とりあえず俺も武器的なものが欲しいな。
……厨房か……。
俺はそっと厨房に忍び込んだ。
コックは忙しそうに料理を作っている。
コックの後ろの台には大きな包丁と肉、切りかけの野菜などが転がっていた。
でかい肉切包丁……。俺にはでか過ぎるな。俺の顔くらいあるじゃないか。
ま、無いよりゃいいか。
こっそりと台に登り、肉切包丁を手に取った。
その時カタンと切りかけの人参が足に当たり床に落ちた。
コックが振り向く。
「やれ」俺はコックの顔を指差した。
コーンとひよこの口ばしがコックの額に命中した。
コックは声もなく倒れた。
「ふぅ。危ないところだった」
俺は額の汗を腕で拭った。
とりあえず使えそうな物は……。
俺は厨房で装備を整える。
そうだな。武器や防具は持っているだけじゃだめだな。
装備しなきゃな。
名前 テツオ
職業 ひよこ使い
装備 麻の服
麻のズボン
厚手の布の靴
なべのふた
武器 肉切包丁
レベル 2
HP 15
MP 32
特技 ひよこ乱舞
状態 やっぱりちょっとケツが痛い