「……で? 足りないと。そう言いたいのか?」
「そうよ。あの子は日本人なのよ。あれっぽっちのお金じゃぁね」
俺は一階中央にある大広間の大きな扉の外で耳を当て中の様子をうかがっていた。
「金ならいくらでもあるがね。君にあげるくらいならドブに捨てた方がマシに思えてきたよ」
「捨てるくらいならくれたらいいじゃない。今までずいぶんあなた好みの子供を調達してあげたでしょ」
声が聞こえる。あの男と……。マギーか。
他の連中はやけに静かだな。
「ピッ」
え? 武装しているって? 銃を構えた奴らがマギーを囲んでるのか。
あいつは? 深紅の髪のあいつは?
「ピッピィィィ」
な・ん・だ・と!
「とにかく、あと百万。これは譲れないわ」
「体が穴だらけになってから手に入れても意味が無いと思うがね」
「褐色の黒豹に弾丸が当たるとでも?」
「……黒がかぶってるけど大丈夫か?」
さて、俺が今どうなってるかと言うと、ひよこの大群の上でうつ伏せになっている。
必死に黄色いひよこたちが羽をばたつかせた。
ゆらりと俺の体が天井近くまで浮き上がる。
「よしいいぞ。やれっ」
コンコン……。
「ん? 誰だ?」
コンコンコーン。
「今取り込み中だ。後にしろ」
コンコンココンコンコーンコーン……。
「だぁっ。うるせぇ。後にしろと言ってるだろがぁ」
部屋の中にいた一人が扉を開けた。
「あれ? 誰もいねえ……」
空飛ぶ黄色い絨毯に乗って俺はすぅっと大広間の天井ぎりぎりの所へ潜り込むことに成功した。
羽の音でばれそうなものだが、この緊迫した空気。
誰も俺のことには気付いていないようだ。馬鹿ばっかしだな。
「なんだってんだ。ったく……」
ぶつぶつ言いながら使用人の男は扉を閉めた。
「お前が売りつけたガキ共はクズばっかりだったじゃねぇか。あの日本人とこいつ以外はな」
男が視線を下に移した。
男の靴の下に白い肌が見えた。
そして深紅の髪……。
首輪に繋がれ両手を床に着き犬のようだった。
衣服は何も身に着けてはいなかった。
「その子は中々良かったでしょ?」
「生憎私は女に興味は無くてね。ただ綺麗な子供がいたぶられる様を観るのは好きだがね」
「あははは。そうでしょ。その傷だらけの体を見ればわかるわ」
……クソっ。あいつら……。
「もう帰ってくれないか。私も忙しいんだ。愛玩用の奴隷ならまた買ってやるから」
「百万払ってくれたらすぐに帰るわよ」
「こんな事、こんな事もうやめてください」
消え入りそうな小さな声で少女が言った。
「あら。あなたは何時からあたしにそんな口が利けるようになったの?」
「わたくしはどうなっても構いません。でもテツオ様はテツオ様だけは助けてください」
「ヘンな事を言う娘ねぇ。どうなってもって、あなた既に終わってるじゃない。これ以上どうなるって言うのよ?」
少女は男の足の下で目を伏せた。
いい加減にしておけよ。マギー……。
俺は肉切包丁の柄を握り締めた。
「もう面倒になってきたよ。奴隷商なんていくらでもいるんだ。別にお前を生かしておく理由なんてないんだよ」
「はぁ? あたしを殺せる気でいるわけ? これっぽっちの人数で?」
マギーは不敵に笑っている。
「もういい。死ね」
男は銃を構えてマギーを取り囲む男たちに合図を送った。
一斉にマギーに向かって銃口は火を吹いた。
だが次の瞬間、1ダースの首が床に転がっていた。
マギーが何をしたのか速すぎて俺には見えなかった。
マギーは血塗られた大鉈を体の前でクロスしていた。
そして、びゅっと刃についた血を払い落とした。
「はわわわわ」
「大鉈は飾りだと思った? 別にあたしはあなたを殺してから屋敷にある金目の物を全て頂いちゃってもいいのよ」
マギーはツカツカと男の目の前まで歩き、男の首元に大鉈を突きつけた。
「わ、わかったよ。払う。払うから……」
さっきまでの余裕が嘘のように男は震えだした。
正直俺もちょっとだけズボンが濡れた。
「だ~め。一度お金を出し渋った奴はまたやるわ。男は金払いが良くなくっちゃネ」
「やめてく……れ?」
口角をくいっと上げて笑いながらマギーは男の首を落とした。
転がった男の顔は恐怖に歪んでいた。
「さてと、お金と商品の回収しなくちゃ。あー忙しい」
マギーはそう言いながら上を見上げた。
「いつまでも覗いてないで降りていらっしゃいよ。テツオー」
体中に返り血を浴びたマギーが俺に笑いかける。
俺は恐怖していた。この凄惨な殺戮の現場に。
あまりにも簡単に命を摘み取っていくマギーに。
「ぐずぐずしてると警備の軍隊の連中が来ちゃうからさぁ、金目の物かき集めてさっさとこの街を出ましょうよぉ」
こいつはその軍隊とやらに蜂の巣にされた方がいいのかもしれない。
だがそれじゃ俺も、あの少女も共倒れだ。
ひよこの絨毯はゆっくりと下に降りた。
「おもしろい事が出来るのね。テツオ」
「ひとつ訊かせてくれ」
「何よ?」
「お前は俺を売ったのか?」
「売ったわよ」
「この少女も売ったのか?」
「ひとつって言ったじゃない」
「いいから答えろ」
マギーは小さく溜息をつく。いかにも面倒くさいといった感じに。
「売ったわよ。だから何なの? あんただってこの娘を買った事あるでしょ」
ちらりとマギーは少女を見た。
「商品価値があるなら一緒に連れて行ってもいいけど……。こんなに傷だらけじゃたいした値はつかないわね」
「マァァァァギィィィィィ!」
髪が逆立つ。黄色い炎が俺の全身を包んだ。
「あらあら。どうしちゃったのテツオ? あんたらしくもない。別にこの娘は殺すつもりは無いわ。殺す価値も意味もないし」
「ピッピッピー」
俺の頭の上でぴーちゃんが号令を出す。
一斉に黄色いひよこたちが弾丸となってマギーに襲い掛かった。
「……で? 何がしたかった訳? テツオ」
ボトボトとひよこたちがマギーの足元に落ちる。
黄色いひよこが赤く染まっていた。
「心配しなくたってテツオの事はキッチリと守るわよ。次の買い手がつくまでね」
そう言って笑いながらマギーは俺に近づいて来る。
ボシュっとマギーの後ろから発射音がした。
次の瞬間、マギーの左足が弾け飛んでいた。
「え? あんた……。何したの?」
マギーはその場に残った方の膝をついた。
まさかあの少女が攻撃してくるとは思っていなかったらしい。
信じられないといった顔で少女を見ている。
「マギー。今の俺じゃ片足のお前にだって勝てやしないだろう。お前もその傷じゃまともに動けないだろ」
「て、テツオ……。痛いの。血がいっぱい出て痛いのよ。あの時よりもいっぱい血が出てるのよ。死んじゃうよ……。あたし死んじゃうよ。また……死んじゃう」
「お前が死ぬ訳ねぇだろが。片足だってそこらの連中がお前に敵うもんかよ。褐色の黒豹なんだろ?」
俺はマギーに向かって近づく。だが立ち止まらずにその横を通り過ぎた。
そして転がっている男の服の血の付いていない部分を肉切包丁でびりびりと破き、その布を少女の露出した小ぶりで傷だらけの胸と腰に巻いてやった。
「行こう」
俺は少女にそう言った。
「わ、わたくしを連れて行ってくれるんですか」
「連れて行くんじゃない。お前が俺について来るんだ」
白い無機質な少女の顔に赤みがさしていた。
少女は目にいっぱいの涙を溜め、初めて俺に無邪気な笑顔を見せた。
俺たちは屋敷の外へ出た。
太陽はもうかなり高い位置まで登っている。
今日も暑くなりそうだ。
俺は少女の手をしっかりと握り締め、賑わう街の雑踏を歩いていた。
「お前、名前は?」
「わたくしに名前などありません」
「じゃぁ、俺がつけてもいいか?」
「わたくしに名前……ですか?」
「そうだ。王様だろうが奴隷だろうが家畜だろうが、この世で息をしている限り名前は必要だ。それはお前だけの物だ」
「わたくし……だけの……」
深紅の髪が揺れた。
「わたくし……自分の物なんて何ひとつ持って無くて……。わたくしだけの物なんて言われたの……そんなの初めて……」
少女は胸に手を当てて、声を詰まらせた。
そうだな。髪が紅いからレッド……。安直か。むしろシンクとか……。
「よし、お前の名前はクリムゾンレッドだ」
「は、はいっ」
「これからよろしくな。クリム」
「いきなり略されてますけど……」
「細かいことは気にするな」
「はいっ」
嬉しそうな幸せそうな顔。そんな顔も出来るんだな。クリム。
「ピッ」
……ん。還って来たか。
黄色い大群が俺のもとに戻って来た。
少女がマギーに飛ばした左腕を抱えて。