どうも元の体に戻ると体の制御がきかない。
確かに俺は少女が大好きな事は確かだが。いや、幼女?
だがわかったはずだ。俺が今までやってきた事がどんなことだったのか。
どれだけ酷い事をして来たのか。どれだけあいつを傷つけていたのか。
ポニテの少女が細身の剣を構えている。
ちょっとまずいな。いたずらが過ぎたようだ。
だってちょこっと触ってみたかったんだもん。
いや、ここでモノをぶらさげながらかわいこぶっても仕方が無い。
それにしても、困ったな。ちっちゃいけどこの娘、強いぞ。
離れていても剣の圧力を感じる。この歳で達人の域か。
俺もこの娘も無傷で済ますなんて事が出来るのだろうか。
あの時、農夫にこの場所がモンフィルメイユだと教えられる前の事だ。
俺が馬車の手綱を握るクリムの所に中から顔を出した時だ。
「クリム、そろそろ替わるか? お前も少し休んどけよ」
「平気ですよ。テツオさま……」
「ん? どうした」
俺はクリムの隣に座った。クリムの柔らかい体に俺の肩が当たった。
なんかクリムの様子がおかしかった。
見たこともないような、辛そうな顔だった。
クリムは唾を飲み込み、意を決したように言った。
「テツオさまは……今でもセルマさんを……愛していますか?」
クリムは手綱を握り締めうつむいたまま、でもはっきりとした口調だった。
俺は少し考えた。クリムに嘘はつきたくないと思った。
「なぁ、クリム」
「……はい」
「俺ね、感謝しているんだよ」
「感謝……ですか?」
「腐りきっていた俺がもう一度子供からやり直す事が出来るんだからな」
「テツオさまは腐ってなんか……」
俺はクリムの唇に人差し指を当てた。
クリムは泣きそうな顔で俺を見ていた。
「元の世界は地獄だったよ。会社の社長で豪邸暮らし。美人の女房と子供までいてどこが地獄だって思うかもしれないけど」
クリムは真剣な顔で俺の話を聞いていた。
「俺さ、親父の愛人の子供でさ、お袋はどっかに姿を消しちまって、親父に引き取られたんだけどさ」
「……はい」
「田舎の農家のでかい家だった。親父の女房ってのがまたキツイ人でさ。まぁ、愛人の子供を育てろって言われたんだ。気持ちはわからなくも無いけど」
俺は空を見上げた。キレイな夜空だった。
俺のつまらない話をクリムはじっと聞いてくれた。
子供の頃の話を誰かにするなんて初めてだった。
思い出したくも無い事ばかりだったから。
「レ・ミゼラブルって小説知ってるかい? クリム」
「はい。読んだ事はあります」
「そっか。うん。でね、その小説の中にすごく可愛そうな少女が出てくるんだけど、セルマがね、この子にそっくりなんだ。いや、小説だから俺の想像でしかないんだけど」
「テツオさま……」
「まぁ、この小説の中の少女の境遇はむしろ俺に近い物があったけどな」
俺は子供の頃の話を続けた。ぴーちゃんの事。カオリの事。全部クリムに話した。クリムに俺の事を知って欲しかった。
夜空を見ていた俺はクリムの顔に目を向けた。
クリムはブラウンの瞳を真っ赤にして涙をこらえているようだった。
「ははっ。さっきのクリムの質問に答えてなかったな」
「いえ、いいんです。もう……」
「しばらく子供の体でいたらさ、徐々にだけど性欲から解放されてきてさ、純粋に色んなことが考えられるようになってきたんだ」
クリムが頷く。
「俺はセルマを愛している。それは一生変わらない」
「……そう……ですよね……」
「だけど……」
俺がそう言い掛けた時、生暖かい風が吹いた。
におう。このニオイ。そして聞こえる。俺だけに聞こえるこの声。
「リュウが近くにいる」
「リュウ!?」
クリムが両手で口を押さえ手綱を離した。
ラクーマはうなり声をあげ、その場に立ち止まる。
「どうした? クリム。リュウを知っているのか?」
「い、いいえ。知りま……せん」
「リュウは俺の息子だ。自分で動くことも出来ない。爬虫類のような体の息子だ」
クリムはただ黙ってうつむく。
「医者もカオリも、みんなリュウにまともな知能があるとは思ってなかったよ。だけど俺にはあいつの悲しい心の叫びが聞こえていた」
リュウは狂っていた方が幸せだったろう。
言葉も話せず、文字も書けない。動く事すら出来ないのだ。
リュウの心の中は誰にもわからない。俺以外にはな。
クリムの小さな声が聞こえた。
「わたくしにもその声は聞こえていました」
「ん? 何か言ったか? クリム。ちょっと聞こえなかった」
「いえ、何でもありません」
俺はキョロキョロと周りを見渡す。
「間違いない。近くにいる。リュウのニオイが漂って来ている」
俺がそう言うとクリムはクンクンと鼻を鳴らす。なんか可愛いぞ。
「こんな狂った世界だ。もしかしたら、リュウが普通の子供になっているかもしれない」
根拠のない希望だが。
「…………」
「どうした? クリム」
「やはり、テツオさまにはお話しておきます」
「ん?」
「この先の町にセルマさんがいらっしゃいます」
「え? 今何て言った?」
「ただセルマさんはあなたが思っているような方ではありません」
「え?」
「セルマさんは悪魔です」
冷たい風が吹いた。その風は僅かに漂っていたリュウのニオイをかき消していた。
「着いたのかぁ?」
眠そうな声でせつが馬車から顔を出した。
のん気なもんだなコノヤロー。
俺は今、剣を持ったポニテの少女と対峙している。
ちょっとでも気を抜いたら喉元を掻っ切られそうだ。
ん? や、やべぇ……。
俺の体がみるみるうちに縮んでいく。
酔いが醒めてきやがったぁ。
俺は完全に五歳児の体に戻っていた。
こうなったら仕方が無い。最後の手段だ。ぴーちゃん! アレを!
俺はパタパタとぴーちゃんが持ってきた白い旗を振った。
全面降伏である。
つかつかと剣を構えたままポニテの少女は俺の前に歩いて来た。
えっと、バラバラにされちゃんでしょうか? 俺。
ポニテ少女は壊れた店内を見回しながら白旗を振る俺を見下ろした。
「あたしの名前はサヤカ。あなたは?」
意外にもポニテ少女は名を名乗った。
「て、テツオです」
「そう。テツオくん、色々聞きたい事があるの。話してくれるわよね?」
「は、はい。喜んでー」
とりあえず俺はサヤカの透けて見える乳首を目に焼き付けておこうと思った。
「脅威的な力ね。せつ」
「母親ってどういうことだよ。私のお母さんはあんたなんかじゃない」
せつは空中に止まったまま叫ぶ。
「まぁ、正確にはちょっと違うかもしれないけどね」
クスクス笑いながらセルマは両手から蜘蛛の糸のようなもを出した。それはせつに向かって飛んでいく。
「なっ」
「つ~かまえた」
セルマの手から飛び出した蜘蛛の糸はせつを完全に捕らえていた。
「あなたとゆかりはまだこの世界に来ちゃいけなかったの。一旦元の世界に戻りなさい」
そう言ってセルマはギリギリとせつに絡まる蜘蛛の糸を締め上げた。
せつの顔は赤くなり青くなり白くなった後、土色になった。
「せっちゃぁぁぁん!」
クリムは叫ぶ。
二階からすぅっと小さな人影が降りてきた。
「せつは死んだわ」
さらっとセルマは言った。
「よ、よくもせっちゃんを!」
「慌てないで。この世界での死は本当の死じゃないわ。ちゃんと元の世界で生きてるから安心して」
「そうだとしても、せっちゃんもゆかりんも苦しんだ。死の苦しみを味わった。どれだけ苦しかったか、どれだけ辛かったのか。あなたにはわからないの?」
小さなセルマは少し驚いたような顔をした後、またクスクスと笑う。
「お久しぶりね。まさかあなたがせつと一緒だったなんて」
クリムは右手の拳を固く握り締めた。
「わたくしはあなたを許さない。何度もせっちゃんとゆかりんを苦しめるあなたを許さない」
セルマの表情が険しくなった。
「それはわたしの台詞よ。わたしの体を奪ったあなたを許すつもりはないわ」
セルマの手から伸びた蜘蛛の糸がクリムに向かって飛んでいく。
キンっと金属の音がした。
クリムに伸びた蜘蛛の糸はバラバラと地面に落ちる。
「サヤカ……か」
ギリっと奥歯を噛み締めてセルマは細身の剣を振りかざすポニテの少女を睨んだ。