暗くて深い水の中を沈んでいく。
光が差し込まない深海。魚も泳いでいない。誰もいない。
寂しくなって咆哮するけどそれは誰にも聞こえない。
これはもうひとつの世界でのあなたの記憶。
頭の中のスクリーンに映るあなたの幸せそうな笑顔。
あなたは雪の中ではしゃいでいた。
お金持ちでも貧乏でもない普通のお家の小さなお庭。
優しく笑う父。そして家の中から母の声。
「逃げてぇ……」
家の中から聞こえる悲痛な母の叫び。だけど父は振り向かない。
あなたは蒼白になり家の中に入ろうとした。
そんなあなたの小さな肩をしわがれた手が強く掴んだ。
振り向いたあなたの目に映った人は父ではなかった。
あなたは小さなお庭を見渡す。
花壇の中で血だらけの黒いかたまりが小さくあなたの名前を呼んでいた。
あなたは口を薬品の臭いのする布で塞がれた。
家の中から母の声。叫び声はいつしか甘くとろけていた。
あなたは普通の女の子。金色の髪と青い瞳の女の子。
教会から悪魔と認定されただけの可愛い女の子。
白く輝く幸せな光景は一瞬の内にどす黒く変貌を遂げていた。
田舎町のでこぼことした道。三人の聖職者。
村人はそれを見守る。拍手が起きていた。歓声が上がっていた。
あなたを捕らえた男たちは誇らしげに歩く。
悪魔を捕らえた英雄として。
あなたが何をしたと言うのだろう。
ほんの少しだけ他の村人たちより大きな家に住んでいただけだ。
あなたの父は中央からこの村に派遣された役人。
一応貴族ではあるけど一番下の貧乏貴族。資産も権力も何もない。
行けと言われればどこへでも赴く便利な存在。
この村でも貧乏な村人の不満をぶつける為の便利な存在として扱われる。
教会の薄暗い部屋の中。固い板に寝かされたあなた。
数人の聖職者があなたを取り囲む。
高価ではないけれど水色の綺麗な服を剥ぎ取られ、あなたは体中を調べられていた。
「どう見ても悪魔とは思えないんですが」
若い聖職者が言う。その声も若くまるで子供のようだった。
「悪魔は外見で人を騙す。見かけは可愛らしい少女でも中身はどす黒い欲望であふれ帰っている」
その横から老人のしわがれた声がする。
「ではショウ、法衣を脱ぎ、彼女の体の中に聖水を注いであげて下さい」
優しい目をした神父はあなたの脚を広げながら若い聖職者に言った。
「待って下さい。何故こんなことをしなくてはならないのですか。この子供が何をしたと言うのです?」
ショウと呼ばれた若い聖職者は神父に疑問を抱いていた。
「ふふっ。その子供の父親を殺しておいてよく言う」
しわがれた声が笑う。
「そ、それは、神父様があの男が凶悪な異教徒だと言ったから! あの女は汚い売春婦だと言ったから! この子供が悪魔だと言ったから!」
ショウは叫んだ。
「その通りですよ。ショウ。あの男はこの世から抹殺されるべき人間です。あなたは正しい事をしたのです」
神父は優しく子供に諭すようにショウに言った。
しわがれた声の男はショウに近づき耳元で囁いた。
「ショウ、お前は幼い。幼さ故の正義感と卑怯な心を持っている。神父様が凶悪な異教徒だと言えば殺すのか? 売春婦だと言えば犯すのか? 悪魔だと言えば子供でもその内臓を掻き回すのか? お前は本当にそう思ったのか? あの貧乏貴族がそんな極悪な連中だと思ったのか? ショウ……。お前自身はどう思う?」
「あ、あなたは一体……」ショウが振り向く。
「何をショウに吹き込んでおられるのですか?」神父の声色が変わった。
「何ね、ショウにとっても初めての儀式だ。穴の位置を間違えないようにと思ってね」しわがれた声の男はニヤニヤと笑いながら答えた。
あなたはどうなってしまうのかしら。
板の上で神父に脚を広げられて、絶望の涙で顔をくしゃくしゃにして。
「わ、私には出来ません。私にはこの子供が悪魔だとは思えないのです」
ショウは目をぎゅっと瞑り搾り出すような声で言った。
「ふむ。では仕方ありませんね」
神父はあなたの脚を離した。
「ひひっ。聖水を注がれなかった悪魔はどうなるんでしたっけ? 神父様」
「勿論あなたも知っての通り、囚人たちのエサになりますね」
「え、エサって……」ショウの頬に汗が流れる。
しわがれた声の男が言う。
「飢えた囚人たちの中にこの柔らかい肉を投げ込むとな、まず穴という穴を犯されるだろ。そしてそれに飽きたら腕や脚を引きちぎられてバリバリと生で喰われるのさ。骨も残らんよ。まぁ悪魔には相応の死に方だな」
「そ、そんな……」
「これも神の思し召しです」
「では聖水を注ぎ込めばこの少女は助かるのですか?」
「ええ。勿論です。ちゃんと十字架に貼り付けて火あぶりにしてあげますよ」
神父の目は優しいままだった。
「う、うわぁぁぁぁ」
ショウは拳を握り締めて神父に殴りかかった。
「な、何を……。ショウ。これは神に対する冒涜だぞ!」
神父は叫ぶ。
「何が、何が神なもんかっ。神がこんな事をお許しになるはずがない。こんな事っ!」
ショウは神父が気を失うまで何度も何度も殴った。
神父はぐったりと冷たい床に転がっていた。
「ほれ、ショウ。これを使え」
しわがれた声の男は黒くて固くて冷たい物をショウに手渡した。
「はぁはぁ。拳銃……? あなたは何故こんな物を……。」
「ひひっ。殺せ殺せ。こんな薄汚い男は殺してしまえ」
「あなただって、あなただって同じでしょう。神父と一緒に同じ事をして来たんでしょう」ショウはしわがれた声の男を睨む。
「だぁから、ワシを殺せと言っているんだ。銃弾は六発入っている。一撃で殺すなよ。その銃弾を全部使って苦しめるだけ苦しめてから殺せ」
「何を言っているんですか? あなたは……」
「この神父が犯したこの子供の母親……。ワシの娘だ。ワシはこんな歳になるまで神は正しいと思っていた。教会が間違った事をするはずがないと思っていた。ワシも何人も悪魔と呼ばれた人たちを犯し、そして殺した。まさか自分の娘がそうなるなんて夢にも思わなかった。ワシには復讐する力も資格もない。せめて若きお前の手でワシを殺してくれ」
ショウは拳銃をその男に向けた。だがふうっと息を吐いて拳銃を降ろす。
「何故だ。何故撃ってくれん。何故殺してくれんのだ」
男は狼狽する。
「ムシがいいですね。自分だけ楽になろうとしているんですか。そんなこと許しませんよ」ショウは冷たく厳しい目で男に言った。
「それじゃ仕方無いな」
しわがれた声の男は倒れている神父の胸元をまさぐる。
「あったあった。気の弱いこの男のことだ。持ち歩いていると思ったよ」
そう言って神父の懐から拳銃を取り出した。
パァンと銃声が鳴る。
神父の頭に着弾した銃弾は赤くて黒い脳味噌を神聖な教会の床に撒き散らした。
「あ、あなたは一体……」ショウは後ずさる。
「ワシは神父を殺した大罪人。神の意思に背き教会を敵に回した男。まもなく村人たちが銃声を聞きつけてこの教会に集まってくるだろう。村は火がついたように大騒ぎになるだろう。こんな子供の事などどうでも良くなるだろう。お前はこの娘を連れて村を出ろ。教会の手の届かぬ場所で静かに暮らせ」
ショウは頷く。最早この男の言う通り、この場所に居てはこの少女も自分もただでは済まない。
あなたはショウに水色の服を着せられ、厚いコートを羽織ったショウの胸の中に抱かれた。
「東に向かえショウ。山を越えた場所に異教徒の村がある。そこなら教会の手は及ばない」しわがれた声が聞こえる。
あなたをコートの中に隠してショウは教会を飛び出した。
振り向くと教会から火の手が上がっていた。