ザクザクと山に積もった雪の中を歩く音。
ショウに抱かれあなたは夢の中。まだ少しお薬が効いているのか声も出せないみたい。
あなたは必死の顔で雪山を登るショウの顔を見ていた。
非常事態とは言え厚手のコートと皮のブーツという軽装で雪山を越えようなんて自殺行為だ。数時間も経たない内にショウの息は乱れてブーツに入った雪は足元を冷たく冷やしていた。
それでも何とか山の中腹まで来た。ここまで来れたのはショウの正義感と贖罪の心だけではないの。
普通なら既にショウの足や手は凍傷で腐り落ちていても不思議ではないもの。
あなたは温めていた。ショウの体を温めていた。それはあなたの癒しの力。
生まれた時から備わっていた悪魔の力。
ショウは必死過ぎてそれに気付いてはいないようだったけど。
でもそろそろ限界かな。ショウの目は霞んできている。
今にも倒れてしまいそう。
そんなショウの目に建物が映った。見たことも無い建物だ。
もう異教徒の村に来たのかな。
多分あなたはこの建物の事もここがどこなのかも知っていたはずだよ。
それともそんな余裕は無かった?
「た、助かった……のか? とにかく、ドアを叩くしか無さそうだ」
ショウはガチガチに震えながらその建物のドアを叩いた。
「あ、開けてください。助けてください」
ギィっとドアが開いた。
ショウは一瞬ぎょっとした。
ドアの中から出てきた男。顔の左半分が焼けただれている。
左目は白く濁り完全に視力は失われているようだった。
「そろそろ来て頂ける頃かと思っていました。中へどうぞ」
男は言った。
ショウとあなたはその建物の中に入った。暖かい空気がショウとあなたを包む。
どこからか子供の笑い声が聞こえた。
「こちらの部屋へどうぞ。温かい飲み物を用意してあります。おっとその前にその濡れた服を着替えた方がいいですね」
ショウとあなたはソファの置いてある部屋に通された。
疲れきっていたあなたは毛布にくるまり三人がけのソファでうとうとしていた。
顔が焼けただれている男とショウは大きなテーブルに向かい合わせに座っていた。ショウは熱いコーヒーをすする。
「助けて頂いてありがとうございます。あの、どこかでお会いしたことがあったでしょうか? 私の事を知っていらっしゃるようですが」
ショウもこの男と会う事は初めてではない感じがしていた。
「そうですね。あなたに会うのは初めてです。ですが数十年後のあなたにはお世話になりました。どうしようもなかった俺にここの管理人の仕事を世話してくれたのもあなたなんですよ」
「わ、私がですか?」
ショウは何が何やらわからないようだった。
「あなたは言いました。もうすぐオレが小さな女の子を抱いて尋ねてくる。金髪の少女だ。そいつを殺してくれってね」
「なっ」
ショウは懐の拳銃に手をかけた。突然襲い掛かってくる殺気に全身が震えた。
「ちょっと待って下さい。話は最後まで聞きましょうよ。ヤガミさん」
男は静かにコーヒーカップを口元に運んだ。
「ヤガミさん? あんた一体何者なんだ? 何で私の名を?」
ショウは落ち着き払ったその男に銃を向けたまま聞いた。
「俺の名はヨシキ。若い頃馬鹿やってたおかげでこんな体になってしまいました。今は時空の間で孤児院の管理人をしております」
ヨシキは突きつけられた拳銃に眉も動かさずに答えた。
「あなたの事は何でも知っておりますよ。ショウ・ヤガミさん」
ショウは困惑していた。だがもう殺気は感じられない。
油断は出来ないけど、ショウもあなたも衰弱している今、ここを動く訳にはいかない。この男が助けてくれた事は確かなのだから。
「あなたは教会の信者ではないですよね?」
ショウは尋ねた。
「教会? ああ、あのイカレタ連中の事ですか。勿論違いますよ」
「異教徒の村の方なんですか?」
「ははっ。異教徒ですか。それじゃ教会の領地以外に住む人はみんな異教徒ですね」
コーヒーのいい香りが立ち昇る。
「何故この娘を殺さなくてはならないのか教えて頂けますか?」
ショウは拳銃の引鉄から指を外し、静かにソファに座り直した。
このヨシキという男が敵だとはショウには思えなかった。
「そうですね。言葉で説明するよりも、こちらの窓から外を見てみて下さい」
ヨシキはその部屋の窓のカーテンを少し開けた。
ショウは言われるまま立ち上がり窓に歩いていった。
そこでショウは目を疑った。
空気が圧縮されて街が歪んでいた。見たこともない街、見たこともない風景。
立ち並ぶ高い建物。これが異教徒の街? だけど……。
人々の絶叫。捻じれてひしゃげて噴き出す血液。真っ赤な空に巨大な月。
地獄。正に地獄。ショウが幼い頃から教会で習った通りに異教徒たちが地獄を這いずり回っていた。
異教徒だから神から天罰を受けたとでも?
まさかあの狂った連中が正しかったとでも?
あなたを殺さなくては自分たちもこうなるとでも?
「これはこの少女が生きていた為に起こったもうひとつの世界の悲劇です」
「もうひとつの世界?」
「はい。あなたが住んでいた所は分裂した世界なのです」
ヨシキは数十年後のショウに聞いた話をショウに話し始めた。
まだ幼いあなたにはわからないよね。
あなたは無意識にその力を使っているに過ぎないし、まだショウの体を温める程度の力しかない。
あなたはぼんやりと目を開けてヨシキの話を聞いていた。
月が地球に衝突して恐ろしい程のエネルギーが世界に満ち溢れた。
地表に溢れ出たマグマは容赦なく世界を飲み込んだ。
地球上に生きとし生けるものはほぼ全て絶滅した。
あまりの衝撃とエネルギーは時間軸にまで影響を及ぼした。
分裂したもうひとつの世界。
それはあなたが作り出した妄想の世界。
破滅した現実の世界と密接にそして滅茶苦茶に繋がった世界。
あなたにとって現実の世界はあまりにも辛過ぎた。
周りの人間に翻弄されるだけの三十二年という短い人生だった。
だけどあなたは優しかった。どんなに酷い目に合っても誰も恨まなかった。
でもそれで得たものは何?
あなたの美しさにテツオが狂い、カオリが、アキラが狂う。
サヤカとリュウはあなたを助ける為に死んだわ。
ゆかりはあなたの死体を見て絶望の涙を流した。
そしてせっちゃんはあなたとリュウの子供。
悪魔と竜の力を持った怪物。
あなたがいなければせっちゃんの力が解放されることはなかった。
地球が破滅することもなかった。
せっちゃんの心をずたずたに引き裂くこともなかった。
あなたがいなければ。
あなたは地下室の檻の中で既に息絶えていたの。
幼いあなたにあの環境が耐えられるはずがないものね。
テツオに逝かされたわたくしはその時、宙を漂っていた。
死にたくなかった。悲しそうな瞳でわたくしを犯して殺した男に恋してしまっていたから。
おかしい? そうね。わたくしもそう思う。
漂っていたわたくしは魂の抜けかけた小さな体を見つけたわ。
この体に入ればわたくしはまだ生きていられるかもしれない。
テツオにまた逢えるかもしれない。わたくしはそう考えてしまった。
その瞬間、パクッと何かに食べられてしまったの。そう、あなたの魂によ。
弱りきっていたあなたの魂はわたくしを飲み込み、自分の体へと帰っていった。
それから二十七年間わたくしはあなたと一緒に生きた。
あなたの身に起こった事はわたくしも体験している。
あなたの優しさも全部知ってる。
だけどね、だからこそわたくしたちは生きていてはいけないんだよ。
わたくしにせっちゃんを殺すことなんて出来ない。
わたくしにとっても可愛い娘なんですもの。
ならせめてせっちゃんが生まれる前にこの世界からわたくしたちが消えましょう。