僕は引き戸の隙間から中を覗く。
リビングの窓には少し厚手のカーテンが閉められており、夏の夕方の強い日差しが遮られていた。
エアコンの快適な風がこの部屋を包む。
……こ、ここにカオリのぱんてーが……どきどき……
ぽんぽんと肩を軽く叩かれた。
「こぉら……覗いちゃダメだっていったでしょ」
小さな声で僕の背中越しから声がする。
僕は恐る恐る振り向いた。
「か、カオリ……ちゃん」
「しぃーっ」
カオリは唇に人差し指を当てて、片目を瞑った。
あの……顔が近いです……。
ちょんちょんとカオリが部屋の中を指差す。
僕は指先の方向を見た。
子供が寝ていた。おなかを出して足を広げて。
こらこらサヤカくん。パンツ丸見えですよ。女の子なんですよ、あなたは。
サヤカの腕には金色の毛虫? いやセルマが絡み付いていた。
「子供ってすぐ仲良くなっちゃうんだね」
カオリが小さな声で嬉しそうに言った。
「ご、ごめん。覗いちゃって……」
僕は頭をかきながら謝った。
「ううん。サヤカちゃんのことが気になっちゃったんでしょ。アキラくん」
「う、うん……」
いいえ。気になっちゃったのはあなたのぱんてーです。
「もう少し寝かせてあげようよ」カオリが言った。
「うん。そうだね」僕は頷いた。
「少しお庭に出てみる? 風が気持ちいいよ」
カオリが僕の手をつかむ。
僕が少し驚いた顔をすると、カオリは「ごめん……」と言ってすぐに手を離した。
僕はカオリに連れられ庭の見える部屋へ。
カオリはその部屋の大きなガラス窓を開けた。
花壇には花や植物がいっぱいの広い庭。
芝生が一面に植えられている。
セルマがさっき遊んだであろうビニールプールが水を張ったまま置かれていた。
僕たちはサンダルを履いて大きな庭へ出た。
「本当だ。風が気持ちいい……」
僕は目を細めた。
「でしょ。東京と違ってこの辺は夕方になるとだいぶ涼しくなるんだよ」
「そうだったね。思い出したよ」
僕はカオリと二人で庭に置かれた白いベンチに腰掛けた。
夕方の空を白い雲がゆっくりと流れていく。
「なんか昔の事を思い出しちゃうね。アキラくんと学校の帰りに公園のベンチで二人で座って……」
「他愛のない話をずっとしてたね。あれから何年経ったかな。時間が経つのは早いもんだね」
僕は空を見上げながら言った。
「今じゃ私もアキラくんも子の親だもんね」
カオリの髪が風に揺れていた。
「そういや、セルマちゃんってさ……カオリちゃんのこども……あ、いや何でもない」
言い掛けてやめた。なんかすごい失礼な物言いだと思ったから。
「そうだよ。私の子供。テツオと私の大切な……」
カオリは僕の方を向いて少し寂しげに笑った。
「セルマはテツオが私にくれた最初で最後の贈り物なの」
何のことやらさっぱりわからなかった。
テツオがくれた? テツオって旦那の名前かな。
ん? テツオって名前がモロ日本人ぽいんですけど。
でも旦那が外国人だったとしてもハーフってあんな感じになるかな。
どうみてもセルマは白人の子だ。それも北欧系。
それにしても「くれた」って表現がちょっとアレだな。
テツオがくれたのはタネでしょ。タネ。
いかん。またエロいことを考えてしまった。
「セルマは私が生んだ訳じゃないわよ」
じとっとカオリは僕を睨んでいた。
あなたはエスパーですか? カオリさん。
「五年前……かな。テツオ……私の主人がね、欧州から連れて来たの。セルマの手を引いて」
「え? 誘拐?」
「……違うわよ。セルマのご両親が事故で亡くなったらしいの。その亡くなった方たちと親しくしていた主人が一人だけ残ったセルマを引き取ったんだって」
「欧州ではセルマちゃんを引き取ってくれるところがなかったのかな」
「それは分からないわ。でも主人はセルマのためというよりも、私のためにあの子を連れて来てくれた気がするの」
「え? どうして?」
「それは……」
カオリはそのまま下を向いて黙ってしまった。
気まずい沈黙が流れた。なんか話さないと……。
「そ、そうだ。そろそろテツオさん? ご主人が帰って来るんじゃない? まったくサヤカのやついつまで寝てるんだ。起こさなきゃな。それじゃ、カオリちゃん、僕そろそろ帰るよ……」
僕はベンチから腰を上げた。
「テツオは……もう帰っては来ないわ……」
カオリは静かにかすかな声でそう言った。
「え……?」
僕はその場に立ち尽くす。
突然小さな影がカオリの背中を襲った。
「ひゃぁ!」
カオリが驚いて変な声を出した。
金色の毛虫……いや、セルマがカオリの背中に貼り付いていた。
小さな両腕をカオリの腰に回している。
そして顔をきゅっと僕に向けて口を尖らせて僕を睨んでいた。
ハイハイ。とりませんよ。
セルマは本当にカオリのこと大好きなんだな。
「パパぁ……」
眠そうに目を擦りながらサヤカが歩いて来た。
「起きたか、サヤカ。早速友達が出来て良かったな」
「おなかすいたよぉ」
サヤカくん? 分かってる? ここ僕達の家じゃないんだよ。
しかも初めてお邪魔した他人の家なんだよ。
何くつろいじゃってんの? キミは……。
「サヤカちゃん、今日ウチでご飯食べてく?」
カオリがにっこり笑ってサヤカに言った。
セルマはまだカオリの腰に貼り付いていた。
「えーっ、やったぁ。うれしいっ」
サヤカは両手を挙げて三回ほど飛び跳ねた。
「いや、さすがにそれは悪いよ」
僕は困った顔をした。
「あら、アキラくんは私とセルマに二人で寂しく夕食をとれとおっしゃるのかしら?」
「え、いや。そういう訳じゃ……」
「よしっ決まりっ。サヤカちゃんもご飯の準備手伝ってくれる?」
「う、うん。はいっ」
サヤカは嬉しそうに頷いた。
すっかりご馳走になってしまった。
夕食の支度はカオリとセルマとサヤカの三人で楽しそうにしていた。
僕はちょっと暇だったけど。
普段は小食のサヤカがぱくぱく食べていた。嬉しかったんだな。
まだ母親が恋しい年頃だしな。
カオリも楽しそうだった。
セルマは……ちょっと分からない。一言もしゃべらなかったし。
でもつまらなさそうな顔ではなかったと思う。
これからはカオリとお隣さんか……。楽しくなりそうだ。
僕はカオリの家からの帰り道、夜空を眺めながらそうつぶやいた。
サヤカは少し眠そうだった。
アキラくんとサヤカちゃんがお隣の家に帰っていった。
私は玄関の外にセルマと二人で見送りに行った。
もう夏の空は暗く、たくさんの星が見えた。
「ふふっ。セルマちゃん。そんなに足にしがみ付いていたら歩けないわ」
「…………」
セルマは私を見上げた。手をぱっと離す。
セルマはサヤカちゃんに比べるとずいぶんちっちゃいな。
同じ十歳って言ってたのにな。
私は自分の膝に手を置き、セルマの顔の高さまで腰を屈めた。
「夏休みが終わったら、サヤカちゃんと一緒に学校に行けるね。同じクラスになれるといいね」
私がそう言うとコクリとセルマは頷いて、ニッコリと眩しい笑顔を見せた。
セルマを寝かしつけた後、私は二階の奥の部屋に行く。
ガチャリとその部屋のドアの鍵を開ける。
鍵が付いている部屋はここだけだ。
窓はない。壁には防音処理を施してある。
私は真っ暗な部屋で暗めの蛍光灯を点けた。
ここには醜い姿のリュウが眠っている。