「うわあぁぁぁぁあ……。眩しいっ」
カーテンの無い窓に強い光が差し込んでいる。
朝の光が僕の顔を直撃していた。
僕は薄目を開けてぼんやりと目を開いた。
頭が痛い。昨日は寝付けなくてつい飲みすぎた。
ちらりと畳の向こうに目をやると安いウイスキーの瓶が転がっている。
外し忘れた腕時計を眺めると午前六時半。少し腕が痺れていた。
「サヤカ~、下にいるのかぁ?」
娘の名を呼んでみるも返事はない。
「もう、遊びにいっちゃたのかな」
僕はぼそっと呟き、頭を掻きながら眠い目を擦る。
喉がカラカラだ。昨日の酒で焼けた喉を水で潤したい。
僕は一階に降りて台所へ行く。
流しの前まで来るがコップが無いことに気付く。
蛇口を捻り、ゴクゴクと直接口の中に水を流し込んだ。
「顔洗おう」
脱衣所にある洗面台に行く。
大きな鏡は無精髭の三十台の男を映し出していた。
ジャブジャブと音を立てて顔を洗う。
「タオル……。タオル……」
手探りで探すがタオルはない。
「ん?」
何か布の様な物が手に触れたのでとりあえずこれで顔を拭く。
「なんか湿っぽいな」
僕は寝ぼけた目でその布を見た。
「ぱんてーだ。サヤカのかな?」
サヤカのアレが触れる辺りが少し汚れていた。
僕は迷わずそこに顔を埋めた。あ、汗くせえ。
「いかんいかん。こんな所サヤカに見られたら父親としての威厳が……、人間としての尊厳が……」
僕は洗面台に掛かっているサヤカの昨日の服の場所にぱんてーを戻した。
新居の一階の居間の大きなサッシを開けると車が一台留められる程の小さな庭がある。
植木などを置けば目を楽しませてくれるかもしれない。
僕にその趣味はないけど。
サッシを全開にして僕は家の外に足を投げ出すようにして座った。
胸のポケットに入れっぱなしの煙草を取り出して火を点ける。
「ふぅぅぅ」
ゆらゆらと煙が夏の空に舞い上がって行く。
今日も暑くなりそうだ。
ふとカオリの事が頭をよぎる。
久しぶりに会ったカオリは魅力的だった。
大人の色気と子供の可愛さが同居しているような女性になっていた。
僕は空を見上げながらカオリの事を考えていた。
それにしてもテツオって誰だろう?
カオリの旦那だろうけど。
何て言うか、よく分からなかった。
「もう帰ってこない」って言ってたよな。
これって別れたってこと? それとも亡くなったってこと?
青山って姓を名乗ってるんだから多分後者だろうな。
僕の知ってるカオリの姓は青山ではない。
「青山テツオ」
僕はその名前を知っている。
もっとも僕の知っているテツオはあんな豪邸を建てられるような男ではなかったし、カオリを妻に出来るような男でもなかった。
恐らくは同姓同名の別人だろう。
僕が子供の頃、この辺は今よりずっと田舎で舗装されていない道路も多く、そのほとんどが砂利道だった。
その道の両脇には用水路があり広大な田圃に水を供給する。
夏の夜には蛙の大合唱が聞こえてきた。
僕が通っていた田舎の中学校は生徒が多く、ひとクラスに五十人くらい詰め込んでいた。
それが四クラスくらいあったかな。
中学一年生の頃。
僕と同じクラスに「青山テツオ」という男がいた。
思い出すだけで虫唾が走る奴だった。
テツオは自分で切ったようなボサボサの頭で、いつもフケを撒き散らしていた。
体からは何日も風呂に入っていないような臭いがしていた。
背が低くて冴えない感じだった。
休憩時間は独りで教室の端の席に座って何かをノートに書いていた。
一度テツオの隣の席になった時、僕は一応「よろしくな」って声をかけた。
あいつはうつろな目で僕を見るとすぐに目を逸らしてまたノートに何かを書き始めた。
「何書いてるんだよ」僕は立ち上がってテツオのノートを覗いた。
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びっしりとノートに汚い字で書いてあった。
「何だよこれ」
僕はひょいっとそのノートを取り上げパラパラとめくった。
半分以上のページに同じことが書かれていた。残りはこれから書くつもりか。
「おーいちょっとこれ見てみろよ」
僕はそのノートをぴらぴらと揺らしながら近くにいた友達を呼んだ。
「か、返してよ……返してよ」
テツオが僕に縋り付いて来る。
「お前臭いんだよ。寄ってくるなよ」
僕はテツオの腹に蹴りを入れた。
小さなテツオの体が教室の壁にぶつかった。
「うわっなにこれ」「気持ち悪うぅ」
数人の友達がそのノートをニヤニヤしながら見ていた。
「返せぇぇ」
テツオが起き上がりそのノートを見ていた友達に向かっていった。
「ほい、パース」その友達が僕にノートを投げてよこした。
ノートを持った僕にテツオが泣きながら向かってくる。
「ほら、返すよ」
僕は二階の窓からそのノートを投げ捨ててやった。
テツオはキッと僕を睨むとすぐにそのノートを拾いに走っていった。
そんなテツオを見て僕達はしばらく笑っていた。
それがきっかけだったのかどうかは分からないが、僕のクラスではテツオをからかうことが流行った。
確かあだ名は……「ひよこノート」……ぷっ。
「ピンポーン」
「ん? 誰か来たようだ」
僕は煙草を灰皿にもみ消して、のたのたと立ち上がり玄関へ向かう。
「はーい。どなたぁ。新聞なら取りませんよ~。HNKなら払いませんよ~」
はて? 誰もいない。
「あ、あの……」
下の方から声がする。
「お母さんが一緒に朝ごはん食べませんか? って……」
え?
僕は下の方に視線を落とす。
金髪で青い目の少女が不安げな顔で僕を見上げていた。
「おはよう。セルマちゃん」
一瞬何て言っていいか分からなくて挨拶してみた。
「あ、おはようございます」
ペコリとセルマが頭を下げる。行儀の良い子だ。
「あ、もしかしてサヤカもそっちに行ってたりする?」
「今お母さんと一緒に朝ごはんを作っています」
「そっか、ありがとう。それじゃシャワー浴びてからそっちに行くよ。お母さんにそう言っておいて」
「はいっ。確実に伝えまする」
ぺこっと頭を下げると、てててっとセルマは駆けていった。
「さては朝の時代劇見てたな……」
僕は駆けていくセルマの小さな背中を見ながらそう思った。