――プラント、アプリリウス市。
クライン邸の広間で催された夜会は、華やかな空気に包まれていた。
プラント評議会の有力者やその家族が集う中、一際目を引くピンク色の髪を持つ少女、アグネス・ギーベンラートは、退屈そうにグラスの果実水を揺らしていた。
<あーあ、バカみたい。なんで私がこんなガキのお遊戯に付き合わなきゃいけないのよ>
アグネスは内心で毒づく。
彼女もまた『帰還者』であった。コンパスでの激闘を経て、酸いも甘いも噛み分けたつもりでいたのに、気づけば士官アカデミー時代の自分に戻っていたのだ。
周囲で無邪気に談笑する同年代の少年少女たちが、ひどく幼く見えて仕方がない。
彼女の視線の先には、大人たちに囲まれて愛想を振りまくラクス・クラインの姿があった。
<プラントのお姫様ね。どうせ中身は15歳の世間知らずでしょ?
今回は私がうまく立ち回って、もっとマシなポジションについてやるんだから>
アグネスがそんな不遜なことを考えていると、いつの間にかラクスが大人たちの輪を抜け、こちらへ歩み寄ってきていた。
ふわふわとしたピンクの髪を揺らし、誰にでも見せるような完璧な微笑みを浮かべている。
「ごきげんよう、アグネスさん」
「……ええ、ごきげんよう。ラクス様」
アグネスが愛想よく猫を被って挨拶を返すと、ラクスは親しげに距離を詰め、アグネスの耳元へと顔を寄せた。
そして、周囲には絶対に聞こえないような、氷のように冷たく、かつ甘い声で囁いた。
「――キラは、渡しませんわよ? アグネスさん」
「……っ!?」
アグネスの背筋に、ゾクリと悪寒が走った。
間違いない。こんな牽制をしてくるということは、目の前のお姫様もまた――。
「あんた……戻ってきてるの!?」
「ふふっ。お友達になれそうで嬉しいですわ」
ラクスは楽しげに微笑むと、優雅に扇子で口元を隠した。
その瞳の奥にある【総裁】としての凄みに完全に先手を取られ、アグネスは悔しげに唇を噛むしかなかった。
そこへ、恰幅の良い男が近づいてくる。プラント最高評議会議長、シーゲル・クラインだ。
「やあラクス。アグネス嬢とすっかり意気投合しているようだね」
「ええ、お父様。とっても」
シーゲルの後ろには、心底居心地が悪そうに身を縮めている白服の女性が立っていた。
「紹介しよう。彼女が今回の【追悼慰霊団】に同行し、君たちの護衛を務めてくれるアイビー級の戦隊長、レム・エル君だ」
「れ、レム・エルです。微力ながら、ラクス様の護衛を務めさせていただきます……」
ガチガチに緊張したレムが頭を下げる。
ラクスは、そのレムを値踏みするようにじっと見つめた。
<前回はいなかった【白服】の護衛……。
イレギュラーですけれど、この気弱そうな方なら、わたくしたちの都合の良いように動かせるかもしれませんわね>
ラクスは瞬時に頭の中で計算を終えると、パッと花が咲いたような笑顔を向けた。
「心強いですわ、エル隊長。……お父様、実はお願いがあるのです」
「なんだい? ラクス」
「慰霊団の旅は少し不安でしたの。
ですから、今すっかり仲良くなったアグネスさんを、私の個人的な知人枠として同行させてもよろしいかしら?」
<なにっ!? そんなの聞いてない!?>
突然巻き込まれたアグネスが、声を必死に押さえながら目を見開く。
「ほう、ギーベンラート家の令嬢が一緒なら、私も安心だ。構わないよ。レム君も、護衛対象が一人増えるくらいなら問題ないね?」
「えっ!? あ、はい、問題……ありません……」
レムは「また面倒なVIPが増えた」と内心で血の涙を流しながら、引き攣った笑みで頷くしかなかった。
「決まりですわね。これからよろしくお願いいたしますわ、アグネスさん。……ふふっ」
「~~っ! ええ、よろしく頼みますわ、ラクス様!」
完全に主導権を握られ、アグネスは怒りと承認欲求の入り混じった複雑な顔でラクスを睨み返す。
そしてレムは、目の前の少女たちが放つ異常なプレッシャーに挟まれ、ただひたすらに胃を痛めるのだった。
* * *
夜会も終盤に差し掛かった頃。
レムはシーゲルに連れられて一通りの挨拶を終え、ようやくこの息の詰まる空間から逃げ出そうと会場の出口へ向かっていた。
だが、その背中を甘い声が引き留める。
「エル隊長、少しよろしいかしら?」
「ひぃっ!? あ、ラクス様……どうかされましたか?」
振り返ると、そこには完璧な笑みを浮かべたラクスが立っていた。
「これからの旅程のためにも、連絡先を交換しませんこと?」
「え? あ、はい」
自然に取り出された端末に、疑問を口にするよりも早く、軍の回線とは別の個人的な連絡先を交換させられていた。
「うふふ、ありがとう。それで、実はもう一つお願いがあるのですけれど」
「……お願い、ですか?」
「ええ。慰霊団に、私の個人的な友人をあと二名ほど追加で連れていきたいのです。
ですが、手配済みの民間船(シルバーウインド)ではもう空き部屋の用意が難しいかもしれないので、隊長のアイビー級の方に乗せていただくわけにはいきませんこと?」
「は?」
さらりと爆弾を落とされ、レムは呆然とする。
「もちろん、隊長がお骨折りくださって、シルバーウインドの方に無理やりねじ込んでくださるというのなら、そちらでも構わないのですけれど」
<あー、厄介ごとのにおいがする。どっちにしろ私が手続きしなきゃいけないやつだこれ!
議長の娘の護衛だけならまだ、なんとか飲み込んだのに……>
レムは必死にラクスを思いとどまらせようと頭を回転させる。
「し、しかし、議長には先ほど一人(アグネス)と報告したばかりで……それに、軍艦に民間人をホイホイ乗せるわけには……」
「どうしても連れていきたいのです。どうか、お願いできません?」
ラクスは笑顔のまま、絶対に断らせない圧倒的なプレッシャーをレムにかける。
「……そ、そのお二人の年齢は? せめて成人(15歳)しておられませんと……」
「一人は15歳で成人しておりますし、もう一人は14歳ですわ。
でも、とても優秀な方たちですから精神年齢は問題ありませんわ」
ラクスの答えに、レムの顔がこれ以上ないほどに歪む。
<いや、問題おおあり!? 未成年じゃないか!
保護者の承諾と乗艦申請をどうすればいいのさ!>
「な、なんとかします……!
シルバーウインドに乗船されたほうが話し相手にもなるでしょうし、そちらの定員を先にあたってみます」
レムは震える手で腹部を押さえながら、深々と一礼する。
「うふふ、助かりますわ。ああ、保護者の承諾や各種手続きの手配は『すでに』なんとかしておりますの。
ですから、あとはエル隊長の権限で、名簿に許可印を押していただければよいだけですわ」
「……え?」
まるで自分の内心を読んだかのように――あるいは、事前にすべての外堀を埋めきっていたかのように、ラクスがトドメを刺す。
レムは完全に追い詰められ、浅い呼吸を繰り返した。
<ま、まあ……民間人でも二人くらいなら、なんとか誤魔化してねじ込めるか……ううっ、胃が痛い……>
「しょ、承知いたしました……。では、失礼します……」
翌日のシルバーウインド出航前に、なぜかアイビー内にラクス達の部屋が用意され荷物が運ばれていた。
レムが気が付いたのは、艦についてからだった。