アークエンジェルの艦長室に、マリュー、ナタル、ムウ、そしてエニルが集まっていた。
分厚いデスクの上には、ナタルから提示された当面のパイロットのシフト表が広げられている。
「現状、動かせる機体があたしのジンとキラのストライクだけなのは理解できるけど……志願兵として扱うにしても、何の教育も訓練も受けていない彼女を『連続十時間待機』にするのはどうかとおもうわよ」
エニルがシフト表を指差して言うと、ムウも頭を掻きながら頷いた。
「たしかになぁ。でも、そうするとおまえさんの待機時間が、準待機も含めて二十時間になるぞ?」
「大尉のメビウスが稼働状態になるまでの辛抱ですよ。
ド素人を最初に飛び出させて犬死にさせるよりはマシです。
……ですから、あたしがカバーしている間に、少しでも彼女に士官教育や基礎的な体力トレーニングを叩き込んでやってください」
エニルの現実的かつ理にかなった提案に、マリューやナタルは深く理解を示すように頷いた。
ムウが「俺が教えんの?」と面倒くさそうな態度を見せたのを確認すると、エニルはふっと口角を上げ、持ち込んだダッフルバッグに手を入れた。
コトリ、コトリと、机の上に琥珀色や無色の液体が詰まった美しいボトルが置かれていく。
「あたしたち『大人』のストレス解消に使いましょう。
艦長に二瓶、副長に一瓶、大尉にはこちらの上物の小瓶を。
あたしの分は別で確保してあるので気にしないで」
「こんなもの、どこで……っ」
お酒好きのマリューは、思わず手に取ってゴクリと喉を鳴らす。
一方のナタルは、軍務中の飲酒(私物の持ち込み)という規律違反を前に、どうしたものかと顎に手をやり難しい顔をしていた。
「うほぉーっ! こりゃあいい!
こんな役得があるなら、新兵の教育くらい喜んでやるさ」
真っ先に飛びついたのはムウだった。小瓶を大事そうに懐へ仕舞い込む。
「副長。あなた自身が飲まなくても、ストレスを溜めている乗員の相談に乗りながら、艦内慰安としてそれとなく出してあげてもいいと思いますよ」
「……なるほど。一理あるな」
エニルの悪魔の囁きに、生真面目なナタルもついに陥落し、ボトルを引き寄せた。
「さて。大人はこれでいいとして――問題は、キラです」
エニルのその言葉に、マリューとナタルがハッと息を呑む。
「彼女がコックピットから降りた後、あたしはまだちゃんと話せていませんが……いきなり実戦に引っ張り出され、挙げ句の果てにヘリオポリスの崩壊に巻き込まれたんです。
相当なストレスが掛かっているはずでしょう。そしてそれは、これからも続きます」
エニルはそう言って、ムウへ鋭い視線を向けた。
「一般的に、軍のパイロットがそういう極限のストレスを抱えた場合、どうやって発散させますか? 大尉」
「そりゃあ、なぁ……」
水を向けられたムウの視線が、無意識の内にマリューとナタルの豊かな肢体を舐め回すように動く。
だが、すぐにエニルの手がパシッとその視線を遮るように払われた。
「「っ!?」」
ムウの視線の意味(性的な処理)に気づいたマリューとナタルは、身を守るように自身の身体を抱きしめる。
「あなたという人は……!」
ナタルが目を吊り上げ、強い言葉で非難した。
「でもよぉ、新米パイロットのストレス発散には、古今東西『これ』が一番効果あるんだぜ?」
ムウがヘラヘラと悪びれずに言う。
「ええ、そうね。あたしも、その効果は痛いほど認めるわ。……だから、あたしがキラの『カウンセリング』を引き受けます」
「えっ!?」
「でも、いいの!?」
マリューとナタルの驚きの声の裏で、ムウが「マジで?」と目を剥いていた。
マリューは、血の滲むような思いで唇を噛んだ。
<前回は、私たちが彼女を戦わせ続け、心も体もボロボロにしてしまった……。今回は、絶対にそうはさせない>
その強烈な贖罪意識から、マリューは身を乗り出した。
「エニスさん、あなたが倒れてしまっても困るわ。
それに……私だって、そのための【覚悟】はしているつもりよ。何かあれば、私に言ってちょうだい」
艦長自らが身を差し出すような危うい発言に、ナタルがギョッとしてマリューを見る。
だが、エニルは静かに首を振った。
「いやいや、お気持ちはありがたいわ。けどね、艦長が一介のパイロットを偏重しすぎるのは軍の規律として良くないわ。
特に、これまで個人的な接点があったわけでもないのだし。……不満分子を生むだけよ」
「それは……」
「それに、あたしたちは同じコーディネイターよ。抱えている悩みや事情も……あたしがやるほうが、絶対に効果はあると思うの」
エニルの揺るぎない理詰めの説得に、マリューはぐうの音も出ず押し黙る。
「もっとも、時間的な制約もあるから、どこまでできるかは怪しいけれど。
幸い、キラとあたしが割り当てられたのは、それぞれ別室の二人部屋で、しかも隣同士。好都合よね」
エニルはそう言いながら、三人の大人たちを順に見渡す。
それはつまり、「夜の特権は自分がもらう。一切干渉するな」という、外部の傭兵からの痛烈な不可侵条約の宣言だった。
「カガリさんの事はどうするのですか? 護衛対象なのでしょう?」
ナタルがエニルに尋ねる。
「それを言われると困るのだけど。
アークエンジェルに乗っている間はどこにも行きようがないし、少しくらい放置して大丈夫かなと……」
エニルは苦笑しながら言葉を返した。
「まあ、本人がそれでいいと言うんだし、俺らが言ってもしょうがないんじゃない?
それよりも、あんまり艦橋を留守にもできないだろ、何かあればまた集まればいいさ」
ムウがそういって話を切り上げる。
「わかりました。エニスさん、彼女のことよろしく頼みます」
マリューがそう言って、話し合いがおわった。
* * *
艦長室を後にし、エニルがキラの割り当てられた部屋へと向かっていると、通路の先で真新しい連合軍の軍服に身を包んだ一団と鉢合わせた。
その中にいたミリアリア、フレイ、ジェシカ、ミーシャはピンク色の軍服にミニスカート姿、サイ、トール、カズイは青い軍服に白いズボン姿だった。
まだ階級章はないが、間違いなく地球軍の制服だ。
「あなたたち、それ……どうしたの?」
民間人であるはずの少年少女たちの姿に、エニルは思わず尋ねた。
「キラだけを戦わせたくないから。私たちにもできることをしたいと思って……志願したんです」
フレイが一歩前に出て、真っ直ぐな瞳で代弁するようにそう口にした。
その声には、単なる正義感や同情だけではない、何かに急き立てられるような、切実で痛切な響きが混じっていた。
「それに、艦橋に入って手伝いをするなら、制服を着ないといけないって言われて」
サイがフレイの言葉に付け加える。
「あなたたちね……」
エニルは言葉を詰まらせた。本来オーブ軍人である自分から見れば、彼らは守られるべきただの子供だ。
だが、今のこの艦に彼らを安全な場所へ逃がす余裕がないのも事実だった。
ただこの状況を歯噛みしているであろうカガリのことが頭に浮かぶ。
「エニスさんは、キラに用事ですか?」
エニルが複雑な思いで言葉を繋げずにいると、ミリアリアが聞いてきた。
「ええ。パイロットの待機シフトが決まったのよ。
その説明ね。そういえば、あなたたちも彼女の部屋から来たみたいだけど」
「私たちと同じ制服を届けに行ったんです。でも、キラ、すごく疲れているみたいで……」
エニルの言葉を聞いて、フレイが心配そうに答える。
「そう。あまり疲れすぎていると、逆に神経が昂って眠れないこともあるから、艦長に言って睡眠薬を出してもらうほうがいいかもね。
……ちょっと、彼女と話して聞いてみるわ」
エニルは子どもたちを安心させるように小さく微笑むと、キラの部屋へと歩を進めた。