――アイビー級(艦橋)
ラクス・クラインたちがアークエンジェルに向かってから、すでに二時間が経とうとしていた。
シルバーウインドの応急修理は難航していたが、安全なタキリまで船体を移動させ、部品なども提供されたことで、時間はかかるものの復旧の目途は立ちつつあった。
それに伴い、直掩に出ていたザフトのジンも一度帰投し、パイロットたちも艦内で休息に入っていた。
「あなたたち、ここは家のリビングじゃないのよ!
そんな下着が丸見えになるような制服の着崩しで寝そべらない!」
レム・エルは胃のあたりを押さえながら、ユズリハ・アマテとニャアン・コストをキツく注意する。
「えー、いいじゃん。ラクス様たちもやってたしー」
「パジャマパーティ、楽しかったねー、マチュ」
注意されたユズリハとニャアンは全く悪びれる様子もなく、傍らでは申し訳なさそうにしながらも、ポゥ・エイジが大量に持ち込まれたクッションに座り込んでチューブドリンクを啜っていた。
「まあまあ、戦闘中でもないんだし、いいじゃなーい」
そう言いながら、索敵・通信オペレーターのトニヤ・マームは、先頃休憩に入ってシャワーを浴びたのか、顔に美容パックをしたまま航路図席の椅子にふんぞり返っている。
その姿も制服のボタンを外し、煽情的でだらしないことこの上なかった。
<どうしてだ……最新鋭艦の艦橋が完全にリビング化してるじゃないの。
ああ、わかるわ。本当にラクス様たちが原因なのね……>
レムはイライラしながら、自らの戦隊長席にドカッと座る。
本来ここでクルーをまとめるべきナトーラ・エイナス艦長は、シルバーウインドの対応に向かわせたまま、いまだに帰ってきていなかった。
<連合の最新鋭艦(アークエンジェル)で、うちみたいな馬鹿なこと、絶対にしてないよね。
あんな得体の知れない連中のところにラクス様たちを行かせたこと自体が問題なんだけど。
……一緒に行ったほうがよかったかなぁ。
でも、連合の船は怖い。でも行かせたままなのは問題が……>
ぐるぐると堂々巡りの思考に陥り、懐に忍ばせた胃薬に手を伸ばした時。
レムの胃に深刻なダイレクトアタックを仕掛ける人物が、悠然と艦橋に戻ってきた。
「エル隊長。随分とお疲れのようですわね?」
聞き慣れた、それでいて有無を言わせぬ美声に、レムはギギッと首を向ける。
「……お帰りなさいませ。何か、向こうで問題でも起こしましたか?」
「あら、嫌ですわ。まだこれからですのに」
僅かな皮肉を込めたレム渾身の嫌味は、ラクス・クラインのどこまでも優雅な微笑みによってノーダメージで弾き返された。
「は? 何を言って……」
「アークエンジェルに行って色々お話したところ、皆様ととても仲良くなりましたの。
そこでお願いしましたら、わたくしたち、オーブへ留学することになりまして。
フフフ……いま、みんなの荷物をまとめている所ですわ」
その言葉に、艦橋にいる全員の視線が一斉にラクスへと集まる。
「は? ……ちょっと待ってください。どなたが留学を?」
「私を含めた全員です。地球への留学、楽しそうではありませんか?」
「いーなー!」
マチュ(ユズリハ)がラクスの言葉に心底うらやましそうな声を上げる。
「地球がいいのマチュ?」
「うん、なんかよくない?」
ニャアンの問いかけに、マチュが無邪気な問いかけで返した。
「いやいやいやいやっ! 正式な手続きを取ってください!
どこの世界に、敵国の戦闘艦に乗って中立国へ行くなんてふざけた話がありますか!」
「ここにありますわね」
「うぐぅっ……」
レムは胃と口元を押さえると、懐から胃薬を取り出し、水なしで一気に飲み込んだ。
顔は青白く、唇は紫になりかけている。
「百万歩譲りましょう。嫌、それでも重大事件なんですが……!
民間人が勝手にやったことなら、押し切れなくはないかもしれません。
ですが! ……ラクス様はプラントにお帰りください!」
「わたくし、運命の方に出会いましたの。譲れませんわ」
「ダメですっ!」
ラクスの強引な微笑みに対して、レムも今回ばかりは引くつもりはなかった。
<どうしようこれ。民間人が他国へ逃げるだけでも責任問題だし、今回の件で軍法会議だってあり得るのに……。
あれ? ひょっとして、死刑とか禁固刑でなければ、これを理由にザフトを辞められるんじゃ?
あ、国を出てコペルニクスとかに行けば、第二の人生を謳歌できそう……?>
極限のストレスから、レムの思考が現実逃避へと向かいかけたその時。
「仕方ありませんわね。まだ、エル隊長を失うわけにはいきませんから」
「……いえ、……は?」
「わかりました。わたくしは諦めますわ。
でも、他の三名のお見送りはさせてくださいませ」
「ああ、まあ……それくらいなら」
<……なんで急に折れたの?
まあ、それでも民間人三人の失踪報告をどうしようか……>
ラクスがあっさりと引き下がったことに拍子抜けしつつ、レムが頭を悩ませていると。
「あ、そうでしたわ。
エル隊長。こちらが、三人がオーブへ行くにあたっての『正式な経緯報告書』です。
隊長だけが閲覧することをおすすめしますわ」
そう言って差し出されたデータディスクを、レムは呪物でも見るかのように凝視した。
全身から嫌な汗を吹き出しながらそれを受け取ると、逃げるように自室へと向かった。
* * *
自室に戻ったレムは、震える手で端末にディスクを読み込ませた。
そこに記されていたのは、パトリック・ザラによるクーデター計画や暗殺リストといった、プラントの深すぎる闇(機密情報)だった。
そこには、今回の三名(アグネス、ルナマリア、メイリン)がターゲットにされる可能性が明確に示唆されている。
そして最後に、クライン家もまた暗殺対象となっていることが記されていた。
<ど、どう処理するのよーこれぇ……っ!>
あまりの内容にレムが頭を抱え、絶叫を呑み込んだその時だった。
「ごらんになりましたね?」
「ひぃっ!?」
レムはビクッと背筋を伸ばし、慌てて振り返った。
施錠したはずの自室に、いつの間にかラクス・クラインが立っていたのである。
「わたくしや、お父様も含めて敵は多いのです。
正規のルートが使えないなら、と考えるのは当然ではありませんか?」
「しかし……私にこれを見せても……っ」
「問題はありません。
エル隊長には、お父様とわたくしを連れて逃げてもらいたいだけですから」
<くぅっ。はめられた……っ!>
退路を完全に絶たれ、レムは心の中で血涙を流した。
<ヒルダさんに頼んでも良いのですけど、あの方、わたくしの事を崇拝しすぎていて動きが読まれますから。
それに、地球に降下できる艦(アイビー)を持っているのは、とても強いアドバンテージです。
……ふふっ。逃しませんわ、エル隊長>
ラクスの優雅な微笑みに、レムはただ胃を押さえてうずくまることしかできなかった。