激戦を終え、アークエンジェルが再び静寂の宇宙を航行し始めた頃。
艦長室では、マリューとナタルが重苦しい空気の中で対峙していた。
「なぜ戦う道を選んだのですか、艦長」
ナタル・バジルールの声には、疲労と強い焦燥が滲んでいた。
「あの結末を知っているのだから、先遣隊を見捨てて逃げる方が利口だったはずだ。
結果として本艦もモビルスーツ隊も甚大な被害を受け、守ろうとしたモントゴメリも沈んだ。……なぜ、あんな危険な賭けに出たのです」
「確かに、結果はそうだったかもしれないわ」
マリューは悲痛な面持ちで伏せていた目を上げ、真っ直ぐにナタルを見返した。
「でも、知っているからといって【運命だから】とそのまま従うわけにはいかないの。
私は、私達の信じた道を進みます。……それが、どんなに辛い道であっても」
その言葉にナタルが唇を噛み締めた時、艦長室のチャイムが鳴った。
「はい」
マリューが出ると、カガリが入室許可を求めていた。
マリューはナタルと顔を見合わせると頷きあい、扉のロックを外す。
「入るぞ」
ロックが外れるや、応答も待たずに入室してきたのは、オーブの姫であるカガリだった。
彼女は先日持ち上がった最大の懸念事項――ナタルとフレイの身柄を、どうやって【あの男】から守るかという議題を抱えてやってきたのだ。
「正直なところ、生存確認をする前ならタキリでMIA(戦闘中行方不明)という扱いにした方が良かったんだが……すでにタキリから生存報告を連合とオーブに送ってしまっているからな」
カガリは腕を組み、忌々しそうに現状を整理する。
「二人だけなら、オーブの誰かと婚姻関係を結んで船を降りる、あるいは亡命するという手がある。
もう一つは極めて難しいが、アラスカに行く前にオーブへ艦ごと亡命するかだ」
「私が婚姻、あるいは亡命……」
ナタルは眉間を揉み込みながら、苦渋に満ちた声を出した。
「しかし……あの男がどんな罠を使うか分からない中で、私だけがアークエンジェルを降りるわけにはいきません」
アズラエルもまた自分たちと同じように記憶を持っている可能性がある以上、オーブに逃げ込んだ程度で彼が手を引くとは思えない。
残されたアークエンジェルへの報復も十分に考えられる。
「なら、またアフリカに落ちて、MIAになる機会を待つか? もっとも、アークエンジェルに乗っている以上、それは通用しないだろうがな」
「まだ時間はあります」
手詰まりになりかけた空気を、マリューが宥めるように引き取った。
「まもなく合流する第八艦隊のハルバートン提督との話し合いには、カガリさんにも同席していただき、ナタルの意思を伝えましょう」
ハルバートン提督の庇護下に入り、アラスカの指揮系統から外れる。それが表向きは最も軍人として正しい手段だ。
アークエンジェルが第八艦隊に合流すれば、激戦に巻き込む可能性が高いことを。
それが根本的な解決にならない空虚な案であることは、マリュー自身も分かっていた。
「……他の方法がないか、私も考えます」
ナタルが沈痛な面持ちで俯いた時、カガリがポツリとこぼした。
「危険な賭けも、ないわけではないけどな」
「危険な賭け?」
「後先考えずに人員が確保できるなら……素直に月基地まで行って、問題の戦艦(ドミニオン)を強奪して逃げた後、しばらく身を潜めればいい」
あまりにも突拍子もない、極論すぎるカガリの提案に、マリューとナタルは息を呑んだ。
「もちろん、追っ手を撒くのに腕のいい奴らが必要になるがな」
ドミニオンの強奪。それは明確な反逆行為であり、軍人としての生真面目なナタルにとっては最も忌むべき選択肢だ。
だが、あの狂気の男から逃れるためには、そんなタブーを犯すしかないのか。
ナタルの胸の奥に、かつてないほど重く、冷たい葛藤が沈み込んでいった。
* * *
モントゴメリの喪失と激戦の傷跡が残るアークエンジェル。
その艦内にある、今は誰もいない展望室に、フレイとサイの姿があった。
「サイ……ごめんなさい。私、あなたとはもう……」
フレイは俯いたまま、絞り出すような声で切り出した。
「もともと正式な婚約ではなかったし。サイはいつも優しくしてくれたけど、私はもう……」
それは、サイとの婚約破棄――関係の終わりを告げる言葉だった。
サイは驚いて声を荒らげることもなく、ただ静かに彼女の言葉を受け止める。
「……お父さんのことがあったから? それとも」
サイは、傷ついた幼馴染を気遣うように、どこまでも優しい声で尋ねた。
「キラのことを、好きになったから?」
その直球の問いに、フレイの肩がビクッと震える。
彼女はゆっくりと顔を上げ、潤んだ瞳でサイを見つめ返した。
「……うん。私、キラが……どうしようもなく、好きになっちゃったの」
そこには、一度目の世界であったような打算や嘘は微塵もなかった。
ただ純粋な、一人の少女としての痛切な告白。
一拍の間を置き、フレイは深く頭を下げた。
「ごめんなさい……!」
サイは、頭を下げるフレイを見つめながら、少しだけ困ったように眉を下げる。
「でも……エニスさんとそういう関係だって、聞いたよ?」
サイの脳裏に、謎めいた紫のパイロットスーツを着た【彼女】――エニスの顔がよぎる。
サイは純粋に、フレイが傷つくのではないかと身を案じて言った。
「それでも、フレイはいいの?」
「……いいの」
フレイは顔を上げると、サイに向けて真っ直ぐに微笑んでみせた。
「私がキラを笑顔にするんだもの。それくらいのこと、多少はどうにかするわ」
それは、どこか無理をしているようにも見える、強がりの笑顔だった。
だが、その瞳の奥には、何があってもキラの心を支えるのだという、揺るぎない覚悟が宿っていた。
サイには、彼女が辛い表情を隠して必死に立っていることが痛いほど伝わってきた。
二人はしばらくの間、無言のままお互いを見つめ合った。
やがて、サイは「参ったな」というように小さく息を吐き、しょうがないという顔をして笑った。
「……しょうがないな。もともと、親同士が決めたようなちゃんとした話でもなかったしね」
サイは、責めるどころか、彼女の重荷を取り払うようにあっけらかんと言った。
「それに、キラのことが好きなんだろうなって……ずっと前から、気が付いていたから」
「サイ……」
その底抜けの優しさに触れた瞬間、フレイの中で張り詰めていた糸がぷつりと切れた。
かつての記憶の中で彼を酷く裏切り、傷つけ、最後まで謝ることができなかった罪悪感。
そして今、彼がすべてを許してくれたことへの安堵。
さまざまな感情が一気に押し寄せ、フレイの目から大粒の涙がボロボロと溢れ出した。
「うっ……ひぐっ……あぁぁっ……!」
両手で顔を覆い、子供のように声を上げて泣き崩れるフレイ。
「いいよ、今は泣いて」
サイはそっと彼女の隣に寄り添うと、ただ静かに、その震える背中を優しくさすり続けた。