タキリからアークエンジェルが離れた後、アイビーもまたシルバーウィンドと共にタキリを離れ、ユニウスセブンで簡単な調査を行いプラントに帰還した。
帰還したレムを待っていたのは、ラクスを伴っての最高評議会への報告だった。
最高評議会が執り行われる重厚な扉が閉まった瞬間、アイビー級戦隊長レム・エルは、心の中で長大なため息を吐き出した。
<死ぬかと思った……!>
先ほどまで、レムはパトリック・ザラやエザリア・ジュールら強硬派が顔を揃える評議会の場で、今回の航海に関する顛末を報告していた。
シルバーウィンドの座礁と応急修理、連合との交戦、そして短縮されたユニウスセブンでの調査。
……だが、その報告には決定的な【嘘】が混じっている。
ラクス・クラインからの厳命により、オーブの特務艦タキリに救助されたことや、連合の新型艦『足付き(アークエンジェル)』と接触した事実は完全に隠蔽したのだ。
アイビーの乗員にも徹底して口裏を合わせさせた結果、パトリックたちは疑うことなく「ご苦労だった」と労いの言葉をかけて報告は終了した。
心身ともに削られたレムは、そのままラクスと共にシーゲル・クラインの執務室へと足を運んでいた。
「よく無事で戻ってきてくれた、ラクス」
「ご心配をおかけしました、お父様」
執務室に入るなり、シーゲルは安堵の表情で娘を抱きしめた。ラクスもまた、年相応の可憐な愛娘の顔で父の胸に顔を埋めている。
「レム・エル隊長も、娘をよく守り抜いてくれた。感謝する」
「はっ。身に余る光栄です」
シーゲルからの真っ当な労いに、レムはようやく胃の痛みが引いていくのを感じていた。
――だが、平和な時間はそこまでだった。
「ところで、ラクス。お前が連れて行きたいと言っていたアグネス嬢と、随行のルナマリア嬢、メイリン嬢はどうしたのかな?
一緒に帰還したという報告が上がっていなかったが」
シーゲルの当然の問いかけ。
その瞬間、ラクスの纏う空気が、ぞっとするほど冷たく、鋭いものへと一変した。
先ほどまでの無邪気な愛娘の顔は欠片もない。そこにあるのは、全てを達観した【政治家】の顔だった。
「彼女たちは、オーブへ留学させました。
……現在のプラントは、彼女たちにとって極めて危険ですわ」
「危険、だと?」
ラクスは懐から一枚のデータディスクを取り出し、シーゲルのデスクに滑らせた。
そこには、パトリック派閥における不自然な人事異動や、遺伝子研究に関する非正規の動向が克明に記されていた。
メイリンの高度なハッキングと、ラクス自身の能力(アコードとしての思考の読み取り)を駆使してかき集めた情報だが、その手段をシーゲルが知る由もない。
「これは……パトリックの息がかかった部署のデータか。ラクス、お前はどうやってこれを調べたんだ?」
「それは、お答えできませんわ」
追求を許さない絶対的な威圧感。実の父であるシーゲルすら圧倒するその声色に、後ろで控えていたレムはガタガタと震え上がりそうになっていた。
<な、何なのこのお嬢様!? さっきまでお父様に甘えてたのに、完全に裏工作の手引きをしてるじゃない!>
シーゲルは深く眉間を揉み込み、やがて重く頷いた。
「……よかろう。三人の留学手続きと辻褄合わせは、私の方から手を回しておこう。
しかし、状況がいよいよとなれば、我が派閥も【脱出】を考えねばならんかもしれんな」
「ええ。その時は、よろしくお願いいたしますわ」
「そのためには、派閥で動かせる艦を増やす必要があるか……。
新型艦エターナルは軍部が押さえているが、まだ運用する人員がきまっていないのだ、そのあたりはデュランダル君が色々と動いてくれているのだが」
「デュランダル議員ですか?」
ラクスは聞き捨てならない名前について尋ねた。
「ああ、彼は最近積極的でね、クライン派の拡大にも色々と動いてくれているよ。
カナーバも助かっていると言っていた」
ラクスは笑みを浮かべているが、顔色が悪くなっているようにレムからは見て取れた。
「うむ、彼はすごいな。すでに軍部にも新派を作り、軍の新型モビルスーツ開発のあたりにも我々からとは別で人を送り込んでいるらしい」
シーゲルの言葉に、ラクスはしばらく笑みが消える。
「新型機ですか」
「うむ、アマルフィも絡んでいるがな、これまでにないモビルスーツになるそうだ」
ラクスは軽く息を吐くと、いつもの笑みを浮かべる。
「一度、お会いしたいですわ」
「うん、そうだな。今度何かの時に調整しよう」
「ありがとうございます。お父様」
シーゲルは機嫌よさそうに言うと、ラクスが微笑みながら返した。
プラント最高評議会議長と、その娘による、脱出計画の密談。
<聞かなかったことにしたい! 私、あの子たちをオーブの船に引き渡した張本人じゃない!>
自分がすでに恐ろしい陰謀のど真ん中に巻き込まれていることを確信し、レムはついに限界を迎えた。彼女は震える手で懐に手を入れると、用意していた真っ白な封筒――【辞表】――を取り出した。
「あ、あの、議長! 私……これを!」
レムが差し出した封筒を受け取ったシーゲルは、その表書きと、悲壮な覚悟(本当はただの逃避)に満ちたレムの蒼白な顔を交互に見つめ、ひどく感銘を受けたように深く頷いた。
「なるほど……。この計画がいざ露見した時、君に反逆の罪が及ばないよう、あるいは私に全ての責任を預けるための【白紙の委任状】というわけだな」
「へ?」
「見事な覚悟だ、レム・エル。君の好意、確かに預かっておこう。何かあればこの書状、使わせてもらう」
「ちが……あの、私、ただ辞め……っ」
<なんで!そんな笑顔で受け取らないで!?
わたしは辞めたいの、もう嫌なのよぉ>
レムがラクスを見ると、とても良い笑顔で頷かれた。
レムが「辞表です」と訂正するよりも早く、執務室の緊急通信モニターがけたたましく鳴り響いた。
画面に映し出されたのは、険しい顔をしたパトリック・ザラだった。
『シーゲル。例の「足付き」が我がクルーゼ隊を退け、軌道上の第八艦隊と合流しようとしている』
「何だと……?」
『数的不利を覆すあの厄介な新造艦を、このまま連合にくれてやるわけにはいかん。
制宙圏の確保のため、現在手の空いている艦艇を全てかき集め、第八艦隊ごと叩き潰す』
「なぜだパトリック。オペレーション・ウロボロスの前に動かすなど……」
『愛娘のレコアが危惧していたのだ、だからあの足付きは万難を排してでも沈めねばならん!』
「待てパトリック! たかが一兵卒の、それも娘の直感で軍の計画を歪めるというのか!」
『すでに決定事項だ。……無論、先ほど帰還したばかりのアイビー級にも出撃してもらうぞ。補給艦二隻と共に、すぐに前線へ向かえ』
<え、あたしたち、ザラ国防委員長の娘さんの言葉だけで死にに行くの?
う、うう……胃が>
レムはパトリックの言葉に顔を青ざめさせると、胃を押さえる。
一方的に通信が切れ、執務室に重苦しい沈黙が降りた。
「……すまない、レム・エル隊長。どうやら、君に休む時間は与えられないようだ」
苦虫を噛み潰したようなシーゲルの言葉に、レムの瞳から完全に光が消えた。
<休む時間どころか……なんで私は殺し合いに行けって言われてるの……!?>
辞表を受け取られず、強引に最大規模の艦隊決戦へと放り込まれたレムは、白目を剥いてその場に崩れ落ちそうになるのを必死に堪えていた。