C.E. 71年 2月9日。
アークエンジェル内の巨大な洗濯室(ランドリールーム)は、常に無数の洗濯機と乾燥機が稼働し、重低音の機械音とアイロンのスチーム音が響き渡っている。
出しそびれた私物の洗濯物を抱え、ミリアリア・ハウはその騒々しい区画へと足を踏み入れた。
だが、本来いるはずの当番の姿が見当たらない。
訝しんで少し奥へと歩みを進めたミリアリアは、高く積まれたリネンカートの死角で、目的の人物――ジェシカを見つけた。
ただしそれは、ミリアリアにとって最悪の形だった。
ヘリオポリスから一緒だったジェシカが、ミリアリアの恋人であるトールに馬乗りになって腰を振っている。さらにジェシカの顔の前には、ムウ・ラ・フラガが自らの猛りを押し付けていた。
入り組んだ死角であり、常に響く機械音が嬌声をかき消してくれるこの場所は、彼らにとって都合の良い密室だったのだろう。
ミリアリアは視界がぐにゃりと歪み、急速に暗くなっていくのを感じた。
悲鳴すら上がらない。彼女は抱えていた洗濯物をその場に落とし、足音を殺して、あてもなく来た道を戻っていった。
* * *
当てもなく艦内を彷徨い、人気のない通路の壁際にへたり込んでいたミリアリアを見つけたのは、待機明けで休憩に入ろうとしていたエニルだった。
格納庫で組み上がったばかりのジンの調整を終え、ひと段落したためシャワーでも浴びようと歩いていた矢先のことだ。
「あら。こんな所でどうしたの……って、ひどい顔ね」
うつろな瞳で、音もなく涙を流しながら震えているミリアリアを見て、エニルは即座に異常を察した。
声をかけても反応しない彼女の腕を優しく引き、「ちょっとおいで」と強引に立たせる。そのまま迷いなく、女性用の共同シャワールームへと連れ込んだ。
「いい? 何も考えなくていいから、腕を上げて」
脱衣所で、エニルは抵抗する気力すらないミリアリアの制服を手際よく脱がせていく。
そのまま半透明の扉を抜け、温かいシャワーを頭から浴びせかけた。温水が冷え切ったミリアリアの身体を包み込み、こわばっていた筋肉が少しずつ解れていく。
ふと、視界の端に違和感を覚えたミリアリアの焦点が、目の前に立つエニルの下半身へと向いた。
「え……?」
豊かな胸の谷間。女性らしい滑らかな曲線。
それなのに、足の間には男性器が立派に存在している。
極限のショック状態にあったミリアリアの脳に、全く別の強烈な情報が叩き込まれたことで、ようやく彼女の口から張り詰めた糸が切れたような声が漏れた。
「あ……エ、エニスさん……それ……」
「気がついた? そう、あたしは両性(フタナリ)のコーディネイターなの。驚いた?」
エニルがふわりと微笑むと、ミリアリアの瞳から、せき止められていた大粒の涙が堰を切ったように溢れ出した。
エニルの特異な身体への驚きがトリガーとなり、言葉と感情の詰まりが一気に解消されたのだ。
「う、あぁぁっ……! トールが……ジェシカと、フラガ大尉と……っ!」
「……そう。見ちゃったのね。辛かったわね」
エニルはミリアリアをそっと抱き寄せ、シャワーの湯に打たれながらその背中を優しく撫でた。
真面目で一途なミリアリアにとって、恋人と友人の裏切りは精神を破壊するのに十分な猛毒だ。エニルは泣きじゃくるミリアリアの濡れた髪を梳きながら、耳元で甘く囁いた。
「泣いていいから。あんなバカな男たちのこと、今は忘れなさい」
エニルの胸に顔を埋め、ミリアリアは子供のように声を上げて泣き続けた。エニルはただ静かに、ミリアリアの頭を撫でていた。
<まったく、面倒なことを。やるなら自室でやってよね。……それにフラガ大尉が絡んでるなら士気にも関わるし、艦長と副長に相談しないと>
頭を撫でながら、エニルは内心で冷静に今後の立ち回りを計算していた。
ひとしきり泣いて落ち着きを取り戻し、僅かに笑みを浮かべられるようになったミリアリアは、気恥ずかしさを誤魔化すようにエニルの胸と下腹部を指先でつついた。
「……本物なんですね」
「ふふふ、みんなそう言うわよ。ミリアリアだって、いいもの持っているじゃない」
「ひゃっ!?」
エニルがからかうようにミリアリアの胸や尻を触ると、狭いブース内に少しだけ明るい声が響いた。そうやってはしゃいだ後、二人はスポンジに洗剤を含ませ、互いの背中を流し合った。
* * *
シャワーを終えた脱衣所で、エニルは大きな鏡の前にミリアリアを立たせていた。
先ほどまでの蒼白な顔とは打って変わり、今のミリアリアの肌は温浴とスキンシップによって艶やかな薄紅に染まっている。
「うん、いい顔になったわ」
エニルは自前の化粧ポーチを開き、ミリアリアの泣き腫らした目元を巧みにカバーすると、自分と同じ色のリップを彼女の唇に引いた。
鏡の中にいる自分を見て、ミリアリアは小さく息を呑んだ。そこには、裏切られて泣いていた惨めな少女ではなく、少しだけ大人の色香を纏った美しい女性が立っていた。
「ミリアリアは元が可愛いんだから、自信を持ちなさい。もうすぐ艦橋のシフトでしょう? 堂々と胸を張って行きなさいな」
「……はい。ありがとうございます、エニスさん」
「今度、あたしたちの部屋(四人部屋)においで。
……個人的な話なら、別の場所でも聞けるからね」
悪戯っぽくウインクするエニルに、ミリアリアは戸惑いながらも、今日一番の自然な笑みを浮かべて頷いた。
* * *
ミリアリアを艦橋へと送り出した後、エニルは自分の部屋に帰りロッカーから荷物をバッグに詰めると、マリューのいる艦長室へと足を向けた。
自室にいたマリューは、エニルから「少し込み入った相談がある」という話を聞くと、艦橋から副長のナタル・バジルールも呼び出す。
「忙しいところ悪かったわね」
「構わないわ。それで、込み入った相談というのは?」
エニスは執務机の前に立つと、持参したバッグを開けた。
中から取り出し、マリューとナタルの前に置かれたのは、未開封の樹脂製のボトルが二つと、医療品の小箱が十箱だった。
「これは……?」
「こっちのボトルが低用量ピル……継続的な避妊薬ね。
で、こっちの箱が緊急避妊薬(アフターピル)。
一箱に三十回分入ってるわ。艦長と副長で、ボトル一つと箱を五つずつ持っておいてちょうだい」
エニルから突然提示された品物に、マリューとナタルは顔を見合わせた。
「エニス、唐突にどういうことだ? 我々にこれをどうしろと」
「言葉通りの意味よ。同意があったにしろ無かったにしろ、この極限状態のフネの中で、男性クルーと女性クルーがそういう関係になり始めているわ」
エニスは小さく息を吐き、極めて実務的なトーンで説明を続けた。
「でも、今のこの艦にはまともな軍医がいないでしょう?
だから、同じ女性であり、トップであるあなたたち二人がこれを管理して、必要になった子にこっそり融通してやってほしいのよ」
「……なるほど」
ナタルは腕を組み、重く頷いた。
軍規の乱れは言語道断だが、それを建前だけで取り締まれない現状において、実戦部隊の女性トップが薬を管理するという判断は極めて合理的だった。
「それで、具体的に何があったの?
あなたがわざわざこれを持ち込んできたってことは、すでに事例があるということでしょう?」
マリューの問いに、エニスは肩をすくめた。
「キラのメンタルケアの時に聞いた話なんだけど。
あの子、あたし以外の女性とも関係を持って、しかも避妊していなかったみたいなのよ。
一応、きつく注意した上で相手の女の子に飲ませるように薬は渡しておいたわ」
エニスは相手を知っていたが、それを隠して二人に話した。
その報告に、マリューとナタルの顔が微かに強張った。
相手がフレイ、そしてラクスかもしれないことを、二人は容易に察しがついたからだ。 だが、エニスの報告はそれだけではなかった。
「もう一つ。これはミリアリアから聞いたってことは絶対に秘密にしてほしいんだけど……ランドリールームの死角で、ジェシカがトールと、あろうことかフラガ大尉と一緒にヤッてたらしいのよ」
「…………は?」
マリューの口から、絶対零度の声が漏れた。
ピキッ、と。
マリューが握りしめていた電子ペンが、嫌な音を立ててひしゃげた。
<ムウ……あなたという人は、こんな状況で学生(志願兵)に手を出して……!>
先の記憶の中でムウと深く愛し合ったマリューにとって、現在の女性関係にだらしない彼の所業は、怒りを通り越して静かな殺意すら湧くものだった。
マリューは俯き、わななく肩を必死に押さえている。
一方、ナタルも深く眉間を揉み込み、頭痛に耐えるようにため息をついた。
「フラガ大尉まで……全く」
「そう言っても、今は人間の本能には逆らえないわよ。これからもこういう事は増えるでしょうね」
エニスが机の上の緊急避妊薬を指差した、その時だった。
「……っ!」
ナタルの動きがピタリと止まった。彼女の視線が、緊急避妊薬の箱と、エニスの顔をものすごい速度で往復する。
<待て。私も昨夜、この女と……っ!>
密室での記憶がフラッシュバックする。
相手が女性だという安心感と快楽に流されていたが、エニルは【両性具有】であり、立派な男性器を備えていた。そして自分は、その後何の処置もしていない。
<急ぎ飲まなければ>
昨夜のことが頭の中でよぎった後、子宮の中を意識したナタルの顔がカァッと朱に染まり、エニスに向かってギリッと静かな、しかし強烈な睨みを利かせた。
エニスはそれに気づかないふりをして、事もなげに言い放つ。
「あたしもすっかり忘れてたけど、タキリで人数分たっぷり補給しておけばよかったわね。
私も自分の分の確保しかしてなかったから、あ、私の分はちゃんとあるから安心して。
あの三人にも避妊薬は生理周期の問題もあるし渡してある」
「…………そうだな。この件はこちらでも対応するが、預かった薬は。
私と艦長で管理しよう」
奥歯を噛み締めながら答えるナタルと、いまだに手元のペンをへし折りそうなほどの怒気を発し続けているマリュー。
二人の上層部に実務的な爆弾を落とし、エニスは「よろしく頼むわ」と飄々とした足取りで艦長室を後にした。