――アイビー級惑星間軽巡洋艦(艦橋)
大気圏の境界面、重力の沼へ向けて猛スピードで突入していくアイビー級の艦橋は、阿鼻叫喚の様相を呈していた。
周囲にはいまだ地球連合軍の残存艦艇が散発的な抵抗を続けており、暗黒の宇宙を裂く無数の火線がアイビー級の艦体を掠めていく。
「速度上がりすぎです! このままでは摩擦熱で装甲がもちません!」
「推力そのまま! 減速したら重力に捕まって落ちるわよ!
各砲座、弾幕を絶やさないで!」
操舵士のアンナが悲鳴のような報告を上げ、戦隊長のレム・エルが血を吐くような声で怒鳴り返す。
味方艦からの同調圧力から逃れるため「前に逃げる」という奇策に出たレムだったが、連合艦隊の砲火を正面から引き受けながら重力の井戸スレスレを突っ切る恐怖は、彼女の想像を遥かに絶していた。
アイビー級は主砲と多数のミサイルを乱射し、文字通り火の粉を撒き散らしながら絶望的な降下を続けている。
「前方に巨大な熱源! アガメムノン級宇宙空母です! このままでは衝突します!」
レーダーのサラが叫ぶ。
その艦こそ、アークエンジェルの盾として最後まで前線に踏みとどまっていた第八艦隊旗艦【メネラオス】であった。だが、死に物狂いで砲火を掻き分けて逃げるレムにとって、それは単なる【道を塞ぐ巨大な壁】でしかない。
「面舵いっぱい! 回避急げ!!」
「無理です、間に合いません!」
「なら、強行突破する! 主砲、対艦ミサイル、全門開け!
正面の敵にありったけぶち込みなさい!」
半ば恐慌状態に陥ったレムの号令と共に、アイビー級から二十センチ主砲と対艦ミサイルが一斉に火を噴いた。
それは端から見れば、自らの命を捨てる覚悟で敵中枢へ肉薄する、狂気じみた特攻そのものだった。アイビー級はメネラオスから放たれる迎撃の雨を分厚い装甲で強引に耐え凌ぎ、その艦底を掠めるほどのゼロ距離へと肉薄する。
そして、下から突き上げるように放たれた対艦ミサイルと主砲の斉射が、アガメムノン級の船体を内部から徹底的に破壊し、真っ二つにへし折った。
「て、敵空母、轟沈!」
「よし、抜けたわ! マリア、サマラ級往還シャトル分離!
味方のモビルスーツを回収して降下しなさい!」
『はいっ! サマラ級、分離します!』
通信越しにマリアの声が響き、轟音と共に、アイビー級の船体中央から大気圏突入モジュールであるサマラ級が切り離される。
切り離しの衝撃で艦内に大きな音が鳴り響いたが、航行に影響は出ない範囲だったようで、慌てていたアンナからも「本艦の航行に問題なし!」と安堵の報告が上がる。
サマラ級はそのまま、降下限界点で身動きが取れなくなっていたミゲルやレコアたちのモビルスーツの回収に向かっていった。
「本体は直ちに機首上げ! 最大推力で戦域を離脱するわよ!」
身軽になったアイビー級は、メインスラスターの出力を限界まで引き上げ、地球の引力を強引に振り切るようにして上昇軌道へと乗った。
艦体を軋ませながら、なんとか安全圏へと逃げおおせたレムは、大きく安堵の息を吐く。
「戦隊長! 味方のローラシア級から通信です!」
トニヤの報告に、レムはハッと息を呑むと、パパンと両頬を叩いて気を引き締め、きっちりとした「ザフト軍士官」の顔へと切り替えた。
「回して」
スクリーンに、先ほど「前に出ろ」と怒鳴り散らしていたデラント艦長が映し出される。
『エ、エル戦隊長……貴官は……!』
デラントは目を丸くし、言葉を失っていた。
彼らの目には、アイビー級が【激しい弾幕で敵艦隊の防空網を単艦で突破し、身動きが取れなくなった味方を救うため、自らの危険も顧みずに敵旗艦へ下から特攻を仕掛けた】という、狂気じみた英雄的行為に映っていたのだ。
「こちらエル隊。敵空母を排除し、味方部隊の救援を完了しました」
レムは努めて淡々と、職務に徹した士官として事実のみを報告した。
しかし、先ほどの死と隣り合わせの強行突破の恐怖で彼女の顔色は青ざめており、声には隠しきれない疲労と震えが滲んでしまっている。
「ですが……敵艦隊の猛烈な砲火と無茶な機動、およびサマラ級の切り離しにより、本艦に被害が出ました。
これ以上の戦闘継続は不可能です。これより、本艦は補給艦の位置まで後退します」
『……あ、ああ。了解した。見事な突撃だった。
あとは我々に任せて、貴官らはゆっくり休んでくれ!』
通信が切れ、レムはピンと張っていた糸が切れたように、深々と戦隊長のシートに沈み込んだ。
「……よし。これで下がっていられる」
先ほどまでの毅然とした士官の顔は消え失せ、本来の気弱な声が漏れる。
無我夢中で弾幕を張りながら逃げた結果、敵の旗艦を偶然とはいえ沈めたうえに、危険な軌道からの救出劇まで演じたのだ。これで「艦に問題が出たので後退する」と言って、文句を言う者などザフトには誰もいなかった。
* * *
――ザフト軍・クルーゼ隊(ローラシア級艦橋)
「まさか、あそこまで深追いして重力に捕まるとはな……。
ミゲルとディアッカだけでなく、イザークやレコアまでもが落下していくとは」
艦長のアデスが、重々しい溜息とともに呟いた。
第八艦隊を壊滅に追いやったとはいえ、代償は決して小さくはなかった。優秀なパイロットたちを一挙に四名も失う可能性があったのだ。
「若さゆえの功名心か、あるいはあの【足付き】とストライクにそれだけ引き付けられる何かがあったか……」
仮面で顔を隠したラウ・ル・クルーゼは、どこか楽しげに、しかし冷徹な響きを含んだ声で応じた。
「艦長! 通信入ります!」
オペレーターの弾んだ声が響く。
「エル隊より分離したサマラ級往還シャトルが、落下中のモビルスーツ四機の回収に成功したとのこと!
対象はレコア機、ミゲル機、ディアッカ機、イザーク機!
全員無事です。サマラ級は現在、アフリカ大陸へ向けて降下中!」
「おお……! 救助されたか!」
アデスが安堵の声を上げる。しかし、すぐにその表情は険しいものへと変わった。
「だが……これだけの戦力を投入しても、結局あの足付きを沈められず、逃がしてしまった。なんという艦だ。あれは、我々にとって最大の脅威となるぞ」
「ふっ……まったくだな」
クルーゼは窓の外、青く輝く地球へと視線を向けた。
「その認識は、我々だけではない。本国のプラント上層部も同じだろうよ」
――同艦内(パイロット待機所)
薄暗い待機所のベンチで、アスラン・ザラは一人、虚空を見つめていた。
彼の脳裏を占めているのは、激戦の記憶ではない。戦場で刃を交えたストライク――そのコックピットにいた親友、キラの姿だった。
(キラ……なぜ、君が連合のモビルスーツになんて……)
自動扉が開き、ニコル・アマルフィが入ってくる。
「よかった、ここにいたんですね」
ニコルの声にハッとしたアスランは、呆けた顔を見られたことに気づき、慌てて取り繕うように表情を引き締めた。
「ああ……。レコアが、気がかりでな」
妹の安否を理由に誤魔化そうとしたアスランの顔を、ニコルが下からそっと覗き込む。そして、ふわりと安堵の笑みを浮かべた。
「無事だそうですよ。エル戦隊長のサマラ級シャトルが回収して、アフリカに降下したって、さっき連絡がありました」
「……そうか」
妹が無事だったという報せを聞いてもなお、アスランの反応はどこか上の空だった。
その様子を見たニコルは心配そうに眉を下げ、アスランの隣に腰を下ろす。そして、戸惑う彼を落ち着かせるように、そっとその身体を抱きしめた。
「ニコル……?」
「疲れているんですよ、アスラン。……行きましょう」
ニコルは、まだぼんやりとしているアスランの手を引くようにして立たせると、その身体をそっと抱き寄せるように支えながら、甘い吐息を落として彼をニコルの自室へと連れ出していった。