C.E. 71年 2月13日。
――ザフト軍・陸上戦艦レセップス(艦長室)
灼熱の陽射しが照りつける過酷な砂漠の只中にありながら、陸上戦艦レセップスの艦長室には、豊潤で香ばしい匂いが漂っていた。
特注のドリッパーに細い湯を注ぎ、ふわりと膨らむ粉を見つめる。それは北アフリカ駐留軍のトップであり「砂漠の虎」の異名を持つ男、アンドリュー・バルトフェルドにとって、戦場における数少ない優雅な日課だった。
自動扉が開き、副官のダコスタが足早に入室してくる。バルトフェルドは湯を注ぐ手を止めることなく、視線だけで先を促した。
「隊長、未明に宇宙から降下してきた二つの目標ですが、調査の報告が上がりました。
一つは友軍のサマラ級往還シャトル。そしてもう一つは……連合の足つきでした」
「ほう?」
バルトフェルドの目が、面白そうな獲物を見つけた肉食獣のように細められる。
「サマラ級往還シャトルは不時着し、救援信号と信号弾を確認しています。
すでにヘリで場所と生存者を確認しており、現在救助部隊を編成しています」
有能な副官の流れるような報告を聞きながら、バルトフェルドは淹れたてのコーヒーをカップに注いだ。
「そいつは大変だ。砂漠の夜は冷えるからな。
ダコスタ、お前はすぐに救援部隊を率いてサマラ級を迎えに行ってやれ。最高のもてなしでな」
「了解しました」
「それと、宇宙(そら)にも報告をしてやるといい」
言いながら、バルトフェルドはカップを口に運び、ゆっくりと一口啜る。途端に、その端正な顔に少しだけ不満げな皺が寄った。
「……ん。今日のコーヒーはいまいちだな、酸味が強すぎる」
「はぁ……」
緊迫した報告の間に挟まれる上官の趣味のぼやきに、ダコスタは慣れた様子で気の抜けた返事をする。
バルトフェルドはカップをソーサーに置くと、不意に声のトーンを落として本題を切り出した。
「それで、噂の大天使(アークエンジェル)に動きは?」
「まだ動きは見られません。すでに監視はつけています」
即答したダコスタだったが、ふと疑問に思って眉をひそめた。
「ですが隊長、私がサマラ級の救助に向かうとなると、大天使への対処はどうするおつもりで?」
その問いに、バルトフェルドは持ち前の威圧感と好奇心をないまぜにして不敵に笑った。
「決まってるだろう。宇宙から落ちてきたばかりの今夜が、奴らが一番【砂漠の戦い方】を知らない無防備な時間だ。
バクゥ隊と戦闘ヘリ、レセップスで今夜仕掛ける。俺自ら、大天使に挨拶に行ってくるさ」
また隊長の悪い癖が出た。ダコスタは内心で小さくため息をつきつつも、その戦術の合理性と指揮官としての嗅覚には一切の反論の余地がないことを理解していた。
「……了解しました」
ダコスタは素早く敬礼を残し、サマラ級救助の手配のために足早に部屋を後にする。
一人静まり返った艦長室で、バルトフェルドは酸味の強いコーヒーをもう一口煽り、果てしない砂の海の向こうにいるであろう未知の獲物へと思いを馳せた。
「クルーゼ隊を退けた大天使か。さて、どれほどのものなのかね」
* * *
――ザフト軍・アイビー級惑星間軽巡洋艦アイビー(艦橋)
アイビーは軌道上に浮かぶ補給艦で艦の整備を受けていた。
メインスクリーンに映し出されたプラント最高評議会国防委員長パトリック・ザラの厳格な顔を前に、艦橋にはピンと張り詰めた空気が漂っていた。
「――第八艦隊旗艦の撃沈、ならびに友軍の救出。
誠に見事な采配であった。エル戦隊長、ならびにアイビーの全クルーの奮力に、評議会を代表して賛辞を送る」
パトリックの重厚な声が響き渡ると、艦の指揮を執るナトーラ・エイナス艦長をはじめ、ブリッジのクルーたちが誇らしげに顔を紅潮させた。
しかし、名指しで称賛を受けた当のレム・エル戦隊長は、直立不動のまま内心で冷や汗を流していた。
<采配なんてしてない……! 必死で突っ込んだら勝手に敵の旗艦が沈んでいっただけなのに……!>
だが、臆病な彼女のそんな本音が口に出せるはずもない。
「はっ! 勿体なきお言葉、感謝の極みに存じます!」
「うむ。……さて、公式な表彰はこれまでだ。
これより本艦に対し、次期降下作戦の【最高機密命令】を通達する」
パトリックの言葉に、艦橋の空気が再び引き締まる。
「エル戦隊長、直ちに戦隊長室へ移動し、秘匿回線へ切り替えよ」
「はっ、直ちに!」
――アイビー(戦隊長室)
急いで個室へ移動し、最高機密回線を繋いだ大型モニターの前に立つレムの額には、じっとりと冷たい汗が浮かんでいた。
画面には先ほどのパトリックに加え、エザリア・ジュールが並んでこちらを見下ろしている。
「さて、本題だ。エル戦隊長、貴官にはこの後、接近中の補給艦から降下ユニットを受領し、直ちにアフリカへと降下してもらう」
「アフリカ、でありますか?」
「うむ。不時着したサマラ級往還シャトルの回収任務だ。
未来ある優秀な若者たちを、いつまでも灼熱の砂漠に留め置くわけにはいかんからな」
パトリックが静かに、しかし有無を言わさぬ圧を放ちながら告げる。どうやら彼らにとって重要なのは、第八艦隊を沈めたこと以上に「イザークとレコアが無事に生き残ったこと」であるのは明白だった。
「さらに追加の物資として、地上用四脚型モビルスーツ【バクゥ】四機、空中機動ユニット【グゥル】、そして追加パイロットとして【シホ・ハーネンフース】と乗機のモビルスーツを受領せよ。
降下後、ただちにイザーク、レコア、ディアッカ、ミゲル、シホの五名で特別モビルスーツ部隊を編成するのだ」
「は、はい……」
「隊長にはイザーク・ジュールを。副隊長にはレコアを据えなさい。
彼らにはその器があるわ」
今度はエザリアが、これ見よがしに口を挟んだ。レムの胃のあたりが、キリキリと痛み始める。
<それ、完全に親の贔屓人事じゃないですか……!>
「よいか、エル戦隊長。これは彼らにとって、地上という未知の環境を学ぶための重要な実地訓練でもある」
エザリアは笑みを深くしながら、さらに言葉を続ける。
「地球の重力、砂漠の街の文化、あるいは豊かな海……そういったものを自らの目で見て、肌で感じさせることが肝要よ。
だから、便宜を図って彼らが可能な限り自由に、個人で行動できるよう計らいなさい」
<実地訓練……? 便宜を図って自由に……? それ、ただの慰安旅行では……!?>
戦慄するレムに追い打ちをかけるように、パトリックが厳格な表情を崩さぬまま総括した。
「アイビーの降下は、巡洋艦の重力下運用の貴重なデータ収集も兼ねている。
ゆえに、カーペンタリア基地に到着するまでは、不要な戦闘は一切避けるように。
……これは絶対の命令だ」
<要するに、絶対に子供たちを危険な目に遭わせるな、と……>
すでに限界に達しつつあるレムの胃袋に、エザリアが最後の一撃を放つ。
「ああ、そうだわ。エル戦隊長」
「は、はいっ!」
「彼らが地上でどのように学び、どのような表情で過ごしているか……親としては、いえ、評議会としては非常に気になるところよ。
日々の報告書には、必ず写真――ええ、現地の風景とともに写る彼らの写真を忘れないようにしなさい。期待しているわよ」
「…………はっ。承知、いたしました」
通信が切れ、モニターが真っ暗になった瞬間、レムはその場にぐにゃりと崩れ落ちた。
「いたたたた……胃が、胃に穴が開く……っ」
軍の最高機密という皮を被った、プラント最高権力者たちからの「絶対安全なVIP慰安旅行の引率・カメラマン兼任」の強要。
臆病な彼女にとって戦闘を避けられるのは本来喜ばしいことのはずだが、万が一彼らに擦り傷でも作らせれば自分の命がないという凄まじいプレッシャーが、レムの精神をゴリゴリと削り取っていく。
「だれか……胃薬……」
這うようにしてデスクの引き出しに手を伸ばしながら、レムは理不尽すぎる自分の境遇を呪うのだった。