C.E. 71年 2月14日。
――軌道上。
アイビーはプラントから新たに送られた補給艦と接続し、大規模な整備を受けていた。
艦の下方に配置された二つの推進基部の間に、大気圏再突入に不可欠な円筒形の降下ユニットが慌ただしく取り付けられていく。
周囲の宙域には、先の激戦で損傷した艦艇がまだ多数残されている。それらの修理や救護を差し置いてでも、国防委員長からの命令により、アイビーの作業は最優先で進められていた。
アイビーの艦橋では、レムが戦隊長席に深く腰を下ろし、脇に立たせた艦長のナトーラと共に各部署からの最終報告を受けている。
「降下ユニットの接続、オールグリーン。各部スラスターの出力も正常です」
「推進剤および冷却材の充填完了。いつでもいけます」
オペレーターたちが次々と声を上げるが、その声にはどこか浮ついた響きが混じっていた。
無理もない。彼ら一般乗員たちには「アイビーは地上でのデータ収集試験に向かうため、戦闘は行わない」と通達されているのだ。
過酷な宇宙での実戦を抜け出し、これから地球という未知の世界へ降り立つという高揚感が、艦橋全体をまるで慰安旅行に向かうかのような緩い空気で包み込んでいた。
<地球に降りるっていうのに、どうして旅行気分なのよ……>
その空気の緩さに、レムは内心で深くため息をついた。上に立つ者として、このまま緩みきった状態で降下させるわけにはいかない。
「降下前に、総員は自室と関係する部署の最終点検を行うように」
レムはマイクを手に取り、艦内放送で凛とした声を響かせた。
「これから我が艦は重力下に入る。
無重力では問題なかった物が落ちてきたり、想定外の重量で取りにくくなることがある。
今のうちに重量物を確実に固定し、被害を防ぐこと。ただちに点検を開始して」
旅行気分の乗員たちに釘を刺すように指示を出しながら、レムはズキズキと痛む胃をそっと押さえた。
その指示が響き渡ると、艦橋要員たちも顔を見合わせ、交代で自室の確認へと向かう者が現れ始めた。
十分すぎるほどの時間が過ぎ、艦内全域から点検および整備完了の報告が上がる。
「補給艦との接続を解除、アイビー発進する」
レムの号令を受け、トニヤが楽しげにコンソールを叩く。
「りょーかいでーす。補給艦との接続アーム、パージしまーす」
重々しい機械音と共に、補給艦とアイビーを繋いでいたアームやケーブルが次々と切り離された。
「アイビー、発進します! みなさーん、地球へのドライブ、しっかり堪能してくださいねー!」
アンナが嬉々とした声を上げ、巨大な艦体が補給艦から離れていく。
「目標、アフリカ北部。低高度に侵入後、降下軌道に乗り次第、百八十度反転。バリュートを展開し、降下を行う。乗員は態勢固定、降下に備えて!」
ナトーラが復唱するように艦内へ告げる。
低軌道へと侵入したアイビーは、大気の壁にぶつかり、艦全体を凄まじい摩擦熱で赤熱化させながら降下軌道に乗る。
絶妙なタイミングで艦が反転。主推進器が停止し、細かなスラスター噴射で姿勢を安定させると、艦尾の降下ユニットから巨大な傘状のバリュートが勢いよく展開された。
「バリュート展開完了! 冷却材散布、開始します! あははっ、重力に引かれるこの感覚、たまりませんね!」
アンナの弾んだ報告と共に、赤熱する艦体へ特殊な冷却材が散布され、危険な熱の帯が急速に収まっていく。
同時に、乗員たちの身体を強烈なGと重力が襲う。
アイビーは赤い航跡を空に長く引きながら、重力に引かれて真っ直ぐに落ちていった。
「成層圏突破、目標高度に到達! バリュート切り離し。逆噴射開始! 揚力発生装置、最大出力!」
落下を支えていたバリュートがパージされると同時、艦底の推進器が凄まじい咆哮を上げて吹き荒れる。
空気を叩きつけるようなすさまじい振動に、艦内が激しく揺さぶられた。
やがて落下の勢いが殺され、強烈な逆噴射の圧力と揚力によって、アイビーの艦体が水平に安定する。
「いたた……」
「くそっ、重い……」
艦の動揺が収まった途端、重力に慣れないクルーたちの呻き声が艦橋のあちこちから聞こえ始めた。
「状況を確認して。怪我人や、各部で事故が起きているかもしれない。
……エイナス艦長、あとの被害確認と事後対応は任せます!」
すかさず指示を出したレムは、面倒な事後処理をナトーラに丸投げした。
慌ただしい確認作業の結果、数か所で荷物の落下による破損事故や、数名の乗員が落下時のショックで重力酔いを起こしていると報告が上がる。
<よかった。致命的な問題は起きてないわね>
最悪の事態を免れたことに安堵の息を吐き、レムは姿勢を正す。
「トニヤ、アフリカ方面軍の旗艦レセップスに連絡をつけてちょうだい」
「了解でーす。回線、繋ぎますねー」
トニヤが手際よく通信を操作し、少しして振り向いた。
「隊長さぁ、アフリカ方面軍から合流地点の指定来たよ。バルディーヤって街だってさ」
トニヤからの軽い報告に、レムは短く頷く。
「アイビーは指定されたバルディーヤへ向かいます。アンナ、進路変更」
「了解しました! 一気に行きますよー!」
レムの指示を受け、アンナが操舵桿を握り直し、アイビーを灼熱の砂漠が広がる大地へと向かわせた。
* * *
アイビーが指定された街・バルディーヤに到着すると、そこにはすでに陸上戦艦レセップスが砂海にどっしりと身を沈めて停泊していた。。
そのすぐそばには、一足先に不時着していたサマラ級往還シャトル「サマラ」の姿も確認できる。
レムがアフリカ方面軍の指揮官、アンドリュー・バルトフェルドのもとへ挨拶に向かおうと艦を降りると、そこには砂漠用のバギーに乗ったバルトフェルド本人が直々に出迎えに来ていた。
<なにこの暑さ……! 肌が焼ける……もう帰りたい>
宇宙の空調完備された環境から一転、容赦なく照りつける熱波と乾燥した空気に、レムは内心で悲鳴を上げた。
「よく来てくれた。アンドリュー・バルトフェルドだ。私もこの船を見てみたくてね。
そんなにかしこまって、気にしないでくれ」
バルトフェルドは、隣に控える赤毛の青年が何かを言う前に、気さくな態度でレムに声をかけた。
<身を焼く熱波に帰りたいと考えていただけで、かしこまってなんかいなかったんだけど……>
「この度、技術試験のため地球降下を行ったアイビー級惑星間軽巡洋艦アイビーの戦隊長、レム・エルです」
レムが汗を滲ませながら敬礼すると、赤毛の青年が几帳面な口調で話を継いだ。
「話もあるかと思いますので、レセップスで続きはお話しください」
「ダコスタ、もう少し愛想よくてもいいのではないかね」
ダコスタと呼ばれた青年の固い態度を、バルトフェルドはからかうように笑う。
「さて、ダコスタの言うとおりだ。なによりこの日差しは、宇宙暮らしには辛かろう。さっさと乗りたまえ」
促されるままレムがバギーに乗り込み、レセップスの艦長室へと案内される。空調の効いた室内に入り、レムは少しだけ人心地ついた。
「単刀直入に聞こう。目的と、何を運んできたのかね?」
「我々が此処に来た目的は、アイビーの大気圏再突入および地上航行試験です。
戦闘行為は禁止されています。
また、すでにこちらで回収されたサマラ級と、それが回収していたモビルスーツ四機、およびパイロットの引き取りになります。
プラントから運んできた補給物資はバクゥ四機になりますので、収容をお願いします」
事務的に報告しながら、レムは再びチクチクと痛む胃を押さえた。
対するバルトフェルドは、嬉しそうに顎を撫でている。その横でダコスタは、やれやれといった様子で額を押さえていた。
<まさか観光だなんて口が裂けても言えないし……あのエリートパイロット達の親がうるさいからとは言えない。つらいなぁ>
「ああ、それは助かる。あの四機は砂漠じゃまともに動かないし、エリート様たちは面倒でね。君たちが身柄を預かってくれて、本当に機嫌がいいところだ」
厄介払いができて清々したといった様子で、バルトフェルドが笑う。
彼らがそんなやり取りをしている裏では、アイビーと不時着していたサマラ級のドッキング作業が着々と進められていた。
「あれだけの艦だ、空を飛ぶんだろう? グゥルも積んでいるんじゃないか?」
「ええ、たしかに搭載していますが」
「しかし、もったいないな。艦にモビルスーツがあれだけ詰め込まれているのに、グゥルがあっても使いこなせるのかね?
うちで地上と空中の戦いを学ぶといい。なに、手間賃をくれればこちらも笑顔で手を差し伸べるさ」
<確かに。まともな訓練なら、できるところもないから……>
レムは少し思案した後、バルトフェルドの提案に乗ることにした。
「……グゥル四機で何とかなりますか?」
「ああ、もちろんだとも。これからもよろしく頼むよ」
快諾したバルトフェルドは、ふと目を細めてレムを見た。
「それはそうと、あの大天使(アークエンジェル)を地上に落とすのに参加しないかね?」
「私たちは交戦を許可されていません」
<お願い、もうこれ以上、そんな期待するような目で見ないで。戦わずに観光……したいのよ>
「そうかね? 聞いた話だと、やりようはありそうだが?」
「いえ、それはやりません」
レムが命令を盾に頑なに断ると、バルトフェルドは「そうか」と引き下がりながらも、窓越しに強固な着陸脚を下ろして停泊する巨大なアイビーの威容を眺め、何かを企むように視線を巡らせた。
「……まあいい。荷下ろし等もあるだろうから、好きなだけ居てくれたまえ。
そうだ、観光でもしてくるといい」
「ありがとうございます。バルトフェルド隊長」
その観光という言葉に内心で大きく安堵しながら、レムは席を立ちあがった。