宇宙に吊り下げられた砂時計のようなプラント――【アプリリウス・ワン】。
その底部に広がる海に、ぽっかりと浮かんだ島々のひとつで、レコアの兄アスラン・ザラはエレカを走らせていた。
周囲は閑静な住宅街だ。適度な湿度を保った風が彼の黒髪をなびかせ、助手席に置かれた花束を揺らしている。
高級住宅地にあってなお広い地所を持つ、一軒の邸宅――【クライン邸】に続く私道へ車を乗り入れ、案内に従い認証を済ませると重厚な門が開いた。
アスランはそのまま車を進めた。
広大な屋敷のホールで執事に取り次がれ、アスランは一人、静かにその時を待っていた。
豪奢な装飾に囲まれたこの空間に立つと、いつも十四歳だったあの日の記憶が蘇る。
親同士の政略によって婚約者として引き合わされ、戸惑う自分に、彼女は少しも物怖じすることなく微笑みかけてくれた。
<あの時から、彼女は変わらない。……俺は、どうなのだろうな>
ヘリオポリスでの崩壊、そしてかつての親友――キラ・ヤマトとの望まぬ再会と戦い。
血に濡れていく自分の手を見つめ、アスランが小さく自嘲した、その時だった。
「いらっしゃい……来てくださってうれしいですわ」
吹き抜けの階段の上から、銀の鈴を転がしたような声が響いた。
ピンク色の長い髪を揺らしながら、ラクス・クラインが優雅な足取りで降りてくる。
彼女の足元では、ピンクやネイビーなど、色とりどりの【ハロ】たちがピョンピョンと跳ね回っていた。
「すみません、少し遅れました」
「あら、そうでしたか?」
どこか懐かしむような目をした後、ラクスはおっとりと微笑む。
アスランがおずおずと持ってきた花束を渡すと、「ありがとうございます」と、ラクスはクスクスと笑みをこらえながら受け取った。
その周りで、ハロたちが絶え間なく跳び回っている。
アスランが組み立て、来るたびにプレゼントしたものだが、こうも多いとさすがにうるさくてかなわない。
「それにしても……ずいぶんとハロの数が増えましたね」
「ええ、お客様を歓迎しているんですわ。――さ、どうぞ」
ラクスは慣れているのか鷹揚に言い、奥へ歩き出す。
アスランはぴょんぴょん飛び跳ねるハロをかわしながら、それに続いた。
「しかし……すみません。これではかえってご迷惑では……」
ラクスに「気に入りました」と言われたのをいいことに、考えなしに作っては送っていた自分を少し悔やみつつ、アスランは言った。
「ほんとうに、この子たちには助けられていますから、気になさらないで下さい。
お客様があなただから、よけいにはしゃいでいるのでしょう。本当に久しぶりですもの」
「……すみません」
歩きながら紡がれたラクスの言葉に、足が遠のいていたことをなじられているような気がしてアスランが謝ると、ラクスはきょとんとした。
ラクスが途中、【オカピ】と呼んだロボットに花束を預け、お茶の用意を頼む。
ハロ達も、ラクスがネイビーハロに髭を書いた後、それを他のハロが追いかける遊びをはじめて跳んで行った。
<本当に久しぶりに落ち着けますわね。とても懐かしい。
……でもこっちのアスランは、どんな選択をするのかしら>
二人は美しく手入れされた庭をぶらぶらと歩き、やがて日差しの差し込む四阿(あずまや)に腰を落ち着けた。
ラクス自らが優雅な手つきでティーセットを用意し、アスランの前に温かい紅茶を差し出す。
「追悼式典には出られず、申し訳ありませんでした」
アスランはカップを見つめながら、静かに詫びた。
先日の「血のバレンタイン」の一周年追悼式典。
アスランは地球連合軍・第八艦隊との戦闘の渦中におり、参列することができなかったのだ。
「いいえ。お母様のために、私が代わりに祈らせていただきました」
「……ありがとうございます」
ラクスの優しい言葉に、アスランは少しだけ肩の力を抜いた。
「お戻りと聞いて、お会いできる日を楽しみにしておりましたのよ。
今回は、ゆっくりとおできになりますの?」
「さあ、それは……。休暇の日程はあくまで予定にすぎませんので」
言葉を濁すアスランに、ラクスは伏し目がちに紅茶の水面を見つめた。
「……この頃は、また軍に入る方が増えてきているようですわね。
わたくしのお友達も、何人か志願して行かれて……」
ふと、彼女の表情から天然めいた笑みが消える。
「……戦争が、どんどん大きくなっていくような気がします」
その声には、ただの深窓の令嬢のものとは思えない、酷く深い悲哀と達観が混じっていた。
だが、不器用なアスランはそれに気付かず、ただ真面目に頷くことしかできない。
「そうなのかもしれません……実際」
重い沈黙が降りた後、ラクスは顔を上げ、不意に言葉を紡いだ。
「そういえば……キラはどうしているのでしょうね?」
「なっ……!?」
突然飛び出した親友の名前に、アスランは弾かれたように顔を上げた。
「ど、どうしてあなたが、キラのことを知っているのですか?」
「追悼式典の前のことですわ。【シルバーウインド】での調査中、私たちの船がデブリに衝突して座礁してしまったのです。
その時……オーブの船が助けてくれましたの」
ラクスは当時の記憶を懐かしむように、ふわりと微笑む。
「そして、そこには連合の艦艇もいたのですけれど、少しばかりお会いする機会がありまして、色々とお話をしたのですよ。
……とても優しく、そして、あなたのことをとても気にしておられました」
「あいつは騙されているんです! ナチュラルの艦になんか……!」
アスランが思わず声を荒らげる。だが、すぐに自分の失態に気づいて口を噤んだ。
「……あいつは今、地球にいるはずです。無事……だとは思いますが……」
「小さい頃からのお友達だったのでしょう? そう聞きました」
「……そうです。ずっと、兄弟のように育って……」
アスランは苦しげに目を伏せ、かつての月面都市コペルニクスでの日々を思い出す。
「ハロのことも、お話ししましたの。
そうしたら、『相変わらずなんだな』って、とても嬉しそうに笑っておられました」
「……」
「自分の持っている【トリィ】も、あなたに作ってもらったのだと……キラ様も、あの子をとても大事にしていらっしゃるようですわ」
「あいつ、まだあれを持っていたんですか……」
トリィを通して、今もキラと自分が繋がっていること。それを肯定されたような気がして、アスランの胸の奥が微かに熱くなる。
「ええ、拝見させていただきました。とても……良いものでしたわ」
そんな彼の様子を、ラクスは静かに、慈愛に満ちた目で見守っていた。
そして、海風の吹き抜ける庭園の景色へと視線を移し、ぽつりと呟いた。
「わたくしはキラを愛しています。このことに嘘はつけません」
「な……っ!?」
唐突な言葉に、アスランは息を呑んで顔を上げる。
婚約者である自分を前にして、はっきりと告げられた別の少年への明確な愛情。
だが、アスランが何かを言い返すより先に、彼の目はラクスの横顔に釘付けになった。
海を眺める彼女の顔に浮かんでいたのは、無邪気な好奇心や、ただの少女の憧れなどではない。
それは、一人の男と共に生きると決めた、成熟した女の顔だった。
アスランはその顔を見て、自分が遥か遠くに置き去りにされた気がした。
「そうですわ。今度、ニコル・アマルフィさんと一緒にお茶をしませんか?」
「えっ、なっ、なんでそんな!」
ラクスが唐突に切り出した相手の名前に、アスランが狼狽する。
「わたくし、一度お話をしたいと思っていましたの」
「い、いや。彼女とはそんな……!」
ラクスの言葉に、アスランは思わず椅子を立ち、後ろに下がる。
「同じクルーゼ隊にいらして、両性の彼女とも親しくされているのでしょう?」
「い、いや、俺は本当に……!」
ラクスが笑顔のまま突きつけた言葉に、アスランの額にじっとりと冷や汗が滲む。
「そうですか。……そういえば、レコアさんがお茶をしたいと言っていませんでしたか?」
ラクスは僅かに目を細めながら、意図的に別の話題へと切り替える。
「あ、ああ。すみません、あいつは地球に行ってしまって。
その件はまた改めてご連絡します」
「そうですの、残念ですわ」
すっかり顔色を悪くしたアスランは、滲んだ汗を拭い、逃げるようにして椅子へ座り直した。