C.E. 71年 2月26日。
――アフリカ北砂漠・アークエンジェル
灼熱の砂漠地帯で、白い巨体が静かに砂の上へと着底していた。
前夜の激戦で蓄積したダメージを修復するため、アークエンジェルは一時的な休息と艦の整備を余儀なくされていた。警戒態勢は維持したままであり、上空ではムウのスカイグラスパーが定期的な周辺哨戒を行っている。
そんな中、艦の格納庫では一つの押し問答が起きていた。
「お願いします! 僕をスカイグラスパー2号機に乗せてください!
キラばかりを戦わせるわけにはいかないんです!」
トールが、艦橋から降りてきたマリューとナタルに対して必死に食い下がっていた。
「駄目よ。あなたはまだ正規の軍事訓練を受けていない学生なのよ?
そんな無茶を許可するわけにはいかないわ」
マリューは毅然とした態度で即座に却下する。
かつての記憶を持つ彼女にとって、トールの行動の結末を知っているからこそ、絶対に彼を空へ上げるわけにはいかなかった。
そこに哨戒から帰投したムウがやってきた。
「まあいいんじゃないの? こっちは手持ちの駒が足りなくてカツカツなんだ。
シミュレーターで適性があるなら、俺のサポートくらいはできるだろ」
「フラガ少佐! あなたは――」
「私も少佐の意見に賛成です」
艦橋からついて来ていたノイマン達からも、深刻な人員不足を理由にトールの出撃を肯定する声が上がってしまう。
そのやり取りを聞いていたミリアリアは、ため息交じりに呆れた声を漏らした。
「もう、トールったら……そんな無茶、やめなさいよ」
* * *
その後、アークエンジェルの艦橋。
今後の進路と作戦について話し合うマリューとナタルのもとへ、オブザーバーとしてレドニル・キサカが呼ばれ、その隣には護衛されるようにカガリも同行していた。
「紅海へ抜けるために大きく道を戻ったところで、一度発見されている以上、敵の増援に追いつかれて挟撃に遭うわ」
マリューが電子マップを険しい顔で見つめる。
「ならば、あえて相手の思惑に乗り、待ち伏せされているであろう『廃工場跡地』を最短距離で突破するのが最善かと」
ナタルの提案に、キサカも腕を組んで静かに頷いた。
「敵が手ぐすねを引いているのは間違いない。
正面をレセップスとピートリー級で塞ぎ、後方からもう一隻のピートリー級で挟撃をかける……。
となれば、廃工場の遮蔽物を利用して、アークエンジェルの横腹をモビルスーツ隊で叩きに来るはずだ」
「ええ。ですが、問題はこちらの手持ちの駒が足りないことです」
ナタルが忌々しげに呟く。
「キラのストライク、エニスたちジン二機とザウート改……正面を突破するだけでも手一杯よ。敵の伏兵を事前に暴くための偵察戦力が欲しいけれど……」
マリューがそう口にした瞬間、傍らで聞いていたカガリがピクリと反応した。
<わたしが乗る! スカイグラスパーなら扱えるぞ!>
かつての記憶を持つカガリは、自分が戦闘機に乗って出撃していたことを覚えている。
彼女がそう名乗り出ようと息を吸い込んだ――その直前。
スッ、と。
マリューとナタルが、見事に示し合わせたような動きでカガリから視線を逸らした。
「……ッ!?」
<ちょっとおまえら、今わざと目ぇ逸らしただろ!?>
カガリの無言の抗議を完全に無視し、マリューはわざとらしく咳払いをして結論を急いだ。
「ま、まさか未成年の民間人に戦闘機に乗れとは言えないわよね!
戦力は現状のままで、廃工場跡地を突破するわ!」
「同感です。このままバルドフェルド隊との決戦に挑みます」
マリューとナタルにとって、カガリ(オーブの姫君)をこれ以上危険な真似に巻き込むわけにはいかない。暗黙の了解でカガリの出番を封殺し、アークエンジェルの首脳陣は砂漠の虎との決戦に向けて急速に意識を固めるのだった。
「おい、ちょっと待てってば!」というカガリの不満げな叫びは、出港準備の慌ただしい喧騒の中へと虚しく吸い込まれていった。
* * *
――アフリカ北砂漠・アークエンジェル(夜)
艦の修復作業と夜間の警戒シフトが続く中、アークエンジェルの居住区画は静寂に包まれていた。
CICでの当直任務を終えたミリアリア・ハウは、重い足取りで薄暗い通路を歩いていた。
激戦を前にした極度の緊張と疲労で、今すぐにでもベッドに倒れ込みたい気分だった。
「やっと休める……。トール、ちゃんと寝てるかな」
ふと、幼馴染であり恋人のトール・ケーニヒの顔が浮かぶ。
今日の彼は、無茶を承知でスカイグラスパーでの出撃を志願するなど、どこか焦っているように見えた。明日になればまたゆっくり話ができるだろう。
そんなことを考えながら、ミリアリアは自身がフレイやジェシカたちと同室で使っている、四人部屋の前へと辿り着いた。
だが、自室のドアに手をかけようとした彼女の耳に、静まり返った通路には似つかわしくない、くぐもった嬌声と荒い吐息が漏れ聞こえてきた。
「え……?」
ロックされておらず、半開きになったドアの隙間から、薄明かりに照らされた室内の光景がミリアリアの目に飛び込んでくる。
「っ……あ……!」
「ははっ、いい声出すじゃないか」
そこにあったのは、同室のルームメイトであるジェシカとミーシャ、そしてムウ・ラ・フラガ――さらに、彼らに混じって快楽に身を委ねる、トールの姿だった。
大人の男であるムウの快楽主義的な空気に感化され、死の恐怖とプレッシャーから逃れるように流されてしまったトールが、あろうことかミリアリアの自室で、他の女性たちと肌を重ねていたのだ。
「嘘……」
ミリアリアは両手で口を覆い、息を呑んだ。
全身の血の気が引き、足の震えが止まらない。
彼女は限界まで見開かれた瞳からボロボロと涙をこぼし、足音を忍ばせることすら忘れて、自分の部屋から弾かれたように逃げ出した。
* * *
「エニスさん……っ! エニスさぁん……ッ!」
通路を泣きながら駆け抜け、すがるように叩いたのは、エニルたちが宛がわれている四人部屋のドアだった。
ドアが開くと、タンクトップ姿で眠たげに目を擦るエニルが顔を出した。
「……ミリアリア? どうしたの、こんな夜中に――」
「う、ああっ……! ひっ、うわああぁんっ!」
言葉よりも先に、ミリアリアはエニルの胸に顔を埋めて泣き崩れた。
そのただならぬ様子に、同じ部屋のベッドで寝ていたルナマリアとアグネスも跳ね起きた。
「ちょっと、どうしたのよ!? ミリィ、泣いてるの!?」
「なんなのよ、こんな夜更けに騒々しいわね……」
ルナマリアが心配そうに駆け寄り、アグネスが不機嫌そうに髪を掻き乱す。
「ルナマリア、アグネス。あんたたちは寝てなさい。あたしが話を聞くから」
エニルは二人を落ち着かせるように手で制すると、ミリアリアの背中を優しく撫でた。
「……ほら、泣きたいだけ泣いていいわよ。まずはゆっくり、何があったのか話しなさい」
エニルはミリアリアを部屋の中に招き入れ、しゃくり上げる彼女の背中を撫でながら、ゆっくりと話に耳を傾けた。
途切れ途切れの嗚咽に交じって絞り出されたのは、信じていた幼馴染の繰り返される裏切りだった。
トールが自室でムウたちと情事に耽っていたという信じがたい事実に、エニルは小さくため息をつく。
「……そう。辛かったわね。少し、汗を流しましょうか。一緒にシャワーを浴びに行きましょう」
エニルは震えるミリアリアの肩を抱き寄せると、部屋を出て、女性用の共同シャワールームへと彼女を連れて入った。
大きな鏡と洗面台が並ぶ脱衣所で、エニルは泣きじゃくるミリアリアを宥めながら、涙で濡れた彼女の衣服を優しく脱がせていく。
そして自身も身につけていたものを脱ぎ捨てて互いに裸になると、二人分ほどの広さがある半透明の樹脂製のシャワーブースへとミリアリアを促し、温かいシャワーの湯気を立ち込ませた。
水音に紛れさせながら、エニルは素肌のミリアリアの背中を優しく流し、先ほどの言葉の続きにただ静かに耳を傾けた。
自分だけが置いてけぼりにされたような孤独と絶望を吐き出す彼女を、エニルは落ち着いた口調で慰める。
「……男なんて、死と隣り合わせの極限状態に追い詰められれば、誰だって手近な快楽に逃げたくなるものなのよ。フラガ少佐も、あなたの彼氏もね」
「ううっ……エニスさん……っ、わたし、どうしたら……っ!」
「別にどうもしなくていいわ。ミリィは何も悪くないんだから。
ほら、今日はもうシャワーで嫌なものを全部洗い流して、ゆっくり眠りなさい」
エニルの落ち着いた言葉と、シャワーの温もりが、冷え切っていたミリアリアの心と体を少しずつほぐしていく。
やがて泣き疲れてすっかり脱力したミリアリアの髪を乾かしてやると、エニルは彼女を部屋に連れて行き、自分のベッドの毛布をめくった。
「ほら、おいで。今日はあたしと一緒に寝ましょう」
「……いいの……?」
「もちろん。あたしの胸でよければ、いくらでも貸してあげるわ」
エニルが優しく微笑むと、ミリアリアは小さな子供のように頷き、エニルの温かい腕の中へと潜り込んだ。
エニルに背中をトントンと一定のリズムで叩かれているうちに、ミリアリアの悲しみは静かな安心感へと変わり、やがて深い眠りへと落ちていった。
ミリアリアの穏やかな寝顔を見下ろしながら、エニルは小さく息を吐き、静かに目を閉じた。
<……やれやれ、どいつもこいつも極限状態で余裕がなくなってるわね。フラガ少佐も、若い子を巻き込むんじゃないわよ……>
エニルは胸の中で静かに毒づきながらも、腕の中の温もりを守るように抱きしめ直した。
<あれ? フラガ少佐は夜間、臨戦待機じゃなかった?>
ふとそんな考えが頭によぎったが、抱きついていたミリアリアを起こすわけにもいかず、翌日に確認することにとどめると決めた。