制服資産の減価償却録 〜終わらない絶望のタイムライン〜 作:naomasa
美月は地下の資料保管庫へと駆けていく。地下へと続く階段を下りきるにつれ、地上の空気に混じっていたわずかな熱気は完全に消失し、代わりに湿ったコンクリート臭と、古い書類の紙の粉、そしてカビの混じった重苦しい湿度が、美月の肌へと物質的にまとわりついてきた。純白のカッターシャツの袖を、肘の上まで乱暴に捲り上げた井上美月巡査は、右手の中に山本舞主任の「形見の手錠」の冷たい金属の感触をゴリゴリと骨に食い込ませながら、深淵の闇を切り裂くようなステップで廊下の最奥へと突き進んでいた。
古い電球が等間隔で吊るされただけの、薄暗い地下の直線通路。その突き当たりにそびえ立つ、一般の警察官の立ち入りを拒む防音仕様の重厚な事務用木製ドアの前に立った瞬間、美月の脳髄の最奥で、先ほどPC画面で目撃したばかりのあの凄惨な映像の残像が、強烈なフラッシュバックしていた。
(――『や、やめて……っ、私は……美波の代わりに、私が……ん、んぅううッ!!』)
男たちの手で髪を掴まれ、大義名分を紡ぐ正義の唇を剥き出しの肉棒で強引に塞がれていた、舞主任のあの無惨な姿。
「待っててください、主任……。美波先輩……。今、その檻から助け出して、そしてゴミ屑どもを全員地獄へ送ってやるので……ッ!!」
美月は低く地を這うような声で吐き捨てると、深く腰を落とし、自らの引き締まった肉体の全可動域を解放した。逮捕術で極限まで練り上げられた彼女の体幹が、強烈な一歩の踏み込みとなって爆発する。体重のすべてを左軸足から右の足裏へとリダイレクトさせ、重い木製の扉のノブが噛み合っている金属の接合部へ向けて、渾身のサイドキックを叩き込んだ。
ドウゥンッ!!!
地下の閉鎖空間全体を激しく震わせるような、凄まじい物理的衝撃音と共に、木製のドアパネルが中央から大きく裂け、ラッチが引きちぎれて不気味に跳ね上がった。その頃、扉の向こう側の広大な【地下資料保管庫】の内部は、かつてない想定外の混乱に陥っていた。
管理側である藤田美沙警部補はこの日は不在。代わりに鮫島警部が在室しており、下層インフラの定常稼働データを冷徹に検収している最中だった。ハッキングスキルを一切持たない刑事課の若手巡査が、千尋の遺した死角のUSBからピンポイントでこの暗渠の場所を看破し、今夜この瞬間に単独で殴り込んでくるなどという不確定要素は、彼らの考えの中では想定されていなかったのである。
「な、なんだ!? 何事だっ!!」
「何が起こった…まずは報告しろっ!」
地下資料保管庫内に響き渡る轟音、ましてや予期せぬ出来事であるが故に、さすがに鮫島も狼狽の色を隠せない。
デスクに並べられたバインダーが衝撃でガタガタと震え、平常通りだったこの資料保管庫執務室にいた黒幕たちのトーンが、唐突な狂犬の乱入によって一瞬で引き裂かれる。防衛要員として配置されていた反社の男たちが、慌てて対応を試みるが、予期せぬ乱入者に計算を狂わされた彼らの動作は、すでに数秒の遅れ(死角)を生み出していた。
「お前らか……ッ! 主任を……先輩たちをモノみたいに汚したのはぁぁああッ!!」
黒髪を激しく振り乱し、シャツの胸元を怒りの過呼吸で大きく波打たせながら、美月が獣そのものの眼光で密室へと躍り出た。
「このクソガキが、舐めるなッ!」
言葉を吐き出しながら立ち塞がろうとした大柄な男の懐へ、美月は凄まじい踏み込みで肉薄した。数か月間、刑事課の檻のなかで溜め込み続けた憤怒の全質量を右の掌へと収束させ、男の顎の先端へ向けて、下から斜め上へ突き上げるような強烈な掌底を炸裂させた。
ガッ!!!
骨が軋む鈍い衝撃音と共に、脳を強烈に揺さぶられた巨漢の身体が、完全に白目を剥いて支柱を失った泥人形のようにコンクリートの石床へとどさりと崩れ落ちた。
一瞬の事とはいえ、巨漢の男が一撃で倒された事に他の男どもも驚愕する。しかしすぐに気を取り直して、
「ふざけんじゃねえぞ、コラァ!、ナメてんじゃねえぞッ!!」
息つく暇もなく、背後から美月の細い首を絞め落とそうと、もう一人の男が獰猛な声を上げて組み付いてくるが、美月は自らの背中に触れた男の肉体の圧力を皮膚感覚で察知すると、即座に上体を低く沈め、男の右腕を自らの両手で固くホールドした。柔道の体捌きを応用し、己の骨盤を男の股下へと鋭く滑り込ませる。そのまま体幹のバネを一気に爆発させ、男の巨大な質量を前方へと力任せに投げ出した。コンクリートの防音壁の角へ向けて、直線的な一本背負いの軌道で男の身体が叩きつけられる。
ドゴォオオッ!!!
肉体と石壁が激突する凄まじい破壊音と、男の肋骨がまとめて数本ねじ折れる生々しい悲鳴が地下室に木霊した。美月のリミッターを解除された猪突猛進な大暴れは、組織側を内側から完全に粉砕していた。だが、この狂犬の猛攻の余波は、思わぬ形で最上位の黒幕へと牙を剥くことになった。
この大乱闘の最中に美月に叩きつけられた男の巨大な身体が、激しい勢いのまま、古い書類が山積みにされていた錆びついた旧式スチールラックへと激突したのだ。ガシャガシャと重い金属音が響き、ラック全体が大きく傾く。そのすぐ傍らで戦況を見届けようとしていた鮫島警部の方へと、重量物の山が倒れ込んできた。
「ぬ……っ!? しまっ――」
いくら現場叩き上げの警察官とはいえ、不意を突かれた鮫島に避ける猶予は残されていなかった。男の体重とスチールラックの重量に押し出されるようにして、鮫島は背後にあった壁の、鋭利に変形したコンクリートの段差へと自らの頭部を強烈に叩きつけられた。
グシャッ!!!
地下室に、生々しい肉の破裂音と骨の鈍い衝撃音が響き渡る。
鮫島の額から側頭部にかけて、赤黒い引き裂かれたような裂傷が走り、一瞬にして鮮血が噴き出した。その生々しい赤色の液体が、鮫島の冷徹な顔面の半分をドロドロに染め上げ、手元の人事監査書類の上へとボタボタと大きな汚点となって滴り落ちていく。
「……ぐ、おのれ……っ、この、狂犬めが……ッ!! おい、何をしている、早くそのアマを制圧しろッ!!」
鮫島は自らの手のひらで額の傷口を忌々しげに強く押さえ、指の隙間から血を大量に溢れさせながら、これまで維持していた平常心を完全に失って激昂した。美月は激しい荒い息を吐きながら、血を流す鮫島をキッと睨みつけ、さらに拳を握り直す。
「そこを動くな、お前が黒幕だなッ! 今すぐ主任の、美波先輩の場所に案内しろッ!!」
ハッキリとした生のセリフで怒号を浴びせる美月だったが、多勢に無勢という逃げ場のない物理的事実が、容赦なく彼女の四方を埋め尽くそうとしていた。
「うらぁああッ!! 調子に乗んじゃねえぞ刑事のガキがッ!」
周囲の木製ドアが次々と開き、無線で緊急招集された五人、六人と連なる夥しい数の男たちが、一斉に美月の肉体へと掴みかかってきた。美月は迫り来る拳をいなし、一人の腹へ鋭い膝蹴りを叩き込んで悶絶させたが、左右から同時に腕を抑え込まれ、背後から首根っこを掴まれてコンクリートの冷たい床へと強引に、力任せに押し潰された。
「離せ……ッ! 汚い手で私に触るな……ッ!!」
床に顔面を押し付けられながらも、美月は引き締まった肢体を激しく痙攣させ、男たちを撥ね退けようと規格外の抵抗を見せる。だが、上乗せされる男たちの圧倒的な質量(重量)の前に、四肢の自由を完全に固定されていく。
「暴れるなッ! おい、早く『アレ』を打て、首だ、首を狙えッ!」
男の一人が、美月の捲り上がった白シャツの襟元から覗く、汗ばんだ首筋の皮膚へと、監察特製の強力な弛緩剤(生体鎮静薬)の注射針を無機質に突き刺した。。
ピストンの動的な圧力と共に、薬液が毛細血管を通じて中枢神経へと強制注入される。
「あ……、が……っ、う、あ……」
あんなに猛り狂っていた狂犬の筋肉から、みるみるうちにすべてのエネルギーが去勢され、四肢の力が完全に抜け落ちていく。指先一つ動かせない完全な虚脱状態へと叩き落とされ、ただ荒い呼吸を漏らすだけの肉塊となった美月。
男たちは彼女の右拳から、激しい抵抗の証であった舞主任の「形見の手錠」を力ずくで強奪すると、無抵抗になった彼女の両手首を、まずは体の前面(前手手錠)でガチャリと施錠した。
「よし、かかったぞ。前手で繋いでおけ」
この場にいる男どもが、ほぼ全員「やれやれ」と言った感じで安堵の表情を見せる。
美月が大暴れした時間は10分にも満たなかったが、それでも黒幕側の被害は甚大だった。反社の男数人は骨折し、また軽傷ながらも手負いの人間は多い。そして黒幕のトップである鮫島は額に大きな裂傷を負い、忌々しく大暴れした美月を睨みつけている。
制圧され、薬によって大人しくなった美月に対し、男たちは衣服を荒々しく剥ぎ取り、下着と引き締まった胸元を剥き出しにしてみせた。
男たちの誰しもが、
「このアマぁ…」
と憎しみを込めた目で美月を睨む。そしてその美月の周囲へ、手傷を負って息を荒くした男たちが、下卑た欲望と復讐の眼光をギラつかせながら、静かに、じわじわとにじり寄り始める。男たちの怨嗟は美月に身体を標的にしつつあった。