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これは、夢だ。時折脳裏にフラッシュバックする記憶とは異なる物。呼び起こされた、昔の忌むべき記憶の追体験だ。
そう、陽炎にはわかった。しかしわかっていても、夢は覚めてくれない。
懸命に暴れようと、夢の中の彼女は手足を動かそうとする。が、全く動かない。見れば醜い肉の壁に肘と膝の辺りまでが飲み込まれていた。
ああ、やはりこれは夢だ、と改めて思う。
それでも状況は何も変わらない。陽炎は目を動かす。身につけた対魔忍スーツは裂け、控え目な乳房と秘部が露出している。顔を隠しているはずのフードマフラーも今は無い。
間違いなくこれは夢なんだ。
強くそう思っても、覚めてくれることは無かった。声を出して喚き散らそうとしても、声が出ない。
と、目の前に人影を感じ、彼女は顔を上げる。そして目を見開いた。
蠱惑的で小悪魔を思わせるような赤のコスチュームに、陽炎よりさらに控え目な胸を包み、一方で大胆に肌を露出させた1人の女性。
陽炎はそう口を動かしたつもりだった。だが、やはり声が出せない。
『ねえ、陽炎……。もうつまらない意地を張るのはやめなさい。一緒に堕ちて、楽になりましょう?』
優しく、甘い声。それでも陽炎は首を横に振り、誘惑を拒絶しようとする。
『どうして母さんの言うことを聞いてくれないの? 陽炎は母さんのことが嫌い?』
それも違う。もうこんなことはやめて。そして一緒に帰ろう。
何度も何度もそう言った、かつての言葉。しかしそれは届かず、そして今も届かない。
『……そう。まだ、私の気持ちはわかってもらえないのね。……ならしょうがない。もう少し、その子達にかわいがってもらいなさい』
冷たくそう言い捨てると、母は踵を返す。
待って、母さん。お願いだから待って。
そう言いたくても声は出ず、手を伸ばしたくても拘束が緩まることは無い。
そんな陽炎を嘲笑うかのように。彼女を捕らえる肉の塊が蠢き出した。醜悪で太い肉の触手が股間に迫り、秘穴を犯そうと鎌首をもたげる。
嫌悪の言葉を吐き出せないまま、触手が捻じ込まれ、胎内を抉り始める。何度も何度も経験した、嫌悪感と同時に耐え難い快感によって強制的に身体が上り詰めていってしまう感覚。数度触手に膣壁を擦りあげられるだけで身体は淫らに発情し、もう顔はだらしなく蕩けているのだろうと自覚していた。
触手の抽送が激しさを増す。嫌悪感しか浮かばない心を無視して身体は乱れ、やがて大きく震えて脱力した。望まぬ絶頂。それでもどうすることも出来ずにそれを迎えてしまったと、陽炎の瞳から一筋の涙が零れ落ちる。
母さん。
その言葉は、やはり声にならなかった。快楽と絶望の狭間で揺れたまま、陽炎の意識は闇へと堕ちていく――。
◇
「……ッ!」
荒く肩で呼吸を繰り返しながら、廃墟となった建物の中で座るように眠っていた陽炎は目を覚ました。もう何度見たかもわからない悪夢からの最悪の目覚め。冷や汗をかき、顔を隠すフードマフラーが張り付いて気持ちが悪い。
「……母さん」
ポツリと呟いてから、陽炎は顔を隠していたフードマフラーを脱いだ。ひんやりとした外気が汗で濡れた肌にあたって心地よい。そういえば覆面を脱いだのは久しぶりだと、その時になってようやく気づいた。
勝気そうな顔立ちに、大きいながらもキリッと吊り上げられた強気な目。整った鼻と口に、流れるように長い茶の髪の毛。まだ幼さを秘めた少女は、顔を拭って軽く頭を振りリフレッシュすると、再び覆面代わりのフードマフラーの下にそれらを隠した。
夜が明け、外は日が昇り始めたのを確認して陽炎は立ち上がった。今さっき見てしまった悪夢から心を切り替えるように目を閉じてひとつ呼吸する。次に目が開かれた時、もうその目からは弱さや迷いといった類のものは消え去っていた。
◇
「ブラックが復活したですって!?」
五車学園の校長室でさくらと紫の報告を聞いたアサギは、驚愕の表情を隠せないままそう口走っていた。
「おそらく間違いないよ。報告によると一旦ノマドを離反した魔族連中が、またノマドに戻るような動きが多く見られるって。その理由がエドウィン・ブラックが復活したからだ、って説が濃厚って言われてる」
「アサギ様、私の方にもそういう噂が入ってきております。それから……少し前に東京キングダム周辺で奇妙な女を見たという話も。朧ではないか、という噂も流れています」
「朧……だと……」
ブラックに朧。どちらも少し前の戦いで確かにアサギが死に様を目撃した者だ。その2人の名を聞き、さしものアサギも動揺している様子だった。
「どうする、お姉ちゃん?」
「……まだ確定情報ではない。とにかく今は情報を集めるのが最優先よ。現時点で断定するのは早いわ」
「ですが、もしその噂が本当だとしたら……かなり厄介です。ブラックがノマドを再編し、再び力をつける前に叩き潰す必要性もあるかと……」
「わかってるわ。それでもやはり情報は必要よ。とにかく今は……」
そう言ったところでアサギの専用回線が鳴った。タイミング的にももしかしたら、と思いつつ、アサギは2人に少し待つように仕草を見せつつ、回線に応じる。
『アサギか?
「あら、やっぱり部長。丁度いいタイミングよ」
通信の相手は山本
「今さくらと紫からよからぬ話を聞いていたところ」
『ということは2人もそこにいるか。なら2人も入れてもらっていいかな。おそらくお前が聞いたという話と同じだろう。……実は私の友人から無視できない情報を聞いた。あのエドウィン・ブラックがヨミハラに舞い戻り、ノマドを率い直そうとしている、というのだ』
やはりか、とアサギは心の中に苦い物が溢れるのを感じていた。まだ確証こそないものの、山本経由で得た情報ということで、一気に信頼度は増したように思えた。
「部長、今さくらと紫から聞いた情報だと朧を見かけた、という噂もあったと聞いたわ。その辺りは?」
『朧だと? ……いや、それは初耳だ。しかしお前達が倒したはずのブラックと朧……。どうにもこれはきな臭いな』
山本の言葉の通りだとアサギは思う。なるべくその話の信憑性を確認し、対策を練らなくてはならない。
『それからもうひとつ』
「何?」
『学園の校長室に忍び込んだという陽炎、という覆面対魔忍のことだ』
「何かわかった?」
期待の声で問うアサギだが、返って来た声色は少し暗かった。
『……いや。すまないがほとんど何もわからない。ただ、ゆきかぜと凜子の居場所を執拗に聞いて回っているようだ、ということは友人からの情報で明らかになった。そろそろ何かを掴むかもしれん。そうなると、潜入している2人が危険に晒されることもある』
「やっぱりゆきかぜと凜子、か……。なんなのかしら」
「愛ちゃんと接点があるんじゃないか、って話だったけど、幸奈の話だと愛ちゃんも初めて会ったみたいだよ。ただ……向こうはやけに親密そうに話してた、って。それから、愛ちゃんの攻撃……それも術を絡めた攻撃も捌いたっても言ってたけど」
横から口を挟んださくらに、難しい顔のまま紫が付け加える。
「何度聞いても信じられん話だ。あの愛子を相手に互角にやり合う、ましてやあいつの特殊狙撃を避けるなど事前情報無しにはほぼ不可能だ。しかし愛子は知らない様子だったという話だし、向こうが一方的に知っている、というのはやはり気になる。愛子は腹芸なんて出来ない。何かを隠しているとは思えない」
でもさ、とさくらが口を開いた。
「あの後愛ちゃんから情報があったよね。他の地区の情報屋も当たってみたら、陽炎……っていうか厳密には覆面の女の子だけど、目撃され始めたのはこの1ヶ月以内らしい、って。それって……」
「ええ、私もさくらと同じことを考えていた。ブラックと朧の噂に合わせるように、どうもタイミングがよすぎる。ブラックが死んだことを『知らなかった』と言ったのは本当な気がするんだけど……。こうなってくると私としては『ブラックに気をつけろ』と言われたあの言葉。どうにも疑わしく思えてくる。何か深い意味があったんじゃないかって。……部長はどう思う?」
アサギに問われ、会話の相手は考え込んでいるようだった。
『……何とも言えん。正体すら皆目検討がつかない相手だ。確かにお前の言うとおりタイミングがよすぎる。今回のブラック復活という噂の件と関わりが無いとも言い切れない。が、あるとも言えない。お前の話では敵意はないようだった、ということだが、悪いがこうなってきては鵜呑みにもできんな』
「段々と、こちらとしても動いた方がいいかもしれない、か……」
ふう、と大きくアサギはため息をこぼす。
「連絡ありがとう。もう少し情報を集めて対策を練るわ。部長も何か耳寄りな情報があったら連絡を頂戴」
『わかった。……なにやらまた大きな闇が蠢きだしそうな予感がする。気をつけろよ』
その山本の言葉を最後に、通信は切れた。室内に不気味な沈黙が残る。
「……さくら。陽炎を探すわ。こうなったら探し出して、力尽くでも話を聞く」
「でも愛ちゃんのところにも現れていないって話だし、闇雲にっていうのは厳しいと思うよ」
「幸奈を筆頭に隊を組織させて。それである程度範囲をカバーさせる。その網に……陽炎だけでなく、見かけたと言われているう朧が引っかかれば、それもそれで有力な情報だし。……凶報ではあるけどね」
「アサギ様は、どうお考えですか? 一度刀を交えた印象として……陽炎は我々に仇成す存在だ、そう思われますか?」
紫に問われ、アサギは口を閉じた。ややあって、ゆっくりと開く。
「……断言は出来ない。だけど、少なくとも私に対する敵意は無かった。でも、ゆきかぜと凜子を探している理由がわかるまで、やはり何とも言えない。2人をどうしたいのか、それによっては敵、とも判断するわ。無論、可能なら対魔忍と本人が名乗っている以上、ちゃんと話を聞いて、味方に引きこみたいとも思うけど」
それは本心に他ならなかった。謎が多い彼女は何者か。そのことがわかるだけでも、何か状況が変わるきっかけになるかもしれない。
加えて無視できないブラックと朧という話。もしかしたら先ほど山本が述べたように、「大きな闇」が、自分の知らないところで蠢き出しているのかもしれない、とアサギは思っていた。
◇
「どうだい、新しいあんた専用の研究室は。気に入ったかい?」
ヨミハラの闇の宮殿。その中の一角。新たな研究室として生まれ変わったその部屋へと足を踏み入れながら、朧は研究デスクの前に腰掛ける美琴にそう尋ねていた。
「……最高の研究設備を用意してくれる、っていう話は嘘じゃなかったんですね」
不機嫌そうな視線を隠すことなく横に流しつつ、魔剣士女医は答える。どこか不遜な態度だというのに、朧は特に気を悪くした様子は無かった。
「こう見えても私は約束はちゃんと守るのよ? でももうちょっと喜んでもいいんじゃなくて?」
「確かに用意はしてくれた。……その代わりに私は首輪を嵌められましたけど」
「研究できる環境があればなんでもいいんだろう? それを私はちゃんと与えた。何が不満さ?」
「……これからずっとその顔を見ないといけないことですよ」
ここまで言われても朧はやはり機嫌を損ねることはなかった。声を上げて笑っただけだった。
「私も随分と嫌われたもんだねえ。別に恥ずかしがることなんて無いじゃないさ。自分が作った最高の拷問器具が予想通りの効力を発揮した。それを己の身をもって知った、というだけの話じゃない」
「このっ……!」
鬼神の腕に力を込めて立ち上がる美琴。しかし力を込めた手をわなわなと震わせた後でそれを下ろす。
「そうそう、それでいい。懸命な判断だよ、ドクター美琴。……わかってるよねえ」
すうっと、足音も無く朧が美琴に近づき、小さな声で話し出す。
「もう私とあんたは一蓮托生。私達がやろうとしてることがイングリッドにばれれば、私もあんたも消される。よしんば逃げられたとして、やっていることがことなだけに、あの女は地の果てまでも追ってくる。それは予想がつくでしょ?」
「……想像したくもないですね」
「私もよ。あいつの炎に焼かれるなんて御免被りたいわ。……でも安心していいわよ。私が生きている間は、あいつに手出しをさせない。その間のあんたの命は保証する。だからあんたは私がいなくなると困るでしょ。それに、私もあんたがいなくなると困るのよ」
美琴は無言を返した。心の中ではわかっている。だがそれを表面に出したくなったのだ。
「……変な気だけは起こさなさんな。持ちつ持たれつ。私の頼みさえ聞いてくれてれば、あとは好きな研究を出来る環境を用意してあげるから。仲良くいきましょうよ。だって私達、友達ですものね?」
誰と誰が、と言いたい美琴だったが、それを飲み込んだ。
「だって友達だから、ちゃんと約束を守って胸と股間のあれを外して、あなたの命も奪わないであげたのよ。その上でこうやって施設まで提供してる」
「……そのことは一応それなりに感謝してますよ。でも、そこまでのアプローチを思い出したくもありませんけど」
「出会いは最悪のガール・ミーツ・ガール。なんてね。恋も友情も、障害を乗り越えたほうが成就するものなのよ。ウフフ……」
これ以上この話題を続けても自分の苛立ちを募らせるばかりだ。そう判断した美琴はため息をこぼして不満の色を見せつつ、話題を切り替えることにした。
「……にしてもこの部屋、元々研究室か何かだったみたいですね。魔科医の私からしても、あまり趣味がいいといえない物がありましたし」
「ああ。フュルストが使っていたらしいわよ。あいつのことは知ってる?」
「ええ。我が不肖の弟の師匠、ショタ狂いのホモ野郎。私も魔科医なわけですが、我ながら下衆が多いとわかってる魔科医の中でも群を抜いての下衆である代わりに、腕だけは超一流。……弟があいつに師事すると聞いたときに大喧嘩しましたよ。にも関わらず佐馬斗の奴、姉上の忠告を無視してあんな奴に教えを請うなんて……」
「あらあら、弟思いなのね。でもあいつも、あなたの弟も腕は本物だったわ。それこそ、あなたと同等と言えるほどに」
「へえ。あなたが人を賞賛できるとは思っていませんでした」
朧は声を上げて笑う。
「いいわね、その物言い。いくら自分は私に殺されないとはわかっているとはいえ、なかなかいい度胸じゃない。……でも気に入ったわ。私との接し方、わかってきたみたいじゃない?」
褒められたはずが、美琴はどうもそういう気にはなれなかった。
と、その時、部屋の扉がノックされる。
「桐生の姉よ、入るぞ。ブラック様の診察の時間だ」
見ればイングリッドが車椅子のブラックを押してそこに立っていた。背後には彼女の親衛隊らしき姿が数人見える。やはりというべきか、ブラックの世話係はイングリッドが申し出て親衛隊と共にその役割を担うことになっていた。
「あら、もうそんな時間?」
「朧……? 貴様、何をしていた?」
「何、って。自分の部下と話をしていただけよ。文句無いでしょ? じゃあ私は行くわ。美琴、あとはよろしく。くれぐれもブラック様に失礼のないように。そして、イングリッドを怒らせないように」
そう言い残し、朧は部屋を後にしようとする。
「何か用事でもあるのか?」
「ええ。面白い話を耳に挟んだのよ。『雷撃の対魔忍』と『斬鬼の対魔忍』を探している陽炎と名乗った覆面の女がいるってね。様子からいうとそいつは対魔忍らしかった、とも」
「対魔忍が対魔忍を探す? 仲間割れか?」
「さあね。でも面白そうな話じゃない。少なくとも私はちょっと興味が沸いた。その情報元を洗ってみれば、何かわかるんじゃないかってね。……ちなみにイングリッド、陽炎という対魔忍、聞いたことは?」
「知るか。小物の名前などいちいち覚えていない」
「あら、そう。……とにかく私は行くわ。ブラック様のこと、よろしくね」
言われるまでもない、という声を背中で聞き流し、朧は部屋から出て行く。だがその顔には何とも言えぬ不気味な笑みが広がっていた。
(「雷撃」と「斬鬼」を探す陽炎……。ふふふ、なるほど、そういうわけね。面白いことになってるじゃないの。うまくいけば……)
笑みは邪悪さを増す。沸き立つ心のまま、朧は足を進めた。