◇
DSO日本支部。椅子に腰掛けたアスカは、アンドロイド・アーム&レッグのメンテナンスを受けていた。といっても四肢に取りつけたまま反応を見る軽いものである。大した時間もストレスもかからず、あっさりとそれは終わった。
「終わったよ。普段からこのぐらいだと、こういう短い時間で済むんだけどね」
「わかってはいるんだよ、小谷っち。でもそういかないことが多いんだって」
「ははは……。まあ、そうだね」
小谷とのやり取りを終え、アスカは立ち上がって大きく伸びる。そうしつつ、どうにも心に引っかかる物を感じていた。
なんだか今日の小谷は、顔を合わせたときからの様子が変に思えたのだ。長い付き合いで兄妹のような信頼関係が生まれているからわかる、微妙な違和感。だが小谷はそれを隠すようにしていたため、アスカは聞くべきか迷っていた。
(……まあ奥さんのこととかだろうな、きっと)
一見パッとしない小谷だが、妻はアメリカ人でバックパッカーで旅をしていた時に出会った、という経歴を持つ。そして小谷健司というのは昔の名で、今は帰化しているために健司・アンダーソンが本名である。なかなかの愛妻家であるらしく子供も1人いるそうだが、仕事が仕事なだけにしょっちゅう顔を合わせるわけにもいかない。きっとそのことで何か言われたのだろうとアスカは考え、努めて明るく声をかけることにした。
「ねえ、小谷っち。何か悩んでることでもあるの?」
「え!? い、いや特に……。なんでだい?」
ビンゴ、とアスカは内心で笑みをこぼす。長い付き合いだ、誤魔化そうとしていることなど容易にわかる。
「なーんか今日の小谷っち、ちょっと様子が変だなーって思って。奥さんから何かメールでも来た?」
メール。その単語に愛想笑いを作っていた小谷の表情が固まった。
「……小谷っち?」
様子が変わったことにアスカは戸惑う。もしかしたら触れてはいけない話題に触れてしまったのかもしれない。どうしたものかと迷っているところで。
「……そうか。アスカにはわかっちゃうか。黙っておこうと思ったんだけど……。相談してみようかな」
言うなり、真面目な表情になった小谷はアスカを自分が使う端末へと呼び寄せる。
「所長は今日出かけてるよね?」
「え? う、うん。どうしたの?」
「アスカは……。所長がブラックとの戦いの後、しばらくしてから突然戻ってきたことをどう思う?」
「どう、って……」
嬉しさはあった。本人の口から死を悟るような言葉を聞いていた以上、その後消息不明ということになっていたがこの世にはもういないものだと思っていた。その所長が帰ってきたことは、素直に喜んだ。
だが同時に、なぜすぐ戻ってきてくれなかったのか、という疑問も浮かんでいた。戻ってきた所長は確かにアスカの知る所長だった。が、消息を絶ってから戻ってくるまでの間のことは、相変わらず話してくれずに謎に包まれたままである。
「所長の空白の期間、何があったのかって考えたことはないかい?」
所長である仮面の対魔忍が突然戻ってきたのはブラックを倒した後に期間が空いてからである数ヶ月前のことだ。そして戻ってきてからも、空白の期間については何も語ろうとしなかったし、聞かれてもはぐらかすだけだった。確かに仮面の対魔忍本人に間違いない。アスカもそのことはわかっていたが、空白の期間について知りたいと思っていたのは事実だった。
「それは……。あるよ、正直に言えば。でも戻ってきた所長は間違いなく所長だった。それは私が保証する」
「僕だってアスカの言うことは信じてるよ。それでも……戻ってくるまでの期間何があったのか、なぜすぐに戻ってきてくれなかったのか。それを知りたいと思っていたのは、否定できない」
アスカは口を噤んだ。小谷の言いたいことはわかる。本音を言えば、知りたいという思いがあったことも否めない。
「その上で、だけど……。これから話すことは……僕とアスカの間の秘密にしてもらいたい。口外無用で頼みたいんだ。特に、所長には」
どういうことだろうかと考え、少し間を空けてからアスカは頷いた。それを確認し、小谷は端末を操作してメールの画面を呼び出す。
「こいつを見てくれ。僕だけの端末に、僕宛に送られてきたメールだ」
そういうと小谷は1通のメールを開いた。その内容を見て、アスカは目を見開く。
『DSO所長、仮面の対魔忍の空白の期間に何があったのか、真実を知りたくはないか?』
「何……これ……」
メールには続きがあった。それを知りたければ甲河アスカ1人で、指定する日時と場所に来い、と。
「はじめはいたずらメールだとも思った。だけど、ここのセキュリティを抜けて、僕だけに送りつけたメールだと考えると、いたずらにしては度が過ぎている。それにアスカだけを呼び出すなんて、こんなのは何かの罠かもしれない、そうも思った。……でも思いつつも、所長の空白の期間に何があったのか、そのことが常に頭に引っかかっていた僕には、どうしても無視できなかったんだ」
小谷の悩む表情に、アスカは心中を察する。
「僕は所長を信じている。でも……あの期間の説明がなくて、アスカからはおそらくはもう命を落したと一度は言われていた以上、時々気になっていた。そこで届いたこのメールだ。どうしようか迷って……本当は黙っていようと思ったんだ」
「確かに……いたずらにしては度が過ぎてる。私を誘い出すための罠、の可能性はあるかもね……」
「……どうする、アスカ? 君を名指しで指名している以上、最終的に決めるのは君だ」
どうすべきか。十中八九罠か揺さぶりだ。アスカもそう頭ではわかっていた。
だがわかっていてなお、所長に空白の期間があったとわかる者でなくてはこんなメッセージを送れないとも気づいていた。つまりそれは、本当に何らかを知っている可能性があるということ。だとするなら、無視は出来ない。
「……わかった。行ってみる」
「僕から振った話題でこう聞くのもおかしな話かもしれないけど……いいのかい?」
「うん。小谷っちは気になってるんでしょ? それに、私も……少しはそうだから。……ついでに言うなら、こういうことをしそうな奴にちょっと心当たりがある」
「え!?」
そんなことは考えてもいなかった、という様子で小谷がアスカを見つめなおす。得意げに、どこかいたずらっぽく笑ってからアスカは続けた。
「陽炎。あの覆面の対魔忍、やけに私や所長について詳しかったでしょ? それなら、ここのセキュリティかいくぐってメールとばして私を揺さぶろう、なんてこともあると思わない?」
「なるほど……。確か、色々なことを知っている風だったという話だったね」
「だとするなら丁度いいわ。あの子にはじっくりいろんなことを聞きたいと思っていたところだったし。……虎穴に入らずんばなんとやら、でしょ? その誘い、乗ってやるわ」
明るい顔でアスカは答える。
「ありがとう。だが、くれぐれも気をつけてくれ。ノマドにブラックが戻ったらしいという噂もある。もしかしたら陽炎がそれに同調しての動きということもありうるから」
「心配無用ですって。私にはこの鋼鉄の四肢がありますからね。どんな奴が出てきてもぶっ飛ばしてやるわよ」
自信満々に笑顔を覗かせた「鋼鉄の死神」に、小谷は小さく息を吐く。自分に向けた笑みは優しい物だった。だが向けられた敵にとっては死神の笑みとなるのだろう。自分がずっと抱いていた疑問の解決をこの死神に任せよう。きっと犯人を突き止め、事の真相を洗い出してくれる。
少なくとも、この時の小谷はそう信じて疑わなかった。
◇
アスカは小谷の元に届いたメールの指示に従い、指定の場所を目指していた。風神の術による飛翔、加えて米連特製の光学迷彩を展開している。夜空という背景と一体化して高速で空を翔ける彼女は、誰の目にも止まらないだろう。
かくして彼女は指定された工場跡へと到着した。広大な敷地に不気味に佇む廃工場はひっそりと静まり返り、ひと気は微塵も感じられない。迷彩に加えて気配も消したまま、アスカは慎重にその内部へと侵入していく。異常があればすぐに察知できるように見晴らしのいい場所を選び、待つことにした。
しかし予定の時刻になり、さらに5分、10分と過ぎるが誰も現れない。やはりメールはいたずらだったのだろうか、と思うアスカだったが――。
(いや……いるわね)
感じ取れる工場内の僅かな空気の変化。どうやら相手は自分と同じく迷彩状態で気配を殺しているか、物陰に身を隠すかしているらしい。この場で様子を見ようとしているのだろう。このまま我慢比べをしてもいたずらに時間を消費するだけになりかねないし、アスカの性に合わない。小さくため息をこぼし、アスカは音もなく工場の床へと降り立つと迷彩を解いて姿を晒した。
「いるんでしょ? 出てきたら? こっちは姿を見せてあげたわよ」
誰かがいることまではわかる。しかしどこに、というのは具体的には掴めない。相手はかなりの使い手らしい。感覚を研ぎ澄ませ、奇襲の可能性まで考慮に入れて、アスカは相手の出方を待った。
「なるほど、情報どおり『鋼鉄の死神』だな」
だが相手は奇襲などはかけてこなかった。アスカの正面、迷彩を解いて1人の美女が姿を現す。褐色の肌を黒の騎士服とマントに包んだ――。
「魔界騎士イングリッド? あなただったとは意外ね」
てっきり陽炎が揺さぶりをかけるためにメールを送ってきたのだろうと踏んでいたアスカはそう口走った。が、イングリッドがそれこそ意外だと言いたげに、特徴的な眉をしかめる。
「待て。貴様の方こそ私に話があるからと触れ込んで、私の耳に入れさせたのではないか?」
「はぁ? 私がそんなめんどくさいことするかっての。……じゃあ何、うちのセキュリティかいくぐって私をここに呼び出すメールをよこしたのはあんたじゃない、って言いたいわけ?」
「無論だ。貴様ではないが、私がそんな面倒なことをするわけが無い」
思わずアスカは考え込んでいた。イングリッドと相対したのは初めてのことだが、騎士道を重んじるような、正々堂々と戦う存在だという噂は耳にしていた。実際に目の前の彼女からはそういう気配を感じるし、さっきだってやろうと思えば迷彩状態のまま奇襲をかけることもできただろう。それをやらなかった以上、鵜呑みには出来ないとはいえ、今の発言も信憑性は高いように感じていた。
「なんでもいい。とにかく我らノマドにとって敵である『鋼鉄の死神』と会ったとあれば、見逃すことなど出来まい」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 私は戦う気はないんだけど?」
「そちらにはなくても、こちらにはある。……仮にも貴様はブラック様に歯向かった存在。ならばその報いは、命をもって償ってもらう」
イングリッドが得物であるダークフレイムを召喚した。斬ったものを燃やし尽くすと言われる魔剣。反射的にアスカもアンドロイド・アームから対魔ブレードを展開させつつ、口を開く。
「じゃああんたはうちの所長……『仮面の対魔忍』の空白の時間については何も知らないわけね?」
「空白の時間……? そんなものは知らん。だが『仮面の対魔忍』の素顔なら、手を合わせたときに見たぞ。いささか興味を惹かれる容姿ではあったが、その程度だ」
「そう。……なら要するに、私はあんたに嵌められたわけだ」
「私ではない。お前を疎ましく思う誰かの策略だ。しかし経緯はどうあれ、ブラック様に歯向かったお前は消す。私がここで剣を抜く理由はそれだけで十分だ」
もはやイングリッドは完全に戦闘態勢に入っていた。敵前逃亡などという真似は出来ない。こうなっては受けて立つしかないだろう。アスカも心を決めるとブレードを構え、一気に地を蹴った。