◇
五車学園の校長室は異様な緊張感に包まれていた。部屋の中にいるのは4人。アサギ、さくら、紫の対魔忍トップ3と、応対用の椅子に座る、ロングコートに仮面姿の女性。その彼女が、1番の理由だった。
本来招かれざる客、対魔忍でありながら対魔忍と異なる存在――DSO日本支部所長、仮面の対魔忍。緊急で簡易的とはいえ事前にアポイントメントを取ってきたことも驚きだが、自分の足でここを訪れたことも信じられないと、向かいに座ったアサギは目を細める。
「あら、そんな怖い顔をしないで。私は暴れるつもりはないわ」
「それはわかっているつもりよ。……でも『敵の敵』と言う立場であれど、私はあなた達を『味方』だという認識はしてない」
「でしょうね。それで結構よ、私に対しては。……でもアスカに対しては、どう?」
「アスカ? なぜそこでアスカが出てくるわけ?」
答えず、仮面の対魔忍は外部メモリを取り出し、机の上を滑らせてアサギの方へと渡した。
「……何これ?」
「見ればわかる。動画が入っているわ」
「動画?」
訝しい表情を浮かべるアサギだが、相手はいいから見ろと言いたげだった。見なければ始まらないかと紫に視線を送る。それで意思を察した彼女はノートPCを持ってくると、仮面の対魔忍が渡した外部メモリの中身を確認し始めた。
「これは……!」
そして映し出された映像にアサギのみならずさくらと紫も目を見開く。床に寝転がされる形になっているのは、義肢を取り外されたアスカと、その横にも1人の少女。
「ゆきかぜ!?」
「いえ、彼女が陽炎だそうよ。私は覆面姿の彼女も見たことがないから話でしか聞いてないけれど。素顔を見た人はいないの?」
「……そのゆきかぜ本人と凜子が見ているはず」
「確認取らせていいわよ。その2人にも是非とも参加してもらいたい話だから」
アサギはさくらに2人を連れてくるよう頼んだ。妹が扉から外に出て行く姿を見送りつつも、映像内に見過ごすことの出来ない人物を姿を目撃して意識はそちらへと集中させている。
「朧……」
憎々しげに呟くアサギに仮面の対魔忍は頷く。
「生きていたのね。アスカが殺したと言っていたはずなのに」
「……私も見ていたわ。実際あの時、奴が私に施した催眠刻印も消えた。死んだのは間違いない」
「でもこうしてまた現れた。……しかもアスカを手中に収めるという最悪の形で」
無意識のうちにアサギは唇を噛み締めていた。憎むべき宿敵の声が動画から耳に入るだけで苛立ちを覚える。
だがそう思うと同時、どこか違和感を感じてもいた。画面の中の朧は黒のロングジャケットを羽織っている。これまで見たことがない。それに話し方もどこかマイルドになっているというか、以前よりも余裕を感じるというか。
「お姉ちゃん! 連れてきたよ!」
と、そこでさくらがゆきかぜと凜子を連れて戻ってきた。2人とも任務放棄後に学園の生徒達の模擬戦相手を買って出ていたこともあり対魔忍スーツ姿だ。ゆきかぜは黒を基調に赤がアクセントとなり、ところどころにファーがあしらわれたスーツ、凜子は紫色を基調として胸の下のところが大胆に開き身体に密着したスーツである。
「凜子先輩、あれ……!」
「陽炎か!?」
画面に映し出される捕らわれた対魔忍の姿を見ると同時に2人は口を揃えた。
「ゆきかぜ、凜子、間違いない?」
「間違いありません。……朧に捕まったんですか? どうして?」
「アスカと落ち合うところを待ち伏せされたか、罠に嵌められたかだと思うわね。手段は不明だけど。……さて、役者が揃ったところで説明を始めるわ」
と、そこで仮面の対魔忍が皆に語りかけた。全員の視線が彼女に集まる。
「朧の要求は至極単純よ。アスカを殺されたくないなら私1人で指定の場所へ来い。それだけよ」
「……行く気なの?」
アサギの問いに「ええ」と彼女は軽く返す。
「ただ、馬鹿正直に行ったところで、あの朧が素直にアスカを解放するとは思えない。アスカは私をおびき出すための餌。まあ私が殺されて終わりでしょうね」
「それでも行くというのか?」
紫に尋ねられても、DSO所長は笑みを浮かべたままだった。
「勿論。アスカを殺させはしない。だからと言って、のこのこ行くわけでもない」
「話が読めたわ。……アスカを助けるのに協力してほしい。そういうわけね?」
アサギに遮られて続けられた内容に、仮面の対魔忍は頷いて答える。
「アスカを失うことはあなた達にとってもマイナスなはず。……特にアサギ。あなたはなおさらでしょう」
「確かにアスカは大切よ。袂を分かった過去があるとはいえ仲間だとも思うし、娘だとも思っているわ。……もっとも、向こうは私が嫌いらしいけど」
「それもまた、あの子なりの愛情表現よ。娘だと思うと言った割には、そういうこともわからない? あるいは……男絡みでややこしくなっているとか?」
「知った風な口を利くのね。今はあなたがあの子の保護者かしら?」
互いに腹を探り合うようなやり取りに、他の者達は口を挟めない。口調こそ軽いものの、偽とわかる笑顔を貼り付けてのやりとりのために、なんだか部屋の空気が重くなったようにも感じる。それを消したのはアサギのため息だった。
「……不毛ね。やめましょうか。話を戻すわ。アスカを助けたいのはわかる。でも相手はあの朧よ。どんな罠を仕掛けているかわからない」
「異論はないわ。でも言うまでもなく、私だってそのことを承知した上で協力を頼み込んでいるの」
「そもそもあいつお得意の『催眠刻印』を使われていたら、2人はもう操り人形だわ。アスカにあなたが殺されることもあるかもしれないのよ? 義肢が無いからアスカが無理だとしても、陽炎がいる。うまく救出できたと思ったら術の影響下だったためにバッサリ、なんてこともありうるわ」
「催眠刻印ね……。大丈夫よ。それは無いわ」
「無いですって!? なぜそう言い切れる!」
強い口調でアサギは問い質した。だが当の相手は飄々と、どこまでが本気か分からない口調で答える。
「そうねえ……。強いて言うなら、女のカンよ」
「カン……!? そんなもの……」
「あら、あなたは自分の女のカンを信じないの、アサギ? とはいえ、一応それなりに根拠はあるけど。アスカからの連絡が途絶えてからまだそこまで時間は経っていない。この短時間の間に催眠刻印を施せたとして、簡易的なものがせいぜいでしょう。そんな中途半端な状態の術なら、なんとかなるかもしれない。 ……まあその前に、仮に催眠刻印が使われていたとして大した問題ではないのだけどね」
「問題じゃない!? どういうこと!?」
「さっきあなた自身が言ったことよ。術者を殺せば効力は消える。つまり、もし使われていたとしてもその場で朧を殺すなら、使われていようがいまいが関係ないわ」
思わずアサギは言葉を切っていた。ややあって、ゆっくりと口を開く。
「……じゃああなたは、アスカの救出と同時に、朧の暗殺も考えている、と」
「そういうことよ。アスカというだけではあなた達は動かないかもしれない。でも朧がその場にいるとなれば、同時に消すチャンスもある。向こうの裏をかければ、それも出来なくはないと思っているわ。そちらとしては朧は消したいでしょう? この条件なら、あなた達も動いてくれるかもしれない。そう思ったから私は来たのよ。……もっとも、私としてはアスカの救出を最優先に考えてはいるし、私1人ではどうしようもないから来たというのが本音だけどね」
アサギの反論が止まった。しばらく黙り、考え込んでいる。
「……紫、どう思う?」
それから参謀役の対魔忍へと意見を伺った。
「はい。確かにアスカは助けるべきだと思います。それに朧をここで討てるなら、チャンスとも言える……」
「でもムッちゃん、相手は朧だよ? 呼び出すだけ呼び出しておいて当人がそこにいるとも限らない。罠仕掛けててアスカちゃんも仮面さんもまとめて始末、なんてことを考えてるかもよ?」
紫も口を閉じてしまい、唸るような声が部屋に響いた。
「奴は来るわ。アスカを捕らえるほどだなんて、どうしても私を殺したいみたいだから。自分で手を下したいとか考えていることでしょう」
「それもカンか?」
先ほどの理由をアサギに引き合いとして出され、仮面の対魔忍は肩をすくめた。いまひとつ納得できないと思いつつも、今度は陽炎の素顔を目撃している若手2人へと尋ねる。
「ゆきかぜと凜子は?」
「具体的なことは、私は言える立場ではないですので……。ただ、個人的な意見を述べさせてもらえれば……アスカは勿論ですが、陽炎も助け出したいです」
「陽炎?」
ここまでアスカと朧にだけ気がいっていたと、ゆきかぜに陽炎の名を出されてそこでアサギはようやく気づいた。
「あの子、何かあります。朧と面識があるし、母の仇と言っていました。でも、母に罠に嵌められて捕らえられていた、とも聞きました。どういうことか、気になります。それに……突如また現れた朧、舞い戻ったと噂のブラック、そして再びまとまろうとしている魔の存在……。そのタイミングで姿を見せるようになった陽炎に話を聞けば、何かが分かるようにも感じるんです」
「私もゆきかぜに同意見です。2本存在するという石切兼光の謎、どうしても見過ごせません。私達を執拗に捜していた明確な理由も、まだ聞けていません。それに彼女は失うには惜しい剣の腕と、異なる2種の術を使いこなせるという稀に見る能力を持っています。『敵の敵』ではなく、『味方』に引き込めれば強力な存在になる、とも思っています」
アサギは顎に手を当てて考え込んだ様子だった。ややあって、静かに口を開く。
「……わかったわ。私達対魔忍はアスカと陽炎の救出活動、及び朧抹殺の全面的バックアップと協力を約束する」
「ありがとう。恩に着るわ」
「でもその前に」
最強の対魔忍の目が鋭く細められる。相手の瞳が仮面の奥に隠れていようと射抜くほどの迫力が滲み出ていた。
「協力するからには、あなたの素顔を見たい。……以前会ったときから感じていたことだけど、あなたから私が知っている人間の気配がするのよね。それも、あまり良くない方向で。協力したのに後ろから斬られるようなことは御免被りたいわ。そういう意味でも信頼の証として、その仮面、取ってはもらえないかしら?」
これまで常に余裕を纏ってきた仮面の対魔忍が、そこで目に見えて狼狽した。口元の笑みが消えて唇が真一文字に結ばれ、ややあってからゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「……断ったとしたら?」
「あら、どうして? そこまでして隠しておきたいことなの?」
アサギの声は挑発的だった。だがそれにも答えず、仮面の対魔忍は沈黙を挟んでから返す。
「……理由は言えないわ。でも、今この仮面を外すことはできない。アスカを助け出すことが出来たなら、その時は何でもする。仮面を外せと言われれば外すし、あなたの疑問にも答える。それでも気が収まらないなら、私を殺すなり何なり好きにすればいい。……だから今は、その疑問を飲み込んではくれないかしら? ……お願いよ」
僅かに顎を引き、仮面の対魔忍は固い声色と共にそう懇願した。しばらくその様子を見つめていたアサギだが、どうやら訳ありのようだとわかるとため息をこぼす。
「……作戦はあるの? アスカと陽炎を助け出して朧を討つだけの妙案が?」
それが自分の頼みを了承してくれたことだとわかると、仮面に隠れていない口元が僅かに緩められた。それからメモを取り出し、アサギへと手渡す。そのメモを開き、中身を見た目に驚愕の色が浮かんだ。
「これ……! 正気なの!?」
「当然よ。そうでなくちゃ、手渡さないわ」
言いつつ立ち上がり、仮面の対魔忍は得物である一対のナックルブレードを手に取った。それを机の上へと置くと、まだメモを手にしたままのアサギに背を向ける。
「私の武器、預けるわ。それから私の命も。あとは任せるから。そこに書いてあること、よろしく頼むわね」
「ま、待ちなさい! こんなこと、本気で……」
「おたくの上司に相談すれば、大して難しいことじゃないでしょ? その奇襲でかかる時間なら、発覚したとして完全に対処することはおそらく不可能。捕虜2人の救出を最優先にした、電撃作戦よ。うまくすれば朧も討てると考えているわ。そこに記した奇襲の2人以外、陽動やら退路確保やらの人選はそっちで決めて。私も下準備があるから、これで失礼するわね」
一方的に話を切り上げると、まだ何か話したさそうなアサギをさて置き、仮面の対魔忍は部屋を後にした。難しい表情のまま、アサギは机の上に残されたナックルブレードを見つめる。
「お姉ちゃん……」
どうするのか、と問いたげにさくらが声をかけてくる。一度妹の方へ視線を移してから、決心したようにアサギは口を開いた。
「……いいわ。毒を食らわば皿までよ。乗ってやるわ。少なくともあいつは本気でアスカを、文字通り命を賭けてでも助け出したい、というのは間違いないらしいからね。自分の得物まで私に預けるほどですもの。……皆、ちょっと無茶をやることになるかもしれない。でも、『敵の敵』でなく『味方』になりうるアスカと陽炎の救出、そして可能なら朧の抹殺……。私は仮面の対魔忍の案に乗るつもりでいるわ」
もはや最強の対魔忍の目に迷いはなかった。そのことを察した対魔忍達が神妙な面持ちで頷く。
賽は投げられようとしている。イチかバチかのこの作戦にアスカと陽炎の命運を賭けよう。そう思ったアサギは、静かに自らを鼓舞させた。
◇
「う……」
アスカはひどい倦怠感と共に目を覚ました。所長へのビデオレターを撮られた後に口枷を外され、陽炎と同じ牢獄に放り込まれた。激しく身体を犯し抜かれたせいでそのまま意識を失い、気づいたのが今だった。
薬と淫獣の媚薬体液の効果はまだ続いているようである。身体が熱い。今も口からは艶かしい呼吸がこぼれてしまい、手があれば敏感な部分を弄り回したくなるほどだ。だがその腕も無く、あったとしてそんな恥ずべき行為が出来るはずもないと、彼女は唇を噛み締めた。
「目を覚ましたみたいね」
と、隣から声が聞こえる。どうにか動く首を向けると、手足を背中側で一括りに拘束され、寝転がされた陽炎の姿があった。やはりアスカ同様疲労の色は濃く、まだ媚薬の影響が残っているようにも見える。それでも普段を思わせるような、抑揚の無い声で尋ねてきた。
「身体は大丈夫?」
「大丈夫なわけないでしょ。あんな化け物にずっと犯されっぱなしだったんだから。まだ身体重いし、正直……疼く……。ってか、腕と足が無いってだけで気が滅入りそうよ。……で、そういうあんたは大丈夫なの?」
「なんとか。オルガライザーの影響はまだ残ってるけど、耐えられないほどじゃない。それに……こうやって辱められるのは、慣れてるから。……それでも、嫌なことでしかないけど」
その言葉に、朧が言った「母親に調教されていた」という話を思い出す。謎が多いこの少女は一体何者なのか。この機会に話してみるのも悪くないと、アスカは口を開いた。
「ねえ、陽炎」
「何?」
「聞きたいことがあるの。答えたくないなら、答えないでもいいから。……朧が言ってた、『母親に調教されていた』って話、本当なの?」
一瞬間が空いた。やはり聞くのはまずかったかとアスカが質問を撤回しようとした時。
「……ええ。本当のことよ」
ゆっくりと、陽炎は切り出した。
「女の快楽を無理矢理覚えこませて、母は私の心を堕とそうとした。……そうね、丁度今みたいな感じよ」
「あなたのお母さんは……なんでそんなことを……」
「今の朧と似たようなもの。私という存在を自分の理想の姿にしたかった。娘にも自分同様、快楽を覚えさせて堕落させ、その欲望の赴くままに共に生きようとした。……でもそんな母も、私の目の前で朧に殺されたけど」
意図せずアスカは息を呑んでいた。そんなアスカに小さく笑ってから、陽炎は続ける。
「でもね、母はどうあっても母なのよ。例えそんな最低の存在であろうとも」
「じゃああなたは……お母さんの仇を討つために朧を?」
「それがないわけでもない。でも、朧を討ちたい理由は、それが1番じゃない」
「え?」
「あの朧は討たなくてはいけない。……それがおそらく、私の使命だから」
話が飲み込めない、とアスカは眉をひそめる。仇と言うのならまだわかる。だがそうではないのに、朧を討つのが使命、というのはどうもわからない。
「あんたと朧、仇という以外にどういう関係があるの? いえ、その前に、あの朧は何なの? あんたと顔見知りみたいだし、何か知ってるんじゃない? そもそも朧は私が確かに殺した。でも以前の朧とあいつとは何かが違うような気がする。所長に固執したり、DSOのセキュリティを抜けてメールを送りつけてきたり、私のアンドロイド・アーム&レッグの緊急停止コードを知っていたり。なんでうちのことを詳しく知ってるわけ? まるで……」
そこでアスカは不意に言葉を切って考え込んでいた。思考が考えたくもない答えを導こうとしている。震える唇のまま、アスカは陽炎へと問いかけた。
「……ねえ、陽炎。あんた、うちの所長……仮面の対魔忍の仮面の下、知ってる?」
「ええ」
あっさりと返って来たイエスという答えに、ますますアスカの顔が青ざめる。DSOのセキュリティ、緊急停止コード、そして、アスカの心に安らぎを覚えさせる声……。
そんなはずはない。そう思いつつも、ピースは思いに反して埋まっていく。その考えを否定して欲しい。そう思うと、次の問いを止められなかった。
「……今、物凄く考えたくない答えに辿り着こうとしているの。これだとしたら、全ての辻褄が合ってしまう……。でも、もしそうだとしたら……私は、もうどうしたらいいかわからない……。私達を捕らえた朧、あれって、もしかして……」
「安心していいわ。……あなたの考えていることは、おそらくだけど予想がつく。でも、それは正解じゃない」
アスカの予想を察したらしい陽炎がそう答えを返してきた。自分の考えが伝わり、同時に否定されたことでアスカは小さく安堵のため息をこぼす。だが、次に浮かぶ疑問により、質問を重ねていた。
「……よかったわ、外れててくれて。でも、だとしたらあいつはなんなの? あんたは知ってるんでしょ? あいつは一体何者なの?」
「それは……」
「今の質問の答え、私も是非とも聞きたいものだな」
陽炎が言いよどんだ時に聞こえてきた3人目の女性の声に、2人は目を声の主の方へと移した。アスカと互角以上に渡り合った魔界騎士、イングリッドの姿がそこにあった。
「私もあの朧には違和感を抱いている。どうも以前とは異なる気がするのだ。本人に聞いても『死にかけて変わったのだろう』などと言われてうまくかわされた気がしてな。それに記憶に曖昧が部分があるとも言っていた。陽炎と言ったか? もし何か知っているなら、答えてもらいたい」
「……私が答えたら私達をここから出して逃がしてくれる、という取引なら、応じなくも無いわ」
フン、とイングリッドは軽く鼻で笑い飛ばす。
「私がお前達を捕らえた上で、お前の話が興味深かったらそれも考えただろう。だがお前達を捕らえたのはあくまで朧の手柄だ。すまないが私はどうこうできないのでな」
「なるほど。さすがは魔界騎士。クソがつくほど真面目ね。ノマド原理主義を貫いてエドウィン・ブラックを崇め続ける姿勢といい、頭が下がるわ」
「私を愚弄する気か? ……いや待て、そもそも『ノマド原理主義』とは何だ? 確かに私はブラック様に忠誠を誓った身だ。だがそのような言葉は初めて耳にする」
「ブラック様を失ったことで離反する者がいる中、頑なに帰還を信じ、ノマドを守り続けた。その献身的姿勢は、まさに原理主義というに相応しいんじゃないかしらね?」
その4人目の声に、全員の視線が移る。言うまでもない、朧だ。
「ねえ、イングリッド。あんた私のことを信頼してくれたんじゃなかったの?」
「貴様の功績は認める。だが、悪いが全面的に信頼することは出来ない。心の中でどんな狡猾な算段を立てているか、知れたものではないからな」
「あら。ひどいのね、まったく」
言葉ほど朧からは嫌悪感は感じられない。だがそのことが逆に気がかりだといわんばかりに、イングリッドは特徴的な眉をひそめた。
「それだ。……以前の貴様なら、私がこうも言えば噛み付いてきたものだ。しかしそれがない。どういうことだ?」
「前に言ったじゃないの、死にかけて大人になった、って」
「その程度の戯言を鵜呑みにするほど、私は正直ではない。……陽炎と言ったな。貴様は朧と面識があるようだが、どういう関係だ? そのぐらいは、是非ともここで聞きたいものだ」
有無を言わせぬ口調でイングリッドは陽炎を見下ろしていた。何かを迷ったように陽炎は視線を逸らし、一瞬朧の方を仰ぎ見る。が、その朧も特に顔色を変えた様子は無かった。
「……私の母を殺した女。その仇。そして……私が討つべき存在。言えるのはそれだけよ。それ以上の事を言ったところで……どうせ信じてはもらえない」
「信じてはもらえない? どういう意味だ?」
「……例えば、の話よ。私と朧は別な世界の存在……そうね、異世界人だ、とでも言ったところで、あなたは信じる?」
「ふざけているのか? 真面目に答えろ」
なぜか、陽炎はどこか自嘲的に笑った。そしてそのまま口を閉じる。
「貴様……私を侮辱しているのか? その首を叩き斬って燃やし尽くしてやろうか?」
「ちょっとちょっとイングリッド。こいつらを捕まえのは私だよ? 勝手なことされちゃ困るのよ。……それより、あんた戻らなくてもいいわけ? 部下に全部任せたままでしょ? このまま私のやることに加わるっていうなら、別に止めはしないけど」
朧にそう突っ込まれると、イングリッドは言葉を詰まらせた。それから踵を返し、寝転がされた2人に背を向ける。
「……陽炎。もしも朧によって殺されなかったら、いつか答えを聞く。そして甲河アスカ。決着はついていない。お前も命を繋いだなら、いずれ私が引導を渡してやる」
「ねえイングリッド、その物言いだと私がこれからやることの失敗を望んでいるようにも聞こえるけど?」
「捉え方は貴様次第だ。好きにしろ。……しかしこの物言いでも怒らないとなると、ますます貴様に何があったのか知りたいと思わずにいられないな」
「だから生まれ変わったのよ。それが信じられないなら、陽炎の言った異世界人ってことで納得すれば?」
不愉快そうにイングリッドは朧を睨みつける。それから無言で顔を戻して歩み始めた。
「いやだねえ、怖い怖い。ああ、忘れるところだった。イングリッド、美琴によろしく伝えておいて頂戴」
最後の伝言は聞こえたか否か。返事も無くイングリッドは部屋を後にした。
それを見送り、朧が振り返る。その顔に、実に妖艶で、不気味な笑顔が浮かんでいた。
「さあて、邪魔者もいなくなったところで、今日の調教メニューといきましょうか」
「まだ……何かするつもりなのか……?」
苦い表情で陽炎が尋ねる。対照的に、朧は愉悦極まりないと言わんばかりの顔でそれに答えた。
「ええ、勿論じゃないの。あんた達は私の言うことをまだ聞いてくれそうにないからね。……さて、アスカ。いつまでも手足の無いその状態じゃ不便でしょ? 一時的ではあるけれど、特製の手足を移植してあげるわ。……そう、特製の、ね」