◇
施設内で異常が起こっている、と言うことは地下で男達に犯され続けていた里奈子も感じることができた。明らかに不自然な揺れに爆音。何より、男達が狼狽して自分に構っている場合ではないという態度からそのことが滲み出ている。
「何だよこれ! どうなってやがるんだ! 上との連絡は!?」
「今つけてる! だが上も混乱してるらしい! 薬品庫が吹っ飛ばされて引火してるとか、ここの所長が暗殺されたとか……」
「おい、俺達もこんなところにいる場合じゃ……」
その時。男達の声がピタリと止んだ。空気が変わったことを感じた里奈子は疲弊しきった顔を持ち上げ、その理由を知った。
部屋の中には、先ほどまでは確かにいなかった人間が1人増えていたのだ。
対魔忍スーツに見える赤褐色のボディースーツ。袖が無いために腕は二の腕から腋の下にかけてと、足は太股が露出している。両手は手甲に、足はロングブーツに包まれていた。武装として左の腰に下げられた日本刀と拳銃、そのベルトの右の腰の側には数本のクナイ。少々小振りな胸から、女性、それもまださほど年がいっていないのではないか、と里奈子は推測する。
彼女が推測でしか相手を計れないのは、無論理由があった。何より特徴的な風貌として、スーツと同系色のフードマフラーを覆面のように身につけていたのだ。そのマフラー部分を口当てのように首から口元と鼻にかけて隠すように巻き、フード部分を目深に被って髪も隠している。そのせいで顔で見える部分は勝気で強気そうな、しかし怒りかあるいは憎悪に燃えるような、クリッと大きな紅い瞳だけだった。対魔忍を忍者の系譜と考えるなら、まさに忍者と呼べるような格好である。
「な、なんだこいつ! いつの間に!?」
「何者だてめえ! 対魔忍のこの女の仲間か!?」
男達が慌てて部屋の中に用意してあった武器の元へと駆け寄り、マシンガンを手に銃口を侵入者へと向ける。しかし当人は全く気にかけた様子もなしに、里奈子の方へと顔から唯一覗かせている瞳を移してきた。
「……ッ!」
その双眸だけで、心臓を鷲づかみにされたような錯覚を里奈子は覚えていた。鋭い、抜き身の刃のような目だった。
だが同時に、自分をどこか哀れんだような色もあると感じ取っていた。そして、その瞳に見覚えがあるかもしれないと、ようやく記憶の中から探り出した。
「ゆきかぜ……さん……?」
呟かれた名に、覆面の少女は僅かに目を見開いたようでもあった。だがすぐにそれは元に戻り、少女は短く否定の言葉を述べる。
「違う」
そう言われた声は、里奈子の知るゆきかぜ――
しかし少し考えれば身につけている対魔忍スーツはゆきかぜのものと異なるし、持っている得物も「ライトニングシューター」という名の特徴的なフリントロック式の二丁拳銃ではない。ではやはり別人だろうか。里奈子は判断しかねていた。
「おい! 俺達を無視するんじゃねえ!」
「捕虜のその女ともども蜂の巣にされたくなかったら動くな!」
と、男達が威嚇と警告の声を上げる。ところがそれを受けてもなお、覆面の少女の様子は全く変わらなかった。里奈子の方へ向けていた身体が男達の方へと向き直される。
「聞こえなかったのか!? 動くなっつってんだよ! 後ろの女をぶっ殺されてもいいのか!?」
「構わない。好きにすればいい」
マフラー越しに聞こえるくぐもった、しかし凛とした冷たい声に男達が一瞬たじろぐ。彼女の背後にいる里奈子もまた、冗談の類でなく本気でそう言っているとわかり、息を呑んでいた。
「……出来るものなら」
が、続けて短くそう告げられた直後、覆面の少女の姿が消えた。
「がはぁっ……!」
その姿を探そうとしたところで聞こえてきた呻くような男の声に視線が集まる。見れば、声は1番端にいた、胸から刀を生やした男から発せられていた。否、その男の胸は刀によって貫かれていた。そのことを証明するかのように赤い染みが広がり、口からは血反吐が吐かれる。
「走れ雷撃……!」
呟かれると同時に落雷にも似た、耳を切り裂くような音が響く。瞬間、刀に貫かれていた男の身体が不気味に痙攣したかと思うと爆散し、辺りに血の雨を降らせた。視界を失うほどのあまりにも凄惨な光景に、銃を手にする本来戦い慣れしているはずの男達でさえ、僅かに怯んでしまうほどだった。
しかしその怯みが命取りだった。覆面の少女はその隙に刀の鞘の傍に装備していた銃を左手で抜く。
「飛べよ雷撃……!」
その言葉と共にセミオートマチックの拳銃から9ミリ弾が連続で吐き出され、血の雨を切り裂いた。奥にいる男達の苦悶の声と悲鳴が響き渡る。
視界が晴れた時、残っていたのは3人だけだった。そして彼らは殺された仲間の弾痕に目を見開いた。
明らかに拳銃で撃たれた傷ではなかった。さながら小型の炸裂弾でも打ち込まれたか、爆弾を至近距離で浴びたか。ある者は身体に拳ほどのサイズの穴が開き、ある者は手足が吹き飛ばされていた。
残された男達は、恐怖から反射的に照準を合わせ、少女に狙いを定めようとする。が、再びその姿が消えた。探すために辺りを見渡そうとするより早く。
「ここよ」
背後から聞こえた声が、男達の最後の記憶であった。流れるような動きで振るわれた刃は、背後から3人の男の命を一瞬で狩っていた。首を撥ねられ、心臓を貫かれ、胴体を切り裂かれる。目にも止まらぬ神速の斬撃。
「
少女が短く呟いて刀の血を払ったときには、もう全てが終わっていた。そして部屋の中に残っているのは、覆面の少女と里奈子の2人だけ。
(今のは……逸刀流……? いえ、その前に使ったのは、もしかして
里奈子も刀を使う。故に忍びの里で教えられる剣術である逸刀流には見覚えがあった。それよりも驚いたのは、雷を操る術を使ったということだった。百田一族が火遁の術使いを輩出しているのと同様、雷遁の術は水城一族が代々輩出しており、忍びの間では有名である。だが目の前の少女は、ゆきかぜと呼ばれたときにそれを否定した。
覆面の少女は里奈子をまっすぐに見据え、ゆっくりと歩み寄ってくる。だがその目は鋭く、何より手には血を払った刀がまだ握られたままだった。
「私を……助けに来たんですか……? それとも……始末しに……?」
仲間であるなら、部屋の中の脅威を払った以上、素顔を晒してその正体を明かしてもいいはずだ。それをせず、さらに拘束を解いてくれることもなく刀を持ったままというのは、助けに来たのではなく消しに来たのではないか。そんな風に里奈子は考えた。
「どちらも違う」
だがそれに返って来たのは短い答えだった。じゃあ、と里奈子が尋ねようとするより早く。
「私の名は陽炎……。対魔忍陽炎」
「陽炎……さん……?」
里奈子に名を呼ばれ、陽炎と名乗った少女は僅かに首の角度を変えて頷く。だが陽炎という名の対魔忍を里奈子は聞いたことがない。偽名かもしれない、とも思う。
「聞きたいことがある。私に『ゆきかぜ』と声をかけた以上、水城ゆきかぜは当然知っているわけね?」
もしかしたらこの少女はゆきかぜで、偽名を使っているだけなのではないか。そんな風にも考えた里奈子を嘲笑うかのような問いだった。しかし合わせて、その質問があまりに妙であるために、捕らわれの対魔忍は即答を避けて答えをはぐらかす。
「……知っていたら、どうだと言うんですか?」
「『雷撃』と『
「それを知って……どうするんですか?」
「あなたには関係ない」
これ以上何を尋ねても目の前の覆面の少女は何も答えてくれないようにも里奈子は感じた。自分の言ったことに答えろ、そう相手の瞳が言っていた。――同時に、答えなければ殺す、とも。
「……2人がどこにいるかは知りません。仮に知っていたとして、敵か味方か判別しかねるあなたに、仲間の情報を明け渡すような裏切りにも等しい真似はできません」
それでも、里奈子は凛と言い放った。
「そう」
短く答えた少女の右手が振るわれる。その刃で自分の命が絶たれる。そう直感して身構えた里奈子だったが――。
「……え?」
斬られたのは彼女を戒めていた縄だった。久方ぶりに拘束を解かれ、自由になった身体が言うことを聞かずによろめく。その身体を少女の左腕で支えてもらい、自分は助けてもらったのだとようやく気づいた。
「あ……。ありがとうございます……陽炎さ……」
「ごめんなさい」
しかし里奈子が礼を述べようとした瞬間。逆に飛んできたのは謝罪の言葉だった。何が、と問うより早く。
「がっ……!」
一瞬、全身に強力な電流が走ったように感じたのを最後に、里奈子の意識は途絶えた。
◇
ステルス状態で視認されないまま、アスカは怒号が飛び交う施設内を疾走していた。明らかに混乱している。攻撃を仕掛けてきた相手が見つけられない、所長が殺されている、といった声が耳に入ってくる。
(仕掛けてきた奴がここいらにいないとなると、やっぱり目的は捕虜の対魔忍か……! おそらく地下、そこに目的の相手がいる……!)
アスカは地下への階段を駆け下り、目指すべき部屋へと近づいていく。
(これ……血の匂い? それから……男のあれの匂いか。尋問なんて名ばかりのレイプでもしてたってわけね。まったくケダモノ共め。……焦げ臭い匂いもする? 何が起こってるのかわからないけど……考えても埒が明かないか! 踏み込んでやる!)
アンドロイド・アームから鎌のような奇妙な形の刃――対魔ブレードが生える。そのブレードを振るって扉を切り刻み、アスカは部屋の中へと飛び込んだ。
「……ッ!」
部屋の中は散々たる有様だった。死臭が漂い、首を失っている死体や上半身を両断されている死体が目に入る。壁にも血がべっとりとつき、まるで爆弾でも食らったかのような様相であった。その中でも拳ほどのサイズの風穴を開けられた死体が多く目に止まる。
(焦げ臭いのはあれからか……。炎にしては綺麗に穴が開きすぎてる……。じゃあ雷?)
死体の状況から瞬時にそこまでの考えをまとめ、この死体の山を気づいたであろう相手の方へとアスカは目を移した。右手に日本刀を持ち、左手で捕虜となっていた対魔忍を支えている覆面姿の少女。
「甲河……アスカ……」
「なっ……!?」
自分が口を開くより早く名前を言い当てられたことに、アスカは驚愕の表情を浮かべる。だがそれも一瞬のこと。次には目の前の覆面の少女が何者か、どう動くのかを一分の隙もなく見定めようとしていた。
「……どこの誰だか知らないけど、随分と派手にやってくれたわね。それに私のことも知ってるなんて。対魔忍の方かしら? その子を助けに来たわけ?」
「『鋼鉄の死神』、あるいは『風神魔将』はどこの世界でも有名よ」
異名を耳にしたアスカの心に違和感が浮かぶ。
(風神魔将……?)
確かにアスカの使う忍法は風神の術だ。だが、これまで呼ばれた異名は「鋼鉄の死神」、あるいは「鋼鉄の対魔忍」がほとんど。風神、ましてや魔将などとつけて呼ばれたことなど記憶に無い。
「それに彼女を助けたのはついで」
ついで。その言葉にアスカの心の中の疑心感が苛立ちに変わった。不本意ながらも自分達も捕らわれの対魔忍を餌に使い、そのついでで助けるつもりでいた。もし目の前の相手が素直に助けに来た、というのであれば、ついでの自分達よりマシだからしょうがないと納得もできた。
だが自分達同様に「ついで」というのであれば、腹の虫が収まらない。作戦を台無しにされた挙句、それがついでで、しかも自分の暴れる場が奪われたとなれば、このイレギュラーの目的を見定めずにはいられないとアスカは口を開いた。
「ついで? それは奇遇ね。私達も作戦のついででその子を助けようとしてたところなの。……本当ならすぐにでも助けてあげたかったところだけど。でもそれを我慢して待ってたってのに、あなたが勝手なことをしてくれたせいで、こっちの作戦はパーよ」
「それはすまなかったわ。なら、この子を預ける。死んではいない、気絶させただけだから。それで対魔忍達との交渉材料にでもすればいい」
「そういうこと言ってんじゃないの! ……人の暴れる場を奪って好き放題やっておいて、あんた何者!? その覆面もどきを取って、顔を見せなさいよ!」
「顔を見せないことには意味があるのよ。……そうね、今のあなたの上司もそうじゃなくて?」
再びアスカの目が見開かれた。相手は自分の上司である所長――「仮面の対魔忍」と呼ばれる人間の存在を知っている。ますます見過ごせない。
「なんで……あの人のことを……」
「『雷撃』と『斬鬼』……水城ゆきかぜと秋山凜子」
不意に飛び出した名前にアスカの言葉が遮られた。その名は聞いたことはある。抜け対魔忍とはいえ一時期対魔忍の里にいたアスカだ。加えて、抜けてからも若手ホープとして次世代を担う存在になるであろう、という噂は耳に入っていた。
「今どこにいるか知らない?」
「はぁ!?」
重ねられた質問に間の抜けた声がアスカから漏れる。何でも知っていそうな口振りだったのに、抜け対魔忍の自分にぶつけるにはお門違いな質問にも思える。
「知るわけないでしょ! 気を失ってるその子に聞けばよかったじゃないのよ! ってか、あんた対魔忍じゃないの!?」
「聞いた。でも知らないと言われた。そしてあなたも知らない。……そう。じゃあもうここには用はない」
そう述べると同時、右手に持っていた刀が収められた。戦うつもりはない、という意思表示なのかもしれないが、それでアスカの気が治まるはずもなかった。
「待ちなさいよ。何一方的に話切り上げようとしてるわけ? 私はあんたからまだ何も聞いてない。名前も何も、よ」
「私の名は陽炎……。対魔忍陽炎。それ以外に答えることは、今はない。……この人をよろしく。縁があるならまた会いましょう。米連の、甲河アスカ」
言い終わらないうちに陽炎は左手で支えていた里奈子の身体をアスカの方へと突き飛ばした。意識を失っている対魔忍の身体はバランスを崩し、倒れそうになる。
「ちょっ……! 乱暴な!」
左手のブレードを収納しつつ、アスカはその身体を受け止めた。そうしながらも右手のブレードはそのままに、風神の術を使って威嚇しようと一度相手から切った視線を戻す。
「なっ……!?」
しかしその視線の先に相手はもういなかった。気配を探っても全く感じない。忽然と姿を消したのだ。
(隠れ身系統の忍法? それとも跳躍系? でも跳躍なんて特殊忍法、そうそうは……)
そこまで考えたところで、アスカはあることに思い当たった。この部屋に踏み込む際、彼女は扉を切り刻んだ。つまり、扉は
なら、この扉から入ったのではないのかもしれない。では、やはり跳躍系の忍法の使い手とでもいうのだろうか。雷の忍法らしきものを使った痕跡が残っているというのに。
(……待てよ。雷と跳躍……。水城ゆきかぜと秋山凜子……。あの子の質問と被る……。これは、偶然……?)
アスカがそんなことを考え込んでいた時。
「おい、地下の捕虜はどうなってる!? 連絡がつかねえ!」
男の声が聞こえ、迫る気配も感じる。考えるのは後回し、まずは気絶している対魔忍をつれて脱出しなくてはならない。そう考えたところで、人を連れている以上、光学迷彩でやり過ごすことは不可能と気づいた。
「……つまり真っ向から戦闘して脱出しろってこと? そりゃあ確かに暴れられるのはいいけどさ、こっちにも色々事情があるし、人抱えた状態でってやりにくいんだけど? ……都合のいいようにこっちに面倒押し付けてくれて。あの子、今度会ったらただじゃおかないんだから!」
癇癪を起こしたように吠えながら、アスカは右手を突き出して部屋の入り口の先へと向けた。その付近に気配が迫ってくるのを感じたところで、高らかと叫ぶ。
「アンドロイド・アーム、皆殺しミサイルッ!」
機械仕掛けの義手から放たれた小型ミサイルが、近づいてきた男達向けて飛来し爆発。悲鳴が響き渡る。
アスカにとって待っていた、しかし望んだ形ではない大暴れの場が用意され、脱出劇が始まろうとしていた。