◇
「ゆきかぜ……凜子姉……」
秋山家にある逸刀流の道場。そこで1人の青年が正座をしたまま、口を真一文字に結んでいた。顔からはどこか頼りない印象を受けるも、放つ気配はまさに一流の剣士としてのそれ。ゆきかぜの恋人であると同時に凜子の弟にして、名門逸刀流の師範代、秋山達郎である。
ゆきかぜと凜子が消息を絶ってからもう1週間になろうとしている。その間彼は対魔忍の指揮を執るアサギに必死に掛け合い、救出部隊の編成、さらに可能なら自分もそこに加えてもらうよう交渉していた。
だが彼の望む返答は得られなかった。対魔忍といえど全てが自由というわけではない。資金援助や立場の擁護の代わりに、今は縦割り組織に組み込まれている。よって上層部からの了承なしに、単独では動けないのだ。
2人が連れ去られたのは十中八九ヨミハラであろうが、確定ではない。そんな状態では踏み込む許可が降りない。いや、許可したくとも、悪徳政治家からの圧力や妨害があればそれは難しいだろう。火中の栗を拾うな。そんな圧力が上層部にかかっているであろうことは、想像がつく。
達郎もそのことはわかっていた。が、納得はしかねていた。とはいえ、アサギも心は同じなのだろう。「部長からの了解が降りない」というその顔は、無念に染まっていた。自分ごときではどうすることもできない。否定しようのないその現実に、道場でただただ無事を祈り続けることしかできずにいた。
(どうか……無事でいてくれ……! 俺はまた2人に会いたい……。だから、どうか……!)
唇を噛み、拳を握り締めてそう祈る。こんな願いが果たして天に届くのだろうか。幾度と無く感じた不安と焦燥が、彼の心に渦巻き始めた、その時――。
「誰だッ!?」
不意に感じた気配に彼は声を上げ、傍らに置いていた愛刀である忍者刀「
(気のせい、か……?)
改めてもう異常は無い事を確認し、柄から手を離そうとする達郎だったが。
「達郎」
背後から聞こえてきた声――それも聞きなれた声に、反射的に手に力が篭りつつ振り返った。しかし刀が抜かれることは無く、代わりに彼の目が見開かれる。
「凜子……姉……」
そこに立っていたのは確かに達郎の姉、捕らわれたはずの秋山凜子だった。ただ、服が彼女が普段装着する対魔忍スーツとも、消息を絶ったときに着ていたとされる米連製スーツとも違う。肩から胸元にかけて大きく肌を露出させ、黒のキャットスーツが女豹を思わせるような、初めて目にする衣装。
「本当に……凜子姉なのか……?」
「何を言っているんだ、達郎。少し会わないだけで、姉の顔を忘れたのか?」
「い、いや……。じゃ、じゃあゆきかぜは!? 凜子姉は1人で逃げ出すことができた、ってことか?」
「私なら、ここにいるわよ」
再び背後からかかる声。そして見開かれる瞳。聞き慣れた明るい声に違わず、水城ゆきかぜがそこにいた。だがこちらも服が違う。乏しい胸を際立たせるように他の箇所を露出させた、小悪魔的な赤のドレスのような衣装を着込んでいる。
「ゆきかぜ!? 2人とも無事に脱出できた、ってことか……? い、いや、本当に……そうか?」
2人から僅かな違和感を感じ、抱きつきたい衝動を抑え、達郎は再び夜霧に手をかける。
「どうしたの、達郎? そんな怖い顔して。私はゆきかぜよ。何をそんなに警戒する必要があるの?」
「まったくだ。いくら恋人同士とはいえ、ちょっと失礼じゃないか?」
クスクスと笑う2人。そしてやはり感じる違和感。誰かが化けているような偽者、ではないと感じる。だとすると、操られている、ということだろうか。必死に思考をめぐらせる彼を嘲笑うように、ゆきかぜが問いかけた。
「ねえ、達郎……。私のこと……好き……?」
「な、何言って……」
不意にかけられた意図を図りかねる質問に、達郎は答えあぐねる。
「答えて。私は達郎のことが好き……。じゃああなたは? ……私は、それを確認したいの」
「……勿論好きだ。ただ、本物のゆきかぜなら、という条件つきだ」
「そっか。……よかった、安心した」
ゆきかぜの表情に満面の笑みが浮かんだ、その時。達郎は首元に衝撃を感じていた。身体を動かそうとしても言うことが効かない。凜子の手刀、倒れつつ視線だけをどうにか動かし、そのことに気づく。
「やっ……ぱり……」
操られていた。そう言おうとしても声が出ない。しかし倒れようとする彼をゆきかぜは抱きかかえ、微笑と共に顔を覗き込んだ。
「やっぱり? 違うわよ、達郎。私も凜子先輩も本物、操られたりなどもしていないわ。ただ……あなたが知っている姿からは、少し変わってしまったかもしれないけどね」
言い終えないうちに、ゆきかぜの身体から強烈な電流が走る。一瞬で意識を奪い去るその電撃の前に、今度こそ達郎の全身が脱力し、手から夜霧がこぼれ落ちた。
「……でもね、それが私達の本当の姿なの。そして達郎……あなたも、その私達に愛されて、共に堕ちていくのよ……」
恋人を抱きかかえる少女は妖艶に笑う。それを見ていた2人にとって姉に当たる人物も、満足そうな笑みを浮かべていた。
◇
「部長、もう限界よ。悪いけどこれ以上は待てない。たとえ部長の命令であろうと、
五車学園、校長室。傍らにさくらと紫を従えたアサギは、険しい表情と共に通話先の相手へとそう述べた。
「……部長には申し訳ないことをしてると思ってる。ここまでずっと私達の後ろ盾として動いてくれていたんだから。でも……」
『いや、謝るのは私の方だ。お前の仲間を思う気持ちはわかっているというのに、サポートできなかった。この件に関しては私が一切の責任を持つ。だから好きにやってくれていい。……ただ、ひとつだけ聞かせてほしい。お前はアスカを……ひいては、陽炎をどう考えている?』
アサギの上司である山本からの問いに、彼女は一瞬沈黙を挟む。
「……敵、とは考えたくはない。だけど私は、あの場に呼び出されて殺されたとされる仮面の対魔忍の死体から、その仮面を下を確認してる。どういうわけかわからないけど、朧の顔と同じだった……。となれば、仮面の対魔忍は何かしら朧と関係があって、あの女が私達を陥れるために一芝居打ったということも考えられる。現にゆきかぜと凜子が捕らわれた。となると……やはり陽炎は私達の敵で、アスカも敵の手に落ちてしまい、自作自演で私達を巻き込んだ、という線は捨て切れないわ。いずれにせよ2人だけは何が何でも助ける。その思いに変わりはない」
『そうか。……先のブラックとの戦いで和解したはずの、娘代わりであるアスカが立ちはだかるとしても、か』
「敵であるならば。……そんなこと思いたくも無いけどね」
『わかった。後のことはお前に任せる。こっちのことは気にするな。幸運を祈ってる』
「ありがとう。……感謝するわ、部長」
通信を終え、アサギは大きくため息をこぼす。その様子を目にし、さくらがまず口を開いた。
「お姉ちゃん……本気なの? アスカちゃんを敵とみなす、って……」
「言ったわよ、考えたくはない、って。でも立ちはだかるなら……全力で排除する」
「朧に催眠刻印で操られているだけだとしても?」
整った眉がわずかにひそめられ、アサギの表情に苦い色が浮かんだ。
「……その時は、朧を殺すだけのことよ」
「では、アサギ様はやはりアスカを討ちたくはない、と?」
自嘲的な笑みと共に、紫の問いへとアサギが答える。
「それは勿論よ。前回の一件で、私とあの子は和解した。また心から私を憎むなんてことがあるはずない。そう信じているから」
「よかったあ……。さっき話してた感じだとアスカちゃんであろうと斬る、みたいに聞こえたから不安だったんだよね……」
ホッとした様子でさくらの口から安堵の溜息と共に本音が漏れた。彼女特有の明るい表情と共に続ける。
「私も、仮にアスカちゃんが敵側として絡んでいたとしても、朧に操られて、だと思うよ。だから、ユッキーと凜子ちゃんを助けたら、アスカちゃんも一緒に……」
その時、だった。一瞬部屋の中に閃光が走ったかと思うと同時に何かがはじけるような音が響く。直後、さくらは意識を失ったのか、膝から床へと崩れ落ちた。
「さくら!?」
突如として起きた異変に、姉が妹の名を呼びながら身体を抱き起こす。しかし、返事はない。
「安心していい。殺してはいないから」
代わりに聞こえてきたのは、抑揚の無い声だった。ついさっきまで気配も何もなかった部屋の入り口付近に、いつの間にか2人の少女が立っていた。
「でもこの子がその気になれば殺せた。現に対魔忍最強であるはずのあんたら3人とも、攻撃の気配を感じ取ることすらできなかったんでしょうから。もっとも、それ以前にこれだけあっさりと侵入されて、しかも異常に気づいてない時点でどうかって話だろうけどね。以前の私達を信じすぎたのが仇になった、ということじゃなくて?」
「アスカ……!」
挑発的に腕を広げておどけた様子を見せる少女の名を、アサギが重々しく呼んだ。
「陽炎、やはりアサギ様が言ったとおり、貴様は朧に通じていた、というわけか」
続けてさくらの状態を確認しつつ、紫がそのアスカの傍らに立つ、マフラーで口元を隠した少女へ声をかける。困惑の表情が浮かぶアサギと対照的、こちらは完全に敵意を剥き出しにしていた。
「厳密には違う。……でもどうでもいい。結局のところ、今の私は朧様の左腕なのだから」
「そして私があの人の右腕ってわけ。その朧さんからの命令でね。……対魔忍陣営を弱体化させるために、トップであるあんたら3人をとっ捕まえて来い、ってさ」
アスカからの視線を向けられた瞬間。紫はそれまでの白衣を羽織っていた格好から対魔忍の姿へと早変わりし、戦闘態勢を取っていた。が、肝心のアサギが未だ立ち尽くしたままである。
「アサギ様!」
紫に名を呼ばれて我に返り、しかしやはり戦う意思を見せないままに、彼女はギリッと歯を鳴らす。
「正気なの、アスカ……! 私とあなたは一時期確執こそあったものの、共闘してブラックを打ち倒したことで分かり合ったはず……!」
「そんな風に思ってるのはあなただけでしょうね、アサギさん。少なくとも私は思っていない。所詮対魔忍なんて首輪を繋がれ続けている憐れな政府の犬。そしてあなたはその長でしかない。そんなあなたが私と分かり合うなど、ましてや今の私の親代わりでもある朧さんを越えるほどの存在であるなどと、考えられもしないことです」
親代わり。その言葉に、アサギの表情が濁る。
「……なるほど。朧に催眠刻印を施されている、というわけか」
「そう思いたいのなら勝手に思えばいいです。……ま、違いますけどね。私は私の意思でこうしているんです。同時に、私の意思とは朧さんの意思なわけでもある。……あなたを捻じ伏せて、朧さんの元へと連行させてもらいます」
「言ってくれるわね。なら私も……今のあなたを打ち破り、呪いから解放して私の元へと戻らせる」
瞬時に、アサギの身体が紫の対魔忍スーツに包まれた。棚に隠してあった忍者刀を手にし、鞘走らせて刃を抜く。
「アサギ様……!」
「私がやるわ。駄々っ子を黙らせる。紫はさくらをお願い」
「陽炎、あんたも手を出さないでね。最強の対魔忍なんてのが名ばかりだって事を、『風神魔将』の私が、今この場で証明してやるんだから」
「勿論無粋な真似はしないわ。それにする必要も無いでしょう。……だって今のあなたは、目の前にいる井河アサギより強いんですもの」
アスカに笑みが浮かんだ。陽炎の発言に同意するような、会心の微笑。
「随分と大きく出たけど、あなた達ちょっとは分をわきまえた方がいいわよ? 確かにここまで侵入してきたことも、私達の誰にも気づかれずにさくらを奇襲したのも見事だったわ。でも、わざわざ私とやりあうために私への攻撃を避けたのは、判断ミスではないかしら?」
「いいえ。もっとも妥当よ。井河さくらの影遁の術は逃走に適し、影の中に武器などを収納することもできるという利便性がある。奇襲であなたを狙った場合、たとえ気絶させても影遁であなたごと逃げられる可能性があった」
「今の陽炎のに加えて、そこの脳筋不死身女の馬鹿でかい得物も影の中に隠していることでしょう。よって、さくらさんさえ潰してしまえば、後の脅威は最強なんて呼ばれるあなただけ、ということになる。そして私は、あなたを1対1で叩き潰すことを願っている。全てが理にかなってるってわけよ」
説明をしつつ、アスカは唯一残った右手の義肢から対魔ブレードを展開した。アサギも数歩前へと出て、刀を構える。
「本気でいくわ。義肢を失って泣いても、知らないわよ」
「こっちのセリフよ。朧さんは生かしたまま捕らえろ、と私に言った。でもそれ以上何も言っていない。……まあ達磨になったところで、あの人はあんたを肉便器にして楽しむんでしょうから、生きてさえいれば問題ない、ということよ」
不快そうに、切れ長のアサギの目が細められた。そして身が竦むほどの殺気を放つ。百戦錬磨の、魔を斬り続けていた対魔忍のプレッシャーだ。
だが対するアスカも引かなかった。魔の力に目覚め、対魔忍の力の根源へと触れたことで溢れ出る瘴気とも思える力を振り撒き、構えを取る。
(これが……あのアスカだと……? アサギ様と同等……いや、それ以上にも感じられるプレッシャー……。なんて禍々しいオーラだ……! あれだけの発言、大言壮語ではないとでもいうのか……!?)
冷や汗を浮かべ、紫は敬愛する長を見つめる。その表情は厳しい。直接矛先を向けられていない自分でさえ感じるこれだけの圧迫感。おそらくアサギが受けているものはこの比ではないのだろう。意図せず、彼女は息を呑んでいた。
「忍法……」
「アンドロイド・アーム、リミッター解除……」
2人の静かな言葉が響き渡る。限界まで高められた闘気を纏い、両者は同時に叫んで床を蹴った。
「光陣華!」
「アクセルモード!」
人間の限界を越えた超速の世界の中で、2人が激突する。己の体感時間を引き延ばすことで周囲からは超高速で動いているように見える光陣華。対するは時間こそ引き延ばせないものの、対魔粒子を極限まで高めることでその速度と同等に反応するアクセルモード。
アンドロイド・アームが1本になったといえど、今のアスカのアクセルモードは以前よりも衰えるどころか、総合的な性能は増している。機械仕掛けの右腕は従来通りアスカの意思に応じて光陣華に並ぶほどの超速度で反応し、生身となった残りの部分には強化された風神の術による風のサポートをもって速度を補う。風神魔将として秘められた力に目覚めたが故に可能となる、アサギの奥義への対抗策。
「はあああああああああーッ!」
「せやああああああああぁッ!」
気合の声と共に、両者の刃が交錯した。ガキン、などという金属の澄んだ音からは程遠い。尋常ならざる速度で連続して叩きつけられた結果、ギャリギャリという耳障りな音と共に剣戟が繰り広げられる。一瞬で百を叩き込むといわれるアサギの刃と、1000倍の速度で反応が可能というアスカの対魔ブレード。
(私の光陣華に……ついてきている……!?)
互角にやりあえるのはせいぜい数撃が限界、と考えていたアサギは目を見開いた。アスカのアクセルモードは彼女の予想を遥かに越え、超人的な動きをみせていた。確かに光陣華自体は、朧の催眠刻印で術の発動そのものを止められたことも、ブラックの重力障壁で効果を無効化されたこともある。だが、真正面からではない。小細工抜きの力で受け止められたことに、アサギは少なからず動揺を覚えていた。
「おおおおおおおおおおおッ!」
そこを突かんとアスカが吠える。純粋に己を打ち倒そうとする気迫を感じ、しかし押されるどころか対抗すべく、アサギも咆哮を上げた。
「たあああああああああああぁッ!」
もはや何合の打ち込みがあったのかわからない。凄まじい速度での斬撃の応酬が続いていた。傍から見ていれば残像の軌跡すらはっきりと見える超速度の戦い。アサギもアスカも、共に一歩も引かなかった。
が、不意にアサギの身体が重くなる。光陣華の時間切れ。もしまだアスカのアクセルモードが持続しているなら、という敗北の予感が、彼女の脳裏をよぎる。
「くっ……!」
歯を食いしばり、連続使用も辞さないと決意を固めたアサギだったが、目の前のアスカの連撃もやんでいた。同時にアスカの義肢が煙を上げ、力無く垂れ下がっているのも目に入ってくる。
(オーバーヒート……? なら、もらったっ!)
その煙を上げる腕を切り落とす。酷かもしれないが、多少強引にでも戦闘能力を奪うのが最優先。そう決めたアサギに、迷いは無かった。
「へえ……。以前はずっと躊躇ってたくせに、やっと本気で私を斬る気になったんですね……」
そこで不意に聞こえたアスカの声。一瞬心が乱されるも、朧の呪いから解放する、という思いは、彼女の腕を止めることはなかった。
「あなたを……救うためだもの!」
渾身の力で刀を振り下ろす。狙うは右腕。義肢部分だけを切断しようと刀が煌き――。
「なっ……!?」
その直前で、アサギの腕は止まっていた。
「救う? ……私はもう朧さんに救われています。あなたに救われる必要は、ありません」
ゆらり、とアスカが動く。その顔に浮かぶ残忍な笑みに、アサギの背筋を冷たいものがかけていった。反射的に間合いを取ろうとするが、腕が動かない。いや、腕だけではない。足もだった。
「惜しかったですね。光陣華を連続使用して、本気で私を殺す気できたならばわからなかったのに。でも、結局は私の風の枷に捕まった。……あなたの負けです」
アスカの左手に風が渦巻いた。まずい、と本能が警告を告げるも、身体を動かすことができない。
「はあっ!」
「がっ……!」
腕と足を固定されたアサギは衝撃を逃すこともできず、腹部に風神の術の直撃を受けた。肋骨が悲鳴を上げ、内臓にまでダメージが及ぶ。耐えかねて口から血を吐き、空中で固定する風の枷にもたれる様に身体が崩れた。
「アサギ様! アスカ、貴様あああああぁッ!」
鬼の形相で紫が床を蹴って飛び出す。丸腰ではあるものの、術の力によって得られる怪力がある。アサギとの戦いで消耗した今のアスカなら、脅威になりかねない。
「陽炎!」
「忍法、疾空迅雷!」
しかしアスカはそこまで計算済みだった。背後に控える相棒の名を叫んだだけで事足りた。まさに以心伝心、名を呼ばれた陽炎は雷遁の術を空遁の術で飛ばし、迫ろうとする紫に一方的に雷撃を浴びせていた。
「がああぁっ!」
「むら……さき……!」
意識を刈り取ろうとする強烈な電流に、さしもの紫も耐え切れなかった。床に倒れ、だがそれでも這いつくばってでも、己の名を呼んだアサギの元へ近寄ろうとする。
「呆れた。まだ動けるの?」
「……信じられない。いくら不死覚醒の能力があれど、私の雷撃は脳からの信号をシャットアウトして、筋肉の運動を強制的に麻痺させるはずなのに。……もう少し出力を上げて、あと1発撃っておくか」
「この後離脱に空遁の術を使うんだろうし、消耗は控えたほうがいいんじゃない? この状態なら、術使わないでも刀で心臓を一突きとかでいいでしょ。どうせ脳と心臓を同時に潰さないと死なないんだろうし」
フン、と軽く鼻を鳴らし、陽炎は腰の刀を抜いた。が、その時。
「ちょっと待って陽炎。そいつを手荒に扱うと、私のかわいい弟が協力を渋るかもしれない。丁重に扱ってあげて」
部屋に新たな気配が現れたと同時に聞こえてきた声に、部屋の中の者の視線がそちらへと集まる。発言したのはラボに侵入していた、桐生美琴だった。ゆきかぜと凜子が達郎の元へ移動するより先にそこへ忍び込み、目的を果たしている。その目的のひとつ、気絶している白衣の男――弟の桐生佐馬斗を、鬼神の腕である右腕で担いでいた。
いや、それよりもその隣に2人。そちらを目にしたアサギの顔が驚愕の色に染まる。
「そん……な……。あなた達……!」
そこに立っていたのは腰に愛刀を装備し、肩に弟を担いだ凜子と、その傍らには相棒のゆきかぜが立っていたのだ。それも感じる禍々しい気配から、本来の彼女達では無いとアサギはすぐに推測した。催眠刻印に操られてしまっているのか、それとも本当に魔に堕ちたのか。
「さすがね、陽炎。ここのトップ3をあっさり黙らせるなんて、さすがは私の娘。……いえ、最強の対魔忍を捻じ伏せたのは、アスカの功績かしら?」
「ゆきかぜさん、ついでみたいに私を褒めないでください。あの光陣華を破ったっていうのに。……あーもう、右手動かないし、帰ったらまた小谷っちに怒られるよ……」
まるで世間話かのように話す2人をさて置いて、達郎を担いだ凜子が一歩前へと出る。
「アサギ隊長。……いえ、アサギ元隊長。お迎えに上がりました。朧様が、あなたを待っていますので」
「そう……。あなた達も……催眠刻印に……」
「いいえ。私も先輩もアスカも陽炎も、皆自分の意思です。……まあ言ったところで信じてもらえないでしょうし、別に信じてもらう必要もありませんけど」
言うなり、ゆきかぜは右手をかざした。そこから陽炎を越える強力な黒い雷撃が走る。
「がはっ……!」
今度こそアサギは意識を奪われ、風の枷に完全に身体を預けた。
「ついでにそっちも」
さらにゆきかぜは紫へも雷撃をとばす。短い悲鳴と共に、紫も意識を失っていた。
「ちょっとゆきかぜ、あんたさっきの私の話聞いてたの!? 佐馬斗がぞっこんっていうその女を餌に、弟を説得するんだから手荒に扱うなって言ったのよ!」
「いちいちうっさいわね。どうせ半分不死身な人なんだから問題ないわよ。それに説得なんて面倒な方法使わなくても、いざとなったらあんたお得意の魔界医療技術で、弟の頭の中弄くればいいでしょうに」
やることはやったという空気を纏わせたゆきかぜに、美琴が噛み付いていた。そもそも美琴がここにいる理由は、彼女の肩に担がれている弟にある。どうしても同行したいと主張した彼女には、弟を手元に連れて来たいという思いがあったらしい。アサギ、さくら、紫の連行は陽炎とアスカがいれば十分可能、と朧は考えていた。そのため、バックアップとして配属するゆきかぜと凜子が達郎を攫い、ついでに愛刀も回収したいという要望を了解しており、ならばと美琴も半ば強引に朧に掛け合っていた。
そのため、弟を説得するために紫は鍵となる。そこで言い咎めたわけだが、ゆきかぜは取り合う気はないらしい。が、美琴も美琴で引かない。
「確かにかわいい弟だからこそ頭をいじるというのもあるけれど……。いえ、そういうことを言ってるんじゃないの! あんた、以前から思ってたけどほんと反抗的よね? また私の作った魔界生物の中に閉じ込めてあげようかしら?」
「そういうあんたこそ、私より古参の朧様の腹心だからって、ちょっと調子に乗ってるんじゃないの? 前々から何かと突っかかってくるし、いい加減ウザいんですけど」
「2人とも、やめてくれないか。よりにもよって敵地のど真ん中でケンカとは、肝が据わっているというか大胆というか……」
この中で最も精神的に年長な凜子が、溜息をつきながら2人をなだめようとしていた。その間にアスカが風神の術で3人を手元へと引き寄せる。
「絶賛故障中で右腕動かないのに、私が風神の術で3人運んで、ついでに安全を期して全員に風の枷もつけるとか……。あの井河アサギをタイマンで打ち倒したのよ? まったく、私ってば働きすぎよね」
文句を垂れたアスカを見つめ、陽炎が微笑を浮かべた。
「じゃあその分、ヨミハラまでの移動は私と凜子さんが頑張らないとね」
「そういうことだ。……陽動と拠点破壊用に仕掛けた爆弾がそろそろ起爆する。それにいくら拘束しているとはいえ、移動中にこの3人が目覚めたら面倒なことにもなる。さっさと離脱するとしよう」
凜子の発言に皆が頷き、傍へと固まった。それから彼女は印を結び、本来帰るべきであったはずの場所から跳躍し、姿を消した。
しばらくして、対魔忍本部の一部で爆発が起き、学園やラボが火に包まれた。被害者こそ少なかったものの、重要箇所をピンポイントで狙われたこの爆発で、組織としては甚大な被害を受けることとなる。加えてアサギ、さくら、紫の失踪も重なり、対魔忍陣営は一気に弱体化。朧の思惑通りに、破滅へのシナリオは進んでいくのであった。