◇
里奈子が目覚めた時、彼女は対魔忍の隠れ里の養成機関である
「気が付いたのね。よかったわ……」
目を開けた里奈子の視線の先、眼鏡に白衣姿である
「姫荻さん……」
「身体はどう? 痛いところがあったり、苦しかったりしない?」
「はい……。私は大丈夫です」
「大丈夫なわけないじゃない……! 捕まって酷いことをされて……。でも、帰ってきてくれただけでもよかった……」
我が身の事のように心を痛める様子の沙希に、里奈子はどこか申し訳なささえ覚えてしまうほどだった。慈愛に満ちた表情を浮かべた後で、沙希は里奈子から顔を離す。
「少し待ってて。あなたが目を覚ましたら教えてほしいと言われていたので、アサギさんに連絡してきますね」
離れていく後姿を見つめつつ、里奈子は天井を見上げて考えをめぐらせていた。
(でも……誰が私をここまで連れてきてくれたんだろう……)
陽炎と名乗った顔もわからない謎の少女。自分を気絶させたのは彼女であろうが、あの後連れてきてくれたのだろうか。ぼんやりとそんなことを考えていたところで、沙希が早足で戻ってくるのがわかった。
「里奈子ちゃん、アサギさんが可能なら話を聞きたいって。無理強いはしないけど……」
「大丈夫です。アサギ先生の部屋に行けばいいですか?」
「いいえ、こっちに来るそうよ」
「そんな……! それでは申し訳が無いです。私が行きます」
「ダメよ。あなたはまだ本調子じゃないんだもの。こういう時は『最強の対魔忍』様にご足労願うことにするべきよ。……じゃあ今連絡するわね」
一方的に話を切り上げ、アサギへの連絡のために沙希は離れていった。なんだか申し訳なく思い、報告すべきことを里奈子は頭の中でまとめようとする。が、うまくいかない。
そうこうしているうちに保健室の扉が開いた。中に入ってきたのは学園の校長であり対魔忍達のリーダーでもあるアサギとその妹で教官であるさくら、そして同じく教官の
「連絡ありがとう、沙希。……里奈子、そんな固くならなくて大丈夫よ。あなたを責めるために来たんじゃないから」
「里奈ちゃん、確かにお姉ちゃんは普段こっわーいけど、今日は本当に怒ってないから心配ないよ」
「さくら! アサギ様は普段も怖くなど無い! 貴様がいつもだらしないのがその原因だろう!」
「……なんで私の代わりに紫が怒るのよ」
目の前で繰り広げられた漫才よろしく3人のやり取りに、思わず里奈子は小さく笑った。お調子者のさくらが緊張をほぐそうと気を利かせてくれたのだろうが、もともとクールとも言われる紫の方は素なのだろう。おかげで少し気は楽になったが、仮にも失敗報告をこれからするのに笑ってしまったと、慌てて表情を引き締めなおす。
しかしアサギはそれを咎めるつもりは全く無いらしい。緊張をほぐさせる意味だろうか、小さく笑いかけてきた。
「少しは肩の力が抜けたかしら? それじゃあ気が付いて早々申し訳ないけど、いくつか聞きたいことがあるから」
里奈子が頷いたところで、アサギからの質問が始まった。自分の失敗を告白しなければいけないと重い気持であったが、そのことにはほとんど触れず、むしろ心の傷を抉り返そうとしない様子で、軽く聞かれるだけで済んでいた。このまま形式的な内容だけで終わるのかもしれない。里奈子がそんな風に考え始めた頃だった。
「……さて、ここからが本題になるわ。あなたが捕まっていた時に現れたであろう謎の対魔忍……陽炎という対魔忍についてよ」
ドクン、と心が跳ねたように感じた。気づいたら保健室のベッドの上だった以上、まだ彼女は陽炎という対魔忍の存在を報告していないはずである。
「その人のことを……誰から……?」
「あなたを助け出した……協力者からね。その人物から少し話は聞いた。でも、あなたの口から聞きたいの」
やはりあの後、陽炎と名乗った少女は自分を気絶させ、協力者という人物に自分を預けて姿を消したのだろうと里奈子は考える。同時に、この場に3人が揃って来たという理由も察した。その対魔忍のことがよほど気がかりなのかもしれない。
「顔は見ていないのね?」
「はい。目以外の部分は、髪も鼻も口も隠していましたから……」
「女の子なんでしょ?」
さくらの問いかけに里奈子は頷いて肯定する。
「そう思います。声の感じも、体型もそう感じました」
「それで、彼女と何か話した?」
「はい。……ゆきかぜさんと凜子さんがどこにいるか教えてほしい、と言われました。でもわからなかったですし、答えていません」
ゆきかぜと凜子、という単語に3人の瞳が一瞬見開かれた。
「そいつは術を使ったんだろう? どんな術を?」
青いポニーテールを揺らしつつ、紫が尋ねる。
「はっきりとはわかりません。でも……あれは雷遁の術のように思えました。突き刺した刀から雷撃を発し、それで1人を内側から爆発させて吹き飛ばした、と見えましたので。それに私を気絶させた時もスタンガンのように電気を流してきたと記憶しています。あ、あと太刀筋は逸刀流のようにも思えました。得物は忍者刀ではなくおそらく日本刀です。それから拳銃も使っていましたが、見た目は普通の物でした。ただ、威力は普通の拳銃の比じゃありませんでした」
「……雷遁、か。それで里奈子、あなたはその対魔忍を見て、どう感じた?」
「どう、と言われても……」
質問の意図が見えず、里奈子は答えに窮する。助け舟を出そうと、その質問をぶつけたアサギが口を開いた。
「あなたが感じた印象とか、敵意があったか、とか。何でもいいわ、とにかく感じたことを聞きたいの」
「敵意は……あまり感じませんでした。あったなら、私は殺されていてもおかしくなかったでしょうから。捕らわれている私を哀れんでいるようにも感じましたし。でも質問に答えなかったときは……殺されるのも覚悟しました。雰囲気は……初めて見たときは、ゆきかぜさんに似てるように感じました。だけど、目も声ももっと冷たかったというか、無感情というか……。そんな感じです」
言い終えてから、我ながら曖昧な回答だったと里奈子は反省していた。が、目の前の3人は深刻そうな表情を浮かべたまま、何かを考えているようだった。
「……ありがとう。その陽炎という対魔忍の話、今後も少し聞かせてもらうかもしれないけど、今日はこのぐらいにしておくわ。……ごめんなさい、まだ本調子じゃないのに無理に話を聞くようなことをして」
「そ、そんな……! ……こちらこそ申し訳ありません。偵察の任務もまともにこなせず……」
「気にしないでいいわ。それより、身体と心の傷を早く癒せるよう、今はゆっくり休みなさい」
普段は厳しいアサギらしからぬ優しい言葉だった。思わず「ありがとうございます……」と感謝の言葉が、里奈子の口を衝いて出ていた。
「……じゃあ私達は行くわ。沙希のいうことをちゃんと聞いて、ゆっくり休むのよ」
「じゃね、里奈ちゃん」
明るく振舞ったさくらに少し癒されたように感じながら、里奈子は頭を下げて3人を見送った。だが一方、自分が出会ったあの少女を予想以上に強く気にかけている。そんな風にも思っていた。
◇
「どう思う、お姉ちゃん?」
里奈子との話を終え、医務室から出てきて真っ先に口を開いたのはさくらだった。
「あの子の話は基本的に疑う余地がないわね。あまり話す時間はなかったけど、アスカが彼女を連れてきてくれたときに話してくれた内容とも一致する」
「しかし……雷遁の術使いでの抜け対魔忍はいなかったはずです。それに、抜け忍対策の対魔忍からも逃れられるほどの腕となれば……なおさらその数は絞られます。……それこそ、そのアスカや
紫の指摘にアサギは重々しく頷く。
「そうね……。それにゆきかぜと凜子を探している、という話も間違いない。アスカだけでなく、里奈子にも聞いたみたいだもの。2人を探して何をしたいのかしら」
「ユッキーと凜子ちゃんになんとか連絡をつけたほうがいいんじゃない?」
「……今『
そこまで言ったところでアサギは足を止めた。ここで校長室に向かうアサギと他の2人は別れることになる。
「ひとまず現状は手の出しようがないわね。それに、そのことにだけ構っているわけにもいかない。……ただの施設と思っていたところに、一応という形で偵察に出した里奈子が有無を言わさず捕らえられたことからも、ここ最近魔族連中の動きが活発になっているのは明らかだもの。そっちも対策しないといけないわ。
それに、私のカンでは陽炎という対魔忍はそう遠くないうちにまた現れるようにも思える。今度その子が現れたら、状況からどうすべきか、どう動くかを考えましょう。……後手後手になってしまう気はしないでもないけど」
「でも敵、ってわけでもないと思うよ? それなら里奈ちゃんを助ける必要はなかったんだろうし」
「そうとも言えないぞ、さくら。アスカの話ではそいつの目的は里奈子の救出ではなく、あくまでついでという話だった。私達に警戒させないよう、とりあえず助けたとも考えられる」
ふう、とアサギはため息をこぼす。
「何にせよ、今ここであれこれと話しても埒が明かないわ。何かあったら動く、ということでお願い。……それじゃ、私は校長室に戻るわね」
「お疲れ様です、アサギ様」
「お疲れー」
紫とさくらの声を背中に受けながら、アサギは足を進めた。
慣れた校内を進み、校長室へと向かう。確かに陽炎という対魔忍の存在は気になるが、今はそればかりに気を取られてはいられない。
良くも悪くもブラックという強大な存在の元に纏まっていた魔族だが、統制が崩れたことによって様々な思惑を持つ者が現れている。そしてそれは人魔の結託を目論み、政治家や権力者に形振り構わず迫ろうという形にもなっていた。それらを監視、場合によっては排除という仕事が対魔忍には待っている。さらにはその大元である魔族を叩く、ということも。
あくまでそれらが優先事項。それにさっき2人に述べたとおり、陽炎はそう遠くないうちにまた現れる、とアサギは踏んでいた。よって今は後手となるかもしれないが、陽炎に関しては状況を静観するのがいいだろう、というのがアサギの考えであった。
そんな風に思いつつ、校長室に着いてドアノブに手をかけた瞬間。妙な違和感がアサギの心を駆け抜ける。
(部屋の中に……誰かいる……?)
殺気、というほどの気配ではない。自分を待っている、という程度の空気。どこの誰かは知らないが失礼な者もいたものだ、と思いつつ、アサギは扉を開き――。
「お、お前はっ……!?」
言葉を失った。
無言で佇み、顔の大半を隠したフードマフラーの間から鋭い視線を投げかける、1人の少女。
部屋の中にいたのは、今さっきまで話題に上がっていた謎の覆面対魔忍、陽炎であった。