侵入
◆
『あぁ……。実にいい気分だわ……。どうしてもっと早くに気づかなかったのかしらね。己の中の声に耳を傾け、それに身を委ねることがこれほどに心地よいものだったなんて……。私であって、私でない。ウフフ……。さあ、あなた達もこの甘美な感覚を、一緒に味わいましょう……』
◇
「最強の対魔忍」と相対した謎の覆面対魔忍の少女は、部屋に入ってきた主の姿に、唯一覗く瞳を僅かに細めたようだった。しかし張り詰めているとはいえ、先ほど感じたのと同様の殺気ともまた違う空気に、アサギは警戒心は解かないまでも即座に戦闘の意思は見せることはしなかった。隙なく、ゆっくりと後ろ手に扉を閉めて部屋に入る。
(なるほど……。ゆきかぜに似た雰囲気を受けた、という話は本当ね。目は……あの子によく似ている。でもやはりどこか違う。ゆきかぜが
はじめはゆきかぜと思った、という里奈子の感覚はあながち間違えていなかったとアサギは思った。だがゆきかぜとは何かが決定的に違う。そして腰に下げた得物も。里奈子の情報どおり、日本刀に現代の拳銃。どちらもゆきかぜの使う武器とは異なる。
「丁度今さっきあなたの話をしてたところなのよ、噂の陽炎さん。そう遠くないうちに現れるとは思っていたけど、まさかこんなに早く、しかもここにっていうのは予想外ではあるわね。それにしても随分と大胆なことをするのね。ここは忍びの隠れ里。その養成機関であり要でもあるこの五車学園の、それも校長室に忍び込むなんて。あなたが優秀な忍びなのは間違い無さそうだこと」
挑発とも取れるアサギの軽口に対しても、陽炎の様子は全く変わらなかった。ただ黙って立ち尽くしたまま、アサギを見つめている。
「……何とか言ったらどうなの? 私に用件があるならさっさと済ませた方がいいわよ? 確かにあなたは優秀なようではあるけれど、時間は限られてると思うわ。なにせここは外部から侵入者があれば感知する結界があるし、里と外部との間には24時間態勢で監視が……」
「結界の範囲は把握している。それに監視の緩いポイントも。つまり結界に引っかからず、かつ監視に見つからなければ、侵入には気づかれない。現に私がここに侵入したことは、今現在顔を合わせているあなた以外は誰も気づいていないはず」
ようやく開かれた口から発せられた言葉にアサギは目を見開く。結界の範囲も、監視の緩いポイントも把握している。そんな馬鹿なことがあるはずはないと思いつつ、しかしこれだけ堂々と、しかも校長室に忍び込んでいる以上はその発言も一概に嘘だと言い切れない。
「……あなた、何者なの?」
「さっきあなたが言った通り。陽炎、それが私の名前よ」
「それは知っている。なぜ対魔忍の里の情報を知っているのか、それからなぜわざわざこんなことをしたのか。話してはくれないかしら?」
頼み込む形ではあったが、そのアサギの口調からは有無を言わせぬ気配が滲み出ていた。百戦錬磨の、相手によってはそれだけですくみ上がるような気配を真っ向から浴びつつも、しかし陽炎は全く堪えていない様子だった。
「ひとつ目については答えられない。知っているから、としか言いようがない。ふたつ目については……聞きたいことがあったから。アサギ……井河アサギ、あなたがこの五車学園の校長、すなわち、対魔忍達の長。間違いないわね?」
質問の内容に僅かに違和感を覚え、アサギは眉をひそめた。この忍びの里について詳しいらしいというのに、わざわざ校長であることを確認する意味はなんだろうか。そんなことはある程度詳しいものならわかるほどに有名な話であろうに。
「ええ。間違いないわよ。……妙なことを聞くのね。あなたが聞きたかったことって、それ?」
「いいえ。対魔忍の内部事情にもっとも詳しい人間に直接聞いた方が早いことだから、確認を取っただけ。私が聞きたいことは、おそらく百田里奈子と甲河アスカから聞いて知っていると思う。……水城ゆきかぜと秋山凜子の2人が、今どこにいるか、ということよ」
里奈子、そしてアスカが聞かれたという内容と全く同じ質問。この少女はゆきかぜと凜子を執拗に探し出そうとしている。それだけは間違いないとアサギは悟っていた。
「それを知って、どうするの?」
「あなたには関係無い。これは私の問題」
「仲間の居場所をペラペラと話す気は元々無かったけど、何をしたいのかわからないんじゃなおさら教えられないわね。……それで、どうする? 力づくでも聞き出す、というのなら、相手になるわよ」
アサギは殺気を膨れ上がらせ、陽炎へとぶつけた。アサギをもってして「優秀」といわしめた少女も、このプレッシャーを真っ向から受けては平常ではいられないようだった。並みの使い手程度ならそれだけで戦意を失うことすらありうる。しかし覆面少女は条件反射的に腰の刀に手を伸ばしはしたものの、自ら仕掛けようという気はないようにも感じられた。
「……私じゃあなたには勝てない。だからやり合う気は無い」
「あらそう? 見ての通り今の私は丸腰よ。こんな私服だし。武装しているあなたの方が有利だと思うけれど?」
「よく言う。クナイの1本も隠し持っているでしょうに。それに……あなたの忍法である『
再びアサギの目が見開かれる。自分の切り札である忍法を知っている。それだけで対魔忍としては由々しき事態だ。もっとも、アサギの忍法である光陣華の場合は、短時間ではあるが使用者の五感五体を強化し、体感時間を引き延ばすと同時に行動速度を劇的に速めるというものである。よって、原理がわかることと対処できることは別問題ともいえた。
「だから聞き出せる範囲で聞き出したら消えるつもりでいた。でもどこの誰とも知らない私に教える気は無い、そういうわけね。……じゃあ聞き方を変える。ゆきかぜと凜子、今も対魔忍なの?」
「どういう意味?」
意図を図りかねる。だが陽炎の方はどこか満足したらしく、安堵の意味か、小さくため息をこぼしたようだった。
「……いい。その反応で十分な答えだから」
「こっちはよくない。何、あなたはこうでも考えたの? ゆきかぜと凜子が抜け対魔忍になっている、あるいは、対魔忍であることを捨てて裏切っているかもしれない、と」
「対魔忍といえど所詮は人間よ。同時に女でもある。
「あの2人がそうなる可能性があると? 私には思えないわね。私達には対魔忍としての誇りがある。そう簡単に堕ちることは無い。ましてやあの2人はとても優秀よ。ありえるはずがないわ。どこの馬の骨かわからない、本当に対魔忍か怪しいあなたにはわからないかもしれないけれど」
「……なるほど。その程度の認識でいた、か。甘いのね。あなたがそんなだから……」
一瞬、覆面から覗く目に怒りが宿ったようだった。だがそれをすぐに鎮め、陽炎は先を続ける。
「……リスクを冒して直接会いに来た価値はあった。ゆきかぜと凜子の2人が無事今も任務に就いている。それがわかっただけで、十分よ」
「何1人で話を纏めようとしてるの? 勝手に来て、一方的に話して、はいさようなら、はないんじゃない? あなたの言動、わからないことが多すぎるわ」
「わからなくていいことよ。……お
腰の刀にかけたままの手を離し、陽炎は何かの印を結ぼうとする。だがそれより早く。アサギは隠し持っていたクナイを陽炎目掛けて投擲していた。
「……ッ!」
慌てて陽炎は印を中断し、身をよじってそれを交わす。その隙にアサギは部屋の端にあった棚を蹴って扉を開けると、隠してあった忍者刀を手に取った。そしてそのまま鞘走らせて刀を抜き、一気に間合いを詰める。
光陣華ではない。彼女の鍛錬によって培われた脚力による踏み込み。にも関わらず、クナイ投擲からの尋常ではない速度のそれにより、陽炎は完全に虚を突かれる形となった。先ほど発動させようとした術は今からでは間に合わないと瞬時に、あるいは反射的に判断したのだろう。腰の太刀を抜くと、忍者刀を振り下ろすアサギ目掛けてそれを横に振るった。
金属の乾いた音が響く。しかし次の瞬間、拮抗する力がゼロとなり、その先にあったはずのアサギの姿が消えた。床を蹴り、ひらりと宙に舞っていた。だが僅かにつんのめりかけた陽炎は、絶妙の体捌きによって姿勢を保ち直し、今度は返す刀を斬り上げる。目測で二尺四寸五分、自分の忍者刀より長い、と踏んだ刃が切り裂かんとするも、刀身でそれを受け止め、鍔迫り合いのままアサギは陽炎の傍へと着地していた。
「へえ、いい剣捌き、体捌きね。逸刀流のかなりの使い手と見たわ。でもさっきのはちょっと聞き流し切れない。……答えなさい。ブラックに気をつけろ、とはどういう意味? あいつが復活したとでも言いたいの?」
「復活……? あの男は本当に死んだのか?」
「あら、おとぼけ? あいつは確かに私がこの手でとどめを刺した。それに気をつけろとは、蘇りでもするという意味にしか考えられないわね」
そのアサギの言葉に、覆面から唯一覗く目が明らかに動揺の色を見せていた。
「……そう。本当に死んだの……。噂では聞いたけど、詳しくは知らなかったし信じられなかったのよ。ブラックが本当に死んだなんて」
予想もしていなかった答え。相手の様子から嘘ではないように感じられる。色々と妙なことに詳しいようでいながら、どこか話が噛み合わない。そのことについての違和感がアサギの心を占めていく。
そしてもうひとつの違和感。敵意を感じない刃。陽炎が振るった刀は完全に防衛のためだった。いくら奇襲でアサギが仕掛けたとはいえ、実際に刃を交えた結果、已む無く抜いた、という印象しか受けなかった。つまり、わざわざここに侵入しておきながら自分と敵対する意思は無い、あくまで話を聞きに来ただけ、と考えていいということだろう。
(なんなの、この子……。わからないことが多すぎる……)
対魔忍の里への侵入というリスクを冒しながらも、目的は自分の暗殺でも他の対魔忍を手にかけることでもなく、あくまでゆきかぜと凜子の居場所を問い質すため。なぜそれほどまで2人に執着するのか。そしてそこまでする理由は何か。
アサギが思考を巡らせている間に陽炎は刃を引いて間合いを取り直した。それから何やら術の印を結ぼうとする。
「待って! 言いたいことがある!」
かけられた声に相手は行動を中断した。隙の無い瞳でアサギを見つめつつ、その言葉の先を待つ。
「……あなたが何者で、何を考えているかはわからない。でも少なくとも私に対して敵意が無いことだけは、刀を交えてわかった。里への侵入も、あくまで話を聞くためだけにした、ともね。だから、あなたの正体とあの2人を探している目的を教えてくれて、さらに協力関係を約束してくれるなら、こちらとしても譲歩するつもりはある」
「申し出はありがたい。でもそれはできない」
「強情ね。……東京近郊の街に何でも屋をやって生計を立ててる抜け対魔忍がいる。私と反りが合わなくて出て行ってしまった子だけど、腕は確かだし、乱暴だけど面倒見もいい。もし困ったことがあるならその子を頼りなさい。対魔忍が自分を探しているとわかれば、向こうから出向いてくると思う」
「……
不意に出てきた名にアサギが一瞬思慮する。今名前を出された神村舞華は火遁衆を束ねる対魔忍だ。気性が荒くアサギも手を焼くものの、非常に優秀であり、火遁という攻撃性の高い忍法のために破壊工作に置いて右に出る者はいない。が、確かに乱暴者ではあるが彼女は現在も里におり、抜け対魔忍ではない。
「舞華のことまで知っているの? まったく、一部おかしなところもあるとはいえ、あなたはうちの対魔忍としか考えられない情報量を持ってるのね。……でも舞華ではないわ。ただ、それだけ詳しいならおそらく知っていると思う。街にいるのは紫の妹……八津
「愛子さん……」
その声は、どこか意味のある声色だった。それを聞いてまたもアサギの脳裏をよぎる疑問。これだけ詳しければ愛子を知っていてもなんらおかしくはない。が、その相手を「さん」付けで呼び、さらになにやら思うところがあるとなればまた話は別だ。
「……本当に甘いな。だが、感謝はする。それと、ゆきかぜと凜子の2人は勝手に追わせてもらう」
「そう。もしこちらの妨げになると判断したら、その時は排除なり捕縛なりさせてもらうわ。そうなったら覚悟しておくことね。あなたの正体も目的も、全部明かさせるから」
「わかった。……人が来るな。今度こそ消えさせてもらおう」
陽炎は術の印を手早く結んだ。その印を見て、そして次に起こった現象に、アサギは今日何度目かわからない驚愕を覚える。
「馬鹿な……!? 空遁の術ですって!?」
叫び終わった時にはもう、陽炎の姿はどこにもなかった。同時に結界が無反応だったことにも納得がいく。空遁で跳躍をすればセンサー代わりの結界にひっかからず、内部に潜り込むことも可能だ。そのセンサーの影響範囲がわかっているとなればなおさらだろう。
しかし理屈でそうわかっていても、アサギの頭を占めるのは疑問以外の何者でもなかった。ゆきかぜの雰囲気を纏いつつ噂では雷遁の術を使うと聞いたのに、さらに凜子と同じ空遁の術までも使い、そしてそのゆきかぜと凜子を捜し求める対魔忍の少女。
(陽炎……。あなたは、一体……)
答えは無論出ない。だが、ある種の閃きに近いものが彼女の頭をよぎった。もしかしたらそれが答えかもしれない。それはひとまずおいておくとして、アサギは人が近づく気配のある入り口の扉を振り返った。
その瞬間に示し合わせたかのように入り口の扉が開けられ、2人の女性が姿を現す。
「お姉ちゃん! 今この部屋から戦闘音っぽいものが聞こえたんだけど……!」
「大丈夫ですか、アサギ様!?」
わずか数度刃を交えただけではあったが、それでアサギに次ぐ実力者である2人は異変を感じ取ったらしい。無論アサギもこの2人が駆けつけてきていることには気づいていたし、それは先ほどの発言から陽炎も同様らしかった。
「問題ないわ。アポ無しでちょっと失礼な訪問があっただけよ。……噂の陽炎ちゃんが、ね」
抜き身の刀を肩に担ぎつつ、アサギはやれやれとばかりに手を広げて見せる。
「陽炎……!? 現れたの!? しかもよりにもよってこの部屋に!?」
「なんというふざけた奴……! それでアサギ様、そいつはどうしたんですか!?」
「逃げちゃったわよ。それも……空遁の術らしき忍法でね」
空遁の術、という単語はやはり2人にとっても予想外だったらしい。少し前のアサギ同様、驚愕の色が顔に浮かぶ。
それより、とアサギは先ほど抜いた鞘を拾って刀を納めつつ、さくらの方へと向き直った。
「さくら。隠密向きの術を持つ対魔忍……可能なら優秀な対魔忍を陽炎対策として張り込ませたいんだけど、いい人材はいる?」
「え? えーと……」
「
その名を聞いて、さくらの表情に苦い色が滲む。
高槻
しかしさくらが余り乗り気でないのにはわけがある。彼女は、あまりにもさくらを信奉しすぎているのだ。それこそ、今この場で紫がアサギに対してそうしているように。それは以前さくらが使用していた対魔忍スーツを譲り渡してそれを身につけるようになって以降、急激に頭角を現したというところからも明らかであった。
さくらとしてはそれが嫌なわけではない。が、あまりベタベタされると、普段の仕返しとばかりに紫が冷やかしてくるのだ。それがどうも居心地が悪い。
「そりゃ確かに幸奈に頼めば引き受けてくれるだろうし、隠密向き忍法といわれたらあの子が適任だけど……」
「きまりね。さくら、あとで幸奈に話を通しておいて」
「場合によっては、私が行ってもいいよ?」
さくらの術も隠密、奇襲向きだ。
「あなたは教官として色々とやるべきことがあるでしょ。幸奈に頼みなさい」
「ぶー……。ムッちゃん、あんま冷やかさないでね」
「いいじゃないか。お前のような奴でも『私を頼ってくださってありがとうございます、さくら様! 一生懸命頑張ります!』なんて、憧れて慕ってくれる後輩がいるということは誇るべきことだぞ」
「だーかーらー! そうやって言われるから渋ったの! ……まあいいや。で、その陽炎って子の行き先に当てがあるの?」
顎の角度を僅かに変えてアサギが頷く。それから意味ありげに視線を紫のほうへと移した。
「……あの子、愛子を知っていたわ」
「愛子を!?」
「それから舞華のことも。でも愛子だけは反射的に『愛子さん』と呼んだ。それも明らかに親しみを込めて。……もしかしたら、接点があるかもしれない」
「ここを抜けた後の愛ちゃんに会ったことがあるってこと?」
いいえ、とアサギが首を横に振る。
「それはないわ。抜け対魔忍のことを『乱暴だけど面倒見がいい』と言ったら、あの子が舞華かと聞いてきたのよ。つまり、抜け対魔忍が愛子であるとわかっていなかった。なのに、愛子のことは知っていた」
愛子の姉である紫は難しい表情を浮かべていた。妹はある種の仲違いで出て行ったわけで、それまで関係が良好だった、というわけではない。が、それでも多少の人間関係なら把握していたつもりではいる。
「……抜ける前に知り合っていたなら、私でもわかるはずです。それがわからないとなると……説明が付きません」
「そうね。だから愛子の周辺を張らせてもらう。そこで陽炎が現れれば、何かわかるかもしれない」
「愛ちゃんを餌に使うのか……。自分を利用したとわかったら怒るだろうなあ……。幸奈にそのことは釘刺しておこう」
「じゃあさくらはそっちをお願い。紫はちょっと私と来て。もしかしたら、と思うところがあって。調べたいことがある」
「……まーたムッちゃんばっかりおいしい役じゃないの?」
ブーブーと口を尖らせる妹を姉は手で軽くいなす。早く行けと言わんばかりの対応に不満げではあるが、さくらは先に校長室を後にした。
「それでアサギ様、調べたいこととは……?」
「こんなことを言うとあなたも怒りそうだけど……紫がいた方が話が早く進みそうだからね」
「は? はぁ……」
「じゃあ私達も行きましょう」
そう言うとアサギも部屋を後にしようとする。どこに何を調べに行くのかも明らかにされないまま、仕方なく紫はその後についていくことにした。