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『あいつは、そりゃもうお世辞に抜きに強かった。逸刀流皆伝という剣の腕前に加えて大業物である得物。そして私を越えるほどの空遁の術の使い手。あいつが本気を出せば、瞬きする間に空遁の術を組み合わせた剣術で背後からバッサリ、だったろうよ。純粋な剣の腕前だけでいうなら、あの最強の対魔忍ともいい勝負できるんじゃないか、と噂されるほどだった。
だからあいつを越えたいなら、まずは剣の腕を磨け。逸刀流を自分のものとしろ。生憎私は剣については教えられねえ。だが、あいつとは幾度となく手を合わせた身だ。私の中のあいつの戦い方ではあるが、口で教えるぐらいならできるさ。……それでいいなら、お前の気が済むまでいつまででも、私は相手になってやるよ』
◇
日が傾き始めた夕暮れ時。お世辞にも治安がいいとはいえない街中の、廃棄されたビル。そこで髪を金に染めた女性が、拳銃を片手に腰を下ろしていた。
と、突如として銃口を部屋の一角へと向ける。そこには少し前まで誰もいなかったはずが、今は確かに1人の少女が立っていた。フードマフラーによって顔からは目だけを唯一覗かせる少女――対魔忍陽炎。
「お前だな? 私を探して街中を聞き込み回ってた対魔忍ってのは」
拳銃を向けた女性――「凶弾の対魔忍」の異名を持つ八津愛子にそう問われても、陽炎は何も返さなかった。愛子は続ける。
「いつの間にかそこに現れやがって。隠れ身で接近してきたか? 気づかなかった、なかなかやるな」
それでも陽炎は何も話そうとしなかった。だがその気配、瞳から敵意が全く感じられない。むしろどこか親しみをこめたような、あるいは少し悲しさも秘めたような目がわからない。
しかし敵ではない、ということだけははっきりとわかった。同時に本部から連れ戻すために来た存在でないことも。よって愛子は銃をホルスターに収め、本題を切り出し始めた。
「で、用事はなんだ? 対魔忍が来た、っていうからてっきり姉貴か連れ戻そうという対魔忍が来やがったと思ってた。ところがいざ会ってみればどこの誰とも知れねえ、覆面姿の対魔忍と来た。私を里に連れ戻すためにきたわけじゃねえんだろ?」
「ええ。あなたのことは井河アサギから聞いた。抜け対魔忍として街で何でも屋をしている、と。彼女は立場上私に協力できないが、あなたならもしかしたら、ということで紹介してもらった」
「けっ! 正義の最強対魔忍様はそうやって私をいいように使うつもりかい。……まあいい。それで用事だ。こっちも暇じゃねえ。さっさと言いな。聞くだけは聞いてやる」
一瞬、間があった。それから陽炎の声が静かに響く。
「……水城ゆきかぜと秋山凜子が今どこにいるか、知っていたら教えてほしい」
僅かに愛子の眉がひそめられた。有無を言わせぬ低い声が返ってくる。
「……それを知ってどうする?」
「あなたには関係ない。私の問題」
「まあ確かに私は抜け対魔忍だ。対魔忍連中がどうなろうと知ったこっちゃねえ。だが凜子、となりゃあ話はまたちょっとばかり変わってくる」
「……あなたにとって親友だから?」
ピクリ、と今度は瞼が動く。警戒心を強めた様子の愛子はゆっくりと立ち上がり、腰に装備している得物のナイフに手をかけた。
「……誰から聞いた?」
「別に……誰からも。同じ空遁の術使いなら、仲も良かったんじゃない、とカマをかけてみただけ」
瞬間、愛子はナイフを抜いて踏み込んでいた。抜け忍対策の対魔忍を諦めさせ、アサギが抜け状態を事実上の黙認にあるという実力を裏付けるかのように、その速度は本物であった。咄嗟に陽炎は腰の刀を抜き、その刃を防ぐ。
「くッ……!」
金属同士がぶつかり合う音が響き渡り、僅かに目に苦いものが混じる陽炎。が、対照的に愛子はその瞳をギラつかせ、獰猛な笑みと共に問いかけてくる。
「へいへい、ボロ出したな、お嬢ちゃん。私は一言も自分の術が空遁だなんて言ってない。……随分と詳しいな。もっぺん聞くぜ。誰から聞いた? 答えてもらうぜ!」
思わず陽炎が息を呑むのが、マフラー越しであっても愛子にはわかった。だがややあって、小さな笑いと共に回答が返ってくる。
「誰から、か。……そうね。あなたから、かな」
舐められている。そう感じた愛子の頭に血が上り、表情から笑みが消えた。
「っざけやがって! ぶっ殺す!」
手に持つナイフが振るわれる。首、胸元、手首……。急所を狙って次々に繰り出される刃は、しかし陽炎の刀によって防がれ、あるいは避けられて空を切っていく。相手の技術に目を見張る愛子だったが、加えて何とも言い難い感覚を覚えてもいた。
(こいつ……私の動きがわかっている……?)
人には知らず知らずのうちに癖が染み付く。特に剣の流派などがある場合はそれが顕著で、数度刃を交えただけで相手の動きがわかるほどの達人もいるだろう。
だが愛子の戦い方はほぼ我流だ。加えてこれが初対面のはず。仮に癖があったとして、それをこの短時間に見抜くのは不可能とも思える。にもかかわらず、相手は明らかに自分に対して戦い慣れている風であった。
「だったら!」
愛子は飛び退いた。そのまま即座に拳銃を抜く。
「踊れ、鋼鉄のバレット!」
目にも止まらぬ2連発の早撃ち。だが陽炎は愛子の手が拳銃に伸びると同時、射線から身をずらしていた。当然銃弾は陽炎に当たらず終わる。はずだった。
瞬間、愛子の顔に再び笑みが浮かぶ。回避されたはずの銃弾は、ありえない乱反射を見せ、陽炎目掛けて迫ったのだ。
これこそが愛子の忍法「
かくして放たれた2発の銃弾は陽炎の右肩と右太股を貫こうとし――。
しかし、一閃された日本刀の前に両断されていた。
「何っ!?」
愛子は驚愕の声を上げた。外すことのないはずの狙撃が、初めて会った相手に防がれた。そのことで動揺と焦燥が一気に心に広がる。
このまま踏み込まれれば斬られかねない。そんな予感が心に浮かぶ。が、相手はそうする素振りを見せなかった。構えさえ取らず、先ほどと変わらない親しみを込めたような視線を向けてくるだけだった。
「……てめえ、冗談抜きで何者だ? 初めて戦って私の狙撃をかわせた奴なんてのはそうそういねえ。私の術を知っているから避けられたのか?」
「……初めてじゃない。ずっと……ずっと、私はあなたと……」
「あ?」
口を隠すマフラーのせいで何を言っているのか、愛子にはよく聞き取れなかった。それでも相手から発せられていた空気が一層緩んだのは感じ取っていた。
「……術を噂で聞いていたからかわせた、そうとでも思ってもらえればいい。それから私が何者かと言う問いには答えられない。陽炎、それが私の名前。今はそれ以上は言えない」
相変わらず何もわからない答え。だがそれでも愛子は手にしていたナイフと拳銃をしまい、乱暴に頭を掻いた。もはや戦意なし、と判断したのだろう。陽炎も刀を鞘に収める。
「……わかった、もういい。あくまでお前は力尽くで私から何かを聞きたいわけじゃないみたいだしな。こっちは殺す気で仕掛けたってのに、以後も敵意を全く感じなかった。いや、むしろ……」
相手は楽しそうでさえあった。敵意どころか殺意まで剥き出しにして愛子は斬りかかり、術を使って銃弾まで撃ち込もうとしたというのに。まるで久しぶりに手を合わせられて喜んでいる、そうとさえ思える気配の前に、愛子の怒りは完全に削がれてしまっていたのだ。
「で、聞きたいことはなんだっけ? 凜子の居場所だったか?」
「そう。任務に就いている、という話だった」
「知らねえ。仮に知っていても、対象が凜子なら教えられねえ。……知っているようだからばらすが、お前の言うとおり私の使う術は空遁の術、あいつと一緒だ。まだ里を抜ける前の頃は、その縁があって同じ術使いとしてあいつとは……まあ悪くない関係だったからな」
「悪くない、か……。素直に親友、って言えばいいのに」
ジロリ、と愛子が陽炎を睨みつける。
「茶化すのは結構だがな、まだお前がなんで私と凜子の関係を知っているのか、さらには私の術が凜子と同じ空遁だと知ってるのかを聞いてねえ。私とお前は初対面のはずだ。なのに私をよく知っているかのようなその態度は納得できねえ。さっきは噂って言ったが、誰かから聞いたとしたら、そいつにはそれなりのけじめをつけてもらわないと気がすまねえな」
「ええ……。確かに初対面、ね。私と、あなたは……」
そう言うと、唯一顔から覗かせる瞳を陽炎は伏せたようだった。どうにも納得できない態度だと思いつつ、愛子は次の言葉を待つ。
「……ごめんなさい。それは言えない」
「そうか。ま、顔も隠して本名かわかんねえ名前以外言えねえってことは何か事情でもあんだろ。なら、別に無理に聞きだそうってつもりはねえよ。私も聞かれたことに答えてないわけだしな」
「愛子さん……」
自分の名を呼んだその声色は、どこか思慕の情が篭っているように愛子は感じていた。やはり何かが引っかかる。先ほど言葉にした通り無理に詮索するつもりはない。が、陽炎という少女が何者なのか。そのことには興味が沸いていた。
「悪いが凜子の件では力になれない。が、お前も抜け対魔忍みたいなもんなら、寝床だなんだは苦労するだろ。もしそういう場所がねえっていうなら、雨風を凌げる場所ぐらいなら用意できなくもない」
「気持ちだけ受け取っておく。今日のところは、ここから離れる。……監視の目もあるようだから」
チラリ、と一瞬だけ陽炎はフロアの階段の方へと視線を移しつつそう述べた。その先、何もない空間を見つめた後で愛子は肩をすくめる。
「好きにしな。別に私にはあんたの行動を指図する理由もねえんだ。気が向いた時にでも適当に来ればいい」
「了解した。……あともう少し聞きたいというか、確認したいことが」
「なんだよ?」
「エドウィン・ブラックは死んだと聞いた。本当?」
愛子は眉をひそめる。が、すぐにその問いに対して答えた。
「ああ。アサギさんと米連のアスカって子が討ったと聞いた。この辺りの情報屋もそれは間違いないと見ている。だから頭を失った魔族どもが少数分裂して勢力を競っている状態なんだからな」
「側近の
「確か朧はブラックとの戦いの時に死んだと聞いた。イングリッドは現在ノマドを代理で率いている。が、離反者が相次いで勢力的にかなり弱ってるらしい。……しかしなんだ、こんなのちょっと調べりゃすぐわかることだぞ? 色々と知ってそうな割りにこんなこと知らなかったのか?」
「一応。確認よ。助かったわ、感謝する」
堅苦しく返事をした後で、陽炎が大きく息を吐いたのがわかった。それから見せた瞳は無感情な冷徹なものではなく、確かに血が通い、先ほど愛子が抱いた思慕の情を抱いているという感覚を再び呼び起こさせていた。同時に、隠していない本当の彼女の心のようにも思えた。
「……ありがとうございます、愛子さん。あなたに会えて、話せて……よかったです。縁があれば、またお会いしましょう」
それまでと一転、丁寧な言葉でそう述べた陽炎は僅かに顎を引いて、感謝の意思を見せたようだった。それから手早く印を結び、次の瞬間にはその場から消える。
「空遁!? しかも『空間跳躍の法』かよ! ……おいおい、冗談だろ。私と凜子以外にも使い手がいやがったのか。それも自身を跳躍できるとなると……私より術の使い手としては
ガリガリと乱暴に頭を掻きつつ愛子はそうぼやいた。それから腰の銃を抜いて、言葉と共にその先へと銃口を向ける。
「……なあ、あんたもそう思うだろ?」
愛子が言葉を投げかけたのは先ほど陽炎が一瞬視線を移した階段の方へ向けて、だった。無論先ほど同様、そこには誰もいない。だが愛子は続ける。
「そこにいるのは私もあいつもわかってた。一応
「ちょ、ちょっと待ってください愛子さん! わかりました、私が悪かったです。謝りますから、その銃を下ろしてください!」
と、それまで誰もいなかったはずの空間に突如として1人の女性が現れた。いや、厳密には彼女はずっとそこにいた。だが光の乱反射を利用する術によって、その身を隠していたのだ。
対魔忍らしからぬおっとりとしたような顔立ちと清楚な黒髪に、黒のレオタード風でありながら腰にスカートのようにオレンジのフリルがあしらわれた対魔忍スーツ。かつて井河さくらが使っていたものと同じ格好に身を包んでいた彼女は、戦闘の意思はないと慌てた様子で両手を前に出して撃たないように頼んでいた。
「やっぱり高槻か。あいつの尾行か?」
「というより、すみませんが愛子さんの方を……」
「ほう。あいつが私のところに来るって確証があったわけか。つまり私をダシに使ったってことだな。アサギさんがそう仕向けたか?」
「らしいです。私はさくら様から愛子さんを見張って、陽炎というさっきの子が現れたら何を話すのか、可能ならどこに行くのかを調べて欲しい、と言われて……」
フン、と若干不機嫌そうに愛子は鼻を鳴らし、銃を下ろした。反射的にビクッと肩を震わせてから、恐る恐ると言った様子で幸奈は謝罪の言葉を重ねる。
「本当にすみませんでした……。愛子さんがこういうことをされるのを嫌うことは知っていたのですが、さくら様に頼み込まれては断ることも出来ず……」
「ああ、いい。わかってるよ。お前のさくらさん好きは筋金入りだもんな。そりゃあ愛しのさくら様に頼み込まれりゃ断れねえだろうよ」
「あ、愛子さん! 私は別にさくら様のことをそんな風に思ってるわけでは……」
「そんな風にも何も、私は特に言ってないぜ? ……ま、この建物に入ってからはなんとなくわかったが、ずっと私を張ってたことには気づかなかった。ちょっとはやるようになったな」
一応褒められたと捉え、幸奈は「ありがとうございます……」と複雑そうに礼を述べる。
「……でもなんで私がここにいるってわかったんですか? 私の忍法『
「確かにそれはお前の言うとおりだ。しかしさすがにその距離まで迫ると気配ってものがある。いくらカメレオンしても存在だけは消せないしな。遠いときはうまく隠せてたし、その位置でも普通の奴なら気づかないだろう。だが、ま、私にゃわかるんだよ。あの陽炎って子も気づいてたみたいだけど」
「まだまだ、私も修練が足りませんね……」
はぁ、と大きくため息をこぼす幸奈。対する愛子は小さく笑い飛ばすだけだった。
「私とあいつが何を話してたかは、聞こえてたろ? それに加えて、帰ったらアサギさんとさくらさんに伝えな。私もあいつに興味が出た。気になること、わかったことがあったらこっちから報告してやる。だから私の周りをうろちょろするのはやめろってな」
「う……。わ、わかりました。そう報告します。お姉さん……紫さんには何か伝言がありますか?」
しばし考えをめぐらせた様子を見せた後、愛子は邪悪に微笑む。
「白衣と眼鏡のよく似合う旦那との結婚式のときは顔を出してやるって伝えとけ」
幸奈は苦笑を浮かべるしかなかった。「白衣と眼鏡のよく似合う旦那」とは言うまでもなく桐生のことだ。紫と桐生が一緒にいるところを目撃されることは多く、対魔忍達の間でも2人の関係は囁かれている。もっとも、それが本人達の耳に入ろうものなら、片方は怒りと共に否定し、もう片方は歓喜と共に肯定して、荒れる紫のせいで酷い有様となるために半ばタブーとなっていることなのだが。
「……すみません、それは伝える勇気がありません。愛子さんは元気だった、とだけ伝えておきます……」
「好きにしな。とにかく私の周りをあんまりうろつくのはやめろ。もし気が立ってる時なら問答無用でぶっ放すこともありえるからな」
先ほどの苦笑を消すことなく、幸奈は渋い表情のまま再び術を発動させてその姿を消した。それから気配が遠ざかっていくのを愛子は感じる。
(隠れ身系の忍法の時は、こうだよな……)
さっき陽炎が消えた時は違った、と記憶を呼び起こす。その前に、手早く結ばれたあの印は空遁のはずだった。
(だとするなら、やはり跳躍系……。信じられねえ、凜子並みの使い手、ってことか)
愛子と凜子は同じ術使いといえど、己の身を飛ばせる凜子には及ばないと自覚している。だが先ほどの少女は自分の身を飛ばせてみせた。それはつまり、凜子と同等、術だけでいうなら愛子より優れている、ということを意味しているとも言える。
(陽炎、か……。確かに色々と気になる奴なのは事実だ)
朽ちた建物の中から、愛子は外を窺う。傾き始めていた日は本格的に沈み始め、街には無法者達が溢れ出す夜の闇が訪れようとしていた。