桜の花嫁は心の底から『大嫌い』と言ってくれる素直で素敵なお嫁さん 作:あいいろ ののめ
あの事件があった次の日、ソフィアは青い紫陽花と似た色の長い髪とワンピーススカートを揺らして現れた。
「はあ…こんなに忙しいのに、どうして誰も構ってくれないのかしら?」
周囲には僕以外誰もおらず、日傘で影になった彼女の物憂げな紫色の瞳がこちらに向けられる。彼女の大きな独り言はどうやら、こちらに向けられているみたいだった。
「……。暇なんだね、どこか遊びに行く?」
「もちろんイヤよっ♪
せっかくなら街中でピクニックに行きたいわ、あなたの分のお弁当だけ用意してこなかったから♪」
あの一件以来、ソフィアはよく会話をしてくれるようになった。してくれるようになったって言うのは、前の彼女は会話にどこか遠慮がちな一面があったと思っていたからだ。会話を避ける…とまではいかないけど、以前に比べて心做しか向こうから話し掛けてくる機会の増えた気がした。
僕はそれを一度聞いて確かめてみようと、日傘を差して歩くソフィアに話しかける。
「ねぇソフィア、ソフィアはいつも逆のことを喋ってるって自覚はあるの?」
「いいえ」
「……困ったりしない? この前みたいにトラブルに巻き込まれることもあるし、普通に喋ってみようって考えてみたりはしないの?」
「たまにしか思わないわ」
「思うんだ」
ソフィアの遠くを見やるような視線に、僕は彼女が本当は何を言いたかったのかが急に分からなくなる。
普通、こういうのってデートとか言うと思うんだけど、二人の間にはただただデートの高揚感とは対義の物静かな時間が流れる。歩く靴とコンクリートの擦れる音だけが響いて、普段なら気にも留めない風が妙に騒がしく聴こえた。
「…あのね」
先に口を開いたのは…ソフィアのほうだった。
「この前あなたが見捨てたときの事だけど。わたし、とても悲しかったわ」
「逆の意味だって解ってるけど…言葉だけ聞くと僕がとてつもない人でなしみたいだね」
「あのときのお礼、言わなきゃって思っていたの忘れてたから。ありがとう、マイス」
「どういたしまして」
「……」
「…………」
また、彼女との間に無言の時間が過ぎる。
こういうときって何かこう、気を利かせたりするものなんだと思うけど、上手く言葉が思いつかない。頭の中に入ってきたのは、ソフィアの『ありがとう』は逆さ言葉にならないんだという、どうでもいいことばかり。
「それで…」
「あ!」
それで僕はつい、目の前に入ってきた光景をみて、それが目的地だとわかると思いついたように声を上げてしまった。彼女がまだなにかを言おうとしていたにも関わらず、反射的に。
もちろん悪気があった訳じゃない、ただ少し、間が悪かっただけで。
「マイス、どうしたの?」
「あ…えっと、目的地に着いたからつい…」
「え?」
ソフィアはどうやら話すことに集中してて気づいて無かったらしく、日傘を傾けてそこにある景色を見上げる。そして少女は目を見開き、花が咲くようにぱあっとその表情を笑顔に変えていった。
「まあ…なんて汚らしいのかしら!みてマイス、滝の上に虹が掛かってるわっ!」
「あっソフィア、あまり走ると危ないよ!」
無邪気な彼女の視界に映るのは、見渡す限りに紅葉した木々と、それに囲まれたカーテンのように広がっている大きな滝。の上流にある川幅が広いだけあって、開けた広場のようになっているこの場所はほかよりも涼しい空気で満たされていた。
近くでは滝から降り注いだ澄んだ水がちょっとした湖になっていて、景色を楽しみながら釣りをしたり、泳いだりするには絶好のポイントだと思った。
「今日は用意無しで来ちゃったけど、釣りや泳ぎに来ても良さそうな雰囲気だね」
「………」
「…ソフィア?」
そう問い掛けても彼女はこちらに視線を向けるだけで返答がない。聞こえてない訳じゃないのは確かだと不思議に思っていたところ、彼女は小さく口を開いた。
「私は泳げるから。」
「え?…うん。」
「それに釣りもぜんぜん得意だし…。
…だから泳ぎ方を教えて欲しいなんて、思ってないからっ!」
「うん、分かった。…泳ぎが苦手なら教えてあげるから、そんな顔しないで。大丈夫だから…」
目尻に涙を貯めてそう言ったソフィアのテンプレ気味なのにツンデレとも言い難い様子を慰めつつ、秋風の薫る湖でまったりとピクニックを楽しむ。
木々に止まる鳥を観察して囀りに耳を澄ませたり、ソフィアが作ってきてくれたお弁当を食べたり。
「どうマイス、不味い?」
「うん、美味しいよ!ちょっと量が多い気がするけど…」
目がおかしく無ければ、弁当は重箱で5段重ねになっているように見える…流石に二人で食べるにしても多い量だ。
「え?…パパが少食なのは知ってたけど、まだ量が少なかったかしら…?
せっかく旅館の女将さんに少しだけ運べるお弁当箱を用意してあげたのに…」
「え…!あ、いやっ…大丈夫だよソフィア!少し多いだけで、これぐらいなら全然食べられるから…!」
「そ、そう? なら残念だったわ!
料理はいつも姉さまに頼られてばかりだったから、練習なんて全然必要なかったもの!」
胸を張って得意げに語るソフィアを可愛らしく思いつつも、僕は自分の吐いてしまったささやかな嘘にどうしたものかと考える。
(残したらソフィアに悪いし…ここは頑張るしか!)
その後なんとか弁当は完食し、満腹で動けそうになくて景色を楽しんでいたときだった。
「ねえマイス、あっち向いて」
「え?」
ソフィアの静かな呼びかけに、振り返る。
その表情はいつもと違ってすこし緊張してるのか表情が固い。普段は表情豊かなせいか、その整った綺麗系の顔立ちと紫の瞳がいつも以上に際立って印象的だった。
「ここに来るとき話していた…のことなのだけど。あのね…あのときは本当は……えっと。すごく、、、『怖かった』の。」
ソフィアがその逆さまじゃない言葉を紡ぐには、とても長い時間が掛かった。
さっきまではあんなに自然に喋ったり、笑ったりしていたのに。ただ『怖かった』と言う言葉が彼女からは出てこないのだ。
その緊張を含んだソフィアの表情はまるで、一世一代の告白をしているかのようだった。いや…事実として、彼女にとってはそれぐらい大変な会話をしようとしていたのかもしれない。
「でもね、あなたが来てくれて。それでホットミルクを用意してそわそわ…じゃなくて。
落ち着かせようとしてくれたのがね、すごく…『嬉しかった』の!」
ソフィアの透き通るような瞳が真っ直ぐこちらを見ている。
その表情は真剣そのもので、いつもはあんなにあべこべな言葉を精一杯抑えて喋る少女の姿が、僕にはどんなものよりも健気で美しいものに見えていたんだ。
「私はいつも普通のことばかり言うのに、あなたは泣きながら『大丈夫だよ』って!
なのに私は、少し心が落ちつくだけでこんなに言葉があべこべになっちゃって……私…、私……っ!!」
その直後に起こったことを、僕は一生忘れないだろう。
「え……?」
忘れようにも忘れられなかった。
ソフィアの声、表情、決意したようにきゅっと小さな手を握る仕草。
不意に突風が吹いて彼女の長い髪がなびいて、湖で魚が飛び跳ねて、山の木々がいっせいに揺れたことも、全部だ。
―――『っあなたのこと、大好きよ』
その言葉がいつもの逆さ言葉じゃないのは直ぐに解った。
大好き、その言葉が彼女の本心から出たものなら嬉しくない筈がないのに。
「……っ!」
どうして彼女はあんなに息苦しそうな表情をしていたんだろう。僕はどうして、彼女の言葉が空しく感じるんだろう。
走り去るソフィアになんて声をかけるべきだったかも解らないまま、ただ時間だけが過ぎていく…―――