お葬式会場となった食堂を抜け出し、次は談話室でイチャイチャするんだとか。こんな感じのことを大学中でさせられるらしい。いわば学内イチャイチャ縦断ツアーだ。
「陽乃さん、あれは何ですか?」
「あれは研究棟だよ。ウチは理系大学だからね。高い機械や珍しい機械もいっぱい置いてあるんだよ。」
「凄い、これなら研究し放題じゃないですか。」
「でも使える設備は限られてるからちゃんと自分が研究したいテーマと設備が合ってるかも確認しないとね。」
「陽乃さんはどんな研究がしたいんですか?」
「それは勿論、比企谷くんだよ♡」
こんな感じで陽乃さんとイチャついてると男が入れ食いである。面白いことに全員が全員、陽乃さんの事を勘違いしていた。実は寂しがりなのに強がってるだけだの、心に闇を抱えているだの、厨二病みたいな設定を言い出す男までいた。ラノベの読み過ぎだ。
陽乃さんは妹の彼氏に自分の彼氏役をさせ、あまつさえ胸押し付けて面白がってるただの変態なのである。胸に関しては俺が雪ノ下に言えない事を勘定に入れてる筈なのでホントに性格が悪い。
こんな人を彼女にしたら何されるか分かったもんじゃないのに、ここの大学の男どもは頭おかしいんじゃないだろうか。
イチャイチャツアーの途中でしれっと大学の講義を聞いたりもしていた。レジュメをしっかり作って配布する教授もいれば、板書だけの教授もいた。興味ある講義でも教授次第ということか。大学選びは大変そうだ。
そんなこんなで大学中を見て回っていたら夕方6時になった。つまり、勤務時間が12時間を超えた。帰ったら雪ノ下に泣きついて慰めてもらおう。玄関で出待ちして慰めて欲しいとメールを送ってみたら、今日は実家に帰るから無理って返信が来た。まじで泣きそう。
最後の仕事は大学の正門付近、これが8人目。そろそろ噂が広まっても良い筈だが、まだ世間知らずがいたらしい。もしかして前任の彼氏役の人が頑張った結果、今回は8人で済んでいるのだろうか。はるのん恐るべし。
最後の世間知らず君を蹴散らし、迎えにきた雪ノ下家のリムジンに乗る。やっとお仕事終了だ。
「比企谷くんお疲れ様〜!これで明日から大学が過ごしやすくなるよ、ありがとうね!」
「お役に立てた様で何よりです。でも、絡んできた全員を切り捨てちゃいましたけど良かったんですか??マシな人も何人か居ましたけど。」
最初の偽葉山は論外だが、それなりにマトモな人もいた。今は物足りなくても陽乃さんが育てればそれなりにはなりそうな人はいたと思う。
「無理無理。偽彼氏の比企谷くんに言い負かされてる様じゃお母さんには絶対紹介できないもん。」
「そんなこと言ってたら彼氏なんて出来ないんじゃないですか?」
「雪乃ちゃんは彼氏できてるじゃん。まあ比企谷くんは特別だけどね。あのお母さんが褒めてたよ。久々に良い子を見たって。」
「随分と激甘評価なんですね。後が怖そうだ…。」
「妥当な評価じゃない?雪乃ちゃんの為とはいえ、あんな怖い人に立ち向かったし、私も偉い偉いって褒めてあげよっか?」
「昨日は充分優しくしてくれましたし、これ以上はもう何も貰えませんよ。」
「優しく?雪乃ちゃんに何かしてもらってたの?」
「ん??お義母様のことですよ??」
「お母さんが??比企谷くんってマゾだったの?」
なんか話が噛み合わないな。
もしかして気付いてないのか?そんな訳ないと思うけど。
「陽乃さんって何で昨日あの場にいたんですか?」
「比企谷くんがお母さんにコテンパンにされたら助けてあげようかと思って。呼び方の賭けも私の発案だよ?雰囲気がキツくなったらリセットできる様にって。」
「俺がコテンパンにされる訳ないじゃないですか。」
「え?なってたじゃん。お母さんの事がトラウマになって記憶飛んじゃった??」
ん?どういうことだ??
………ああ、そうか。
陽乃さんは俺と雪ノ下の関係を詳しく知らないんだ。
それは雪ノ下母も同じ事だけど、俺の態度と数回の言葉のやり取りで、俺達の関係を読み切った雪ノ下母が異常なだけだ。
そもそも当事者の俺でさえ、昨日の事をちゃんと理解できたのは家に帰ってからだった。陽乃さんが分かるわけないんだ。
まずいな、だとすると話が変わってくる。
俺はクリスマスと生徒会室での件を陽乃さんに話した。少し恥ずかしかったが、このままだと雪ノ下母の事を陽乃さんが誤解したままになってしまうし、期待を裏切ってしまうかもしれない。
「へー、そんな事があったんだ。つまり雪乃ちゃんは挨拶の時、次会う時までに比企谷くんの劣等感を何とかする様にお母さんに暗に言われてて、それが無事完了したから比企谷くんを挨拶に行かせた。お母さんはそれを確認したかっただけで、婚姻届のサインはオマケだったってことなんだね。」
「それと、俺が雪ノ下の事をちゃんと見てるかの確認です。」
「雪乃ちゃんを見てるかって?」
「雪ノ下の弱さが見えてるかって意味です。好きだから盲目になる。依存していれば尚更見えなくなる。劣等感が無くなるだけじゃ足りないんですよ。俺が雪ノ下を支えられるようにならなきゃダメだったんです。」
「そっか、だからお母さんはあのタイミングで話を終わらせたんだ。聞きたいことが全部聞けたから。私の賭けも利用されちゃったって事か〜。
でもさ、それのどこが優しいの??雪乃ちゃんと比企谷くんが2人で頑張って関係を進めただけだと思うけど。」
「昨日話した内容は関係ないですよ。重要なのは時間です。年明けの挨拶の時、お義母様は次会う時に必要な時間は半日分と言っていました。約束を破るような人じゃない。昨日は半日分、俺の為に空けていた筈です。」
「………そっか、時間が合わないね。進捗確認とサインだけなら半日も必要ない。それこそ、昨日と同じように数十分で済む話だし。時間に厳しいお母さんにしては珍しいミスだね。」
「ミスじゃないですよ。あの半日分は、俺が雪ノ下の弱さに気付いてなかった時の為の時間だったんです。
俺が雪ノ下の事をちゃんと理解できていなかったら、
理解させるのに必要な時間があの半日分だったんです。
部屋の外にはお義父様も居ましたし、場合によっては2人で俺を導いてくれるつもりだったんでしょうね。
俺は雪ノ下家にとって所詮は他人です。
いくら雪ノ下が俺の事を好きだとしても、俺がどうしようもない人間だったら引き離すのは当然だと思います。成長しなかった人間なんて、見捨てればいい。雪ノ下家だったら俺以上の男を見つけるのは簡単でしょう。
だけど、
仮に俺が成長出来ていなかったら、
半日掛けてでも俺を成長させて、
自分たちの娘を任せようとしてくれていたんです。
昨日のあの時間は、俺の為の時間だったんですよ。
お義母様とお義父様からは、
俺はもう充分優しくしてもらえていたんです。」
俺は、家に帰ってからこの事に気付いた。
2人の優しさに気づけなかった自分に腹が立った。
次の日以降でお礼を言ったところで、あの2人はお礼なんて受け取らないだろう。受け取らない言い訳なんて後からいくらでも作れる。
お礼を言えるとしたら言い訳が出来ないあの日の帰り際だけだったのに、俺にはそれができなかった。
なんとか恩を返したいと思っていた。
そして、それが今なんだ。
「陽乃さん。お義母様は怖くなんてないんですよ。他人の俺にさえこんな優しくできる人なんです。きっと、雪ノ下や陽乃さんはもっと優しく丁寧に愛されていたと思いますよ。………すごく分かりづらいですけどね。」
陽乃さんは黙って俺の話を聞いていた。
陽乃さんは頭がいい。雪ノ下母が今まで自分にしてきた事を思い返しているんだろう。そして、自分がどれだけ愛されていたかを思い返しているだろう。
雪ノ下母は自分がどれだけ娘を愛しているかなんてわざわざ言わないだろう。俺も雪ノ下を幸せにしたくて色々してるが、それを全部雪ノ下に言うつもりはない。雪ノ下が幸せになってくれればそれでいいと思ってるから。
だけど、雪ノ下がそれを知ってくれたら嬉しいと思う。雪ノ下母も同じ気持ちのはずだ。
だからこそ、陽乃さんがあの場に同席することを許していた。俺の雪ノ下への愛し方が自分と似てるから、気付いて欲しかったんだ。それでも気付けなければ、俺に気付かせて欲しかったんだろう。
今日、俺がやるべき事はこれだったんだ。
「そっか。そっか。あれもこれもそうだったんだ。お母さん、本当に性格悪いね。言ってくれればいいのにさ。………お母さんと話したい事、沢山出来ちゃったよ。」
「親子揃って性格悪いですよ。反省してください。」
今日は色々な顔の陽乃さんを見てきたけど、今の顔が1番好きだ。でも、この顔を見るべきなのは俺じゃない。この顔を見るべき人がいる。この顔を見たいと思ってる人がいるんだ。
「陽乃さんって、なんで今日俺の家に来たんですか?確かに大学案内は出来てましたけど、結構行き当たりばったりでしたよね。」
「え?お母さんに比企谷くんが落ち込んでるかもしれないから、慰めついでに大学の見学をしてあげなさいって言われて……あれ?落ち込むわけないんだよね?あっ。」
やっぱりだ。
雪ノ下は今は一人暮らしだ。平日に実家に帰る理由はそんなにないだろう。それなのに俺のお願いを断った。つまり、実家に帰る意味があったんだ。
「お義父様と昨日話してて、明日は夫婦で一緒にご飯たべれるから楽しみだって言ってましたよ。雪ノ下も今日は実家に帰ってるそうです。きっと、みんなで陽乃さんの帰りを待ってくれてますよ。」
誰も、大事な事は何も言ってくれなかった。俺が気付かなかったらどうするつもりだったんだろうか
「………至れり尽くせりだね。」
「それだけ、みんな陽乃さんの事が好きなんですよ。俺は電車で帰ります。俺の家に寄ってたら時間掛かっちゃいますから。」
運転手さんの様子を見るに時間はありそうだが、早いに越した事はないだろう。せっかくの家族水入らずを邪魔するほど野暮じゃない。
車から出ようとしたら強い力で腕を掴まれた。
「ありがとうね。大きな借りが出来ちゃった。ずるいよ。わたし、比企谷くんのお願いだったら何でも聞いちゃうかもしれないよ。」
「そうですか。だったら幸せになってください。今日、何回も言ったじゃないですか。陽乃さんは俺の大事な人なんです。ちゃんと幸せになってください。」
「あははっ。本当だ、何回も言われてたね。仕方ないなー、比企谷くんのために幸せになってきてあげるよ。」
大学でもずっとこの顔をしていたら、変な男は寄ってこなかっただろう。こんな良い顔をしてる女性を無下に扱う男なんているわけがない。
正直、もうちょっとこの顔を見ていたかったが、あまり見過ぎると好きになってしまいそうなので退散するか。
掴まれた腕を外そうとしたが、全く動かなかった。
「陽乃さん。腕。なんでこれこんな動かないんですか?」
「腕掴まれた時はどうするか朝に教えたでしょ。ほら、頑張ってみて?」
たしかに合気道を教えて貰ってた時に、腕を掴まれた時の振り解き方を教えて貰っていたな。実践してみるとしよう。
うむ。全然外れる気がしない。合気道難しい。
「比企谷くんダメダメだよ、全然できてない。」
付け焼き刃じゃこんなもんか。俺に合気道の才能は無かったらしい。それはそうと、離して欲しいんだけど……
「これはお仕置きしなきゃね。」
お仕置き?
掴まれた腕がグイッと陽乃さんに引き寄せられた。
陽乃さんの顔が目の前にある。
俺の唇と陽乃さんの唇が重なっていた。
「私ね、彼氏役は今まで沢山作ったけど彼氏は作った事なかったんだ。だからこれは正真正銘、私の初めて。恥ずかしいから、雪乃ちゃんには秘密だよ♡またね、比企谷くん♡」
放心する俺を車外に追い出し、陽乃さんを乗せた車は走り去っていった。
最後に見た陽乃さんの顔は、俺が嫌いな陽乃さんの顔だった。
ほんとにあの人嫌いだ。
大嫌いだ。
こんなの、雪ノ下に言える訳ないじゃないか。