簡単な依頼のはずだった。
洞窟の調査。発見したスライムの討伐。
白雪姫の一件以来、危険度の更新はされていたけれど、それも紙の上だけ。
負けた言い訳か、ハズレを引いたんだろう。誰もがそれを実感するまでには至っていなかった。
俺達だってそう。
注意を促されても、話し半分にしか。
だって、現れたスライムは相変わらずだ。性質上、物理攻撃には強くても、そもそもの耐久力がなさすぎる。剣で引っ掻いただけで、もう形を保てなくなる個体もいた。魔力を薄い膜で覆っているだけの、生物と言うにはあまりに脆い。
ましてや。
「ぶっとべーっ!」
薄暗い洞窟に、雷光が迸る。
眩い光。耳を劈く轟音と、髪を焼き切る焦げ臭さ。自信満々。朗らかな詠唱とともに放たれた雷の魔法は、洞窟を這うスライムたちに次々と伝播しながら、暗がりの向こうへと消えていく。
「あっぶないだろっ、ティナ!」
振り返って彼女に抗議。キラキラしてる。綺麗などんぐりを瞳に嵌め込んだみたいだ。茶色の髪と、マント揺らしてドヤッと、ティナは得意気な表情を一つも崩しはしなかった。
「当たらなければ、どうってことないでしょ?」
「掠ってるだろうがっ! 髪っ、焦げてんだよっ」
「信じてたから……トニィなら避けてくれるって」
「避けてないっ。動けなかったんだっ!」
「細かいなぁ、男の子」
一瞬、しおらしく俯いたかと思えば、すぐに舌を出す。
まるで反省なんてしちゃいない。
「お前はもうちょっと女らしくしろよっ」
「なにさ、思ってもないくせに」
同い年で、同じ村の出身で、兄妹みたい育ってきたと言えば聞こえはいい。
けれど、実際は悪友にも近い腐れ縁。先に冒険者になるなんて言ったのは、どっちからだったのか。同じ日に村を出て、同じ日にギルドに入って、何の伝手もなかった俺達は、自然とパーティを組むしかなかった。
いつもの軽口。口喧嘩の一つも馴れたもの。
静かな洞窟に、それを咎めるものは誰もいなかった。実際、相性はいいんだ。
俺が前衛で、ティナが後衛で。生まれてからの付き合いは、何も言わなくても連携がとれてしまう。周囲からもお似合いだと言われるのが、悔しくて、気恥ずかしくて、少し嬉しかったり。
振り返れば、気づける所はいくつもあったんだ。
「今ので全部かな?」
探知魔法を唱えたティナは、首を傾げて周囲を伺っていた。
巣があるんじゃないかと言われてきたが、それらしい場所は見当たらない。
何度か遭遇したスライムも、次第にその数を減らしていく。
「探知魔法を使う時は気をつけろって、ギルドの人に言われてなかったか?」
「やってるよ、でも……」
何もない。
二人して口を閉じれば、耳が痛いほどの静けさだけが残る。
むしろ不自然なくらい。こんなに静かなら、聞こえてもいいはずなんだ。
ネズミとか、コウモリとか、虫の羽音だって。天井から滲んだ水が、跳ね返る音すらない。ティナの探知魔法にも、それらしい生き物の気配はないままだった。
「全部、スライムが食べちゃったとか?」
「ないとは言わないけどさ……」
懸念はある。
そうは言っても、スライムだ。
さっきの戦闘だって、ティナの魔法一つであっさりと倒せてしまった。
だからこそ、油断する。多少危険度が更新された所で、いつもと変わらないのなら。
「もうちょっと奥まで見てみない?」
「え、でもさ」
すぐ調子づくのは、ティナの悪い癖だと思う。
すでに、ギルドから指定された範囲の探索は終わっている。自然発生するには多すぎたスライムの数を思えば、きっと奥に巣があるんだろうとも。仕事としては、情報を持って帰って報告すればいい。下手に深入りできるほど、俺達のランクだって高いわけじゃ。
「言われたことをやるだけが、仕事じゃないでしょ? ワンちゃん巣を潰して戻ればさ?」
ティナの言うことも、分からなくはない。
スライムを倒すだけの簡単な仕事。むしろ、巣の中で一塊になっていてくれた方が倒しやすいまである。
追加報酬と、ランクアップもあるかもしれない。
危険度が更新されたいまなら、ちょっとしたボーナスだ。
欲が出た。調子に乗ったティナの調子に乗せられる。それで、いつも一緒に怒られることばかりだったのに。俺達は、相変わらず。
*******
洞窟の中ほど。
進行方向からじゃ影になっている部分に、その裂け目はあった。
外からでは分からない。けれど、探知魔法に僅かな反応がある。普段なら見落とす程度のか細い反応は、静か過ぎる洞窟では異様に目立っていた。
覗き込んだ限りは何もない。
灯りを向けた先に、千切れた衣服の断片が落ちているだけ。何かに溶かされた後のように、拾い上げたソレは手にしただけで破れてしまった。
見たような覚えがあるのは、ティナが羽織ってるケープに似ていたから。
何か知らないか? 振り返ろうとしたその一瞬。
__ドンっ!
背中を強く打たれて、たたらを踏んだ。
振り返ってようやく、突き飛ばされたのに気づく。
「ティナっ!?」
咄嗟に伸ばした指がすり抜けた。
安心したような、困ったような、諦めたような、嫌な笑顔が目に焼き付く。
絞られる悲鳴。ジタバタと暴れる足。地面を蹴ったつま先から、弾き出された小石が頬を掠める。ゆっくりと、浮き上がっていくティナの体を追いかけて、視線を上げた先で見つけてしまう。
何か……何だ?
薄青い粘液が、洞の天井から伸びていた。
一本、二本、三本……次々に、ティナを絡め取っていく。腕に、足に、お腹に、細い首にも巻き付いて、締め上げられた華奢な体は、今にも折れそうに軋みを上げる。
あれは、スライムか?
それにしては随分大きい。見上げた天井全部を覆っているようにも見えた。
普通なら、大きくても野良犬程度のものなのに。大きいだけじゃない、あんなのが探知魔法にも引っ掛からないなんて。
「かはっ! あっ……ぐっ、にげっ、トニィ……」
「バカっ! 何やってんだよっ」
そんな喋る余裕があるならさ。大きくたってスライムは、スライムのはずだ。
呪文の一つでも唱えられれば、ティナの敵になるはずもない。けれど、彼女の手に杖は握られてなかった。きっと、俺を突き飛ばした拍子に落としてしまって。
__カラン、コロン。
間の悪い音。暴れるティナのつま先が、足元に落ちていた杖を遠くへ転がしてしまっていた。不用意に裂け目に入った俺が悪い。ついてくるティナの足音に安心して、振り返ることを忘れていた。子供の時から変わってない。大人たちの忠告が身に沁みるのは、いつも怪我をしてからだ。
「今、助けるからっ」
拾いに行ってる余裕はない。目を離すのが怖かった。
その瞬間、背後で骨の折れるような音が聞こえてきたら、もう。掴みかかって、引き剥がそうにも離れない。その間にも、ティナはどんどんと青ざめていく。
やるしか、ないか。
「動くなよ」
呻くような小さな頷きを受けて、構えた剣を振りかぶる。
上手いことスライムだけを斬れれば……回復薬だってまだ残ってる。何もしないでいれば、ティナが死ぬ。それだけはダメだ。スライムに飲まれて、溶かされるなんて……そんなことになるくらいなら。
やるしかない。
逆に腹が据わる。
乱れていた呼吸は落ち着いて、頭の中が静まり返った。
いつも通り。素振りをするだけ。特別なんていらない。すり抜けた切っ先から遅れて、ティナの体が崩れ落ちる。投げ捨てるように剣を手放し、彼女のもとに駆け寄った。
完全に気が抜けていた。
まだ剣を握っていたら、間に合ったかもしれないのに。
抱きしめようとした腕が、空を切る。切り落とした筈のスライムは、薄青い体液を撒き散らしながらも、再びティナを縛り上げた。
僅かに浅い。
振り抜く寸前、躊躇ってしまった。
絞られた切っ先は、ティナの服を掠めたに過ぎない。見た目に騙される。
肝心のスライムは、服の内にまで潜り込んでいたんだ。拘束を緩めることには成功しても、スライムは彼女を手放さない。
投げた剣を、取りに走る。
今度こそ……。
「トニィっ、避けてっ!?」
背後から叫び声がして、振り返る間もなかった。
一度失敗した俺に、二度目のチャンスをくれるほどスライムは甘くなかった。
目が回る。音が遠い。強かに打たれた体は、呼吸の仕方も忘れたようだ。
全身が痺れて、息を吸おうとするたび、激痛に見舞われる。指先を動かすのでさえ億劫だ。
「トニィっ、ねぇ! トニィったら、起きてよっ!」
「てぃ……な」
歯を食いしばる。いま、気を失うわけには。
グラグラと揺れる世界の片隅で、必死に俺の名前を呼んでいたティナの声がパタリと止んだ。不安に胸が軋みだす。早鐘を打つ心臓は、今にも破裂しそうだった。
早く、早く__っ!!
焦れば、焦るほど、いつものように出来ない。
回復薬を取り出して、口に運ぶだけ。何秒と掛からない動作がイヤに重い。
小瓶に口をつけ、飲み込んでようやく呼吸の仕方を思い出した。
一息つけたのも束の間。安い回復薬じゃ、まだ命を繋いだだけ。戦うどころか、体を起こすのもやっとだ。
それでも、ティナの無事を確認しないではいられない。
這いつくばったまま顔を上げると、飛び込んできた光景に目を奪われた。
揺らぐ銀の髪。
洞窟を照らす薄明かりの中に、流れ星を見た。
一糸纏わぬ少女の裸体。作り物めいた容姿は、ガラス細工のように美しい。
惜しげもなく晒された白い肌に、不安が凍りつく。あまりにも場違いだ。なんで、こんな所に……。
白雪姫。
かつて、そう呼ばれていた少女を思い出す。
後ろ指をさされながら、ギルドを後にする彼女に声を掛けられなかった。
今でも俺達は全然駆け出しで、あまりに思い詰めた横顔に、話しかけるのも気後れする。
次の依頼の時さ、誘ってみようよ?
言うだけならタダじゃん。それもそうか。ティナと二人で頷いたきり、その機会は訪れないまま。失踪した彼女の話は、すぐ聞かなくなった。
薄青く透き通った瞳と目が合う。
小さな微笑みに、下心を見透かされたみたいで、慌てて目を逸らした。
よりにもよって、ティナの前で。違う。頬を染めている場合じゃない。状況は、何一つも変わってない。
むしろ、悪化していた。
スライムに縛り上げられたままのティナへ、視線を向ける。
まだ、無事でよかった。苦しそうな顔はしていても、俺より全然元気そうだ。
その傍らに寄り添う白雪姫は、そっと口づけるように何かを囁いた。
一瞬、目を見開いたティナは、遅れて青ざめる。
白雪姫の顔を見て、彷徨った視線は自然と俺の方へと流れてきた。先に目を伏せたのは彼女の方。まるで、俺に見られるのを嫌がるように。
「私は……大丈夫だから。トニィは、そのまま、ね? 動かない、で」
弱々しい微笑みは、あまりにもおぼつかない。
いつもは男勝りなくらいなのに。今日に限って、どうして。安心するどころか、涙を耐える笑顔には、不安しかなかった。