聖騎士イズヴァルトの伝説【新編】・まとめ 作:CHACOとJAGUAR
闇に目を凝らしながら老人はため息をついた。右手に握っていた杖を柔らかな地面に突き刺すと、腰の剣を抜いた。闇の中でも青白い光を放つミスリルの剣だ。それを見た後ろの若い男が呼びかけた。
「老師、どうして剣を抜いたんです?」
「わからんのか? 戦う準備じゃよ」
「そんな大仰な。マイヤ様の部下だったら、木っ端サキュバスなんでしょ?」
そうですよ。もう2人の声。老人の部下である。とはいえ期待できる若者ではない。魔道学問所では及第点かそれ以下。そういうのは大抵、学校のお勉強では身に着かない特質があったりするのだが、この連中にはそんなものが無かった。凡々という程度である。
「魔族も最下級なら俺達でも十分に戦える、って聞いたことありますよ」
「逃げずに戦うってことは勝てると思ったからでしょ?」
勝手なことを言う。老人は苛立ちを覚え、そして悔やんだ。けちらずに上等な連中を連れて来ればよかった。
「わからんのか。こっちへ向かってくるということは勝てるという見込みがあるからじゃよ」
「でも、魔力探知を抑えているんでしょ?」
「抑えていて感づかれのじゃ。相当できる相手ということじゃよ。未熟者め」
罵って老人は彼等に背後を頼んだ。呪文詠唱が始まり結界が築かれるが、心もとないと思った。マイヤを見張らせている『手練れ』のそれに比べれば、紙の装甲と言ってもさしつかえない。
(期待はせんかったが……はずれもいいところじゃな。)
老人はイーガの元・宮廷魔道士のトールバル。若い頃は魔道騎士団にも所属していた手練れだ。アドルフ王子に見出されて全世界を飛び回るスパイとなった。ホーデンエーネンでは多くの部下を抱えている。
アドルフの死後も、ホーデンエーネンの富国強兵を危ぶむ国内の貴族達の援助を受けて動いた。彼等にとってトーリはまさに危険人物だった。トーリはヨーシデンの都市と『えくすぷれす』の建設に国費を費やしていたが、数十年後に大きく実る果実となるからだ。武辺ものばかりのホーデンエーネン人とは違う。わかっていたのだ。
トールバルはトーリ側に埋伏していたタルッホ=ユッキカルの助けを借り、彼女の『家臣』らを葬って来た。その筆頭であり老いた国王の愛人だったカミラは倒さなかったが、その相方であるシャロンの抹殺に、シマナミスタンの海賊ゴブリンを手配した。それ以外にも何人もだ。
トーリという厄介者が死んだ今は、国王の密命を受け、ホーデンエーネン国内で動いている。マイヤの影の護衛としてだ。タルッホにもそのように伝えてある。
が、国王は言及してこなかったが、自分がこれまで何をやっていたのかうすうす気づいてるようだった。魔族殺しの剣を扱える者だと知られているからだ。そうした者がどんな仕事をさせられるのかは、誰でもわかることである。反ホーデンエーネン派であるのに、彼は王に抗議できなかった。
部下も有能なのはごっそり抜かれた。この10年近く、彼が魔道を鍛え直してやった有望な連中だった。残りものでデキるのは、国王からマイヤの護衛にと注文をつけられてしまっている。
だからトールバルは自ら赴かねばならなかった。南街道を張らせたのが次々と音信不通になったのを何故なのか確かめるために。連れて来た若造たちは部下からは優れている者だと紹介されたが、期待外れだった。でも用いるしかない。
目の前のことを考えれば愚痴ばかり言っていられない。向かってくる相手の気配の濃度が髙くなった。ここで言う気配とは、魔力や闘気というものだ。
今のところ察知できるのは1人だけ。しかし斃すのにかなり手こずる相手みたいだ。それとこういう闇の中の戦い方には作法がある。単独でこうして向かってくることは滅多に無い。近くにいる仲間と、必ず連携をとるはずだ。
「さて、ここでおぬしたちに問いたい」
トールバルは若者たちにこう呼びかける。仲間で一番強いのがやられたらどうするか。面々の中で一番軽口なのが笑いながらすぐに答えた。
「そりゃあ決まっているじゃありませんか。仇をとってみせますよ」
他2人も同調。そいつのいう通りです。イーガの魔道士魂ってもんを見せてやりますよ。トールバルは苦く笑うだけだった。
(そこはどうやって血路を切り開くか、と答えるのが普通じゃ。こやつら、驕っておる。自分が将来の大魔道か何かかと勘違いしておる。)
コーヅケーニッヒにある魔道学問所は、魔道士志望者にとっては狭き門でもある。そこに入学し学問を修めた者はイーガでは、将来有望な秀才とされている。実際の能力の有り無しにかかわらずだ。
実のところ、魔道士の養成所は王家の地方にある直轄地や、各地の領主の魔道塾、はたまた私塾というものがある。そういうところには中央の学問所を卒業したエリートを超える人材がいたりする。トールバルはそのことを話してみたが、彼等は存じていないと聞いた。むしろ子馬鹿にして嗤っていた。
(そんな奴らが王国の魔道士団員じゃよ。これでは先が思いやられるわい。)
王国の魔道士団員。その上位の者は宮廷魔道士に就く。つまりはエリートの中のエリートである。上澄みは確かに素晴らしい者ばかりがいる。しかし中から下の連中は年々、質が落ちている気がしていた。有能なのが殆ど、魔道騎士団や学問所の講師、民間の魔道を用いるエージェントになったりするからだ。
特に魔道騎士団に俊才が多く集まっている。今は亡きアドルフ王子による提言と政策ゆえにだ。地方や私学から才人を差別せず募っているからだ。魔道騎士団は防衛だけでなく諜報や治安維持などもうけている。ただの武力馬鹿では務まらない仕事をたくさん手がけていた。
それだからトールバルは視界に入る若い『未経験エリート』たちを鍛え直してやったりもしていた。が、今回ついてきた連中はもういいと思った。戦いになったて劣勢に立たされたら見捨てて逃げよう。足止めぐらいにはなってくれるはずだ。
「……そろそろ仕掛けて来る頃じゃな」
老人は剣に印を切り、自分と部下たちの周りに、風の防壁を仕掛けた。踏み込めば鉄板を重ねた靴底斬り飛ばされるぐらいの威力。ホーデンエーネン人の猪武者ならこれによく引っかかってくれるが、今度の相手はどうか?
「来るぞ。身構えろ」
何かが弾かれる音がした。トールバルの前でだ。張った風の防壁によって跳ね返ったのだ。落ちたのは丸い石だった。より硬くなるようにと魔力が込められている。どういう魔道か彼にはすぐにわかった。
「シマナミスタンの魔弾弓じゃな?」
「ご推察」
念話魔法による声が脳内で響いた。シマナミスタンでも北東の、サヌキスタン地方の者のアクセントであった。大陸ではややのんびりしているしゃべり方をする。あの地方の亜人はもっとゆっくりだ。
「ゾウズジャヤではないな?」
「ソゴプールさ。良かったな、臭くなくて」
ソゴプール=エルフは大勢力でかなりの武闘派だ。サヌキスタン王国に根を張り、援けている。ホーデンエーネンは遠い昔、シマナミスタン侵攻をたくらんだが、このエルフ達に蹴散らされて挫折したことがある。
よりにもよってソゴプールが来たか、とトールバルは心の中で呻いた。念話ごしの相手も心から褒めていた。その風の結界はクルシマーヴァラの海エルフのもの術式じゃないかね。当たっている。
「手ごわいな。ここは退いていいか?」
「そうさせていただきたいところじゃが……」
突然、待てとトールバルは声に出して叫んだ。火球がいくつも、前方に向かって飛んで行ったからだ。後ろの3人が念話魔法の魔力を探って仕掛けたのだ。
森の中で炎があがった。交渉は決裂だ。相手の声は嬉しそうだった。殺しが好きな性分と気づかされた。トールバルは後ろの3人に呼びかけた。
「結界の重ね掛けをせい! おぬしたちではやれぬ相手じゃ!」
「俺達だけでもやれますって!」
若い者のうち1人が叫んで風の結界の外に出た。詠唱を始める。今度のは火球を飛ばすのではなく、炎そのものが相手の身体にまとわりつく魔法だ。風の結界の中では使えなかった。
相手の魔力はトールバルの前方にではなく、結界の右側から少し離れたところで感じる。詠唱を終えるとそのあたりがぽっと明るくなった。
「見ましたか! 俺の火炎術式! これで奴も黒焦げです!」
そう言って笑った次の瞬間、彼の眉間に小さな鉄の矢のようなものが深々と刺さっていた。投げ矢とシマナミスタンで呼ばれている投擲暗器だ。
これの矢じりには毒が塗られていた。至る所で毒草が生えるコンピラプタ高原を縄張りとするゾウズジャヤ=エルフが作った猛毒である。
「うあ……ああ……ああああ……!」
毒が全身に回り、彼は倒れて息絶えた。二人の若者は憤り、あのエルフを殺そうと詠唱を始めるが、トールバルが厳しい声でそれを止めた。
「防壁を弱める気か!」
「だったら、このままでいろというんですかッ!」
「そうです! フレディの仇をうたなきゃならない! 僕たちじゃあいつにかなわないとでも?」
勝てるわけがない。しかし『逃がす』ことはできる。トールバルは試そうと思った。2人に告げた。
「ここは食い止める。皆、この林を抜けて逃げろ」
「トールバル様!」
「聞かんぞ! 二度も言わせるな!」
彼は風の防壁を解いた。すぐに投げ矢が飛んで来たが、それが帯びていた魔力を察して剣で弾いた。
「遅れはとらん。儂も若い頃は亜人たちにいろいろと学んだ。おぬしらよりかはしぶとくやれるぞ?」
いいから行け。目つきでわからせる。2人の若者は事切れた仲間と、まだ姿を見せぬ相手のほうを見ながら走って行った。
(……さて。)
次はどう出るか想像しながら彼はつぶやく。あいつらが逃げきればどうにかなる。
(自分も逃げるべきだろうが、その場合はあのエルフを倒してからになるじゃろう。)
また手投げ矢が飛んで来た。剣で払う。風の結界を解いてから彼は力を溜めていた。大技を繰り出す為にだ。またも飛んで来たものを握ったもので落とす。地面に落ちている暗器に、『罠』がかかったりしていないだろうか、と思った。
静寂が1分。彼は1つの目論見が潰え去ったのを悟った。
「……思いのほか、早かったのう?」
2人の悲鳴と断末魔が聞こえたからだ。念話回路をつなげている相手に呼びかける。儂は詰んだ、というわけか。
「さあな。ここからはわからんよ。あんたが本気を出すからだ」
「亜人の戦闘力は知っておる。しかも複数名……ざっと5人か。生きて戻れるとは思えん」
「1人ぐらいは倒せるだろうが、俺達は恨むことはない。死ねばまたサヌキスタンの風の精霊のしもべに戻るだけだ。お前たちニンゲンもまた、異界へと旅立つのだろう?」
「まあな。やり残した事は残っているが……死ねば気にすることはない。次の命をどう生きるかじゃ」
トールバルは動いた。彼の周囲に三重の光の輪が生まれる。それらから百にも及ぶ細い光線が放たれた。木を穿ち闇を焼く。
イーガの上位、それもかなり優れた魔道士しか扱えぬ光の術式だ。伸びたままの光線がトールバルの念によってうねり、踊った。木々をなぎ倒して草花を燃え上がらせる。
強力な魔法だが周りに仲間がいると扱えない。巻き添えを喰らってしまう。特に戦い馴れていない連中が。だから2人を『逃がした』のだ。
相手のエルフとその仲間達は舌打ちした。厄介だろうと思ったがそれ以上だった。イーガでもかなりの手練れに違いない。
トールバルは次の手を打つ。この術式はあまり長い時間使えない。浮遊術式で空を飛んだ。相手も動く。あちらが光の鞭ならこちらは光の矢。森から数十ものそれが飛んで来た。次々と襲い掛かるそれらをトールバルは切り払い、寸前で除けながら確かめた。敵の位置と数を。
(出所を掴めたわい!)
相手は四ケ所から自分を包囲していたようだ。東側のが飛んで来た矢の数は多かったが他と離れていた。そちらを狙う。次の術式が発動。その方角で地鳴りと地割れが起こった。東側の矢が収まった。一か八かだ。風の魔法で突っ切った。
最大出力の風の魔法で森を抜けた。宿場から離れた畑ばかりが広がる農道の上に降り立った。ひどい疲れを覚え、片膝を付けた。
(久しぶりの大技を何度も繰り出してしもうた。身体が追い付かんわい。)
しかしまだ油断はできない。また浮遊魔法と飛翔魔法を使って部下達のもとに戻ろう。マイヤを見張らせている手練れ達と手を組めばなんとかなると思った矢先だった。
「……慎重じゃのう、おぬしら……にしては」
二重どころか三重の備えを用いたとは。優れているがどこかのんきな亜人にしては手が込んでいる。彼の背中には1本の矢が深々と刺さっていた。衣の中に着こんだ、護身用の革鎧を突き抜かれていた。魔法で強化したものなのに易々と。
「だ……誰の手の者じゃろう?」
トールバルは前のめりになって倒れ込んだ。矢に毒が仕込まれ、身体中にまわったからだ。動かなくなりしばらくすると、1人のエルフが現れた。金色の髪の女だ。
弓矢を抱え、銀色の胸甲をまとった彼女はトールバルの身体を蹴った。動かない。口笛を吹いた。離れていたところで伏せていたもう1人の金色エルフの女が顔をあげた。
「仕留めたべえ。この辺りには他にいねえようだあ!」
「そっかあ! なら、クアヒルに伝えておくべえ!」
クアヒルはトールバルに呼び掛けたソゴプールのエルフのことだ。そのクアヒルから念話魔法で返事があった。
「クアヒル、右腕がちぎれそうな怪我してるってんでこっちにこれねえそうだ」
彼だけではない。『光の鞭』は他の連中の身体にも深い傷をつけた。鎖帷子や鋼の防具を焼き切る殺傷力があったそうだ。治癒魔法に手間取ってなかなかそっちへは伺えない。
「そっか。このじじい、相当強い魔道士だったんだなあ」
「そうらしいべえ。でも、所詮はニンゲンだあ。おれらエルフには全くかまわんべえなあ。あっはっはっ!」
女達はゲラゲラと笑った。ニンゲンの男の捕虜は殺すよりもむしろ生かして、性の慰みの道具にするのが常だったが老人では望めない。トールバルの白髪頭を見て、身体を蹴る彼女達は思った。しっかりした肉体だ。若ければ楽しませてくれただろうに。
「さて、セイジさまに報告するべえ。あっちでは襲撃の準備がはじまってんだろ?」
「そういうことだあ。なんか、とんでもねえ隠し玉ってのを、ソーローとかいう領主さまが寄越してくれたらしいべえよ」
「カタシナシュフのマリベーラさんかあ?」
「多分そうだべえ。あの人しか考えられねえよ」
「なら、1人でホーデンエーネン武者を片づけてくれると思うだろうなあ」
2人はおののいた。その名前は彼女達の『部族』では、目にしたら逃げろを言われる程の難敵と恐れられているからだ。一方のエルフが、老人が握っていた剣を見て浮気心を起こした。
「とてもいい剣だべえな。ミスリル鍛冶の名工のものだべえ。サイゴークのドワーフかカントニアの南の姉妹のものか……貰ってってもよいな。おれのお宝にするべえ……」
腰をかがめ、手を伸ばそうとした。直後、冷えきって動かなくなり、魔力の気配も無かったその身体が大きく跳躍した。続けざまに女の胸甲をばっさりと斬る。血しぶきがあがった。
「生きておったのかぁ!」
トールバルはきれいに着地して後ろに大きく跳躍し、右手に持った剣を構えた。背中に刺さった矢には毒が込められていたのに。ゾウズジャヤの猛毒をだ。
「じじい、なにもんだべえ!」
「解毒魔法をあらかじめかけておったのじゃよ。投げ矢で気づかされたわい」
トールバルは力を込めて背中の矢を押し出した。治癒魔法で傷口は塞がれていた。背中はまだ痛むがもう血は出なかった。
「おぬしら、ヌマタラシュクのエルフじゃな?」
「そうだべえ!」
「ヌマタラシュクの支族、カワバショフのルサーチカ! そっちはアーシャ!」
なるほど。トールバルはにんまりと笑った。ヌマタラシュクの女エルフは非力な者が多く、男達に隷属している。特にその支族であるカワバショフの女エルフは、まるで奴隷そのものだ。慰みものとしか見られていない。
ヌマタラシュクが嫌になった女エルフは大体、外に逃げるのだが、女が上位のカタシナシュフでは冷や飯を食わされる。男達を取られるからだ。週に7回セックスをしないと気が済まない身体なのに、月に1度か2度しかやらせてもらえない。これは彼女達にとっては地獄である。
「ソゴプールとは違う。格落ちか……」
「うるせえ!」
「斬られたけどこんどはおれらの番だべえ、じじい!」
ルサーチカとアーシャが腰の剣を抜いた。鋼の細剣だ。しかし弱小とはいえエルフの膂力であれば、鎖帷子をばっさり斬られるだろう。そもそもの切れ味も悪くないはずだ。
2人は怒号を放ち斬りかかった。斬られたアーシャだが血はもう止まっていた。血しぶきこそあげたが傷はそんなに深くは無かったからだ。
「エルフの衆に見せてやろう。精霊のもとに帰してやる」
トールバルが剣を指でなぞった。2人が見慣れない文字がその背に浮かんだ。これまで感じたことのない魔力と殺気を彼女達はその剣に感じる。とてもやばい力が込められた。一撃で生死に関わる様な、とてつもない何かが。
「スーワシューロの秘剣がこれじゃ!」
一瞬だった。まるで空を切るかのように、飛び込んでしまったアーシャの身体を脳天から真っ二つに割いた。彼女の身体はすぐに塵となり、その魂は大精霊の元へと運ばれた。
ルサーチカが怯えて引き返そうとするが、トールバルの血に濡れた剣が逃さなかった。突き上げての一閃。彼女の身体は右の腰から左の肩にかけて切り離され、アーシャと同じ末路をとった。
「こっちもまだ使えるようじゃな」
老人はルサーチカが遺した服で、血をぬぐいながらつぶやいた。カントニアでも秘剣とされる、『エルフ殺しの剣の術』。イーガにひそかに伝わったものを、『魔族殺しの剣』と共に彼は学んでいた。この剣はエルフの血が流れていない者だけが使えるとされている。
自分だけでなくタルッホや、あのアドルフ王子も扱えた。但し、アドルフは少しだがエルフの血が流れているので威力がかなり減じられているのと、使えば使うほど寿命が縮むという話で、使用を控えていた。
この術の威力は強大だ。しかし、大量の魔力と気力を消費する。老人はかなり疲れを覚えていた。
(ソゴプールだけでなくヌマタラシュクか。マイヤ様の敵対勢力はそこまで手を伸ばしておったとは。ソーローの領主、と確かに言っておったの。)
カツランダルク家の敵として一番決めつけやすい相手だ。他はナガオカッツェぐらいか。アドルフ王子が密かに通じた相手でもある。そのことは知っていた。
(マイヤ様を害そうとしているようじゃな。でも、それを陛下に伝えるつもりはないのう。)
マイヤが死ねばマルティン王子を介してつながりが無くなる。そうすれば『えくすぷれす』やヨーシデン市建設といった援助をしなくて済むのだ。イーガにとっては微々たる額と労力だが、アドルフのシンパであるこの老人にとっては嬉しい限りである。
しかし他のスパイはそうではなかった。マイヤが大好きな連中がたくさんいる。襲撃の時に彼女を助ける為に死力を尽くすだろう。そうなることがわかっているから、見捨てるわけにはいかない。不本意ながらマイヤを守らねばならぬのだ。
(まったく……殿下。お隠れになる前にあの小娘も一緒に道連れにいただきたかったですぞ。)
殺した後に身体が永遠に朽ちぬ薬に漬けて一緒の石棺に入れてくれ、ぐらい頼めばよかったのに。しかしアドルフの死も不明瞭だ。いつ、どこで死んだのかは知らされていなかった。アジトの場所を父に知られ、処刑されたことも。
とにかくここを発とう。腹に力を込めて呼吸を整え、浮遊魔法の準備に取り掛かった。目に見えない何かが強くぶつかった感触とともに、身体が後ろへ大きく跳ね飛ばされていた。
(何が起きた?)
今度は後ろからだ。背中に激しい痛み。吹っ飛ばされて倒れ込んだ。呻きながら畑の土を踏む足音を聞く。見上げると真っ白な衣をまとっていた、黒髪の若い男が目の前に立っていた。
「フン……誰かと思えばイーガの元宮廷魔道士、トールバル=クヴァナーズではないか?」
「儂の名を知っておるとは、お前さんは?」
「カヅノ=セイジだ。名前だけなら知っているだろう?」
(こやつが……。)
魔力を感じるがニンゲンではないようだ。ムーツのオーガに似た顔立ちの美男子だが、性格のゆがみが表情に出ており素直に褒められない。性分がろくでもない、安っぽい女にモテそうだとは思える。
黒髪の男は右眼にモノクルをかけていた。トールバルには見覚えがあるものだ。
「ほほう。今も練っているようだな。魔法力は……ざっと20万程度か」
「『すかうたー』とはな? 小僧どものおもちゃをどこで手に入れた?」
「そういうことだ。ルサーチカとアーシャがやられたのはうなずける。あいつらは……本当の雑魚だったからな!」
金色エルフは魔力があるなしの差が激しい。ルサーチカとアーシャはどちらも7万程度。ごく下っ端の魔道士の実力だ。通常のエルフは最低でも10万を超えるのだが、ヌマタラシュクの弱小部族の出は、どん底に近かった。猛者達の中では奴隷の境遇に身を甘んじるほかは無かった。
「ふふん、男どものずり穴としての日々を嫌って里を出た程度の奴らの実力というわけだ。しかしだ……」
クアヒルが後れを取るとは情けない。目をかけているズルイルから推挙された戦士だ。あちらは全力の魔法力が30万ほどあった。あの部族の基準では優れている。しかしそれでも、カントニアの南のほうのエルフには勝てない。あちらの下っ端の平均がそのぐらいだからだ。
そして目の前の老魔道士であれば、本気を出せばクアヒルと互角といったところだろう。魔力でやや劣るゴブリンやドワーフの種族の『使い手』と同じぐらいか。カヅノはトールバルに尋ねた。
「殺す前に聞きたい。お前の祖先はゴブリンかドワーフか?」
「ふん、まあいいぞ。母方の曾祖父がのう、トサヴァール北部のドワーフじゃった」
「そこか……確か砂漠があったな。モノノベダール砂漠。そこのサソリが男のものを著しくさせるとは伝え聞いているぞ?」
「ご存じか。儂も若い頃はあれの煎じ薬をよく飲んだ」
サソリの薬のおかげで絶倫となり、これまで8人の女と30人近くの子を為した。最後の子は3年前に生まれた。いきずりの女との経験なら、1000人はくだらないはずだ。
「ほう。やはりお盛んなのだな、トサヴァールの者は。その貴様にごついチンポとキンタマを授けたドワーフはなんという名だ?」
「ラジニカント。モノノベダールでは5本の指に入る勇者」
知らないとカヅノは答えた。シマナミスタンは地域が複雑で人が多すぎて、どんな勇者でも海外に名を轟かすことはなかなかに無い。
「ナハリジャーヤの女エルフたちをちんぽでいてこましてたくさん孕ませた猛者と聞いたことがあるわい」
「ほう! あいつらをか! ふふふ……となれば貴様の股間のものはさぞや立派に違いない!」
「今度は儂の番じゃ。おぬし、どこの術式のを使った?」
「聞いてもわからんだろう。神聖術式というものだ」
トールバルを叩きのめしたのは『アルキメデスの空気砲』という術式だ。あれには魔法抵抗や防壁が通じなかった。だからもろに喰らった直撃で、トールバルは立ち上がれないくらいに身体を痛めてしまった。
「精霊ではなく己の信仰心や意志で為す。『奇蹟』という言葉で言い表せるものだ」
「なるほど……異界の魔法術式のようじゃな。納得がいった。心置きなく死ねる」
「命乞いはどうする?」
「儂はイーガの忠臣じゃ。そして魔道の戦士でもある。散り際を心得ておるよ。さあ……」
カヅノは事を終えた。悪党というカテゴリーにある彼でも、肉体から離れたトールバルの魂には死後の祝福の祈りを捧げた。エルフたちをここまで蹴散らした猛者に尊敬の念を抱いたからだ。
これが宮廷魔道士にまで上り詰めた、イーガの老魔道士の最期であった。カヅノは念話魔法で治療を終えたクアヒルに呼びかける。
「今回の総仕上げを始めるぞ。北街道に行ってマイヤ=カツランダルクを襲う」
「ああ……ところで、そいつを妾にしないのか? 可愛い女だと聞いているが?」
「ケノービ=ソーローの意向がある。それはできんな。が……」
首を切り離すまでにいろいろと楽しんでもいいだろう、とカヅノは思った。生の『おしゃぶり姫』を見て、この手で抱いてみたい。赤ん坊のように可愛いらしいじゃないか?