聖騎士イズヴァルトの伝説【新編】・まとめ 作:CHACOとJAGUAR
激しく揺れ、そして思わぬ角度となった旅客機の中で、乗客たちは泣き叫んでいた。
この飛行機に乗る前、彼女はなんて幸運なのだろう、と思っていた。搭乗口で人気歌手の姿を見たからだ。
それからこの飛行機にはその歌手だけでなく、プロ野球球団の社長など、有名な人が搭乗しているという話を耳にした。
大阪へ向かうこの飛行機は今、群馬の上空にある。揺れが激しく、どんどん降下していっているという。
飛行機はもう、態勢を整えることはできないそうだ。せめて水の上に不時着する方法は無いだろうか。乗客たちは口々に言ってはわが身を嘆く。
しばらくして乗客席は、のっぴきならぬ様相を呈しだした。彼女は死を覚悟した。バッグからメモ帳とペンを取り出し、京都にいる夫と川崎の実家に預けた1歳の娘に、別れのメッセージを急いで書いた。
書き終えてバッグにしまうと、彼女はそれをぎゅっと抱えてその時を待った。
そして視界は真っ暗になった。
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それから、長い長い夢を見ていた。
日本とはまるで違う国で女の子として生まれ、1人の少年の騎士とともに旅をする毎日だ。
何もかもが鮮明だった。その少年と恋仲になり、いっぱいエッチなことをして愛し合い、それから離れ離れになって、また会って。
30年近くの人生を、1分1秒体感するような夢だった。極悪人にさらわれ、両手足を喪う目に遭い、3年ほど眠らされたようだが。
ちんちんから出る精液とおまんことうんちぶりぶりの亡者みたいな美しい娘としての人生だったが、最悪の形で終わった。
何故あんなことになったのか。あの子はどうして変わってしまったのか。そう自問しながら彼女は目を覚ました。
「お目覚めになられましたか、大洲栞子さん?」
白衣を着た日本人の医者だった。自分はあの飛行機事故から生還したのか。
(いや、違うよ。私はあのジャンボ機と一緒に乗っていた人たちと死んだはずだよ。だから、トーリとイズヴァルトがいる世界に生まれ変わった。マイヤとして。)
顔を覗き込んでいた医者が、何をおっしゃっているのです、と尋ねて来た。思っていたことが口にでてしまったのか。
「すみません……変なことをつぶやいてましたか?」
医者はうなずいた。しかも、長い間眠っている最中に、看護師は彼女から何千回もうわごとを聞いたそうだ。
「大洲さん。あなたは約15年間、眠っていたのですよ」
あの飛行機事故で、奇蹟的に生還した1人としてだ。
彼女は飛び出た座席にうずくまりながら、五体無事で捜索隊に見つかったという。少々けがをし、延々と目覚めなかったが。
「生還者の中では奇蹟、そのものでしたよ。ニュースで知りましたから」
「そうでしたか……」
医者は彼女の寝台をあげた。目の前には小型のテレビとカレンダーがあった。
今は西暦2000年の8月23日だという。ツダサンチョーに連れて行って貰った5年前だ。
長い間眠っていたとはいえ、なぜか目はまぶしさを感じず、身体は動くように思えた。
テレビをつけてもらうと、流ちょうな関西弁でしゃべる2人組が司会をする音楽番組だった。
「ええと、大阪の漫才番組でちらと見たことがあったけど、この2人、こんなに歳とっていたかな?」
「もう15年も経っていますからね。意外とお笑いはご存じのようですね、大洲さん?」
「……『ひょうきん族』って、もう終わってますかね?」
懐かしいですね、とその医者は笑った。
次の日に彼女を見舞う親族がやって来た。
自分の弟の一家と、夫の妹の家族だ。
自分の胸に顔を埋め、泣きじゃくる親友が連れて来た子供は、まだ小さかった。
小学1年生の高坂正尭と、まだ幼稚園児の深雪だった。正尭は不思議そうに見ていたが、あの時の慰霊祭で抱いた印象は変わらなかった。
しかし妹の方はあの時よりも可愛らしかった。まだ父親によからぬことを吹き込まれていないからだろう。
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目覚めた後の彼女は、奇蹟的だ、と医者たちから評された。たった2日で何も支えもなく、歩ける様になっていたからだ。
どうしてこんなに回復力があるんだろう。彼女はそう思いながら病院の庭を歩く。
鏡を見ると一応は歳を食ったな、と思えた。しかし死んだ22歳の頃は「アンタの顔、中学生かよ?」と友達に言われる程度だが、37歳の今に至っては、「ホントに三十路?」と周りの患者に言われるぐらい。
要は20代前半に見えるような顔のつくりと肌艶、というわけだ。これがいただけない。年相応に老ければ、少しぐらい落ち着いた中年女性に見えたのに、と思った。
顔はともかく、身体も痩せただけで肌艶は悪くなかった。歩き出すともりもりと食べるようになった。
病院の食堂で、太ってやれ、と言わんばかりに痩せの大食いをやらかしたが、1か月経っても死ぬ前ぐらいの肉付きになったぐらいである。
診断した医者が言う。中学生ぐらいの新陳代謝がありますね。ここでも中学生だ。嫌になる、とうそぶいて医者を笑わせた。
彼女は身長が143センチとかなり低く、その体型のせいで身体のつくりはどこもかしこもこぢんまりとしている。
その趣味の男達からはよく、言い寄られることがあった。事実、病院でも主に若い男から話しかけられていた。その場合は実年齢を言って「おばさんですから」と断った。
彼女にはやるべきことが沢山あった。まずは高坂総一郎とその妻が彼女の為に遺してくれた、三郷や都内の遺産をどう扱うかだ。
主に土地だが、ただ売って金に換えるのではなく、これを活用して定期的な収入を得たい。
とりあえず、親友の昴に仕事を紹介してもらい、それをやりながら投資をしようと考えた。もうすぐ40で頼れる肉親が少ない女が、生きる為にどうすればいいのか考え抜かねば。
それから、どこに居を移すかである。
川崎にある実家マンションは、両親と妹が死んでもう住む者がおらず、もう売り払っていると弟から聞いた。
「いやあ、僕の家を建てる為の資金にしちゃったんだよね、栞子ねえちゃん、ごめんね?」
市役所勤めの弟の家は立派な一戸建てだが、栞子が居候するには部屋が足りなかった。
何せ、彼は子だくさんだからだ。5年後の慰霊祭の記憶が正しければ、彼は5人の父親になるだろう。
ここも昴にぴえええんと泣きついて、三郷の安いアパートを見つけてもらおうと考えた。昴は甘えん坊の女友達には、すごく甘い女である。
そして最後に、いや、物事の最初にするべきことが彼女にはあった。
自分が目覚める前に死んでしまった夫の慎次と、この7月に殺されたという娘の詩織の墓参りだ。
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夫と娘が入る墓の前で、手を合わせた。
同行してくれた昴と正尭によれば、詩織は毎週必ず、眠りについている自分のところに来てくれたという。
「実のお父さんみたいに慕っていた総一郎兄さんとね。ただ詩織ちゃんは、兄さんに異様に懐いていたけど……」
そうかもね、と栞子は思った。総一郎お兄さんは素敵な方だったんだもの。
とはいえ夫の兄とは、ちょっとした思い出があった。
中学生の時、夫の家でエッチをしていたところを庭から、総一郎にのぞかれてしまったことだ。
あの時は笑顔を見せてごまかした。その後、何度ものかれて気持ち悪いと思ったが、むしろ感心するほうが前に出た。
(総一郎兄さんは、『オクゲ』というひどい仇名で呼ばれてたいたほど、自分の感情をはっきり出す人じゃなかっからね。天然ボケが激しかったし。)
でも、優しい人だった。そういう人だったから詩織は懐いたんだろう。
高坂家の一家の墓を参ったあと、正尭が不思議そうな顔をして彼女を見上げていた。
「……どうしたの?」
「あのね、詩織ちゃんがなくなったのに、どうしてそんなにあっさりしているの?」
彼女は涙をこぼしていなかった。詩織の死については、『あの夢』でとっくに涙を枯らしていたからだ。
「ええと、それはね……」
栞子は正尭の肩を抱きしめてささやいた。
「私の娘は死んじゃったけど、でも、その魂は死んではいないんだ。どこか違う世界に向かって、飛んで行ったんだよ」
それを耳聡く聞いていた昴が、ぷっと笑う。
でも正尭は違った。
「そうなんだろうね。きっと、違う世界ではものすごく長生きする人生が待っているって、僕も思うよ」
この時初めて、彼女は涙をこぼした。