「ほんっとうにごめんなさい!」
次に彼女と出会ったのは学生食堂の中だった。どうやってか知らないが僕の居場所を突き止め、謝りに来たのだ。僕はレトルトのカレーを口に入れかけ、ぽかんと静止した。飯時の学生食堂なんて信じられないくらいうるさいが、それでも周囲の人間を黙らせるくらいの声量を彼女は発した。
何も知らない周囲の人間からしてみれば、上級生に謝らせながら飯を食う下級生である。本当は周りがどう思っているのか知らないが、ともかく僕は突然の闖入者にいたたまれなくなり、慌てて彼女を連れて食堂を後にした。
学生食堂はそれ自体が独立した建物で、外にはいくつかテラス席がある。僕たちが向かったのはその中の一つで、建物の裏手にあり、ほとんど人が寄り付かないような席だった。
ボロボロのパラソルの下、紫外線で劣化した椅子に二人は着席した。
「ごめんなさい。あなたにその……あんなことしてしまって」
着席したのと同時に彼女は頭を下げた。額が机にぶつかりそうになり、あの時のことを思いだして少し慌てた。
「〇〇君……あっ、君に色々してくれた男の先輩ね? 彼から話を聞いて、後からようやくわかったというか。あの時のこと、ほとんど何も覚えていなかったというか……」
「いえ京町先輩、確かにちょっと──あれはどうかと思いますけど、でも大丈夫ですよ。大したことは無かったので」
言葉を選んで発言したつもりだったが、彼女は落ち込み具合をより一層深くした。彼女なりに反省する部分があったらしい。それでも宥めすかすと、しぶしぶ顔を上げてくれた。
「あれ、そういえば名前なんて教えたっけ」
「あの時〇〇先輩から教えていただきました。『京町は酔うと面倒くさいんだ』って」
それだけだと語弊があるような気がして、慌てて付け加える。
「別に悪口だとか告げ口だとか、そんなことではないですからね。ただ事実を述べただけと言いますか」
「ううん、いいの。本当みたいなものだし」
彼女は遠い目をして言った。それから思いだしたように「ね、君の名前はなんていうんだっけ」と聞いた。
「××です。今年入学した新入生なんです」
「じゃあ、尚更ごめんなさい。あなたのキャンパスライフを……汚してしまったようで」
「そんなことないですよ、あまり気にしすぎないでください」
彼女は落ち込んでいて、楽しい会話など望めそうになかった。僕の方も初めての大学の先輩で、何を話していいのかわからずじまいだった。二人の間に沈黙が漂い始め、その気まずさをかき消すように何とか話題を絞り出す。
「京町先輩って、やっぱり、お酒弱いんですか?」
「え?」
「いや、あの時の……あんなことがあったので。周りにビールの空き缶がいっぱいあったので、多分他の先輩方と一緒に飲んだ後なのかなーと思いまして」
「ああ、あれはね」
彼女はしばらく思案していたが、やがて意を決したように打ち明けた。
「まあ……そうだね。あんまり得意じゃないかも。
あの時はみんな飲んでたから、私もつい飲んじゃったんだよね。そしたら気持ち悪くなっちゃって……。
──君の方は?」
「僕は全然ダメですね。……大っぴらに言うことではないとわかっていますけど」
大学一年生は未成年で飲酒できる年齢ではない。しかし腐っても大学生、その手の話題には尽きない。僕の方も興味が湧いて、父親や友人にお酒を舐めさせてもらうことがあった。感想は『苦くてまずい』のそれに尽きる。酔うと頭が痛くなるので、極力アルコールには近づかないことを決めていた。
彼女は面白そうに話を聞いてくれた。京町先輩は明るい人で、笑うと朗らかな笑顔を見せた。それが嬉しくて、僕は夢中になって話を続けた。
一息ついた頃、食堂付近の賑やかさが減った気がして、時計を見ると昼休みが終わりそうな時間だった。慌ててカレーをかきこむ。それを観察している京町先輩を見て、ふと思い出し、財布から一万円札を取り出した。
「あの、京町先輩。実は〇〇先輩からクリーニング代にって一万円渡されてたんです。でもさすがに多すぎるし、そこまでのことじゃなかったので先輩の方から返してもらえませんか?」
京町先輩は、かぶりを振った。
「じゃあ○○君には私から返しておくよ。それは君が持ったままでいいから」
「でも」
「私からの迷惑料ってことで、受けとってくれると嬉しいな」
このまま押し問答を続けても、いたずらに時間を消費するだけだろう。それなら彼女の謝罪を受け入れ、わだかまりを解消させてやる方がいい。
僕は「わかりました」と答えてから、最後の一口を水で流し込んだ。
「ありがとう」
彼女はやっと、心の底からの笑顔を見せてくれた。
「教室はわかる?」
「はい。大学にも慣れてきました」
「それは良かった。……あのさ、もし興味があるなら、文芸サークルに見学においでよ。顔を見せに来るだけでもいいから」
「わかりました。今度、必ず行きます」
「そういってくれると嬉しいな。お礼じゃないけど、色々話もしてあげるからさ」
「それじゃあね」と残して彼女は行ってしまった。
僕は食器を返してから、急いで次の授業に向かった。