大学生活の中で、この関係性は当然のものになった。つまり、酔っぱらった京町先輩を僕が家まで送り届けるという関係が、だ。
京町先輩は酒に弱いくせして飲む方は大好きなようで、何かイベントごとがあると決まってお酒を飲み続けた。新入生歓迎会はその始まりに過ぎず、夏休みや文化祭の打ち上げなど、その機会はほぼ一年中だった。
彼女が酔っぱらってしまうたび、僕の方は彼女の傍につく羽目になり、ありがたいご高説を頂戴することがお決まりのパターンだった。酔って思考が鈍った京町先輩は予想もつかないような言動を繰り返す。そのたびに僕の方は冷や汗をかき、慌てて止めようとする。彼女の方も気を許してくれたのか、飲んでいる最中や家に帰る途中で、身体を預けたり、肩を持ったりすることが多くなっていた。胸やお腹に触れてしまいそうになったことも一度や二度ではない。いっそ、触ってしまおうかと考えたこともあった。相手は酔っぱらいだ。支えたり拒否したりする過程で、どこかしらに触れてしまっても何も感じないだろう。
ただ、京町先輩に触れるのはあくまで世話や介抱のためであり、決して不純な動機からではないのだ。僕を信頼して身を任せてくれるような彼女に、そんな卑怯な真似はしたくなかった。だから、彼女の胸を感じることができたのは、後にも先にもあの初対面の日だけであった。
そんな風に過ごしていく内、僕や京町先輩はスムーズに進級を重ねていた。お互いにぽろぽろと単位を取りこぼしてはいたが、卒業には問題ない数だった。お陰で大学に入学して二年もたつ頃には、僕は三年生、京町先輩は四年生になっていた。文芸サークルは相変わらずで、多少メンバーの入れ替わりはあったが、活動内容やそのあり方は変わっていなかった。
当初は同級生とうまく馴染めていなかった僕だが、サークルでの活動を通して徐々に交友関係を広めることができていた。文化祭などの一大イベントでは準備や当日の活動などで様々話し合いが発生し、嫌でも関わり合うことができたことが決め手だったと考えている。今では気軽に話したり、遊びに行けるような友人もできていた。
ある日、その友人の一人である□□と遊びに行く機会があった。彼はメンバーの中でも特に仲が良くて、よくカラオケやゲーセンに行く仲だった。その日もいつものように駅前で待ち合わせ、一日中遊び惚けた。最後に飯でも食べようということになり、二人でファミレスに入った。
夕食時のファミレスは人でごった返していた。何とか席に坐り、注文した料理が届いたところでほっと一息ついた。
「そういやさ、お前の方はどうなんよ」
□□はハンバーグをつつきながら言った。
「なにが?」
「いや、京町先輩よ。お前、ずっと一緒におるやん」
皆が集まっている状況で僕と京町先輩が出ていくのだから、二人の間柄は格好の噂の的になっていた。ただ、僕と彼女の間には何もない。心優しい後輩が、体調のすぐれない先輩に付き添って帰宅しているだけの話なのだ。
「ただの付き添いだよ。先輩、お酒に弱いのにすぐ飲んじゃうしさ。何回言ってもやめないんだよ、お酒。俺にはわかんないけど、そんなに楽しいのかな」
「京町先輩が酒に弱い? お前、何言ってんの? あんな酒豪、探してもそうそう見つからんって」
彼は笑いながら手を叩いた。笑うときに手を叩くのは、こいつのいつもの癖だ。
「酒豪って……酒に強い奴のことだろ。京町先輩がそんなわけないじゃんか」
ビールでもなんでも、コップ二杯も飲めば京町先輩はすぐヘロヘロになる。普段の格好良さはどこへやら、思考は支離滅裂になり、目を離せばすぐに眠ろうとする。まともに立つこともできず、舌足らずな声で「後輩くん」と哀れを誘うように話す彼女のいったいどこが酒豪だというのか。僕には彼の言っていることがとても理解できなかった。
「あー、そうやな。京町先輩が張り切ってる時って大体お前おらんもんな。他の奴からなんも聞いてないん?」
「張り切ってるって、何をだよ」
□□は無言で自分のスマホを渡してきた。受け取ると、カメラロールに納められた動画が表示されている。中央に京町先輩がいた。背景には見たことのある壁紙やオブジェがあり、サークルが時々利用している居酒屋の中にいるようだった。
画面をタップして動画を再生すると、途端に居酒屋特有の喧騒が聞こえてきた。がやがやと秩序のない会話が響いている中で、京町先輩は勢いよくジョッキを呷っていた。
『先輩、どないです』
□□の声がする。京町先輩はジョッキを傾けて最後の一滴まで飲み切ると、机の上に置いた。
『うん、やっぱりここのはおいしいね』
馴染のある声が返事をした。
『そのへんにしとかんと危ないんちゃいます?』
『全然平気。これぐらい飲んだうちにも入らないよ』
ただ、その声の調子はいつもと違っていた。すぐに酔っぱらってしまい、眠そうになりながら甘えた声を出す京町先輩。動画内でその面影はなく、いつもよりも明るく通る声で明快な受け答えをしていた。
スマホは机の上を映し始めた。京町先輩のあたりには先ほど飲んでいたものと同じジョッキが十本以上は林立している。その向こうには、これまた馴染のある〇〇先輩がいて、彼は机に突っ伏していた。どうやら寝ているらしい。彼の周囲にもいくつかジョッキが置いてあったが、その数は明らかに京町先輩の物よりも少なかった。
『やっぱり先輩はほんま強いですね。○○先輩の倍は飲んでるんとちゃいますか』
『○○君が弱いだけかもね、あはは。まあ、私のペースについてこれる人なんてほとんどいないし。
君も良かったら挑戦する? 飲み比べ。私はまだまだ余裕あるから受け付けるよ』
『いやいや、遠慮しときます。先輩に勝てるとは思いませんから』
『じゃ、また私の勝ちだね。○○君がおごってくれるらしいし、もうちょっと飲んじゃおうかな』
そう言って京町先輩がメニューを手に取ったところで動画は終わった。画面が暗くなり、もう一度再生するための丸い矢印が表示される。
「な、言ったやろ」
動画が終わったころを見計らって□□は僕の手からスマホを取り返した。
「京町先輩、男の先輩と飲み比べして圧勝しとるんやで。この後も何杯か飲んどったし、これは酒豪やろ。なんやったら他の動画もあるし──」
「ちょ、ちょっと待って! 何これ?」
僕は慌てて彼に問いただした。画面内にいた京町先輩は、あの京町先輩とは似ても似つかぬ姿だった。しかし、確かに本人だ。声や姿からも、それは間違えようもない。双子や姉妹がいるなんて話は聞いたことがないし、CGと言われた方がまだ信じられるかもしれない。
「えっとな、これは……三ヶ月くらい前の飲み会やわ。お前来てなかったやろ。お前が来てなくて俺が行った時の京町先輩って大体こんな感じやで。むしろ飲まん方が珍しいわ」
□□は落ち着いた様子で水を飲んだ。この映像は、彼にとって珍しくもなんともないようだった。
僕にとっては初めて見る京町先輩の姿だ。いつもの様子とはまるで違う。普段なら確実に酔ってしまう、もはや彼女と初めて出会った日のように小間物屋でも広げてしまいそうな量を一人で飲み干して、涼しい顔で会話をしている。しかも飲み比べまでこなしているとは。いつもの京町先輩からは想像もできない姿だった。
「なんで普段は飲んでないの?」
「知らんわ。本人に聞いてみれば?」
なんでそんなことしてるんだろうとか、僕が見て来た京町先輩は何だったんだろうとか、色々な疑問が浮かんできた。□□の言う通り本人に聞くのが一番手っ取り早いだろう。しかし、それでいいのかという疑問も残る。もし京町先輩に何か考えがあってのことなのだとしたら、これまで築いてきた関係性を壊すことにならないだろうか。そう思うと、聞くに聞けない話題だ。
結局、その後は京町先輩について考えすぎて、料理の味なんてわからなかった。□□の話にも脳みその半分ぐらいしか使えず、「気にしすぎや」と言われた。
夕食後、彼を駅まで見送ってから僕は帰路に就いた。家まで歩いて十五分かかるバス停に行くためのバスに乗る。最寄りのバス停はそこしかないのだ。普段ならバスの運営会社に言うための文句でも考えているところだが、今日ばかりは京町先輩のことで頭がいっぱいだった。どうしようもない思いを抱えたまま、バスは夜の中を発車した。