二度目の人生、ゲームシステムで全てを手に入れる 作:アキラ7
自宅に戻ってから、一週間が経った。
病院にいた頃とは違い、今では毎日聞こえてくる音も少しずつ分かるようになってきた。
朝になると、母さんが起きて動き始める気配がする。
少し遅れて父さんの声が聞こえてくることもある。
そして、僕はその声を聞きながら、一日の大半をベビーベッドや両親に抱かれて過ごしていた。
生まれてからまだ一か月ほど。
自分の力で動ける範囲なんて、たかが知れている。
それでも、一週間も同じ場所で過ごしていると、少しずつこの家での生活が分かってくるものらしい。
そんなある日のことだった。
「蓮も、だいぶこの家に慣れてきたわね」
母さんの声が聞こえた。
「そうだな。最初の頃より、家の中の音にも反応するようになった気がする」
父さんもそう答える。
どうやら二人は、僕を見ながら話しているらしい。
「だったら、そろそろ家の中を見せてあげない?」
「家の中を?」
「ええ。まだ自分で歩けるわけじゃないけど、抱っこして見せてあげるくらいならできるでしょう?」
「それもそうだな」
どうやら、僕に家を案内してくれるらしい。
……家を案内する?
思わず意識がそちらに向いた。
実を言えば、僕は退院してから一週間、この家の中をまともに見ていない。
もちろん、何も見えていなかったわけではない。
抱かれて移動しているときに、視界に入ってくるものを眺めることくらいはしていた。
けれど、退院直後はまだ生まれて間もなかったこともあって、周囲を細かく観察する余裕なんてなかった。
だから、僕が知っているのは本当に一部分だけだ。
ただ――。
外から見たときの印象だけでも、十分に分かっていた。
この家は、前世の僕が暮らしていた家とは比べものにならないほど立派だった。
前世の家だって、決して不満のある家ではなかった。
仕事をして、結婚して、子どもたちと暮らす。
自分なりに頑張って手に入れた、普通より少し余裕のある生活だったと思う。
それなのに。
今の僕は、生まれて一か月で、それより遥かに恵まれた環境を与えられている。
そう考えると、改めて不思議な気分になる。
「じゃあ、今日は少し家の中を見て回ろうか」
「そうね」
母さんが僕を抱き上げる。
視界が少し高くなった。
「蓮、今日はあなたのお家を見て回ろうね」
……あなたのお家、か。
その言葉を聞いて、僕は何となく周囲を見渡した。
ここが、僕の家。
これから何年も、もしかしたらもっと長い時間を過ごす場所。
そう考えると、少しだけ不思議な感じがした。
そして――。
まだ見ていない場所が、この家にはたくさんある。
僕は母さんに抱かれたまま、これから始まる「家の案内」を静かに待った。最初に案内されたのは、普段から僕が過ごしているリビングだった。
「ここがリビングよ」
母さんに抱かれたまま、僕はゆっくりと周囲を見回す。
退院してから何度も目にしていたはずなのに、改めて眺めてみると、やはり広い。
大きな窓からは外の光が入り、天井も高い。
置かれている家具も落ち着いた雰囲気で統一されていて、どれも安物には見えない。
前世で僕が暮らしていた家と比べると、明らかに違う。
広さだけじゃない。
生活するために必要なものが揃っているというだけではなく、最初から「快適に暮らす」ことを考えて作られているように感じる。
僕は前世で、働いて、家族を養っていた。
結婚して、子どもが生まれて、家族にとって少しでも良い暮らしをと思いながら生活していた。
それなりに余裕もあった。
でも――。
今の僕は、生まれて一か月しか経っていない。
それなのに、前世の僕が大人になって手に入れた生活より、ずっと余裕のある環境で育とうとしている。
なんとも不思議な話だ。
「こっちはダイニングね」
母さんが僕を抱いたまま、ゆっくりと移動する。
その隣には大きなキッチンがあった。
「ここでご飯を作るのよ」
もちろん、今の僕には食事を作ることなどできない。
そもそも、まだ離乳食すら先の話だ。
それでも、母さんが毎日ここで料理をして、父さんと一緒に食卓を囲み、いつか僕もそこに座るのだろう。
そう考えると、少し先の未来が見えた気がした。
「そして、こっちが蓮の部屋」
その言葉に、僕は少しだけ意識を向けた。
扉の向こうには、赤ん坊が過ごすための部屋が用意されていた。
ベビーベッド。
おむつを替えるためのスペース。
小さな収納。
まだ物は少ない。
今の僕には、それで十分なのだろう。
けれど、この部屋はこれから変わっていくのだと思う。
今はベビーベッドだけ。
そのうち玩具が増えて、絵本が並んで、少し大きくなれば机が置かれる。
さらに成長すれば、勉強道具や本、パソコンなんかも置かれるのかもしれない。
そして、それらを使うのは全部――僕だ。
「ここが蓮のお部屋ね」
母さんが笑いながら僕を見る。
「大きくなったら、好きなものをいっぱい置けるようにしようね」
僕は返事をすることができない。
ただ、母さんの顔を見つめる。
好きなもの、か。
前世では、僕は自分で働いて、自分の生活を作っていた。
でも今は違う。
何もできない赤ん坊の僕のために、両親が環境を整えてくれている。
それが少し不思議で、それ以上にありがたいことなのかもしれないと思った。
「まだ見せてないところもあるわね」
「そうだな」
父さんが笑う。
「じゃあ、もう少し行ってみようか」
そのまま抱かれて移動していく。
いくつかの部屋を見たあと、僕の視界に、それまでとは違うものが入ってきた。
水面だった。
「……?」
僕は思わず目を大きく開いた。
少し離れたところに、大きなプールがある。
水面が光を反射して、静かに揺れていた。
前世の僕が暮らしていた家には、もちろんこんなものはなかった。
というより、自宅にプールがある生活なんて考えたこともない。
驚いたせいか、腕や脚がいつもより少し大きく動いた。
「あら」
母さんが笑う。
「蓮、プールが気になるの?」
「まだ泳げないけどな」
父さんも楽しそうに僕を見る。
「来年くらいになったら、一緒に入れるかもしれないな」
「そうね。来年、もう少し大きくなったら一緒に入ろうね?」
母さんが優しく声をかけてくる。
来年。
今の僕には、その言葉が妙に遠く感じられた。
今は自分で首を動かすことすら、まだ思い通りにはならない。
まして歩くことなんて、ずっと先だ。
だけど、一年も経てば――。
今よりは、ずっと自由に身体を動かせるようになっているはずだ。
その頃には、本当にこのプールで遊べるのだろうか。
母さんや父さんと一緒に。
そう考えると、少しだけ楽しみになった。
僕はもう一度、プールを眺めた。
前世では経験したことのないような暮らし。
そして、これから経験することになる生活。
どうやら僕は、本当に恵まれた環境で二度目の人生を始めることになったらしい。
◇
その日の夜。
僕は自分の部屋で、ベビーベッドに寝かされていた。
まだ眠くはなかったので、目を開けたまま天井を眺めている。
しばらくすると、隣の部屋から両親の声が聞こえてきた。部屋には小さなベビーモニターが置かれている。
もちろん、僕のためというより、両親が別の部屋にいるときでも様子を確認できるようにするためのものだ。
しばらくすると、モニターから父さんと母さんの声が聞こえてきた。
「今日、家の中を見せてあげてよかったわね」
「ああ。蓮も結構、周りを見てたな」
……どうやら、僕の話をしているらしい。
僕はぼんやりと声に意識を向けた。
「そういえば……蓮のこれからのことも、少しずつ考えないとね」
「学校とか?」
「ええ。まだ先だけど」
学校。
その言葉を聞いて、僕は少しだけ意識を強くした。
「プリスクールにするか、もう少し家庭で見ていくか……その辺りも考えないとな」
「そうね。でも、まだ焦らなくていいと思うわ」
「俺もそう思う」
両親の声は落ち着いていた。
僕に聞かせるために話しているわけではない。
これから先のことを、夫婦で普通に話しているだけなのだろう。
「学校に入る頃には、いろんなことに興味を持つようになってるでしょうね」
「そうだな」
「勉強だけじゃなくて、スポーツでも音楽でも、本人がやりたいと思ったことを経験させてあげたいわ」
「うん。それがいい」
僕は静かに話を聞いていた。
勉強。
学校。
スポーツ。
音楽。
まだ生まれて一か月しか経っていない僕にとっては、どれも随分先の話だ。
「それと、日本語もちゃんと触れさせてあげたいわね」
「ああ。それは俺が教えられる」
父さんの声が少し嬉しそうになる。
「せっかく日本の文化にも触れられるんだからな」
「そうね。英語ができて、日本語も話せるようになったら素敵ね」
日本語。
その言葉に、僕は少しだけ複雑な気持ちになった。
僕にとって、日本語は前世から持ってきたものだ。
けれど、この両親にとっては、これから僕が身につけていくものなのだろう。
そして今の僕はアメリカで生まれ、アメリカで育っていく。
前世とは違う環境で。
「でも、最後は本人が決められるようにしてあげたいな」
父さんが言った。
「私もそう思う」
母さんもすぐに答えた。
「私たちができるのは、いろんな選択肢を用意してあげること。何を選ぶかは、蓮自身に任せたいわ」
「そうだな」
二人の会話を聞きながら、僕は天井を眺めていた。
僕のこれからについて話している。
まだ歩くこともできない。
言葉だって話せない。
それなのに、もう学校の話までしている。
少し気が早いような気もする。
でも――。
嫌な気分ではなかった。
前世では、僕が親として子どもの未来を考えていた。
それが今度は、自分自身が「これから育っていく子ども」の側にいる。
そう考えると、不思議な感覚だった。
そして、この一週間で少しずつ分かってきた。
ここが、これから僕が生きていく場所なのだ。
この家で。
この両親に育てられて。
少しずつ身体が成長して、できることが増えていく。
その先には学校があり、友達ができて、勉強をして、いろいろな経験をするのだろう。
まだ何一つ始まっていない。
それでも――。
僕の二度目の人生は、もう始まっている。
そう考えているうちに、モニターから聞こえていた両親の声が少しずつ遠くなっていった。
どうやら、眠くなってきたらしい。
僕はそのまま目を閉じる。
明日もまた、この家で一日が始まる。
そして僕は、少しずつ成長していく。
今度こそ――。
この人生を、自分の手で歩いていくために。