部屋にやってきたまなみを、僕はベッドに座らせた。すぐ左隣に裸のまなみがいる。それは分かっているのだが、なかなか言葉が出てこない。
そんな中、まなみが先に口を開いた。
「……あの」
その声に釣られて、僕はようやくまなみの方を向いた。まなみは暗い顔でうつむいている。しかし、そんな時だというのに僕の視線はまなみの胸へと向いてしまう。
僕は気を取り直し、ごまかすように話し始めた。
「どうしたの? 何かあった?」
「……」
「何か悩みがあるなら聞くけど。何でも言ってよ」
先ほどの反省はどこへやら。緊張して、ついついしゃべり過ぎてしまう。僕は慌てて口を押さえて黙り、まなみの言葉を待った。わずかの沈黙の後、まなみがチラリと僕の方を見た。
「……お願いがあるんだけど」
「うん」
僕が相槌を返すと、まなみはベッドに正座で座り直すと、まっすぐに僕を見つめた。
「さっき決めたルールを、増やしたい」
「え?」
僕は困惑した。まなみの意図がさっぱり分からなかったからだ。
あのルールは、「ご主人様と呼べ」とか「家の中では裸」のような、僕にとって都合のいいルールだ。まなみにとっては制約でしかなく、自らそれを増やす意味などまったくない。
「それで、足したいルールっていうのは」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
僕はどうしても我慢できず、割り込んでしまった。
「それは変だよ。あのルールは基本的に、まなみにとって嫌なもののはずじゃないか。それを、増やしたいだなんて」
僕の言っていることは間違っていない。そう思うのだが、まなみはゆっくりと首を横に振った。
「そうだけど、でも……不安なの! どうしても」
そう言うまなみの目には、うっすらと涙がにじんでいた。
もっと早く気づけばよかった。僕は自分の鈍さを悔いた。
少し考えれば分かることだった。
奴隷に堕ちたまなみにとって、考えられる中での人生の最高到達点は……僕の奴隷として生涯を終えること、だ。おそろしい話だが、まなみが僕以外の誰かの手に渡ったとして、今のこの生活を上回ることは多分無いと思う。
まなみは涙を手で拭う。
「ご主人様が想像以上に優しくて、最初は安心してたけど。でも、時間が経つにつれてどんどん不安になってきて……」
まなみの言うことは理解できる。今のまなみの生活は僕次第が過ぎる。僕がまなみを手放すと言ったらそれまでだし、その不安はどこまで行っても付きまとう。
もちろん、僕はまなみを手放す気なんてさらさら無いわけだけど、そんなことがまなみに分かるわけがない。いくら言葉を尽くして説明したところで、まなみは本当の意味で安心できないだろう。
「ちょっとでもご主人様のために動いた方がいいかなっていろいろやってみたけど、イマイチ反応薄いし……」
そこに関しては、完全に僕が悪い。まなみの様子をあれこれ邪推して、まなみの気遣いを素直に受け取らなかった。完全に裏目に出ている。僕はまなみに素直に頭を下げた。
「……ごめん」
「え? ち、違う、そうじゃないって」
まなみは慌てた仕草で、僕がベッドについた手に、手を重ねてきた。
僕は驚いて顔を上げた。まなみの綺麗な顔が目の前にある。思わずドギマギしてしまう。まなみは僕の目をまっすぐに見つめている。
「そういうすれ違いが起きないように、ちゃんとルールにしておきたいなってだけ」
「そういうことか」
まなみの言い分はよく理解できた。ルールとして、「まなみが僕に提供するもの」を決めておけば、お互いに迷いがない。勝手に気を利かせるのではなく、ルール化しようというのは合理的に思えた。
それで、と僕はまなみに尋ねた。
「どんなルールにする?」
「えっとね」
まなみはさらに僕に顔を寄せてきた。近すぎる。もう鼻と鼻が当たってもおかしくない。もしかしたらその前に、僕の腕にまなみの胸が当たってしまうかもしれない。
そんな心配をよそに、まなみは小声で言った。
「毎晩一回、ご主人様にご奉仕する、ってのはどう?」
「へ?」
僕は思わず固まった。ご奉仕って……思い浮かぶことは、あるにはある。しかし、そういうこと? 本当に? 僕は半信半疑だった。それに、毎晩ということは、夜ということで……夜にするご奉仕なんて、一つしかない。
困惑する僕に対して、まなみの表情は真剣そのものだ。
「ご主人様は、わたしとそういうことはしたくない?」
その言葉に、僕の心臓のドキドキが止まらなかった。全裸の女の子に迫られて、そんなことを言われて嬉しくない男はいない。僕は必死に見え過ぎないように慎重に言葉を返す。
「……めちゃくちゃしたい。したいけど、まなみは本当にそれでいいの?」
「ご主人様が喜んでくれるなら、がんばる」
そう言ってまなみは照れくさそうに笑った。思わず抱きしめたくなる衝動を必死に押しとどめながら、僕には思いついたことがあった。
「じゃ、じゃあ、僕からもう一つルール追加で」
「どんなルール?」
まなみは小さく首を傾げた。おそらく、今のまなみなら大抵のルールは受け入れてくれると思う。
でも、それではダメだと僕は思った。僕は『手引き』には従わない。従いたくないのだ。
「これまでのルールを守っている限り、僕はまなみを一生手放さない……ってルール」
「……え」
まなみの目は大きく見開かれた。僕の方に乗り出した身体を引いて、元の場所へと座る。
僕は今度こそ反省を生かして、黙ってまなみの反応を待つ。まなみは僕の表情を探るように見ながら、遠慮がちに聞いてきた。
「そんなルール決めちゃって、後悔しない?」
「後悔?」
僕はまなみの心配を笑い飛ばした。
「するわけないよ。まなみのような最高にかわいい女の子が、裸を見せてくれるだけでも大満足なのに。それでご奉仕までしてくれるなら、絶対に手放してなるものかって思うよ」
「……それは言い過ぎじゃない?」
「そんなことないよ」
僕の言ったことはもちろん本音だったが、まなみにもちゃんと伝わって欲しい。そう思って、僕は真剣な表情、真剣な口調を貫いた。
それを見て、少し分かってくれたのだろうか。まなみはフーッと大きく息を吐いた。
「……よかった」
僕もホッとしていた。僕の気持ちがすべて伝わったかどうかは、分からない。それでも、真剣な想いは多少なりとも通じたようだ。僕は念押しでもう一度だけ聞いてみた。
「どう、安心できた?」
「少しは」
まなみは短く答えた。しかしそうは言ったものの、先ほどとは打って変わって、ずいぶんとリラックスした様子だった。いつの間にか正座も崩している。その目にはもう涙はない。
実際のところ、このルール自体に強制力はまったくない。僕とまなみの間の、ただの口約束に過ぎない。しかし、まなみはこれを絶対のルールだと思っている節があるし、それでまなみが僕のことを信じてくれるのなら、悪くない。
心配事が解消して気分が軽くなった僕は、ベッドから勢いよく腰を上げた。これで、気持ちよく眠ることが出来る。「もう寝よう」と声を掛けるべく、僕はまなみの方に視線を送った。
「じゃあ、今日はこれで」
「早速、ご奉仕しよっか」
二人の言葉が、ちょうど重なった。