山形県のとある山間に位置する小さな村。
豪雪地帯で厳しい冬の時期を無事に過ごした後、至る所から山桜が咲き、それに伴い村民たちが春を祝う。
そうした風習があるとされる月山大井沢と呼ばれる地域に住む者たちの人数は、およそ八百人程度ではあるものの、老若男女問わず誰もが仲良く暮らしていることもあってか、豊かで平穏な地域として今でもなお顕在していた。
「うわぁあああ?!」
「にげろぉおおお!!」
が、その平穏な地域の下に、突如として世にも恐ろしい災いが降りかかる。
時刻は夜の21時ごろ。
所々に建てられている一軒家からは既に火の手が上がり、村民たちは藁にもすがる思いで必死に何かから逃げ続けていた。
「助けてくれぇえええ!!」
「嫌だぁあああ!!」
至る所から悲鳴が上がり、涙が零れ落ちる。
いったい何が起きたのかというと………必死の思いで逃げ惑う彼らを面白がるようにして追いかけ続ける謎の怪物たちが、その答えを物語っていたと言えよう。
能面のような容姿を兼ね備えている醜悪な化け物ども。
通称“黄泉醜鬼”たちが、何の音沙汰もなく突如として村の外れから数十体ほど出現した後に、彼らが住んでいた村を片っ端から襲い始めたのだ。
「は、早く!早くこっちに!!」
「畜生!!死にたくねぇよ!!」
阿鼻叫喚ともいえる惨状が次から次へと広がっていく。
既に村民たちの何人かは凶悪な怪物共によって食い千切られたか、あるいは嬲り殺されてしまったのか。
道端や田園地帯などに肉片や臓器物などが散乱しており、見るも無残な光景が広がっていた。
「魔防隊には連絡したのか!?」
「警察じゃ何の役にも立たねぇよ!!」
遡ること数十年前。
日本各地に突如として異界と通じる謎の門が出現し、そこから人々を襲う凶暴な怪物共が次々と入り込んでくるようになってしまった。
突発的に起こった出来事は瞬く間に甚大なる被害として大きな騒ぎと化したが、暫くして政府が異界の地での調査を進めていくうちに、食した者に異能力を与える資源となる “桃” を発見したことによって急ぎ人類は対抗策に打って出る事にした。
ところが、能力を得られるのは何故か女性のみで、男性は至って平凡のまま。
このため社会情勢は次第に女尊男卑へと転換し、いつしか男は生まれた時点でハードモードな人生を送る羽目になってしまうのだが、それはそれとして。
東京都と同じくらいの広さを誇る異界……通称“魔都”に生息している黄泉醜鬼たちの脅威は凄まじく、尚且つ桃を食した女性でないと倒すことが不可能等といった事案から早期解決に踏み出さなければならないと思い至ったのか。
後に日本政府が常時展開している魔都に通じる門を政府の管理下として置くと共に新たな組織を編成させるといった決断を下す。
“魔都防衛隊”………通称、魔防隊の組員は全て桃の力を得た女性のみで構成されており、主な任務としては醜鬼の討伐、門の見張り及び警備、魔都災害に遭遇した一般市民の救助の他、資源である桃をテロリストから守るといった役目を任されている。
「ひっ………!」
けれども、その肝心の部隊はまだ到着しておらず、被害は着実に増えていく一方となる。
唯一の戦力となる者たちが来ていない以上、村民たちに残された道はただ一つ。
何が何でも逃げ続ける……その選択肢しかなかったのだが―――
「ぎゃぁああああ!?」
現実は無常とも言うべきか、またしても悲痛とも言うべき叫び声が木霊する。
何とか走り続けながら生き延びようとするも、気つけばあっという間に回り込まれてしまい、奴らの餌食と化してしまう。
「ひっ!?」
そうした状況が続く中、両耳に耳飾りを着けている一人の幼き女の子が小さな悲鳴を上げた後に里道の上で思わずへたり込んでしまう。
遠くの方から焦げ臭いにおいが感じられる中、運悪く遭遇してしまった一匹の怪物に恐れ戦いてしまったのか。
次第に両目から涙を零し始める。
「や、ぁ……!」
巨体とも言うべき肉体の他、頭頂部には巨大な一本の角が生えている。
明らかに醜鬼の一体に間違いなかったものの、逃げようにも体のあちこちに何度も転んでしまった拍子に出来てしまった大きな擦り傷や強い打撲などがあるせいか、なかなか動けずにいた。
そんな女の子に対し、堂々と立ち尽くしていた魔物はというと獲物が動けないとみて好都合だと判断したのか。
ゆっくりと己の右手を近づけさせながらその女の子を握り潰そうとする。
(やだっ!……やだぁ!!)
抵抗する術がないため、どうすることもできない。
それ故に最早これまでだと感じ取ったのか。
迫りくる魔の手に対し、女の子は徐に瞼を閉ざす―――
――その子に手を出すんじゃねぇ!!――
「…………えっ?」
が、次の瞬間。
突然、誰かの声が耳元に届いてきたと共に大きな鈍い音が響き渡る。
同時に何かが吹っ飛ばされたかのような轟音が炸裂し……。
「きゃ!?」
直後、今度は強い震動が伝わってきたことから慌てて閉ざしていた瞼を開かせる。
すると其処には、先程とは打って変わった光景が広がっていたというべきか。
目の前に立っていたのは先の怪物などではなく……至る所にプロテクターが施されている特殊な黒いスーツに加え、黒いマフラーと仮面を身に纏っていた何者かの姿であった。
『大丈夫か?』
背丈が大きいその人物は、仮面越しに伝わってくる声質やスーツ越しに見受けられる体格等からして既に成人年齢を越している男性であることが窺えるが、そんな彼が少し離れた先で仰向けに倒れてしまったままピクリとも動かずにいる怪物を一見した後に、里道の上でへたり込んでしまっている女の子の方へと振り返るなり、そのまま目の前まで接近してから自身の片膝を地面に着かせるといった行動を取りながら女の子との目線を合わせる。
大方、怖がらせないようにするための措置だと思われるが……。
「ッ……」
『ん?……あぁ!これが怖いのか?』
微かに後ずさりをする反応を前にしてか、仮面の中で思わず苦笑いを零してしまう。
事実、女の子がそのような反応を示したのも無理もないと言えよう。
何故なら彼が被っている黒い仮面には、前面に頭蓋骨のデザインがこれでもかと施されていたのだ。
それに加え、全身の至る所に返り血らしきものが付着していたため、幼い子どもからすれば不気味で怖いイメージしかなく、怯えてしまうのも致し方ないと言えよう。
『すまん、すまん!悪かった!これならどうだ?』
故に、急ぎ両手を合わせてから何度も謝罪した後に、女の子の目の前で自身が被っている黒い仮面に手を掛ける。
すると何かしらの装置を起動させたのか、途端に仮面の一部から排気音と共に微かな空気が吐き出される。
でもって慣れた手つきでその仮面を外すや否や……中から現れたのは黒味が掛かった茶髪に短めの顎髭を生やした男前の顔立ちであった。
「ほら。これなら怖くないだろ?」
「………」
「心配すんな。俺は、君の味方だからな」
微笑ましい限りの笑みを浮かばせながら安心させる。
それが功を制したのか、女の子の周りに張りつめていた空気が徐々に和らいでいき、次第に安堵が芽生え始めていく。
加えて、ある程度の落ち着きを取り戻せたおかげなのか、自ずと彼女の口から言葉が漏れ出す。
「……お……おじさんは……誰なの?」
「俺か?俺は……そうだな。さしずめ通りすがりのダークヒーロー……ってところかな?」
女の子からの質問に対し、仮面を外した彼がそれとなく答えた瞬間―――
「おい、ハヤト。そんな所で何やってんだ?」
突然、第三者の声が二人の下に届く。
無論、声がした方向に二人が揃って振り向いてみた所……其処に居たのは、厳つい風貌で短めの灰色の髪に無精髭を生やしている強面に加え、巨漢ともいえる体格に2m近くの身長を誇る大柄の男が堂々と立ち尽くしていた。
そのうえ上から下にかけて黒っぽい服装にコートを羽織っているだけでなく、彼と同様に返り血を浴びてしまっているせいか、余計に威圧感が醸し出されている事から女の子がまたしても怯えるような素振りを取ってしまう。
「あぁ、怖がらなくても大丈夫だ。あいつは俺のお友達さ」
「お……お友達……なの?」
それ故に怖がらなくても大丈夫だと、骸骨の仮面を抱え込んでいる彼が優しく話しかける。
「あぁ、そうさ。それはそうと、ジョージ。そっちの方は片付いたのか?」
「まぁな。こっちの方は何とか済んだぜ」
「……被害の方はどうだった?」
「何人かは、やられちまってはいたが……それでも俺が把握した限りじゃあ精々数人程度って所だな」
残念ながら息を引き取ってしまった者たちが居る。
また、なかには原型が分からないほど損傷が激しかった者も居たという。
そうした報告を友人から聞かされたからなのか、彼が自ずと歯を食いしばるなり、眉間に皺を寄せる。
「そうか……」
「……そう気ぃ落とすな。俺たちが此処に駆けつけた頃には既に火の手が上がっていたんだからよ」
「……まぁな。ところで芳夫の方は?」
「あいつも、そろそろ終わってる頃なんじゃねぇのか?……ん?」
彼の質問に対し、友人となる大男が答えたその瞬間―――
――ウゥォォオオオオウゥゥゥ!!――
何処からともなく獣の鳴き声が響き渡る。
「ッ……お、狼……?」
テレビでしか聞いたことがない獣の鳴き声が女の子の耳元に届く。
咄嗟的に狼だと感じ取ったが、この村の周辺に狼が棲みついているという噂は今までに一度も聞いたことがなく、ましてや姿形すら見たことがない。
であれば、いったい何なのかと戸惑う中、ふと傍らに居た彼らが呟く。
「向こうも終わったみたいだな」
「だな……ん?」
と、ここでジョージと呼ばれた大柄の男が何かの気配を感じ取る。
「……おい、ハヤト。てめぇ、仕留め損なったのか?」
「ん?」
意味深な発言に対し、どういうことなのかと問い質そうとした、その時―――
「……おいおい、随分と頑丈な奴だな」
先程まで仰向けに倒れていた怪物が、途端に唸り声を漏らし始めたかと思いきや、そのままゆっくりと体を起こし始めていく。
どうやら辛うじて生き延びていたようだ。
「今まで通りに殴ったつもりだったんだがな………どうやら、あいつは他の醜鬼とは少し違うみたいだな」
「らしぃな。てめぇに殴られた跡が残ってるくせに、まだ生きてやがる」
特徴的であった一本角は、彼に殴られてしまった際に無残にも砕かれてしまったのか。
姿形が何処にも見当たらず、ましてや拳の跡がめり込んだままの状態で残っているにも関わらず、何とかして起き上がろうとする様は正に執念というべきか、かなりのしぶとさが見て取れる。
「ひっ!?……」
無論、そんな様子を目の当たりにしてしまったせいか。
尻もちをついていた女の子が、自ずと目の前に居る彼のスーツの一部を掴みながら肩を震わせ始めると……。
「……大丈夫だ」
それに気づいた彼が、改めて女の子との視線を交わした後に軽く笑みを零す。
「あいつは俺がやっつけてやるからな」
抱え込んでいる黒い仮面を改めて被ってから何かを押す。
すると仮面の一部から何かしらの起動音が発せられたと共に、装着が完了したかのような合図が鳴る。
でもって、ズレが無いかを確かめるために再び仮面を触りながら軽く動かした後に、目の前にいる女の子の頭を優しく撫でていく。
『だから君は此処に居てくれ。いいな?』
「……うん……」
あの怪物を倒す……そう宣言した彼の言葉に対し、女の子は首を縦に振るなり、掴んでいたスーツを離す。
それにより腰を起こした彼はというと、今一度唸り声を漏らしている怪物と相対するために身体を向かい合わせる。
その際、敵となる怪物はというと殴られたことに対する怒りが沸いてきているのか。
やっとの思いで起き上がった直後に如何にも憤慨していると言わんばかりの態度を取り始めたものの、それを見た彼が、お前が腹を立てるのは筋違いだと感じたのか。
徐に、一歩前に足を踏み出してから口を開く。
『来いよ、クソ野郎』
その一言が発せられた瞬間、双方共に飛び出すようにして一気に駆け出す。
雄叫びの如く声を上げながら鋭い牙を見せびらかす怪物が、剛腕ともいえる四肢の一部を振りかざしながら殴りかかろうとする行為に対し、全身黒づくめの彼はというと左拳を腰元に添えてから身を低くさせていく。
やがてお互いの距離が目と鼻の先まで到達した矢先に、凶暴な化け物の拳が一気に振り下ろされてしまうが―――
『ふんっ!!』
間一髪のところで躱してから懐に潜り込んだ彼が、勢いそのままに相手の腹部を目掛けて下から思いっきり殴りつける。
とどのつまり、アッパーをかましたのだが物凄い衝撃音と共に手首が見えなくなるほどの力強さでめり込ませた結果、真面に喰らってしまった醜鬼はというと嗚咽するかの如く口から涎を吐き出す。
『ッ!』
見事に一発かました彼であったが、当然ながらそれで終わるはずがなかった。
続けざまに相手のみぞおちを狙ってストレートを放ち、間髪入れずに肝臓や腎臓辺りをフックやジャブなどの攻撃を放つ。
体格差があるにも関わらず、彼は一発二発では止めるには至らず、ものの数十秒足らずで何十発という殴打を浴びせていき、終いには敵の巨体が浮いてしまうほどの打撃をし続けた所で……。
『おらぁ!!』
敵の腹部に目掛けて重い一撃を放つ。
無論、がら空きとなっていた箇所を手加減することなく殴ったことにより、歪な鳴き声が耳元に届いてきたものの、特に気にすることなくより一層力を込める。
すると、たちまち目の前に居る化け物が軽々と宙を舞ってしまい、ほんの僅かな浮遊感に襲われる。
『ッ!』
その隙を逃さないと考えたのか。
自身の足腰に力を込めた彼が、その場から勢いよく跳躍し、宙を舞っている怪物の後を追う。
その跳躍力は常人を遥かに上回るほどの高さまで飛んでいき、気づけばあっという間に敵の真横まで到達し―――
『どりゃ!!』
そのまま自身の体を回転させてから相手の胴体に目掛けて強力な回し蹴りを放つ。
同時に鈍い打撃音が空中に響き渡ると共に、蹴りを入れられてしまった醜鬼はというと、成すが儘に蹴り飛ばされてしまっただけでなく、重力に従いながらどんどん地上へと落下していき……。
『っと』
最終的には田園地帯の一部に墜落してしまったのか。
軽い地震が発生したと同時に、土や泥水の飛沫などが豪快に舞い上がってしまう。
その間、驚異の跳躍力で宙を舞っていた彼はというと見事な着地を披露させた後に、足腰を起こしてから軽く体を解し始める。
「……す……凄い………」
そんな彼の振る舞いに思わず感服してしまったのか、戦いの様子を見届けていた女の子の口から感想が漏れだす。
一方で彼に蹴り飛ばされてしまった醜鬼はというと、またしても攻撃を受けてしまったことに対する怒りが激しく燃え始めてきたのか。
最早、我慢の限界だと言わんばかりに体を起こすなり、勢いよく地面を叩きつける。
『………』
その様子から憤慨していると察した彼であったが、特に気にすることなく頻りに拳を鳴らしながら相手の姿を見据える。
と、次の瞬間。
自身の巨体を起こした敵の醜鬼が辺りを見回しながら彼の姿を確認するなり、今度こそ完膚なきまでに潰してやると言わんばかりの咆哮を上げた後に、その場から一気に駆け出すと同時に、徐々にスピードを上昇させ始めていく。
恐らく突進のつもりなのかもしれないが、敢えて受けて立つことにしたのか。
『ッ』
相手をしてやるとばかりに彼もまた勢いよく駆け出す。
それにより、またしても双方の距離が縮まっていく事となるが、その間にも彼は只静かに己の力を一点に集中させながら狙いを定めつつ、敵を確実に仕留めるためのチャンスが来るのを待つ。
やがて、ぶつかり合いが起きそうになった瞬間―――
『フンッ!!』
彼の左拳が勢いよく放たれる。
『………』
豪快な破裂音が響き渡り、やがて静寂という名の空気が流れ始める。
それでもって彼が放った左拳の先には、目の前に立っている醜鬼の左胸を大きく刳り貫かせたかの如く、巨大な空洞が広がっていた。
その空洞は完全に怪物の肉体の一部を貫通させていたほか、大量の出血や臓器物などが飛散していた等から、それが決定的な致命傷となってしまったのか。
微動だにせぬまま立ち尽くしていた怪物が、次第に力なく前のめりに彼の隣へと倒れ込んでしまい、そのまま息を吹き返すことなく事切れてしまう。
『ふぅ……』
うつ伏せに倒れたまま息を引き取ってしまった怪物の肉体が、次第に塵と化していく。
そうした最期を目視で確認した彼はというと、仮面越しに一息ついてから背筋を伸ばしつつ、夜空に浮かんでいる輝かしい限りの満月を暫し見物する。
その姿は、まるで勝利の余韻に浸っているかのような佇まいでもあった。