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長野県内にある猟銃店、舟久保鉄砲店。
既に深夜とも言える時間。営業を終え、独特のオイルと金属の匂いが漂う静まりかえった店舗とは対照的に、その日の居住スペースには微かな花の香りが漂い、キャッキャとはしゃぐ女子の声が華やかに響いていた。
「真希ちゃん!あのシャンプー良い匂いでした!しかも丁寧に乾かしてくれたおかげでサラサラ艶々…それどこのオイルですか?至れり尽くせりで申し訳ないです」
パジャマ姿の夢主がはしゃいだ様子で振り返る。
「アレはとっておきのシャンプーなの。このオイルも最近行きつけの美容室で買っててね?特別だよ?ふふっ」
「綺麗にしてもらった上に猟銃の件も遅くまで相談に乗ってもらえて…はぁ…お泊まり会最高です」
店主の娘であり、夢主より少し年上の舟久保真希は、頼もしさと柔らかさを併せ持ったお姉さんらしい微笑みを浮かべながら、美しく仕上がった夢主の髪を満足げに優しく梳かす。
「夢主ちゃん、初任給で猟銃をプレゼントしたいだなんて……ネクタイとかでも良かったんじゃないのかな?」
大学四年生の夢主は、来春からの社会人生活を見据えながら、真面目な顔で頷いた。
「いえ、最近のパパは特に猟銃を磨くのに時間をかけてて…なんだか前より熱心なんですよ。好きなものを用意してあげたいじゃないですか?」
「うーん……………まぁ貴方が良いなら……」
苦笑しつつも、真希は夢主の純粋な親孝行心に感心したように頷く。
「夢主ちゃんのパパさんにはいつもご贔屓いただいて、好みも癖も把握してるからね。やっぱりさっき見せたのがとっておきかな?ちょっとお値段が張っちゃうけど」
「そうですよねぇ…」
「どうしてもねぇ…」
2人して首をひねって唸る。
「まぁ実際に就職してからのお話ですから、もうちょっと先の話です。一応手が届くって事だけでも知れたから良かった。パパに奮発する分、ママには初任給はコスメセットで手を打ってもらって……初ボーナスの時にブランド鞄で埋め合わせさせてもらいます!」
「わぁ!予定がいっぱい!頑張らないとね!」
「そうなんです。バリバリ稼がないと!」
夢主がグッとおどけて力強くファイティングポーズを見せると、真希も大げさに抱きしめてよしよしと頭を撫でた。顔を見合わせてクスクスと笑い合う。
「それより真希ちゃん、猟銃選びのアドバイスのお礼に渡したいものがあるんだけど…」
「お礼なんて!そんな……いいのに……」
「今回はお祝いもかねてだよ!ラブラブなんでしょ?彼氏さんと!2人で使ってもらおうと思って色々調べたから、活用して貰えたらうれしいなって………」
「え……なにかな?お揃いのものとか?」
「ふふふっ!まだ彼氏さんのことは内緒にしてるって言ってたからおじさんのいないところでこっそり渡したくて……」
夢主が嬉しそうに語り出そうとしたその時、部屋の奥から店主である真希の父親の声が響いた。
「おーい、真希、すまんが猟銃の弾の在庫を見てきてくれないか?数が揃ってたか忘れちまったんだ」
「はーい、ちょっといってくるね?」
「あ、私も一緒に行きます!……プレゼント、ちょっと重たいから下駄箱のとこに置いてあるんです…こっそり一緒に行きましょう」
二人連れ立って炬燵から抜け出し、真希が先頭に立って扉に手をかけた、まさにその瞬間だった。微かなパリンという物音が店内からした。
「え……なんだろ?」
「あ、真希ちゃん待って…」
咄嗟に小声で夢主が止めようと手を伸ばしたが、間に合わなかった。
真希が店内に通じる扉を開けると店内の猟銃を漁っている2人組の侵入者と目が合ってしまった。
「ちっ女が2人…殺すか?」
「まて!やめろ!武器を手に入れるだけの筈だろ!」
「どけっ!顔見られてんだよ!」
1人が猟銃を構え、もう1人ともめる殺気立った声に室内が一瞬で凍りつく。構えられた銃の先で、夢主が顔をしかめながらゆっくりと首を傾げた。
「泥棒に…殺人未遂?…不道徳ですね…嫌だなぁ…」
「きゃあああああああ!」
ボソリと呟かれたその言葉に反応し、大きな叫び声を上げた真希に強盗犯の意識が向けられる。
その瞬間
真希の身体を容赦なくカウンター下へ蹴り飛ばした夢主が、反動を利用して瞬時に下駄箱に飛びついた。
「不法侵入は確定です!……くらえ!正当防衛!」
下駄箱の下から引っ張り出した巨大な紙袋を破り、細長いボトルの束のキャップをひねると力任せに投げつける。
びちゃびちゃびちゃっ!
「うわぁ!何だ!」
「ぎゃあ!?」
派手な音とともに撒き散らされたのは、ありとあらゆる粘度の液体。顔面から謎の液体を浴びた強盗犯は怯み、その弾みで握り込んだ猟銃が棚に向かって暴発する。
ドンっ!チュン――キンっ――
跳弾の音に咄嗟に屈んだ勢いのまま、二人の強盗犯はまるで氷の上に乗ったかのようにズルッと盛大に体勢を崩すと、派手な音を立てて床に激突した。間髪入れず更に粘液とボトルが襲いかかる。足掻こうとすればするほど滑って、起き上がることすらできない。
そこへ次から次へとボトルを追加する夢主は、さらに手の届く範囲にあった工具箱など手当たり次第に物をひっつかんでは投げながらカウンター下に大声で呼びかけた。
「真希ちゃん!警察呼んでください!」
「今非常ボタンを押したから!」
うずくまる強盗犯の顔面すれすれの床にーダンッ!と鉈が突き刺さる。
「ぎゃぁ!何で工具箱に鉈が!やめてくれ!」
「ぶへっ…畜生!滑って立てねぇ!どけよ!ブッパ!」
正に阿鼻叫喚のさなか、居住スペースの奥からバタバタと真希の父親が刺股構えて駆けつけ、強盗は取り押さえられた。
数十分後。
現場に到着した長野県警の捜査員たちは、かつてない気まずさと混沌に包まれていた。
床には、大量の粘液とコンドームにまみれた強盗犯が情けなく転がっている。捜査員によって手錠をかけられてはいるが、あまりに規格外な量の粘液にまみれているため連行に手間取っているのだ。その周りには『超ヌルヌル』『温感』『高粘度』といった文字が踊る細長いボトルが大量に転がっており、現場検証に入る捜査員全員が、一体どこに目線を置くべきなのか分からず、お互いに気まずげにチラチラと目配せし合っていた。
そんな地獄のような現場で、諸伏高明は深くため息をつきながら長野県警捜査一課の警部補として夢主に向き合っていた。
「夢主さん……まずはご無事で何よりです」
「はい、ちょっと足はひねってしまったんですけど…」
「よくオリンピック強化選手の身体をあそこまで躊躇なく蹴れたよね…鍛えてなかったら怪我してたよ…」
「ごめんね?真希ちゃん。痕になってない?」
真希が脇腹をさするのを、夢主が横で気遣わしげに見つめる。
「猟銃を持った強盗相手に奇跡的ですね…………この大量の粘液は……………」
「ローションです」
「………………………こんなに大量のローションをどうしたんですか?」
高明の眉間にかすかに皺が寄る。夢主はどこか困り果てたような、残念そうな顔で口を開いた。
「真希ちゃんにあげようと思って。真希ちゃんと彼氏がラブラブだって聞いたから、2人で使えるものをプレゼントしたかったんです」
「…………2人で使えるもの…………」
言葉を失う高明の横で、顔を真っ赤にした真希が悲鳴を上げた。
「……なっ…プレゼントって…コレ……夢主ちゃん!?」
「身につけるものは相手の方の好みがありますし、じゃあ消耗品のがいいかなって。だからファンシーな避妊具とローションの詰め合わせを用意したんです。いろいろ調べたら、ホットローションとかさらさらタイプとか粘度高めのとか、迷っちゃって………セットで買うと送料もお得だったのでつい多めに……真希ちゃん、私の誕生日にスポーツブランドの靴を買ってくれたんです。だから私のプレゼント予算もそれくらいで用意してて…運ぶのも重かったし…単発のアルバイトもそれなりに頑張ったんですけど…」
夢主は渡せなかったことが悲しいのか、急にしょんぼりとする。
「え……私とお揃いの靴のこと?ローションとコンドームをあの金額分買ったの!?」
「成程……その結果がこの量に……」
そう呟いた高明の後ろでは、簡単な在庫確認を終えた店主の舟久保英三が戸惑った様子で何度も腕を組み替えながら所在なさげに周囲を見回している。
「あー…真希……お前、彼氏が…いるのか……?こういった物を使う相手が……?」
父親からのどこか気まずげな掠れた問いに、真希は必死で首を振る。
「お父さん!い、いるけど!?ちが!…こんなっ大量のっ…これは私のじゃなくて夢主ちゃんが勝手に!…」
「え!?避妊具とか使ってないんですか!ダメですよ!そんな不誠実な相手なら真希ちゃんを預けられません!?」
「篤信さんはそんな不誠実な人じゃ!いつも使ってくれて……っ!」
うっかり墓穴を掘って自爆した真希のなんとも形容しがたい叫びが店内に響き渡る。
あまりの混沌ぶりに、呆れきった目をした大和敢助が頭をボリボリとかきながら近づいてきた。
「おい、コウメイ。一応こいつも被害者にあたる。お前は婚約者だろ………身内になるから現場から外れとけ」
「…………はい」
高明は静かに周りに頭を下げ、夢主を現場の少し外へ連れ出した。舟久保真希が気の毒だったからだ。
「ひとまず、病院で足の診断書を取りましょう。警察車両に乗ってください。……付き添いに身内以外の警官を手配しますから、車内で待っていなさい」
「分かりました。…あ、甲斐さん!お久しぶりです!」
「おう、夢主。お前お手柄だったそうだな。親父さんは元気にしてるか?」
「それがあまり元気じゃないんです。どうしちゃったんですかね?ちょっと気がかりで……」
「そうなのか?うーん……今度俺も飲みに誘ってみるか…おいおい、しょぼくれるなよ」
しょんぼりする夢主の頭をいささか乱暴に甲斐が撫でる。
「甲斐巡査、彼女は足をひねっていますから。診断書を取るのに顔見知りでない方に付き添いを願いたいのですが…」
「そらぁ難しいなぁ…とりあえず俺じゃあない方がいいと思うが…」
「探してきます………」
甲斐巡査に夢主を預け、高明は現場の別の巡査に声をかけた。出来るだけ自分と関係の浅い、同伴出来る警察官を呼んでもらう。しかし、これで平和が訪れるわけではなかった。
事件の被害者である夢主が、高明の婚約者であると広く伝わってゆくにつれ現場の空気が微妙などよめきと戸惑いに包まれる。付き添いが決まるのを待つ間、現場鑑識を進める同僚たちのひそひそ話が、風に乗って容赦なく高明の耳へも届いた。
「え?何?あのローションの女の子、諸伏くんの婚約者なの?」
「えぇ…あんなにコンドームとローション用意してた子が?意外……」
「もしかして……諸伏くんの趣味?なのかな………?」
「マジで?……ローションマニアかぁ……………」
同僚たちの生暖かい誤解を含んだ視線が高明の背中に刺さるようだった。不本意を隠さない表情で立っていると所轄の中堅の警官が恐る恐る近寄ってくる。
「諸伏警部補……被害者の方には私が付き添いますので」
「あぁ……よろしくお願いします。あちらの車両です」
(ローションマニア……………いや…内に省みて疚しからずんば、夫れ何をか憂へ何をか懼れん。……人知らずして慍らず、亦君子ならずや。…これは決して夢主さんに悪気があったわけではなく、むしろお手柄…功績であって………人の誤解など、命に関わる怪我で無かったことに比べれば、大した事ではない筈…そう…私はこの山々のように…動じず、泰然と……………)
グッと奥歯を噛みしめた高明はそっと胃のあたりを押さえ、遠い目をして長野の山々を見上げると、冷たい風を避けるように自らの愛車に乗り込んだ。