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「ねぇ景光くん。どうして高明お兄ちゃんはエッチしてくれないんだろう?」
「………っ、ゲホッ!?」
高校の制服姿でさらりと爆弾投下した夢主に、景光は飲んでいたサイダーを盛大に咽せ返した。
「どうして部屋に連れ込んでくれないんだろう?……今日はチャンスだと思うんだけど」
「あのさぁ…父さん母さんは不在だけど、僕も住んでるからね?」
布巾でテーブルを拭きながら景光が応える。
両親は商店街のくじ引きで当たった温泉旅行に出かけており、景光と夢主の2人だけのリビングで課題を片付けていた。
「毎回あんなにエッチしようって誘ってるのに……」
「えぇ……。あー……。ウ~ン、それは兄さんも大人だし、君のことを大事に思えばこそ、理性的であろうとしているというか……」
東都大学を卒業した高明は、長野に帰ってきて警察官になった。
今日、その兄は、留守番する事になった景光の様子見に、外泊届けを出して泊まりに来る予定なのだ。一緒に帰宅を待つ間の会話がコレなのだから始末に負えない。
両親が数日、泊まりで不在なのは確かだが、相変わらずこの幼馴染みは変な方向に思考の舵を切っている。
「あまりあからさまに口に出すのは止めといた方が…」
「でも、男の子ってエッチ大好きなんでしょ?」
納得がいかないとばかりに、夢主は一冊のルーズリーフを取り出した。そこには、整理された集計グラフの数々が踊っている。
「昨日、クラスの男子に口頭アンケートを取ったんです。『エッチな事は好きですか?』って。そしたら『好き』若しくは『大好き』って解答した人は9割超えだったんだよ?」
「……なんてアンケート取ってるの!?学校で!?しかも女子から男子に!?口頭で!?」
景光の絶叫が響く。思春期の男子達が近隣で有名な美少女である夢主にそんな質問をされ、緩んだ顔で「はい」と回答する光景が容易に想像できてしまった景光は目眩を覚えた。しかし夢主の追求はそこで止まらなかった。
「夢主、一人でちょっと遠い学校に行ったと思ったらなんて事してるの!?目が届かないからって無茶苦茶なことしないで!?」
「ねぇ、景光くんはどうなの?『大好き、好き、普通、あまり好まない、気にしたことがない』の5つの選択肢を用意してるんだけど」
澄んだ瞳で見つめられ、あろうことか『五段階評価』を迫られる景光。夢主と家族同然に育ってきた彼にとって、これほど答えに窮する質問はなかった。
「……やめよう?そういうの。…っていうか、選択肢の作り方が生々しいよ…」
「更にね?『私はその対象に入りますか?』って質問には『強くそう思う』って回答した人の割合がコレで……」
「………!?」
景光の眼前にクラスの結構な割合の男子達が夢主を邪な目で見ているという最悪な事実が突きつけられる。これは最早アンケートの体を装った男子生徒への挑発とセクハラである。
「世の中の男の子が、これだけの割合で私としたいって言ってるのに。どうして高明お兄ちゃんだけは、私のこと無視するのかな………」
「無視なんてしてないよ!兄さんだってきっとその『強くそう思う』の筆頭なんだから!」
思わず口を滑らせた景光は、慌てて自分の口を押さえた。
その時
「……成程?その『統計結果』詳しく聞かせてもらいましょうか?」
背後に音もなく、そして冷ややかな殺気を纏った『現役警察官』が立っていた。
「………あ……兄さん」
「高明お兄ちゃん、おかえり!」
高明の瞳は、かつてないほどの静かな怒りと、ずっと押さえ込んできた今はまだ形のはっきりしない感情が複雑に混ざり合い妖しく揺らめいていた。
「……夢主さん。この回答者達の氏名及び住所を詳しく……指導が必要です」
「アンケートは無記名回答だよ?センシティブな話題だから気を遣わないと」
高明の放つ冷ややかな空気がリビングを支配する中、夢主はどこか誇らしげに自作の統計ノートを撫でる。
「………気遣いの方向性が、致命的に間違っています」
高明の声は地を這うように低かった。切れ長の瞳が鋭く夢主を射抜いている。だが夢主はそれを気にする様子もなく深く思案するように続けた。
「やっぱり、もっと学年を超えて調査するべきかな?人数が多い方が統計としての正確性も上がるし………。そうだ!職員室も含めて明日早速、追加調査を………」
―――バンッ!!
乾いた衝撃音がリビングの空気を切り裂いた。
高明が、広げられたノートごと、力任せにテーブルを手で叩きつけたのだ。
「…っ!」
夢主が肩を跳ね上げ、言葉を失う。
いつも冷静沈着で、感情を論理の裏側に隠し通す高明が、これほどまでに剥き出しの動作を見せることなど、かつて一度もなかった。
「………いけません」
高明はテーブルに手を突いたまま、ゆっくりと顔を上げた。前髪の隙間から覗く瞳は、もはや近所の優しい兄でも、冷静な警察官でもない。1人の独占欲に駆られた男の熱を帯びていた。
「これ以上の拡散は断じて許可できません。……夢主さん。あなたは今、自分がどれほどの火種を学校という密閉空間に放り込もうとしているのか、理解できていますか?」
「え、でも、正確なデータが……」
「職員室を対象に含めるなど、正気の沙汰ではない。……あなたに群がろうとする有象無象の視線を、私がこれ以上、看過出来ると思わないでいただきたい」
高明の指先がノートを力強く、歪むほどに掴み取る。
「この『統計資料』は私が押収します……追加調査は必要ありません」
「?何でいけないんですか?」
「!?夢主ちゃんやめな…っ!」
景光が慌てて間に入る。
高明がテーブルを叩いた衝撃の余韻が残るなか、夢主は脅えるどころか、不思議そうに首をかしげて高明を見つめた。その瞳には一点の曇りもなく、純粋な探究心だけが宿っている。
「ちゃんと信憑性のある情報を使って動きなさいって高明お兄ちゃんが言ってたから………。だから私、頑張ってサンプル数を増やそうと思ったのに。ダメでしたか…?」
眉を下げ、しょぼんと肩を落とす夢主。その姿は先生の言う通りにしたのに理不尽に叱られ困って落ち込む生徒そのものであった。
「………。」
高明は返す言葉を失い、米神を押さえた。
確かに高明は教えた。感情に流されず、事実に基づき、客観的な根拠を見つけろと。しかしまさかそれが「自分の性的魅力」についての統計データ収集に繋がるとは想像だにしていなかったのだ。
「独学なのがダメだったんですか?…うーんよし…決めました!大学は統計学を学べるところを選びます」
「夢主ちゃん、そうじゃないよ。根本的に方向性が違うんだって……」
景光が引きつった笑いを返す。一方、高明は「大学」という単語を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。
「大学……。あなた、どちらの大学に行くつもりですか?まさかその、他者の欲求を無自覚に煽る言動のまま、遠方で一人暮らしなどと言い出しませんよね?」
「え?まだ決めてませんけど、折角なので出来たら東都に出ようかと思ってます」
「却下です。許可できません。」
東都……かつて高明も過ごし、今は離れた地。
高明の脳裏に、夢主がキャンパスで無防備な笑顔で今回のようなアンケートを振りまく地獄絵図が、鮮明な高解像度でありありと浮かび上がった。
「夢主ちゃん…おじさんとおばさんはなんて言ってる?」
「ちらっとは話したんですけど、反対されてますねぇ」
「だろうねぇ……僕も心配…」
「何が?」
「………何が?……何だろうねぇ……うーん…」
「………夢主さん、私と正式にお付き合いしましょう」
その言葉は重く、静かな響きがあった。
「え、良いんですか!?」
「はい。……ただし、単なる交際ではありません。私と正式に婚約をして、お付き合いいたしましょう」
「やったー!エッチできますか?」
「夢主ちゃんやめて……生々しいんだって…」
景光が遠い目で呟くも、浮かれた様子の夢主には響いていない。高明は表情をピクリとも動かさず、至極冷静なトーンで言い放った。
「出来ません」
「え!でも……」
「あなたは今、高校生です。また、大学に行っても勉学が優先です」
食い下がろうとする夢主を、高明は鋼のような意思を込めた言葉で遮る。
「……いいですか?婚約とは契約です。将来の婚姻の…あなたが人として成長し、勉学を修めご両親から自立した際、お互いに気持ちが伴っていた場合に届けを出すという事の誓約だと思ってください。なのでそれまでは心身を清く保ち、勉学に専念するのが筋というもの。また、現時点で希望の大学が具体的に無いのでしたら…勉学に集中するためにもご実家から通える範囲内で選ぶことを望みます。それが条件です」
「勉学……はい!わかりました。勉強を頑張ります!」
高明の真意など露知らず、『婚約』という言葉の響きに満足した夢主は、晴れやかな笑顔で頷いた。『婚約者』という立場を得ることで人生に介入し、『勉学』という口実で行動を戒める。それでこの奔放な振る舞いが修まるかは未知数だ。
しかしそれが、高明が選んだ一手だった。
「…ついに夢主ちゃんが僕の義姉さん確定かぁ…」
景光が呆然と呟く横で
高明は自身の跳ねる鼓動を押し殺していた