窓から差し込む朝日が、乱れたシーツと二人の肌を白く照らす寝室。
規則的なリズムに意識を引き戻された高明が、ゆっくりと目を開けた。枕に両肘をついた夢主が、携帯をいじっている。
タタタっタタ
難しい顔をして書いては消し書いては消しとしているようで、細い指が何度も止まり、迷うように携帯の上を滑るのを眺める。高明が起きたことには気がついていないようだ。
(昨夜は結局、戻ってきた夢主さんを抱いて…あぁ今日は非番か…)
高明は彼女の腰を背後から抱き寄せ、その肩に額を寄せると、寝起きの低く掠れた声で問いかけた。
「……夢主さん。朝から、一体何をなさってるんですか」
「高明お兄ちゃん…あのね…よく考えたら、パパが何度も見返すほど気に入ってるDVDを悪く言ったの良くなかったなって思って」
「…………」
「高明お兄ちゃんはダメって言ったけど…せめて
『パパはああいうのが好きなのに、好みじゃないって言ってごめんね><友達にもちゃんと解説したら面白さが伝わったみたいで、なんだかんだ盛り上がったよ!パパのおかげ!ありがと♡』
ってフォローのメールを送りたいんだけど……軽すぎるかなって文面で迷ってて……特に最後のハートを付けるかどうかとか……」
「やめなさい」
高明は画面を手で覆うようにしてシーツに下ろさせる。一気に頭が冷え、急激に脳が覚醒したせいで軽い頭痛がする。
「忘れなさいと言ったはずです」
「でも……」
「よりによって友達とあのDVDについて盛り上がったなどと……それは、親として、1人の男としての尊厳を、徹底的に破壊し、更地にする行為に等しい。……本当に止めてください」
「更地…………」
「ここ……友達とぼかしてらっしゃる理由は?」
高明はメールの文面をトントンと指で示す。自分の名前を出さないのは、心の奥底ではまずいことだと理解しているのではないかという淡い期待からだった。
「高明お兄ちゃんに趣味のものを拒否されたって知ったらパパはショックかなって……いつも若いながらに尊敬してる、見習いたいっていってたから………」
「…別にお義父さまを否定したわけではないんですよ…」
全く期待とは違った答えに顔を覆った高明は、なんとも言えないうなり声を低く漏らす。義父の顔が浮かび、少なくないダメージを負った。相変わらず妙なところで繊細な気遣いをみせる夢主がシュンとしているのが視界の端に映り、ゆっくり顔を上げる。
何度目か分からないが、高明は夢主と目を合わせしっかりと念を押した。
「……夢主さん。あの資料については全て記憶から消し去りなさい。フォローなどと言って蒸し返すものではない。むしろ、その存在自体がこの世になかったかのように振る舞うことこそが、娘としての、そして人間としての最大の慈悲です」
「無かったように振る舞う…でもやっぱり不自然じゃないですか?」
「…………忘れるんですよ?良いですね」
どこか納得のいっていない困った顔をする夢主に、高明もどう説得したものか考えあぐね、じっと黙って見つめていると、電子音が鳴った。
ピコン♪
「何の返信です?………まさかもう送ったんですか?」
「いえ?鳴ったの高明お兄ちゃんの携帯だよ?」
高明は自分の携帯を確認してホッと息をついた。心臓に悪い。
「敢助くんからですね……今から昇進祝いの半殺しを持ってきてくれるそうで…」
『歓迎します』と送ると
『きもちわりぃ。何企んでんだ』と即返ってきた
ため息をつく。らしくないとは自分でも思うが、敢助相手に虚勢を張るだけのプライドは既にズタボロになって地に伏せている。
藁にも縋る思いだった
――
――
―
「おーう、コウメイ!ばあちゃんの半殺し持ってきたぞ!」
敢助が呼び鈴を鳴らしながら大きな声で呼びかけると、ガチャリと扉が開いて夢主がひょこっと顔を出した。予想していたものと違う顔に一瞬面食らう敢助に夢主はうれしそうに近づいてきた。
「かんすけくん!久しぶりですねぇ!」
「あ?おぉ、コウメイ馬鹿じゃねぇか。……お前こんな朝早くから、何でコウメイの家にいるんだ?」
「昨日と一昨日はお泊まりで…私、ついに高明お兄ちゃんとエッチできたんですよ。すっごく気持ちよかったです!エッチっていいもので、うぶっ………ん?ふぁふぁあひおにひちゃ?」
後ろから手が伸びてガバッと夢主の口元を覆った。高明だ。もごもごと途中で言葉を止められ不思議そうな顔をする夢主を、唖然とした顔の敢助が半目で見つめている。
「……このように、口から漏れてはいけないものがダダ漏れなので親元に帰せないんですよ……家に隔離するにも限界です。何か策がありますか?」
「………自業自得だろ………あーあー、長野のコウメイともあろうヤツが…やっちまったなぁ?………とんだ失策だろ?」
「玄関先だと問題があるので………中へどうぞ……」
敢助は呆れきった目を高明に向けると、靴を揃えてリビングにあがった。その後ろを高明が夢主の口を抱え込むように塞いだまま追いかける。
「?ふぁんふふぇふんもゆふぃひゃんとえっふぃふぃなふぃんれふか………」
「…………おい、そいつなんか言ってんぞ?いっぺん離してやれよ。いつまでもベタベタイチャイチャしてんじゃねぇぞ」
勝手知ったる様子でキッチンに入り、タッパーを鞄から取り出しながら敢助が嫌そうに声をかけると高明は眉をしかめた。
「………今、夢主さんがなんと言ったか聞き取れなかったのですか?……まぁ…貴方がよろしいのであれば………夢主さん、最初からもう一度どうぞ」
「かんすけくんもゆいちゃんとエッチしないんですか?」
「コウメイ、塞いどけ。いっそ縫い付けちまえ」
しかし夢主はくるりと高明の後ろに回って口を塞がれない位置に移動する。
「何でですか?私は高明お兄ちゃんとエッチできて幸せな気持ちになりました!2人にも幸せになって欲しいんです」
「余計な世話だ。……その一瞬表面だけまともに聞こえる語り口がこえぇんだよ…お前は」
敢助は心底胡散臭いものを見る目で夢主を見たが、夢主は既に顎に手を当てて首をかしげ、考えるポーズに入っている。高明はため息をつくとひとまず傍観に徹した。
「かんすけくんもゆいちゃんも何がエッチの障害になってるんですかねぇ?試しに、今からゆいちゃんに『エッチしよう?』って送ってみましょう!携帯貸してください」
ずいっと敢助に近寄った夢主がパタパタと敢助の上着のポケットの辺りを叩いて携帯を探す。
「なぁにが試しにだ!あほか!やめろっ…そこにはねぇよ!…つか由衣はお前とは違うんだよ……そもそも付き合ってるとかそういう関係でもねぇんだからよ!」
「私達もそこに至るまで長かったですけど…だって2人は両思いじゃないですか?」
「あぁっ?」
「夢主さん…由衣さんご本人の許可もなく……無粋ですよ?」
そこで顔をしかめた高明が、敢助との間に入るように夢主の前に凜と立った。
「子、四を絶つ。意無く、必無く、固無く、我無し。……いくらそのように外観からうかがえようとも、敢助くんと由衣さんの内心を決めつけ、勝手に周囲に言って回るのは越権行為です。感心出来ません」
「越権行為…………」
「………幸福の形は一つではありません。人の数だけ存在します。……貴方に、貴方なりの考えがあることは分かりましたが、同時に別の考えを尊重することも覚えましょう」
「はい分かりました。…………かんすけくん…決めつけてごめんなさい」
「…………おうよ」
夢主がしおらしく頭を下げるのを受けて敢助が軽く返す。高明はその下げた頭を撫でて穏やかに笑いかけた。
「過ちては則ち改めるに憚ること勿れ…なかなかに難しいことです。よく出来ましたね」
「はい。ありがとうございます!」
「そんで?……そいつ何でそんだけ素直にものが聞けるのに、ダダ漏れの言動は抑えらんねえんだ?コウメイ」
「どうしても根本の部分で理解が及ばないようで…すれ違いが生じるんです」
「おい、コウメイ馬鹿。お前はどこで引っかかってんのか自覚ねぇのか?」
夢主が申し訳なさそうに、しゅんと萎れて話し始める。
「そもそも私、どうしても分からないんです。どうしてエッチした事を秘密にしないといけないのか」
「いや………何でわかんねぇんだよ」
「誰と誰がどんなエッチをしてるかって気にならないですか?」
「……ならねぇよ」
「下世話極まりないですよ…夢主さん」
2人が同時に顔をしかめる前で夢主は困ったように眉を下げ首をかしげた。
「下世話ですか?…うーん……でも、もっと皆、誰とどんなエッチをしてるかって話題に出すべきだと私は思うんです。とても悲しいことに、不道徳な不倫の類いや、知らずに既婚者と付き合ってしまう事故なんかはエッチを秘密にしていることで発覚が遅れるんです」
夢主は真っ直ぐな瞳を敢助と高明に向けると、朗々としてよく通り、妙な説得力を持った柔らかな声で持論の展開を続ける。
「また、世の中には性の不一致で別れてしまうカップルは意外と多いです。『僕はこんなセックスが好きだよ』『私はこんなエッチをしてます』そういった話が自然と出来る世の中であれば、悲しいすれ違いはもっと減るはずです。なにより性についての悩みを社会で共有できるって相互扶助の観点からするととても素敵なことですよね?公衆衛生の観点からも性病が発生しても速やかに治療をすべき人が割り出せますし。良いことばかりではないですか?」
敢助と高明が沈黙する中、心底困惑していると言いたげな顔をした夢主が、巡り巡った上で高明が問題とする最終的な疑問を口に出した。
「高明お兄ちゃんは両親に言う必要は無いって言いますが、秘密にすることの利点が分かりません。心配をかけてしまうので良くない気がするんですけど」
「…成程、その思想が…貴方が両親へ性事情の報告をしようとする根幹にあると…」
「……………理論だけいっちょ前に整ってやがるから始末がわりいな…こいつどうすんだよ…コウメイ」
語り終えた夢主に、高明は引きつる口元をなんとか制御して言葉を紡いだ。夢主の語るある種の合理性に支えられた理想郷の理論に目眩がした。
「パパやママにも、高明お兄ちゃんと朝までエッチして幸せだったよって教えてあげたいだけなんです。なんで報告したらダメなんですか?」
「こいつ……相変わらず平然ととんでもねぇこと言いやがるな?……」
「……………おわかりいただけて何よりです……敢助くん」
敢助は数秒、宙を睨むと首に手をやりガシガシとかいた。横にいる高明が目を閉じ、頭痛を訴えだしたこめかみを押さえるのをなんとも言えない顔で眺めると、長いため息をつく。
「…はぁ…あー……いいか?親からは万が一聞かれたら答えりゃ良いんだよ」
夢主に向き直った敢助がじっと真っ直ぐ、その目を射抜いてそう口を開く。
「でも…心配を……」
「心配なら聞いてくんだろ?いつまでも何でもかんでも報告してたら親だって自分の人生に集中できねぇ。……自立ってもんだ。大人になるって事はだなぁ、親と自分の間にガキの頃とは違う線引きするって事でもあるんじゃねぇのか?」
「線引き…自立…なるほど!…分かりました。聞かれるまで口にしない…自立かぁ……」
ある程度納得したのか先ほどよりは晴れやかな顔をした夢主を視界の端に捉えつつ、敢助はそっと高明に目配せすると小声で呟く。
「………………これでいいだろ。よっぽどなんか懸念材料があるとかじゃねぇと年頃の娘に親からセックスの話題なんか出さねぇよ……」
「敢助くん…呉越同舟の精神ですね……助かります」
「…………こいつはある意味ひっでぇ暴風雨だからな……おい!コウメイ馬鹿、頭使ったんなら糖分補給しとけ。いくつ食うんだ?」
敢助が棚から人数分の皿を取り出し夢主に向かって声をかけた
「わぁ!これおっきいですね!二個で!」
「お前馬鹿だから三つ食っとけ。コウメイ、お前も三つ食え」
「ありがとうございます!」
「多いですよ、敢助くん。まぁ頂きますが……」
騒動の余韻を引きずる形で始まった朝は、2人の軍師の共闘によって、一応の平穏を取り戻した
少なくとも
その時はそう見えた。