TS剛膣娘と硬い盾役 作:笑石
教国は『清浄の女神』を信仰しているのに、決して綺麗とは言い難い国だった。
教会騎士が強引に犯した女から生まれたエリックと、教会の偉い司教と娼婦の間に生まれたアリサはいわゆる《
母親は父親に殺されたエリック、愛されることなど一度もなくあっさりと捨てられたアリサ。二人はそれが当たり前の世界に生きていたからこそ、その背中を見た時、初めて「信じる」という言葉の意味を知った。
「やめなさい! それ以上の暴力は、不要でしょう!?」
自分達と同じくらいの歳の子が、自分達が恐れ動けず、なすがままに殴られていた大人の前に立っている。両手を広げ、足を震わせながら、大きな大人の前に、自分達に背中を見せて立っている。
「……聖女サマか。おいチビちゃん、そいつらは盗みをしたんだ。躾はしないといけない」
聖女と呼ばれた少女は震える手で懐から袋を取り出した。思わず地面に落としてしまい、金属の音が周囲に響く、それを慌てて拾い上げ、大人に渡した。
「……これで、もう盗んだことにはなりません」
「……そうはならんよ、お勉強に詳しい聖女サマなら、その道理くらいわかるだろ!?」
「今、この場ではならないと言いました!」
睨み合い、しばらくして大人が根負けして去っていく。しっかりとお金は持って、なんならエリック達が盗んだ物の代金よりも多く。
頬を腫らし、足を押さえるアリサが吠えるように言った。
「なんだよ教会の犬が! 哀れみのつもりかっ!? 施しのつもりかっ!? 仕方ねぇだろ! 盗まないと───」
「今! 私の前で"盗み"は起きていませんっ!」
背中を見せたまま、少女は叫んだ。
「……起きて、ないんです」
泣きそうな声で、トボトボと去っていく。一度もこちらは振り返らなかった。アリサはその時不満そうに睨みつけているだけだったけれど……エリックには、その少女の背中がまるで初めて見た快晴の空のように見えていた。
聖女ファスティ。
彼女は、若くして聖女の称号を得た敬虔なる使徒。
「あの女、炊き出しするんだって、分かりやすい点数稼ぎしやがって。エリック! いくなよ!」
アリサの言葉に、誰の点数を? とエリックが返したら殴られた。
「なんか古着とか布とか集めてスラムに配ってるらしい……そんなに良い顔したいのかあの犬はっ!」
でも、これはちゃっかりもらいに行った。
「怪我人とか病人とか、金も取らずにポンポン治してるらしい。今は取らないだけで、後で酷いことを言ってくるんだ!」
でも、屋台のおじさんも川べりのお爺さんも、路地の姉さんも感謝してたよ。エリックの言葉にアリサは何も返さなかった。
最初は憎らしさから、わざわざ彼女の動向を調べていたアリサの声色が変わったのはいつからだったか。
「スラムでも、街でも、傷ついた人がいたら無償で治してるんだ、ですって、やっぱりホンモノは違う、わね!」
「また炊き出しだって、手伝う人集めてるらしいけど……エリック、あんた行けば」
「今度、勉強教えてくれるんだって。勉強したら、私も教会に入れるのかしらねぇ?」
「せーじょーの女神だか何か知らないけど、ファスティが信じてるのなら、きっと良い神様なのよね!?」
ファスティの善行は、教国でもじんわりと話題が広がっていた。幼いながらも、一生懸命……『聖女らしい』ことをしてくれる。
エリックは、アリサの変容を嬉しく感じていた。彼女にファスティの良い噂を聞かせ続けた甲斐があった。と考えていた。そんな必要は、きっとなかったのだけど。
それらがひっくり返った時のアリサの怒りを、エリックは今でも鮮明に思い出せる。
「ファスティが、教皇を襲った!? そんなこと、ファスティが……! ファスティ様がするわけないだろうがッ!!」
逃亡中の『元』聖女ファスティ。生死を問わない、指名手配。それがスラムにも流れてきた時、アリサは暴れ、まだ制御の効かない魔術を暴走させた。
ファスティは、逃走中に何人かの教会騎士も殺しているらしい。しかしそんなことが、あの小さな身体で出来るものか。あの人がするものか。
「絶対に……! 教会のクソどもが何か悪いことを企んでるんだっ! クソっ! クソっ! エリック……ッ! 追うわよ! ファスティ様は、私達が守るッ!」
しかし、お金もない、準備もない、知識もないエリックとアリサが闇雲に追いかけて、追いつけるような相手ではなかった。
二人で何度も間違え、色んなことを新しく覚えながら必死に前に進んだ。
その後、再会したのは迷宮の中だった。
噂を頼りに時間をかけて追いかけて、ようやく辿り着いた先で冒険者というのになって、手繰り寄せたわずかな情報から同じ迷宮に潜り───モンスターに囲まれて死にそうになった時、傷だらけでまた、助けてくれた。
アリサを庇い腕を噛まれ、エリックを庇い肩を噛まれた。それでもファスティは、その背中の後ろに何者も通さなかった。少しだけ、大きくなった、小さい背中。
「大丈夫?」
にこやかに振り返った顔を見て、エリックは夢から覚めたような気持ちになった。アリサもそうだったのだろう。
「ありがとう、ございます。すみませんが、お名前を聞いても、宜しいですか」
彼女はエリック達のことを覚えていなかった。当然だろう。彼女にとって、当たり前の事をしただけの相手なのだから。
「"オレ"? オレは、ミスカ。気にしないで良いですよ。これくらいの怪我は、へっちゃらですから!」
「ミスカ、できる限り被弾は避けるべきだ」
「そうよ〜ヒヤッとするんだから」
「頼むからもう少し避けてくれぇ!」
手を振りながら、パーティーメンバーと去っていく背中をアリサが憑き物の落ちたような顔で見送っていた事を、エリックはよく覚えている。おそらく自分も同じような顔をしていたからだ。
「そっか、捨てたんだ」
ぽそりとしたその呟きは、少し寂しさを含んでいたけど、どこか……ホッとしたような声色だった。
「なら、僕が並んでも許されるのかな……?」
エリックの言葉に、キッと目尻を上げてアリサは吠える。
「ハァ!? あんた如きが何を!? 身の程を弁えなさい!」
アリサの口調は聖女に憧れた時から随分とお淑やかになったが、エリックに対する厳しさだけは幼少期から変わらないままだった。
多分、一生弟扱いなのだろう。少なくともエリックはそう思っていた。
*
「懐かしい、夢ね」
朝、アリサは起きた時、この街に来る前のことを夢に見ていた。アリサが教国出身だという事は、幼馴染のエリックしか知らない。ミスカに、万が一にでも『過去』を知っている事を、知られたくないからだ。
エリックがミスカに懸想している事はとっくの昔から知っている。分を弁えろとは思ったが───変な男に捕まるよりは、エリックの方が、マシだ。
『剛力のミスカ』
その二つ名の原因になった騒動のことはよく知っている。
どころか、ミスカが例の最初の事件を起こした時───その一部始終を、この目ではっきり見ている。
ミスカが、色に染まった瞳で男の股間を握りつぶしたその瞬間を。
ぞくり、と。アリサは震えた。あの時の嫌悪感と嫉妬……あれは、忘れられないと同時に、まるで親のように嬉しく思う気持ちも同時に来て、本当におかしくなりそうだった。
ミスカの成長は、自分のことのように嬉しい。人間として真っ当な欲に振り回される様も、愛しいとすら感じる。
でも……見知らぬ男に、というのは、アリサの身を引き裂かん程に嫌悪と憎悪を抱かせた。幸いにも、そうは至らなかったが……。
アリサは、もう一つ知っていることがあった。
それはミスカが張り型を破壊している事だ。その時も成長に想いを馳せたものだが、鋼鉄製をひしゃげさせた云々の情報を手に入れた時は「何故?」と流石にしばらくは考えた。
ミスカの起こした股間粉砕事件を目撃した時、ある確信があった。もしや……と。そして、自身の様々な思惑と、偶然にもすでに『盾役』として育ち始めているエリックの事がつながった。それが今のパーティーとしての『型』につながっている。
その後もミスカの股間粉砕事件が続き───アリサは確信を得た。エリックが能動的に股間に『成長リソース』を割くように誘導し、行き詰まったところで……レンに相談して合同探索に漕ぎ着けたのだ。
その後の流れは───おそらく。
アリサは、バーの端っこで腕を組み、視界の端にそれを捉える。
もはや最近は隠さなくなってきた二人の逢瀬。エリックとミスカが、楽しそうに酒を飲んでボードゲームみたいなものを遊んでいる。
めらり、と。
嫉妬の炎が心に燃えた。それを自覚し、アリサは自問する。
「それは、どちらに?」と。