『絶頂の牢獄』〜背徳の個室で解き放たれた男〜 作:THERMOS
「……よし、準備はいいな」
自室の姿見の前で、私はスポーツジムのロゴが入ったナイロンバッグのジッパーをゆっくりと引き開けた。
中に収まっているのは、着替えのTシャツやプロテインのシェイカーなどではない。底のデッドスペースに押し込まれているのは、黒い巾着袋だ。ずっしりと重いその袋の紐を解くと、中から慣れ親しんだ無骨な玩具たちが姿を現す。自宅の鍵付きクローゼットの奥底から、家族が寝静まった深夜にだけ引っ張り出してきた、私の背徳の相棒たちだ。
指先で表面をなぞる。ひんやりとした金属のコックリング、重厚なシリコンの感触。
「……今日こそ、誰の目も気にせず、思う存分使ってやる」
ゴクリと唾を呑み込んだ。喉の奥がカラカラに乾いているのが分かった。
我が家での夜は、あまりにも静かで、あまりにも退屈だった。
妻との営みがないわけではない。「そろそろ……どう?」と妻が控えめに声をかけてくる夜もある。だが、長年連れ添った夫婦の愛撫は、どこか形式的で、互いの義務を果たしかのように作業的に終わる。
「……こんなんじゃないんだよ」
浴室でシャワーを浴びながら、あるいは家族が寝静まった暗い自室で、私は一人で息を殺して拳を握りしめてきた。ドアの向こうで足音がするたびに身体を強張らせ、ビクビクと怯えながら、惨めに果てる日々。自分の内側でマグマのように渦巻く、もっと泥臭くて、淫らで、不道徳な欲望の乾き。それを癒やす場所は、日常のどこにも存在しなかった。
だからこそ、出張先のビジネスホテルで一人、鍵をかけた部屋で解き放たれる時間だけが唯一の救いだったのだ。
だが——その「解放」が、目と鼻の先で手に入る場所が現れた。
近所の幹線道路沿い。かつてファミレスだった建物を改装して突如オープンした個室ビデオ試写店。車でその前を通るたび、派手なネオン看板と、奥まった駐車場を隠す目隠しフェンスが、私の理性をじわじわと侵食していた。
「ちょっとジムに行ってくるよ。今日は少し長めに走って、シャワーも浴びて帰るから」
リビングのソファでテレビを見ていた妻に、努めて平然とした声をかける。
「あら、そうなの? いってらっしゃい。汗冷えしないようにね」
「ああ、分かってる」
妻の優しい声が背中に刺さる。一瞬だけ罪悪感が胸を掠めたが、次の瞬間には股間の奥がジワリと熱くなる興奮がそれを塗りつぶした。ジム鞄の底で黒い巾着袋が揺れる。完璧な口実、完璧な計画だ。
車に乗り込み、エンジンをかける。ハンドルを握る手の手心がじんわりと汗ばんでいた。
自宅から車でわずか数分。目隠しフェンスの隙間から滑り込むように駐車場へ入ると、他人の目を遮るように設計された車寄せに車を停めた。帽子を深めにかぶり、ジム鞄を抱えて車を降りる。
「……ふぅ……」
一度深く息を吐き出し、ガラス扉を押し開けた。
自動ドアが開くと同時に、甘ったるい芳香剤と、どこか無機質で淫らな空気が肌にまとわりつく。受付へ向かう廊下の脇には、大人の玩具売り場が広がっていた。
「……なんだ、これは……っ」
思わず足を止め、声が漏れた。
申し訳程度に置かれているだけだと思っていたコーナーには、壁一面にびっしりとアダルトグッズが吊り下げられていた。ネット通販の画面でしか見たことがなかった最新型のオナホール、怪しく光る特殊ローション、極太のアナルプラグ、様々な形状の締め付けリング……。
「すごいな……専門店より揃ってるじゃないか……しかも、安い……!」
手にとって確かめられる喜びと、誰にも見られていないという解放感で、胸が激しく高鳴る。私は吸い込まれるように棚へと手を伸ばした。
まずは、根元を強烈に縛り上げて血流を逃さないシリコン製と金属製のコックリングを二個。かごに放り込む。
次に、パッケージの裏に書かれた内部構造の説明をじっくり読み比べ、内部のヒダが細かく高刺激なオナホールと、吸いつきの強さをうたったオナホールの二個を選択。
さらに、手に取るとズシリと重みを感じる、綺麗な曲線のシリコン製アナルプラグ。
「これも……これも試してみたい……っ」
カゴの中があっという間に怪しいアイテムで埋まっていく。会計に向かうと、無表情な店員が事務的な手つきで黒いビニール袋へ商品を入れてくれた。その無関心さが、今の私にはたまらなくありがたかった。
「お部屋はどうされますか? フラットとソファがございますが」
「……ソファで。5時間フリータイムでお願いします」
「2000円になります。お部屋は12番です」
鍵を受け取り、薄暗い廊下を進む。両脇に並ぶドアはどれも頑丈そうで、防音性の高さが伺えた。12番の部屋の前に立ち、鍵を差し込んで回す。
カチャン。
重厚なドアを開け、室内に入るとすぐに内側から鍵をかけた。
「……よし……っ! ここなら……誰の目も気にしなくていい……!」
バタンとドアを閉めた瞬間、外界の喧騒も、世間の倫理も、家族への罪悪感も、すべてがドアの向こう側へ遮断された。
部屋の中には、ゆったりとした黒革のリクライニングソファと、壁一面の大きなモニター。エアコンから吹き出す冷気が心地よく頬を撫でる。
私はジム鞄のジッパーを一気に開け、自宅から持ってきた秘蔵の電動マッサージ機と大容量のローションボトルを取り出した。そして、店内で買ったばかりの黒い袋の中身をテーブルの上にズラリと並べる。
「コックリングが二つ……オナホールが二つ……プラグが一つ……っ」
新品のプラスチックやシリコンの匂いが、私の不道徳な興奮をさらに煽り立てる。
「まずは……身体を洗って、準備を整えないと……」
私は手提げ袋にローションのボトルと買いたてのグッズ、そしてフロントで借りた清潔な大判バスタオルを詰め込んだ。
「よし……聖域へ行こう」
鍵を握り締め、胸の高鳴りを抑えきれないまま、私は廊下の突き当たりにあるシャワー室へと向かった。