エルネストに手を強く引かれ、リリアは急ぎ足で港の市場をあとにした。
「え、エルネストさん、急にどうしたんですか……? 私、何か変なことしちゃいましたか……?」
急激に強まったエルネストの緊張感と殺気に戸惑い、リリアは不安そうに彼を見上げた。
手を握るエルネストの指先は驚くほど冷たく、硬い。
「……君のせいじゃない。静かに歩け」
短く答えるエルネストの意識は、すでに全方位の警戒へと向けられていた。
昼下がりのアルベルタは、メインストリートから一本脇道に入ると急激に人通りが少なくなる。石造りの古い建造物が影を落とし、湿った潮風が路地裏を吹き抜けていく。
(尾行は一人……いや、角の影にさらに二人か。手際が慣れすぎている)
エルネストは歩幅を崩さぬまま、背中の大型弓にいつでも手が伸びる位置へ腕を滑らせた。
相手の目的がリリアであることは明白だ。
そして何より、自分という「後衛」が一人しかいないタイミングを狙って距離を詰めてきている。
「エルネストさん……なんだか、後ろから足音が……」
さすがのリリアですら、背後から忍び寄る不穏な気配に気づき、身を縮こませた。
「知っている。……リリア、俺から絶対に離れるな。合図をしたら、俺の背中に隠れろ」
「は、はい……!」
その時——
——カサッ。
頭上の屋根の上と、前方の路地の曲がり角から同時に複数の影が跳び出してきた。
「へへっ、逃がさねえよ! おとなしくそのカーディナルの女を置いていきな!」
汚い笑みを浮かべた男たち四人が、刃物を手に二人の前後を挟み込む。
酒場で見かけたあの粘着質な視線の男が、嘲笑いながら一歩前に出た。
「おいおい、そっちのレンジャーさんよ。一人でその上物の女を守り切れると思ってんのか? おとなしく引き渡せば、命だけは助けて——」
——シューーッ!!
男が言葉を言い終わるより早く、一閃の矢が空気を切り裂いた。
「がはっ……!?」
男の喉を正確に貫いた矢が、その巨体を昏倒させる。
血の泡を吐いて崩れ落ちる雑魚を見下ろすエルネストの銀髪の隙間から覗く切れ長の鋭い瞳には、もはや怒りすらなかった。
ただ凍てつく、底なしの殺意が宿っているだけだった。
「口を慎め。……触れていい相手と、そうでない者の区別もつかないのか」
低い、地獄の底から響くような声。
「ひっ……!? な、なんだこいつ、速すぎる——」
「怯むな! たかがレンジャー一人だ、肉弾戦に持ち込めば——」
残りの野盗たちが同時に襲いかかろうとした、その瞬間。
「——『ブレッシング』『速度増加』『ベネディクトゥム』『アスムプティオ』!!」
リリアの澄んだ声とともに、眩い金色の光が重層的に重なり、エルネストの全身を完璧なタイミングで包み込んだ。
「――お願いします、エルネストさん!」
無詠唱支援——一切の隙のないリリアの完璧なバフが、エルネストの戦闘力を爆発的に跳ね上げる。
「……消えろ」
至近距離での連続射撃。
振るわれた刃を紙一重で見切り、圧倒的な身のこなしで翻弄しながら、エルネストは寸分の狂いもなく野盗たちの急所を穿っていった。
ものの数秒で、路地裏には静寂が戻り、転がる死体だけが残された。
「はぁ……はぁ……」
恐怖と緊張に耐えかね、リリアは小さく肩を震わせて息を荒げている。
弓を下ろしたエルネストは、返り血一つついていない己の手を見つめる。
(――まただ。あんな雑魚の血でさえ汚らわしいが……それ以上に、命が途絶える瞬間があまりにも軽くなった)
エルネストの中で、人の命を奪うことへの躊躇いや罪悪感などはとうの昔のように擦り切れ、今はただ、目の前の障害を排除したという実感が淡く残るだけだった。
(……俺は、いつの間にこんな簡単に人を殺せるようになった? いや……どうでもいいか。リリアが無事なら、他はどうでも——)
それから震えるリリアへと向き直った。
「リリア、怪我は——」
「エルネストさん……っ!」
リリアは耐えきれず、エルネストの胸の中へと飛び込んだ。
豊満な胸が彼の胸板に強く押し当てられ、彼女の全身が恐怖で小さく震えている。
「怖かった……すごく怖かったです……っ!」
「……もう大丈夫だ。俺が全部片付けた」
抱きついてくるリリアの華奢な背中に腕を回し、エルネストは彼女を強く、強く抱きしめた。
彼女の甘い体温と柔らかな感触が、彼の胸の奥にある「独占欲」と「執着」を狂おしいほどに刺激する。
(――やっぱり、この街もダメだ。どこへ連れて行っても鬱陶しい羽虫が群がる。……いっそ、誰の目も届かない部屋の奥底に、俺だけが触れられるように閉じ込めておくべきだ)
「……宿へ帰ろう、リリア。もうどこへも行かせない」
冷徹なウインドホークの腕の中で、リリアはただ彼の確かな体温にすがりつくことしかできなかった。
外の世界の恐ろしさに足元がすくむ一方で、胸の奥では別の感情が静かに熱を帯びていく。
(――怖い……のに。エルネストさんが私を守ってくれるこの腕の中だけは、どうしようもなく安心してしまう……)
向けられた狂気的なまでの執着に気づくことなく、リリアは彼の胸元にそっと顔をうずめ、圧倒的な強さで庇護される甘い充足感を心地よく噛み締めていた。
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