閉ざされた港町
昨夜の温かな余韻が残る客室で、朝の光が薄カーテン越しに差し込んでいた。
リリアはベッドの上でゆっくりと身体を起こし、隣で静かに息を吐いているエルネストの寝顔を見つめた。
昨夜、恐怖に怯える自分を優しく、そして決して離さないように抱きしめてくれた彼の体温が、今も肌に残っている。
(――エルネストさん)
そっと頬に手を伸ばしかけた、その瞬間。
――ビクッ、と。
わずかな気配すら逃さない野生の猛獣のように、エルネストの鋭い銀色の瞳がカッと見開かれた。
瞬時にリリアの手首を優しく、しかし一瞬の隙も与えない確実な力加減で掴み取る。
昨夜からの緊張と警戒が、眠っている間ですら彼の神経を戦闘モードに固定させていたのだ。
「……っ! ご、ごめんなさい、起こしちゃいました……?」
不意を突かれてビクッとしたリリアの姿にハッと我に返ったのか、エルネストの瞳から険がスッと消え、いつもの冷徹な仮面へと戻っていく。
「いや……。……おはよう、リリア」
「あ、おはようございます……! 起きちゃいましたか……?」
「いや、最初から起きていた。……敵の襲撃以降、気が張っていてな」
エルネストは体を起こすと、緩みかけた気を引き締めるように鋭い視線をリリアに向けた。
「身支度を整えろ、リリア。この街を出る」
「えっ……!? 出るって、アルベルタを……ですか?」
驚くリリアに、エルネストは真剣な眼差しで理由を告げる。
「昨日のような下っ端の野盗なら俺一人で裁けるが、裏で糸を引いている組織の規模が読めない。アルベルタは港町で出入りが激しすぎる。もっと安全で、冒険者ギルドの本部や強大な魔法体系が存在する王都——プロンテラへ向かう」
「プロンテラ……! 大都会ですね」
「ああ。そこなら警備も厳重だし、支援職である君を守るための万全な環境が整えられる。……それに、俺たち以外の信頼できる仲間を探すにも都合がいい」
「はい! エルネストさんがそう言うなら、私、どこへでもついていきます!」
リリアが健気に頷くと、エルネストの目元がわずかに緩んだ。
彼はリリアの頭を撫で、豊満な胸が揺れるのをさりげなく視界に納めながら、過保護な笑みを浮かべた。
(――この街の雑音から、一刻も早くあいつを遠ざけなければならない)
二人は手早く荷物をまとめ、旅籠のカウンターでチェックアウトを済ませて外へ出た。
「行くぞ、リリア」
「はい!」
アルベルタの北門へ続く大通りへ向かう。
プロンテラへ至るには、アルベルタを出てフェイヨン迷いの森から北のソグラト砂漠を抜け、街道を進むのが定石だ。
エルネストとしては、アルベルタを発つ前に道具屋の露店でリリアの魔法用ジェムストーンや道中の消耗品をひと通り買い揃えておくつもりだった。
しかし、北門の広場へ向かおうと大通りを進んだその時、二人は前方の異常な人だかりと喧騒に足を止めた。
「おいおい、嘘だろ……!? 街道が通れないってどういうことだ!」
「山側の街道で大規模な土砂崩れが発生したんだよ! 復旧には数日はかかるって話だ!」
「じゃあプロンテラへ行くにはどうすりゃいいんだよ!」
集まった行商人や冒険者たちが、門衛に詰め寄り激しい怒号を飛ばしている。
(……土砂崩れ? このタイミングで都合よく主要街道が塞がるか?)
エルネストは鋭い眼光を走らせ、周囲の様子を観察する。
ただの自然災害ではなく、昨夜の野盗の背後にいる組織が自分たちの足止めを狙った人工的な罠である可能性は高かった。
「困りましたね……。陸路が塞がっちゃったなら、プロンテラへ行けなくなっちゃいます……」
リリアが心細そうに眉を寄せ、エルネストの袖をキュッと掴んで頼るように見上げる。
その無防備で愛らしい仕草に、エルネストは内心で(どこへ行こうと、俺が手元から離すつもりはないがな)と冷徹な独占欲を隠しながら、落ち着いた声で彼女の頭を優しく撫でた。
(……船という手もあるが、海原という密室は敵に囲まれたときに逃げ場がない。連中が待ち構えているリスクを考えれば、海上を選ぶのは悪手だ)
わずかな一瞬で海の危険性を切り捨て、思考を陸路の迂回へと切り替える。
「……焦るな。船便を当てるか、別の迂回路を探す。お前はただ、俺の背後だけを見ていればいい」
「はい……! エルネストさんがいてくれるなら、私、どこへだって……」
安心したようにふわりと微笑むリリア。
その無垢な信頼に満ちた笑顔を守るためなら、邪魔立てする街ごと焼き払ってもいいと、エルネストの胸の内で黒い感情が静かに渦巻いた。
引き返そうとしたその時——
「きゃあああああっ!! 誰か助けて!!」
街の奥、市場の方向から空気を切り裂くような悲鳴が響き渡った。
それに呼応するように、周囲のあちこちから人々の怒号とパニックの音が重なり合う。
「な、なんですか今の悲鳴……っ!?」
「……チッ、始まったか」
逃げ場を完全に塞ぎ、群衆をパニックに陥れた上で一網打尽にする——いかにも裏社会の連中が好む、悪辣な手口だった。
エルネストは怯えるリリアを背後の懐へと深く引き寄せ、その細い体を自分の体温ですっぽりと隠すように庇いながら、背中の大型弓に素早く手を掛けた。
硬質な弦を弾く指先には、微塵の迷いもない。
――ただの巻き添えなど知ったことではない。
この背後の温もりと無垢な笑顔を脅かす者どもは、ここで根絶やしにする。
冷え切った銀色の瞳の奥で、害虫どもをまとめて駆除する殺意の炎が狂おしく揺らめく。
アルベルタの街を覆う不吉な陰謀の影が、いよいよ剥き出しの牙を向けて襲いかかろうとしていた。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
そしてお気に入り登録してくださっている方ありがとうございます!
何かしらの反応をいただけるととても励みになります。
暫く先まで執筆完了しておりますので、しばらくは1日2回7:00と19:00に投稿させていただきます。
よろしくお願いします。
す。